MONO「なるべく派手な服を着る」

◎「おひ!」
武田浩介(演芸作家・ライター)

「なるべく派手な服を着る」公演チラシ劇団MONOの第35回公演は、『なるべく派手な服を着る』。
まずは、このタイトル。特に難しい単語も使っていないし、非日常的な動作の描写でもない。「なるべく派手な服を着る」。うん。服を着る。派手なね。派手なのを着るわけね。分からないことは、一つもない。

それでも何だろう、この一文から醸し出されるイメージが、胸をくすぐってくる。さらっと読み下せない。己の意識に寄り添ってきて、構ってほしげにソワソワしている。「なるべく派手な服を着る」。てか、分かっている。その原因は、「なるべく」にあるのだ。

飾っちゃうんだよな。取り繕っちゃうんだよな。で、そうゆうのに反発したりしてナチュラルさ万歳!ビバ自然体!とか声高に言ったりしたって、それも結局自分をデコレートしていることには変わりないんだよな。自意識の葛藤。意識無意識せめぎあい。結局、自分をちゃんと見て欲しくって、今日もやっぱり着るんだよ。「なるべく」派手な服を。

ということで、お芝居について。
開幕、居間で2人の男が「新しいゲーム」をやっている。これってMONOの芝居では何度か観たことのある光景だ。幾ら説明されてもルールが伝わり辛い、新しいゲーム。作った方は「面白いんだって!」とノリノリだけど、付き合わされる方は辟易している。ズレまくりのゲーム。ルールと関係性のパラドックス。まるで、……すいません、のっけからちょっとこっ恥ずかしい文章を書いてしまいそうになってしまった。

それはともかく、舞台は地方の一軒家だ。
書道家の父が倒れ、この家の兄弟たちが久しぶりに集まり勢揃いっていう状況。母親はとっくに亡くなっている。

まずこの家の構造が、ヘンだ。最初は普通の一軒家だったのだが、増築・改築を重ねて、やたらと複雑な構造になってしまったという。舞台奥にある押入れは台所につながっているのだが、その道筋は軽く迷路。台所にたどり着くのはある程度の熟練を必要とする。舞台上手側には、花壇がある。かつてここは庭だったのだ。それを増築したものだから、室内に花壇というシチュエーションになってしまった。

そんな家で、父と共に暮らしているのは、長男。で、次男がいて、3男がいて、4男がいて。
と、ここまでが4つ子という設定。
そして、その下に5男。
そのまた下には、兄弟中、唯一の養子である6男。

まず上の4つ子だけど。これがさっぱり似ていない。全然似ていない。ま、実際演じる役者が実の4つ子ってことはまずありえないし、これも「演劇のウソ」ってやつ?それにしても…なんて思いながら、彼らの繰り広げる会話に耳を傾けていく。

「なるべく派手な服を着る」公演

「なるべく派手な服を着る」公演
【写真は「なるべく派手な服を着る」公演から。撮影=谷古宇正彦 提供=キューカンバー 禁無断転載】

4つ子たちは、養子の6男をちょっと過剰に溺愛しており、今日はその6男に逢えるのを楽しみにしている様子だ。
と、そこに来客が。来たよ来たよ我らの6男って感じで、皆の心、浮き立つ。すると、そこにやってきたのは5男。久しぶり、と笑顔の5男に対して、一同、落胆の表情。あからさまに。

5男は、兄弟の中でもひときわ影が薄い。4つ子でもなければ、養子でもない。これといったドラマも背負わず兄弟の中に存在する5男。実の兄弟なのに名前を覚えてすらもらえない。かつて家族皆が一緒に暮らしていたときは、盛り上がる皆から離れていつも1人でポツンといた。その影の薄さは、家の中だけでなく彼本人の特性のようで、この日連れてきたガールフレンドからも、「存在感がない」なんて言われる始末。

そんな5男だけど、彼の服装が、派手なのだ。いや特に変ちくりんっていうワケではないんだけど、他の主演者に比べると、スカジャン姿の5男の服装は、劇中人物の中でも派手さがあった。そう、「なるべく」な派手さが。

やがて6男もやってきて一族再会。あったかいほっこりした空気が充満するんだけど、やっぱりどこかが妙だ。随所に笑いを交えたやり取りの中で、この家族の様々な事情が浮かび上がってくる。

何十年も前に強盗殺人事件の容疑者として誤認逮捕された長男。地方都市の閉塞感の中で、彼の心の拠り所は、この家の、皆が仲の良い、素晴らしい家族の長男だということ。
そして常識人ぽい次男は、そんな長男スタンスに憧れている。表向きはおくびにも出さないけど、ちょっと突けばドバドバ出てくる羨望と嫉妬。
カメラマンの3男は、それなりに世間で評価され、女にもモテるのに、何か実感あるものに直面すると、そこから反射的に逃げてしまう。
不器用そうな4男と、彼に威張られることだけが自分の存在価値だと思い込んでいる妻の、共依存的な関係。

相方がいるのは、2男と4男。だけど2組とも内縁の夫婦関係で、籍を入れていない。この家の男には、書類上の夫婦にはなれないというしきたりがあるのだ。は?何それ?でも、彼らは疑わない。自然にそれを受け入れている。
そんな4つ子の兄弟、やっぱり6男を可愛がる。5男をすっ飛ばして、可愛がる。そして6男も、憎たらしいほどに可愛がられる。愛情を全身で受けとめる。

突っ込みどころ満載の人間たち。うん。だったら突っ込んでみよう。「おい!」。でも、これがどうも上手くいかない。
劇中、この家の6人兄弟も、ことあるごとに「おい」と言うセリフを発する。なのに、彼らは揃って「おい」と言うところを、こう発音するのだ。
「おひ」。
何だよ「おひ」って。言いにくいし。
「おひ」と発音することで、緊張感の無さが漂ってくる。「おい!」とバッサリ切り込んでいきたくっても、間抜けさが先に立つ。そしてそれでいて、何だろう、妙に切実な響きもあったりするのだ。
この兄弟たちの、「何か」をスルーしているような生き様。ドタバタキャッキャ楽しそうにしていても、どこか虚ろな感じ。それらが「おひ!」によって、より確固たるボンヤリさと共に、観ている側に印象付けられてくる。

劇の終盤、彼らはスルーしていたものに直面させられる。
上の4つ子は、4つ子ではなかった。さらに実の兄弟ですらなく、それぞれバラバラに貰われてきた子どもだったのだ。
そんな重過ぎなカミングアウトを残して、死んでいく父親。
え?6男だけじゃなくって、俺たちも養子だったの?仲の良かった兄弟に、財産分与とか女の取り合いとかナマナマしい問題が発生したこともあって、亀裂が走ってくる。
全てが腑に落ちた。4つ子が全然似ていなかったことも。彼らが籍を入れられなかったことも。
6男に対してのベッタベタな愛情も減退。あの可愛がりっぷりは、自分達の根源的な問題をスルーしてきた彼らの、無意識な気持ちの落としどころだったのかもしれない。
そして追い討ちをかけるように、5男すらも母親が別の男と作った子どもだということが判明する。ハッキリと出自が分かるだけマシ?いやいや、そんなことはない。あの優しかった母さんが、他の男とだなんて…。

血のつながっていない人間の集合体。形だけの家族。だけど、思い返す記憶の中の父と母は、とっても優しかった。兄弟全員、5男を置いてけぼりにしつつも、とても仲が良かった。
でも、それは「なるべく派手に」家族を取り繕っていただけだったのだ。
幸せによる呪縛を、兄弟は知る。
呪縛っていうのは、不幸だけじゃなくって、幸せからもあるものなのだ。それって余計タチ悪そうけど。
「僕たち仲の良い兄弟だったじゃない!」。いままでずっと愛され続けてきて、急にその梯子を外されてしまった6男の叫びも、もう、兄たちの胸には響かない。

兄弟たちのそれぞれの人生が変化を見せ始めるが、5男の存在感は相変わらず薄いまま。それだけは変わらない。
一周忌で皆が集まったとき、ふっと、そんな5男が、泣く。呪縛と分かっていながら、自分を縛り付けたものに対して涙を流す。血のつながりはなかったけど、確かに、自分たちはつながっていたのだ。
誰からも見てもらえなかったけど、自分はここにいたのだ。
父も死に、取り壊されることが決定したこの家。いつだって1人でいた。楽しそうにはしゃいでいる兄弟たちから離れて。なるべく派手な服を着たりしたけど、気づいてもらえなくて。でも、いた。確かに、自分はいた。いたのだ。
その時間を思うと胸が張り裂けそうになる。だから、泣く。突き放されても裏切られても、やっぱり捨てきれないもののために。自分が、いま、存在しているということのために。
そんな彼の姿をみて、兄弟たちは、はじめて、5男の存在を実感と共に受け入れる。

ということで、父親の死によって、両親の呪縛はとりあえずなくなった。でも、それで彼らがスパッと生まれ変われるなんてことはないだろうし、世間だって、こんなにクセのある彼らをそう簡単に受け入れてくれたりはしないだろう。
でも、生きていく。それぞれがそれぞれなりの服を身につけて。
自分を見て欲しくて、分かって欲しくて。だから、なるべく派手な服を選んで。そんな自分にまた照れて。

そんな彼らなりの人生。笑ったりバカにしたりなんて、できるわけがない。
けれでも、ちょっとは突っ込みたい。彼らの変わらないであろう間抜けっぷりを、己にも返ってくると分かっていながら、やっぱり、突っ込んでみたい。
突っ込みセリフはもちろん、
「おひ!!!」
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド 第89号、2008年4月9日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
武田浩介(たけだ・こうすけ)
1975年東京生まれ。演芸作家・ライター。97年ごろよりビデオ映画の脚本を執筆。数年前より、落語やコントなどの演芸作品の台本も書きはじめる。

【上演記録】
MONO第35回公演 『なるべく派手な服を着る』
作・演出:土田英生

出演: 水沼健 奥村泰彦 尾方宣久 金替康博 土田英生 亀井妙子(兵庫県立ピッコロ劇団) 本多力(ヨーロッパ企画) 松田暢子(ヨーロッパ企画) 山本麻貴(WANDERING PARTY)

舞台監督: 鈴木田竜二・米谷有理子
舞台美術: 柴田隆弘
照明: 葛西健一
音響: 堂岡俊弘
衣裳: 權田真弓・ 大野知英 [iroNic ediHt DESIGN ORCHESTRA]
演出助手: 磯村令子
イラストレーション: 新山景子
宣伝美術: 西山英和[PROPELLER.]
制作助手: 田平有佳
制作: 垣脇純子・本郷麻衣
企画・製作・主催:キューカンバー・MONO

大阪公演:HEP HALL(2008年2月22日-3月2日)
:一般 3,500円 学生 2,500円 (当日券は各300円UP)
東京公演:ザ・スズナリ(2008年3月6日-16日)
:一般 3,800円 学生 2,800円 (当日券は各200円UP)
助成: 平成 19 年度文化庁芸術創造活動重点支援事業
協力: 株式会社オポス 兵庫県立ピッコロ劇団 ヨーロッパ企画 WANDERING PARTY  radio mono
京都芸術センター制作支援事業

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