ポツドール「顔よ」

◎芸能人だから歯が命か
杵渕里果

「顔よ」公演チラシ三浦大輔率いる劇団、ポツドールの新作『顔よ』は、タイトルそのまま、友人に向かって、お前の顔はよいとか悪いとか、お世辞なのに本気にしたか、とか論評しあう、いわば、ミもフタもない芝居である。

顔の美醜がテーマの芝居を、五年暖めた三浦大輔。彼がいったいどんな顔だか興味があったが、NHKの宮沢章夫の芝居中継、前口上で三浦大輔がでてきた。なかなかすかした兄ちゃんであった。とりあえず昨今の岸田受賞者の中では、間違いなく随一の美男であろう。番組では、いまや大御所の感もある松尾スズキも喋っていたが、ふたりとも、宮沢章夫にホープと推されてでてきた演劇人だ。

舞台には、二件の古びた二階家が聳え立ち、各部屋の外壁をはがしながら私生活を覗いていくという趣向。吉本やドリフをおもわせる、喜劇調なセットである。下手の二階家は大家の家で、顔に火傷した娘が住む。上手の二階家はアパートで、一階に醜男、二階に美男が間借りしている。この合計四つの私室で、住民たちの顔にまつわるあてこすり、果てしないスクラッチが繰り広げられる。

住民たちは、話術に長けてイキがよい。顔を評定されるやいなや、ネタで傷ついたかベタで傷ついたか、メタな次元に話題を転換さす、お笑い芸人的なセンスがある。微妙なイタさと逃走が、見ていて可笑しい。こうしたブラックな笑いが、宮沢章夫の系譜だろうか。

しかし、長い。一幕ごと暗転し、スクリーンに「醜」「性」と章題が照らされるのだが、六章、七章、「疵」「血」とエログロな章立てでえんえん続くと、次第にうざったくなる。三浦は、俺は良識を逆撫でする趣味が深いと披露したいのか。これが、松尾スズキに続く系譜なのだろうか。

『顔よ』のキャッチコピーは、「テーマは人間最大の業である『顔の美醜』」。男も最近は、顔のよしあしが気になるんだ、女っぽくなったなと一瞬思う。「見た目重視社会」って聞くし、男も女も、みてくれって大事だよね。

でもこの芝居の「顔の美醜」は、いわば、「ガンメン至上主義」。「見た目」が、顔だち・体型・服のセンスなどトータルな外見の問題としたら、『顔よ』の人物達は、ひたすらガンメンのみに視野を絞って、覇を競う。

たとえば、大家の二階。
合コンで知り合った男に、酔った勢いで顔に火傷を負わされた娘が住む。加害者の青年は責任を感じて日参し、娘の兄は、責任をとれと暗に結婚を迫る。青年は彼女と関係さえもつに至るが、お岩さん状態の女なので、玄関を出るや嘔吐するほど、きもちわるい。火傷に治療の目処がたつと、青年は責任終了とばかり別れを切り出すが、逆上した娘に、鋏で顔をえぐられる-プロットだけ書くと、いかにも青年の悲劇である。

「顔よ」公演
【写真は「顔よ」公演から。撮影=曳野若菜 提供=ポツドール 禁無断転載】

でもこの「青年」、顔の造作はいいかもしれないが、バギーパンツずりおろしの茶髪で、眉毛も剃ってそうな、ネイティブのフリーターも松竹梅の梅、みたいな男。この恰好で「お詫びの訪問」を続けるのだから、えらい神経だ。娘は、というと、髪色も濃く服の色合いもシックな、お嬢さん風。傷が落ち着けば明日から派遣事務もできそうな、社会的好感度ばっちりな女の子だ。チェルフィッチュからの客演女優で、テンプスタッフ合格雰囲気満々。この火傷娘の方が、フリーター男より安定したいい仕事につけると思う。なんでこの娘の家族が、ちんぴらめいた男と付き合わせたがるのか、わけわからない。

娘の兄はというと、青年に賠償金を請求するどころか、「きみじゃ大変だろう」とカネ関係はあっさり許し、「女の子であんな顔になって、きみも、わかるだろう?」と、縁談方向にぶち進む。この兄、妹の顔以外の美点、青年の顔以外が醸すあぶなっかしさは、目に入らない様子。視野狭窄だ。

妹も妹だ。「わりとかわいいほうだと思ってたんだ」という台詞がはまるほど見目もよく、しかも大家の家付き娘。火傷もいずれ治る。なのに、なぜ合コンで最近知り合っただけの即席彼氏に、鋏まで振り回して執着するか。酔って女の顔を燃やすような男なのに。謎。

ついでに、火傷娘を見舞いする、女友達もよくわからない。
隣のアパートの一階には、女友達の彼氏が間借りしている。火傷娘は、アパートから二人の「あえぎ声」が聞こえたとひやかすほど、女同士、気心がしれている。が、あるとき火傷娘の機嫌が悪く、自分より容貌の劣る彼女に対し、「あんたなんかブスで、私の引き立て役なんだ」と突き落とす。女友達は泣いて帰る。

しかし、である。ブスの子は火傷娘に、「折角私が引き立ててやってたのに恋人もできないまま火傷したんだね」と事実を指摘すれば、楽勝できそう。性的な相性まで知られているなら簡単だろう。また、「引き立て役あっての美人」には「単体では女として知覚してもらえないのか」といったつっこみどころがある。さらに、くだんの彼氏は、背が高い。彼は、不細工男のコンプレックスをめぐる一幕を主演する「ぶ男代表」の役回りだが、でも、筋肉質でタッパがある。男なら、顔がまずくとも体格で点が稼げないのか。

このように、『顔よ』のガンメン至上主義は、衣装・体格・社会的な立場設定といった、キャストたちの顔以外の要素から誤算になっていく。

では、どんな「ガンメン」がよいのか。
上手の二階に、絶世の美男が住む。美貌がもてはやされたあまり、極度の女性不信に陥った設定。同居同然の弟と、訪ねてくる弟の彼女以外に交流もない、ほぼ引きこもり生活者。
しかし、小野小町な演出というか、顔がまったく見えない。四六時中パーカーのフードを深くかぶり、『スターウォーズ』のダース・ベイダーみたいなシルエットだ。顔の部分がフードの暗がりになって、穴のようだ。観客は、兄の顔をもてはやす弟カップルの会話から、ダース・ベイダーの不在の顔がどれほど素晴らしいか、ボルテージを高めていく。

弟たちが部屋にいれば、うだうだテレビをみているだけ。が、いったん一人になると、このダース・ベイダー、スーハースーハー荒い息で悪戯電話をかける変質者に豹変する。相手は、隣の大家の若妻、火傷娘の義理の姉だ。ベイダーは、顔ばかりか頭も良く人心操作に長けており、はじめは気味悪がった三十路妻も、次第に電話を待ちわびるはじめる。
もちろん、顔をみた女はいちころ。

弟の恋人は、「モデルをしている」というキャンキャン系の美人だが、弟の留守に、「お兄さんかっこいい。いちど寝てみたかった」と告白を引き出す。と、とたんに、「自分はかわいくて、男がみんなやりたがると思ってんだろこのバカ女」と面目をつぶし、女は「ひっどーい」と二の句がつげない。「かわいくなくてもやりたいだろうが、この引きこもり」とか、反撃はない。彼女は鼻柱が強く口達者で、恋人に向かって、兄の顔との落差がひどいとキャーキャーからかって遊ぶ女なので、ものたりなく感じる。

つまり、『顔よ』において、美男というのは、キャンキャン美女くらいではたちうちできないパワー、『スターウォーズ』的にいうなら「フォース」をもっているのだ。

その強大な「フォース」に、隣の若妻も言いなりになる。「ほんとは、顔のよいひとがいい。主人の顔には飽きたの」「俺の顔をみせてやる。その前に、自慰をしろ」。
そして、指示どおり携帯を耳にあてながら二階にあがって、窓のカーテンをあけ、隣のアパートをみると、そこに彼が!。

おもむろに、パーカーのフードを後ろに倒す。するとストッキング!。銀行強盗方式に、過剰包装な美男である。さらに、ストッキングを頭上へゆっくりひっぱりながら、暗転。顔は、若妻には合格だったようで、照明がつくや、激しく絡んでる。つまり、キャンキャン娘の美貌と違い、彼の美貌には、額面どおりの対価が与えられていた。

最後の一場は朝。ここで、われわれ観客にも、ダース・ベイダーの面が割れる。

通路を掃除する大家の妻に、舞台中央の階段の上から、彼が、住民の一人として軽く会釈を送る。パーカーを目深に被っているが、ストッキングを脱いだ為だろう、顎の辺りで、快活な白い歯がキラリ-。

この輝きがいかにも美青年的だ、と三浦は狙ったのだろうか。最高の男の美貌を、見せる手腕、想像させる手腕があると、観客に示しておきたかったのかもしれない。が、私はかなりがっくりきた。

だいぶ前の漫画『めぞん一刻』で、主人公青年の恋敵、二枚目のスポーツマンの白い歯がキラキラ光ったのを思い出したけど、美貌って、歯かよ。スポーツマン系? ジャイアント馬場だったらどうする。もっと妖しい色男かと思った。あーあ。

男の美貌の頂点に白い歯、とは、自衛隊や警官の募集広告の「精悍な美男」かな。いや、変態電話の相手が警官顔って、つまり、容疑者顔、暴力団顔、いわば「ヤクザの二枚目」では? 警官顔。任侠顔。つまり、高倉健とか鶴田浩二とか、その系統の国民的美男の古典、男も惚れるオトコマエってやつ。それもある意味、しょっぺー顔だよね。幻滅。

で、この警官任侠顔の会釈をうけた人妻は、振り返ると忽然とキャストが変わっている。
薄化粧の人妻から、顔をおできで満たし、口に綿を含ませ下膨れ、といった女優へ交代している。上演すべては、爽やかな美青年に起こした、この醜女の妄想と「夢おち」にしたいのか。

最高の美男はせいぜい高倉健という、案外コンサバな美意識をみせてくれた三浦大輔は、ロスト・ジェネレーション。「失われた十年」、非正規労働者は、主婦とその予備軍の女から、若い男へと拡大していった。三浦のポツドールとは、その就職氷河期の流民を抱えた劇団であったろう。

思えば『顔よ』の火傷娘は、加害者の青年にこう喋った。「つらいわけよこの傷、女子としては」。彼女の女友達やキャンキャン娘も、「女子はね」「女子なのに」と言っていた。この芝居は、「女子」という表現が、耳に残る。
「女子」。中学生みたいだ。
ロスト・ジェネレーションの女たちは、「主婦かキャリアウーマンか」といった、従来の「大人の女性」に間口が狭く、男とも仕事とも中途半端。未成年的な、いわば「女子」状態に、凍結された成人だ。「女子」とは、もはや社会的に成熟しえないと見越した彼女らの、止揚の表現にきこえる。

彼女らは、同世代の男にも就職や高収入なんか期待しようもなく、男の地位よりは見た目・みてくれに比重した。これが、『顔よ』の背景にあるだろう。

が、一般に男は、女に比べ、みてくれにさほど厳しい基準はない。たとえば、松井秀樹をあばたと哂う人はないが、田村亮子はウエディングドレスでブーイングされる。これが、女性に要求される、職能と女性らしさというダブルスタンダードだ。

では、『顔よ』を作ったロス・ジェネ世代の男に、このダブルスタンダードが到来したのか。まさか。「女子」に「主婦かキャリアウーマンか」が閉ざされたように、「男子」に「主夫かビジネスマンか」といった選択肢が増えるわけがない。「ぷー太郎でも美男なら、才覚ある女が養ってくれる」なんて規範はない。「男子」からすれば、「女子」にはまだありうる結婚による救済、見てくれがよければ逆転しうるダブルスタンダードが、いっそうらやましいだろう。

三浦大輔のパンフはにこう書く。「自分の顔を60点以下だと思ってる人間はいないんじゃないだろうか。まあ、そう思わないとやってられない。60点以下の人間はいる。確実にいる。30点の人間。いる。ごろごろいる」。

しかし実際は、顔30点・月収60万の男は、顔90点・月収20万の男に、なんらコンプレックスは感じまい。三浦の界隈、フリーターのトライブでは、「人間最大の業」が「顔の美醜」だと思わないとやってられない、というのが本当のところではないか。

で、『顔よ』の「ガンメン至上主義」だ。青年の美顔は、女や年長の男に麻薬のように機能して、そのガンメンに視野狭窄させ、「フリーターでも賠償金払え」とか、「社会性のない引きこもり野郎」とか、オトコとしてぐっと詰まる方角へは台詞を展開させない。

一方、若い女の美顔には価値がおかれない。「女子」の美貌は、顔30点・月収60万との昇婚の可能性を含意するので、フリーター青年のガンメン価値を貶めるためか、「女子」の顔は、まず燃やされる。火傷を負った被害者からの要求は、賠償金ではなく、一方的な女の執心。かっこいい男の子への、女からの迷惑千万な結婚願望といった体裁に変形され、青年の顔は、愛に狂った女に鋏で突かれる。

絶世のガンメンの青年は、大家という資産家の人妻に、悪戯電話をかけて寝取る。変質者的な行為すべてが、最後のキャスト変更で、一方的な醜女の妄想へと、これも変形される。

『顔よ』の女たちは、かっこいい男に妄想する。結婚を、性行為を。でも、物語すべてを醜女の妄想としたいのなら、適当に見目よい男優を選んで、顔を出したまま彼女に会釈させてもよかったろう。うんと二枚目でなくとも、彼女の個人的な妄想の相手なのだから説得力はある。でも、見せるのは歯だけ。彼女の個人的な好みに回収されない、絶世の美男がいる可能性を、三浦は手放さない。

歯。よく食い働く丈夫な男子、徴兵検査で甲が出そうな、政府公認色男の頼もしい男性稼ぎ手への、女の妄想。オーソドックスな、頼もしい花婿候補への、女たちの夢-といっても、この場合の美男の実質は、ひきこもりやフリーター。大黒柱への不渡り手形だ。男らしいガンメンにみあう、頼もしい稼ぎ手でもあれと夢想したのは、女より先に、男本人ではなかったか。

今っぽさ、時代の臨場感あふれる会話を書くのが得意な三浦大輔は、顔をけなされ、顔を焼かれても、「女の子なのに」と甘えるのではなく、「女子としては」と勇ましい女のありようを考えた。それで、この「ガンメン至上主義」は、男女共同参画的に、男も女も、同列に顔を競ったかにみえる。

しかし悲しいかな、男の登場人物は、大家の夫をのぞく全員がフリーターで、彼らは、顔のよさに反比例して性格が破綻していた。先に、絶世美男がパーカーで顔を隠す風貌を、ダース・ベイダーといってみたけど、『スター・ウオーズ』でたとえれば、勇敢な戦士であったベイダーも、フリーターという奴隷の境遇に身をおかると、邪悪なものに変質したのだろう。かの美男は、言語能力の高い青年だったろうに、「失われた十年」、引きこもるうち、悪戯電話で隣人をこます変質者になってしまった。

主婦にもキャリアウーマンにもなれない女たちが、自分を「女子」と呼んで牽制したのに対応する、男の台詞はないのだろうか。賠償でも性的誘惑でも、「男子として無理っすよ」と気を抜いてしのぐような方便は、ニッポン男児として、許しがたいのか。

ロス・ジェネ世代の女の方便、「女子」を拾えた三浦だが、この不利な状況を生き抜く男たちの言葉を、創造しそこねたと思う。いまどきのオトコが使いやすいハッタリの言語はなにか。三浦はそれを考えつく前に、美青年ご都合主義の、無理なプロットでごまかしてしまった。
『顔よ』とは、そんな女子と男児の芝居であった。
(初出:「マガジン・ワンダーランド」第102号、2008年8月27日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
杵渕里香(きねぶち・りか)
1974年東京生まれ。ライター。演劇交友フリーぺーパー『テオロス』より、演劇批評を書き始める。『シアターアーツ』にもときどき投稿。保険営業。

【上演記録】
ポツドールvol.17「顔よ」
本多劇場(4月4日-13日)
作・演出 三浦大輔

【出演】
今井裕一:米村亮太朗
橋本智子:内田慈
田村 :古澤裕介
裕子 :白神美央
浩二 :井上幸太郎
隆司 :脇坂圭一郎
里美 :安藤聖
上村 :岩瀬亮
久美 :松村翔子(チェルフィッチュ)
小野 :横山宗和
山本 :後藤剛範(害獣芝居)
絵里 :片倉わき
香織 :新田めぐみ
女  :梶野春香(国分寺大人倶楽部)

【スタッフ】
照明/伊藤孝(ART CORE design)
音響/中村嘉宏
舞台監督/矢島健
舞台美術/田中敏恵
大道具製作/夢工房
映像/冨田中理(SelfimageProdukts)
小道具/大橋路代(パワープラトン)
衣装/金子千尋
舞台監督助手/加納金幸
照明操作/櫛田晃代
衣装助手/岡村可也
演出助手/富田恭史(jorro)尾倉ケント(アイサツ)
写真撮影/曳野若菜
チラシイラスト/桔川伸
宣伝美術/two minute warning
広報/石井裕太
制作/木下京子
運営/山田恵理子(Y.e.P)
制作助手/安田裕美(the Square of y)石井舞
協力/スターダスト21 ぱれっと 吉住モータースオフィスピー・エス・シー マッシュ
企画・製作/ポツドール

【料金】
全席指定 前売:4200円 当日:4500円


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