岡崎芸術座「三月の5日間」

◎見る人と見られる人と、大衆よりもっと大きなもの

お江戸上野広小路邸の、全席桟敷の寄席舞台に、開場と同時に入ったのに、かぶりつき一列にすでに先客がいる。目の前の舞台をテーブル代わりにして、お茶菓子やつけものを並べている。
すぐ後ろに座ると「食べる?」と声がかかった。かぶき揚げと栗のお菓子を食べながら、最前列の「観客」たちの動向を眺める。
「社長! 社長!」と声を上げながらビールを呑むおばちゃんたちと、その隣のフィリピンパブのおねえちゃんとは有り体に言うといかにも下町、という感じで、電車の中でもケータイでしゃべりそうな雰囲気で、現代っ子世代から言うとかなりうっとうしい。目障りだけどしらけた視線を送る以外に対抗しようがないタイプの人達。
が、私を含む二列目の客はにやにやしながらその様を見ている。
すでに芝居が始まっていることを皆分かっているのだ。だって「社長」「部長」と呼ばれている上手客席の二人は、顔まで白黒に塗り分けたパンダの仮装をしてる。いくら寄席を知らなくても、でかいパンダの頭かぶって見に来る客はいないだろう。

で、非日常的な仮装で観客として客席に座っている「社長」と「部長」は、「見る側」なのか「見られる側」なのか。


岡崎芸術座の「三月の5日間」は、パンダ男たちをにやにや笑っている観客の姿勢そのものを揺さぶる。

中東戦争が始まろうとしている3月の渋谷のラブホで「5日間だけの関係」と決めてヤりまくった男女の話と、同時期に渋谷でデモ行進に参加していた男の話を、又聞き形式で何人もの登場人物が語るこの戯曲は、台詞だけで語り手の位置が次々と変わっていくのが特徴である。
「この話は○○君っていう人が友達の××君に○日目の朝どこそこで会ったときにした話なんですけど」と言っていた役者が舞台上で○○君に成り代わってしゃべり、役者全員が自分の役割をどんどん取り替えていく。

岡崎芸術座は、チェルフィッチュの芝居に観客の野次を入れた。
客席から舞台に引っ張り上げられる役者と、舞台奥から出てくる役者の両方が「演者」である。舞台衣装で出てくる役者たちは昭和の歌謡漫談やる人みたいに大きな蝶ネクタイとウクレレ、スーツで、今どきの若者言葉を再現した、と言われてる戯曲の、「なんか、六本木のクラブ? とかって、暗いじゃないですかあ周り、照明落ちてて」を、正確に発声する。「即マン」で爆笑する最前列の観客、じゃなくて観客役の役者。
てろんとした立ち方とゆるい発声、あいまいな手の動きでチェルフィッチュが『三月の5日間』の風景を「本物っぽく」「リアルっぽく」演出していたことを、岡崎芸術座はあからさまにしてしまう。当たり前のことながら書かれた瞬間に『三月の5日間』はテキストである。そして寄席舞台に乗せられたチェルフィッチュの言葉が、場になじんでいることに戸惑う。こんなに現代語だと思っていたのに、客席のリアクションをふくめた演者の体を通してこんなに表現は変わる。

忘れられない場面がある。映画館で男を逆ナンして失敗する、自称「ミッフィーちゃん」の話である。
岡崎芸術座版では、電話番号やアドレスを教えてもらえずに帰宅するミッフィーちゃんの話は二回繰り返されるが、一回目は舞台上にいたミッフィーちゃんの相手役の男は、二回目には客席から引っ張りあげられる。同じ役者、同じ舞台衣装なのに、客席から舞台に乗せられた男はとたんに萎縮し、一回目の痛いキャラとはうって変わって堂々と話しかけるミッフィーちゃんを前におろおろするばかり。空気の読めない素人のたたずまいで、一回目にはミッフィーちゃんに引いていた客席の役者達は、二回目は男にしらける。
上演中は、舞台上の演者が偉いように思ってたけど、やっぱりあれは、観客の暴力性だったと思う。観客がどっちにブーイングを送るかで、舞台上の善悪が変わり、共感する対象が変わる。えらそうにしゃべっているミッフィーちゃんにしらけたってよかったのだ、しゃべってる内容は全く同じなんだから。
私達が絶対だと思っているいろいろなことは、私達が絶対だと思っているから絶対なのである、みたいな。「皆さん思うゆえに世界あり」みたいな。

客席の反応込みでチェルフィッチュの舞台が立ち上がるとき、三月の5日間のあいだホテルでやりまくった男女が
「ここを出たら戦争が終わってて『俺らヤりまくってるあいだに戦争始まって終わっちゃったよ』とか、そういうのだといい」
と思う『三月の5日間』ラストシーンはせつなく響く。
街ではデモ行進があって、戦争をやめてほしい人がこんなにたくさんいるなら、大勢の主観で動いているはずの世界に戦争は起こらないはずなのだ。見ながらそこまで考えたわけじゃないけど、これ見よがしに大げさなクラシックが流れてくるからじゃないけど、どうしても、流されて、しんみりしちゃうんである。
多勢の反応よりももっと大きなものが世界を動かしている、のが本当のところで、舞台上も客席も、ひどく小さく見える。

最後にはパンダの仮装の役者二人が舞台上でメイク落とししながら噂話のように『三月の5日間』の台詞を言い合い、現実と戯曲の境目をダメ押しのように揺さぶる。

岡崎芸術座はこの戯曲が気に入ったんだろうなあ。
自分自身が批判精神からものを書くので、こんな最近の戯曲を丁寧にテキストとして扱っているのを見て、心がぬくまった。
きっと主宰の神里さんには愛があるよ。既成台本使った岡崎芸術座の戯曲は押さえておこう。

<上演記録>

岡崎藝術座
『三月の5日間』
2008年7月25日(金)~7月27日(日)
会場:川崎市アートセンター アルテリオ小劇場(神奈川・川崎)※アフタートークあり
2008年8月3日(日) ~8月5日(火)
会場:お江戸上野広小路亭(東京・上野)

作:岡田利規(チェルフィッチュ)
構成台本・演出:神里雄大
出演:
冨川純一
西田夏奈子
武谷公雄(バングラッシー)
砂生雅美
佐々木透
宇田川千珠子(青年団)
影山直文
中村早香(ひょっとこ乱舞)
尾原仁士
春日井一平(劇団上田)
タカハシカナコ(劇団井手食堂)
企画制作:岡崎藝術座
料金:前売 2,000円 当日 2,500円(全席自由・日時指定
両公演共通券(前売のみ取扱い)3,500円


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