Port B「サンシャイン62」

◎ひたすら歩く、ただとにかく、前へ、前へと
米山淳一

「サンシャイン62」公演チラシPort Bのツアー・パフォーマンス『サンシャイン62』を観た。といってもこの公演、東池袋に昨年新たに出来た劇場「あうるすぽっと」を集合受付場所とはするものの、観客は劇場の客席に座って舞台を観ていればいいのではなく、むしろ大部分の時間を劇場の外、池袋の街という舞台をひたすら自らの足で歩かなくてはならない。だから観たというよりは、参加したという方がむしろ実情に即しているだろう。

ちなみにサンシャインといえば、その後にくる数字は通常60だが、ここではそれよりも2つ多い62となっている。第二次世界大戦後、多くの戦犯を収容していた巣鴨プリズンの跡地に建てられたのがサンシャイン60であり、今回の公演はこの歴史的な場所を中心に、東京裁判開廷から現在に至るまでの62年間をたどる“時のツアー”となることから、この+2はきているらしい。この作品がどのようなものだったのか、これから少し書いてみよう。

3月19日小雨が降ったり止んだりする中、集合時間に指定されていた15時半めがけて、あうるすぽっとに向かった。受付に集合すると、この公演は、その時刻に集合した4人の参加者で一つの組となり、ツアーをすることで成立すると告げられた。ツアーは、スタッフの付き添い無しで、自分たち参加者だけで協力し進めていかなくてはならないという。(私の参加した回は1人キャンセルが出たため、4人でのツアーとなったが、本来は5人で一組となる。)そのために、参加者それぞれに役割が分担された。マップ係には、これから進むべき道筋と訪問地が簡単に示された地図が、タイムキーパーには、タイムスケジュール表とストップウォッチが、指示係には、これから訪れる数々の訪問地でなすべきこと等が書かれた指示書が、記録担当には、長い道中自由に撮影していいが、サンシャイン60が見えた際には必ずそれを写真に収めるようにとデジカメが、それぞれ与えられた。しかし、カメラ以外の3つのアイテムには、4つ目の訪問地までの情報しかない。どうやら続きは、そこでまた新たにもらえるようだ。なんだかウォークラリーのようでもあり、また、職業も異なれば能力も所持品も異なる複数のキャラクターが、一つのパーティーとなって冒険するロールプレイングゲームのようでもある。

私たちは初対面ながらも協力しあい、池袋周辺を3時間半ほどかけて歩き、十数ヶ所を訪問した。訪問地は、現在地域施設として使用されているかつての学校校舎や、ラブホテルの一室だったり、墓地、マンション・アパートの一室、大型書店ジュンク堂、喫茶店、旧区立図書館、サンシャインプリンスホテル客室、東池袋中央公園等、様々である。移動の基本は徒歩だが、それ以外の手段を使うこともある。

街の様々な様子を眺めながら、また時には訪問地の一つ、趣ある喫茶店で、サイフォンでいれてもらったコーヒー片手にブレークしたりしつつ、みんなで一緒になって歩くのは、久しぶりの遠足や散歩のようで、なんだかうきうきする。しかし、道中私たちの意識の底には、何か不穏な空気を漂わせながら、あの巨大なビル、サンシャイン60の存在が常に留まり続けるよう仕込まれている。つまり、多くの訪問地はサンシャイン60がよく見える(場所によっては絶妙な位置からみえる)立地にあり、ベストポジションとなる窓枠には、その窓越しに写真を撮るようにと黄緑色の蛍光テープで縁取りがなされている。

何らかの作品を屋外で体験するのだと、普段外を歩く時よりも、感覚を敏感にして街に飛び出したので、私たちは体も心も絶えず外界の様々な刺激に晒され、またそれらを諸感覚と体全体を持って受容することになる。だから、本来意識は拡散の方向に向かうはずなのだが、私たちは常にあの場所を基準点として、自分たちの今いる位置を確認し把握するよう無言のうちに促されているようで、ある程度ツアーを進めて行くと、それは自分の体内に常に同じ一点を指し示す方位磁石が埋め込まれてしまったかのようだった。

訪問地の窓枠からサンシャイン60を眺め、それを写真に収めることが、屋外を歩く私たちを、身体、視覚(感覚)的側面から、そこへと方向付けるのであれば、各訪問地で与えられる情報は、私たちの意識、思考をあの地へと、そしてさらにはあの地の持つ歴史へと向けていく。訪問地のいくつかでは、そこで流されている音声や映像を視聴したり、待機しているスタッフから渡されたMP3プレーヤーの音声を、移動しながら聞いたり、ミニレクチャーを受けること等を通して、様々な情報を受け取る。話題とされているのはいずれも、サンシャイン60やその周辺地域のこと、またその地が戦後しばらくの間、数多くの戦犯を収容する巣鴨プリズンと呼ばれる刑務所であったこと、そこでは東京裁判を経て60人の戦犯が処刑されたこと、これらを始め、さらに大きく括れば、この特定の地に結びつけられながらもそこから広がって見えてくる、あの大きな戦争とそれを経た日本の歴史に関わることである。ツアー中に様々な手法を用いて与えられるそれらの情報は、内容的にも視点的にも実に多種多様である。

いくつか具体例を挙げてみよう。私たちがあうるすぽっとを出発して最初に訪れたのは、現在、区の施設として使用されている、かつての学校校舎であった。2階の体育館では、上方の窓からの光を遮ぎる暗幕の一、二メートル程の隙間から、空高く聳え立つサンシャイン60が見える。それを見上げながら、耳を澄ますとぼそぼそと聞こえてくる、近隣に住む女性二人のインタビュー音声を、私たちは聞いた。彼女らは、巣鴨プリズン跡地に、当時東洋一を誇ることになるこの巨大なビルが建つことを知った時や、その後その屋上に上った時に感じたこと等を語っている。

2つ目の訪問地のラブホテルの一室では、蛍光塗料で描かれた小さな星々が天井や壁一面に広がる中、私たちはテレビに映る映像を観た。そこには、サンシャイン60を後景に、前景には墓地を捉えた映像の上に、国家や国民、国土にまつわる、思想的かつ詩的なテキストが白文字で映され、女性の声で読み上げられていた。

その後の訪問地、ジュンク堂では、入り口に待機していたスタッフに渡されたMP3プレイヤーを聞きながらエレベータに乗り、池袋の街とサンシャインを眺めるのに絶好の最上階フロア窓際まで進んだ。プレイヤーから聞こえてくるのは、美術家か建築家と思われる人のインタビューだ。何か大きな事件や出来事のあった場所に、現代であればどのようなものを記念碑として建てるだろうかを、サンシャインシティや、ニューヨークのワールドトレードセンター跡地等の事例と関連付けながら質問されて、回答を探っている様子だ。

またツアー中盤に訪れた、古いアパートの一室も興味深かった。照明の点けられていない暗い部屋の中で、男が一人パソコンの画面に向かいながら何やら作業している。その傍らに、テレビが2台置かれている。男は特に何も説明しないので、私たちはとりあえず、暗がりの中で流れる映像をしばらく観た。2台のそれぞれでは、別の映像が流れており、片方では法要の読経の様子と、その後の僧侶と参列者の話し合いが映されている。どうやら法要を執り行った僧侶と、戦時中特攻隊員でありながらも生き残った法要参列者との間で、当時いざ出撃の時に上官がとった態度や振舞について議論しているらしいということが、次第に分かってくる。法要は彼らの上官だった人たちのものだったのか。一人の男が上官の振舞や態度を、部下のことを思った立派なものだったと肯定的に語るのを聞くと、それは当時を生き、彼らに直接に関わった人間の声として、説得力を持って私の内に響いてくる。しかし、その発言に対して、僧侶はより一層根底的な視点から人間の生や行為を捉え、疑問を投げかける。その言葉もまた、多くの人間の生き様を見てきたであろう者の言葉として、とても説得力と重みを持った言葉である。どちらの言い分が尤もなのか、一部始終を見ただけでは判断しがたい。いや全て見たとしたら、余計に判断に窮してしまうのかもしれない。

また、ツアー後半、辺りがすっかり暗くなってから訪れた、かつての区立図書館も印象深かった。照明も所々だけの薄暗いがらんとした空間を、もはや不要となって置き残された本棚だけが空しく占めているのは、少々薄気味悪い。この3階建ての建物の中では、例の蛍光色で縁取られた窓枠の他に、今作に関連するPort Bの以前の公演映像や、サンシャインシティができたことで、池袋の街がどのように変わったか等についてのインタビュー音声が、館内のあちこちに仕掛けられている。私たちはそれぞれ自由に暗い館内を探検し、何かを発見すると、それを他のメンバーに教えあった。私たちのグループは、ここに着くまでの都電荒川線での移動で、一駅降り過ごしてしまったため、徒歩で一駅分戻らなければならなかった。そのこともあってここでは、何の説明もなく流される様々な情報を全て端から端まで視聴することは出来なかった。

私たちは、厳密ではないにしても、それでもある程度はタイムスケジュールを気にしながら、マップと仲間だけを頼りに、本当にこの道でいいのだろうかと迷いながらも進み、間違っていると分かれば引き返す。簡素ながらも趣向が凝らされたマップ上の訪問地には、ただ番号が振られているのみで、そこが何であるのかは記されてはいない。また現地にもやはり何の案内もないので、訪問地と思しき場所に到着しても、目の前の建物が本当にそれなのか、確証が持てず少し戸惑うが、それでも中に入っていく。そして、そこでその都度何らかの情報を与えられる。(情報ではなく、課題や息抜きのある訪問地ももちろんある。)そのため、ツアーも中盤のこの辺りまで来ると、不安や迷い、そして軽い疲労にまみれてきた私たちは、与えられた情報を自分の頭の中で整理したり、そこから更に自分で考えたりするような余裕はもはや無い状態に陥っている。とにかく次から次へと与えられた課題を消化していくといった感である。私たちを、視覚的に特定の場所に絶えず方向付けるあの蛍光色で縁取られた窓枠が、いわばシャコンヌのバス声部で執拗に繰り返されるオスティナートであるのなら、このように過剰に与えられ続ける情報は、バスに様々な仕方で絡み合いながら、この同一の主題が含む様々な色あいやそこに潜在する可能性を、多様なヴァリエーションとして、次々と展開する上方の諸声部のようである。このツアーでは、シャコンヌさながらに、一つの大きなテーマに対して、その様々な側面や断面が矢継ぎ早に示されていくのである。

もう少しだけ、ツアーの様子を語ろう。かつての区立図書館を後にした私たちの次の訪問地は、ドイツ演劇研究者の住まいだった。家主は、日本の東京裁判に相当するニュルンベルク裁判について、それからドイツではかつての戦争や、それにまつわる象徴的な場所が、その後どのように人々によってとらえられ、また扱われてきたのかということに関して、とても興味深いレクチャーをしてくれた。それは、日本の事例を示唆しつつも、どちらが良い悪いというような主張をするのではなく、あくまでも客観的事実を示すに留まっていた。だから、両者の差異をどう受け止めたらいいのか、また今を生きる私たちは、過去をどのようにとらえ、それとどのように関わっていけばいいのかということに関して、ここでもまた私たちは簡単には結論付け難い状況に置かれた。

訪れた部屋はマンションの上の階で、玄関前は見晴らしもよく、サンシャイン60も見えるので、レクチャー後にそれを背景に例のデジカメで記念写真を撮ってもらった。もはや次の訪問地への地図は手許になかったのだが、家主はとにかく階下に行くようにと言うので、マンション入り口に降りてみると、そこにはタクシー運転手が待っていた。促されるままタクシーに乗り込んだ。

そして辿り着いたのはサンシャインプリンスホテル。エントランスで待っていたスタッフが、上の一室まで案内してくれた。窓からは、もはや全体は捉え切れないほど間近に迫るサンシャイン60が左手に、そして真下には、東池袋中央公園が見える。この一室で、私たちは巣鴨プリズンで死刑囚を最期まで世話した男の手記か何かの朗読音声を聞いた。まさにこのホテルやサンシャイン60の建つ地が、今言及されている戦犯たちを収容した巣鴨プリズンのあった場所であり、上からは見定められぬが、眼下の東池袋中央公園の石碑のある場所がまさに戦犯の死刑執行場なのだということを意識しながら。

その後、ホテルで新たなマップ、スケジュール表、それから指示書を手に入れた私たちは、先ほど下に見えたまさにその公園を通り、表面には「永久平和を願って」とのみ刻まれた石碑前にも立寄り、それから最後にもう一つ訪問地を経て、あうるすぽっとに戻って来た。

午後3時半に出発し、再び劇場に戻ってきた時には、もう夜の7時を過ぎていた。これで終わりかと思いきや、まだ劇場内でのツアーが用意されているという。しかし私たちの番まで、まだかなり時間があるというので、最終的には1時間ほど、私たちは劇場ホワイエで、屋外ツアー中にはゆっくりと語れなかったことをいろいろ話しながら過ごした。

これまで屋外ではガイド無しだったのに対して、劇場内ツアーでは、Port B主宰の高山氏がアテンドしてくれた。劇場の客席部分上には、小さな足場とスクリーンがいくつか設置されていた。スクリーンにはセカンドライフというインターネット上に作られた仮想世界が映されていた。私たちは足場を一つずつ進んでいく。一つ目の足場では、セカンドライフ内を自分の分身となって動き回るアバターをそれぞれ選んだ。この足場にいるスタッフが一人につき1アバターをこれから私たちの動きに合わせて操作する。そう、スクリーンに映されていたのは、セカンドライフ内のあうるすぽっとだったのだ。

次のプラットホームでは、Port Bが提案する巣鴨プリズン跡地、つまりセカンドライフ内に作られたサンシャイン60ならぬサンシャイン<62>を見た。私たちの分身は、劇場から飛び出し空を飛び、サンシャイン62へと向かう。しかしそこにあるのは、現実のサンシャイン60やその周辺の街の賑やかさではない。荒涼とした地にサンシャイン62が聳え、その周りを、黒い直方体の物体が無数に取り囲んでいるだけである。黒い物体の並び具合は、ベルリンのホロコースト記念碑を想起させる。アバターはそこまで飛んでいって、サンシャイン62の回りを飛び舞っていた。彼らの提案する記念碑を見せられたわけだが、そのコンセプトについては、何も説明されなかった。

この映像を観た後、私たちは楽屋へ通された。そこで先ほど東池袋中央公園で見てきた、「永久平和を願って」と書かれた石碑を前に手を合わせることについて、YesかNoかを四、五分議論するようにと言われた。ただし、グループとして結論を一つにまとめる必要はないとのことだった。4人のうち2人が考えを述べたところで時間となり、そこで議論は打ち切られた。

次に案内されたのは、劇場の舞台の上だった。5つの椅子が観客席に向けて横一列に並べられており、それぞれの椅子の前には、上からマイクがちょうど頭より少し上の辺りにくるように吊るされていた。椅子に座るように指示された後、先の質問について、合図をしたら、順番に自分の答えをYesかNoかだけ言うようにと言われた。それぞれが言われた通りに、どちらかの答えだけを述べた。

それからまた、客席に設置された別のプラットホームに移り、高山氏とこの日のツアーの感想を少しだけ話した後、今度は客席後方中央の席に座り、そこで映像作品を観た。それは、このツアーの終わりの為にPort Bが作った、とても短い映像作品だという。街中ツアーで途中役割交替しながら、その都度の記録担当者がデジカメで撮影してきたサンシャインや道中の自分たちの写真が、前半で映された。そして後半は、私たちが劇場内をツアーする様子を、セカンドライフ内を動くアバターで再現した映像だった。楽屋での議論や、舞台上での判決シーンは録音されており、アバターによる再現映像の音声として利用されていた。それを観た後に私たちは、数字を1から順番に数え上げる声を聞いた。それぞれの数ごとに声の主は替わり、数が増えるにしたがって、劇場内の照明もゆっくりと落ちていく。そして61を最後に劇場内は真っ暗になり、私たちのツアーは幕を閉じた。62はついに数えられなかった。

ツアーはこんな感じだった。終わったのは、夜の9時に近かったと思う。上に挙げた他にも訪問地はまだあり、それらはどれも独特な空気を持つ興味深い場所であった。マンションの一室での箱庭療法的な遊びや、また道中を歩く様子等、書きたいことはまだまだ沢山あるが、既に収拾もつかなくなりかけているので、ツアーの様子について述べるのは、これくらいにしておく。もちろん、書いたことに曖昧さや不正確な点があるだろうことはいうまでもない。私が思い出すことができる限りで、私なりに感じ、理解したままに書いたまでである。

とても面白い公演であったが、しかし同時にかなりタイトでハードなツアーでもあった。ひたすら街中を歩き回り、訪問地ではあまりにも多量の情報に晒された。次第にへたばってくると、このツアーでは、与えられるものを熟考することについては言うまでもなく、それらを一通り目にし耳にすることだけでも、もう半ば不可能なのだということを、我が身を持って思い知らされた。そうして中盤辺りからは、ツアーの仕掛人は、参加者/観客が情報の全てを聞き、見ることさえも、そもそも意図してはいないのではないかと、ぼんやり感じ始めた。

Port Bの今回のツアーパフォーマンスの主題は、サンシャイン60とそこから見えてくる歴史、つまり日本の戦後史ということだったが、情報の種類は幅広く、また様々な観点からの意見や見え方が混在していた。それ故、或る一定方向へと観客の思考を誘導するために、つまり彼らが今回問題としている事柄に対して、彼らなりの回答なり、主張を示すためにそれらは提示されているようではなかった。だからまた、そのようなものを汲み取ろうと参加者が必死に読解することも求められてはいないようであった。

今になって思い返してみれば、ラブホテルの映像のテクストも、所定の滞在時間では、その内容を呑み込むことさえも、少なくとも私には困難なものであったし、音声や映像のある訪問地で、そこに用意されていた情報を全て一通り視聴できた場所は、ほとんどない。それに加えて、与えられる情報には、誰が何について語っているのか、それが何の映像なのか等、その資料自体についてのいわば額縁的な周辺的説明が尽く欠けていた。

また私たちはその日最後のグループで、終盤は予定よりも遅れていたこともあり、最後の訪問地、サンシャイン内の自動車展示会場は夜7時閉館のため、入り口部分までしか入れなかった。後から聞いた話だと、入り口付近にMP3プレーヤーを渡すスタッフが待ち受けていたはずだというが、スタッフはおらず、その音声は聞けなかった。しかし、このアクシデントがツアー公演の全体に対して、何らか決定的な損傷を与えたかというと、「私たちの」ツアーという作品内部に置かれた者の視点で見る限り、そのようには感じられなかった。

これらのことを踏まえた上で、今回Port Bによって私たちに仕掛けられていたことは何だったのだろうかと考えてみる。それは、もはやじっくりと考える暇も持てないくらいに、外界からの様々な刺激と、多様で断片的な情報に我が身が晒され、心乱され、いろいろなことに消化不良の居心地の悪さを覚えながらも、決められたタスクと情報の洪水の中を、とにかく先へ先へと、自らの足で道を進んでいくことだったように私には思える。その都度、何かを決断しながら。そして、各人なりに今回のツアーの要、サンシャインから広がる過去を思いながら。

そして最後の最後には、そんな風にして今まで過去の人々の歩みを見てきながら、実際自分たちも必死に歩いて来た私たち自身が、逆に見られるものとなって、自らの前に呈示される。

街中ツアーで、歴史的な出来事が確かにそこであった地に現在立つサンシャイン60を常に意識させられながら、あそこまでいろいろな情報が与えられることで、今まではただの言葉でしかなかった過去が、ツアーの中である程度奥行きや質感を持ち、そしてかつて確かにそれぞれの時代を、その時に固有なもの(それは時代や人によっては、とてつもない困難であっただろう)と共に、とにかく生きた人たちが、私たちと同じように、実体を持つ一人一人の人間として存在していたのだということが見えてくる。そんな街中ツアーを経た今となっては、あの石碑の前で、つまり、戦犯として、かつてある人々が死刑に処せられた、まさにその場所で手を合わせるか合わせないかは、ますますそう簡単に述べられるものではなくなっている。とにかくどちらかを決断しなくてはならないのだとしたら、どうしても理由も述べたくなる。しかし劇場でのいわば判決シーン、高山氏はそれを許さない。それは歴史という時間の流れの中では、様々なディテールが捨象され、極めて限られた骨格的なところ、決定的なところ、つまりここで言えば、ただ二者択一の状況の中で、どちらを選んだのかという、ただそれだけが人々の記憶には留まり、残っていくという、その残酷さ、過酷さと同じなのかもしれない。舞台の上で、空の観客席を前に自分の判断を表明した時、自分はいわば裁く側のはずなのに、それにも関わらず感じてしまった、不在のオーディエンスに逆に裁かれているような気分の悪さ、緊張感は、そういうこととも関連していたのかもしれない。

これまで見てきて明らかなように、このツアー作品は、観客に対して、かなり不親切な作品である。まず、観客自らが3時間半も案内人無しに、その日初めて会った初対面の人たちと常に一緒に協力しながら、自らの足で歩かなくては、作品そのものが成立しない。そして訪問地に辿り着けば、そこではほとんど何の説明もなしに、いろいろな情報が与えられる。しかも、それを十分に受け取り、鑑賞・享受できるほどの時間的余裕は与えられていない。主宰の高山氏は、このツアーに参加したある外国人に、このツアーは30分毎に、5人一組でも多すぎる、1日1組にしてはどうだろうと言われたと、公演期間後の或る席で話していた。

しかし、そうすることで、より高いホスピタリティーと作品を味わう時間的余裕がツアー内に実現されたとしたら、逆にそのことによって、この作品の持っていた本質的なものは抜け落ちてしまう気がしてならない。この作品の持つ強引さ、不確定要素やアクシデントの可能性を多数残している状態、鑑賞時間を制限し、ある程度のスピードを保持すること、これらによって、観客を過酷な状況に放り込むというのは、この作品にとって、やはり重要な欠くことのできない本質的要素であったのではないかと思う。何故なら、私たちはそれによって、劇場内で客席という自分の存在が脅かされる危険はそれ程ない安全な位置から、他人の物語/歴史を自分の生とは距離を置いたところで観るのではなく、Port Bによって今回意図的に増幅され過剰化された外界からの刺激や情報という波風に自分の心身を晒し、そこにおいて自分の頭と体を使って前へと進んでいくという、まさに本来物語/歴史の生成する時間と空間の中で、かつて生きた過去の人たちの生と、現在をまさに生きている私たちの生の間に、何ら変わらぬ共通のものが見出され、そのことを通して、自らの生との関連において、私たちツアー参加者は彼らの物語/歴史に迫っていくことができたからである。

つまりその時代時代を生きた人々は、自分がその時置かれている状況も、また一歩先には何があるのかも、時には分からない中でも、その都度目の前に在るいくつかの数限られた扉のうち、そのいずれかを開け、その中を進んでいくしかなかった。そして、私たちがツアーを通して体験したことも同じこととして、そして更には人間の生きるという営みがこういうものであるということが、この現在と過去の交わりにおいて浮かび上がってくるのである。

今回のツアーの諸要素を、このように理解した場合、屋外ツアーと劇場内ツアーの間に、私たちの回では、かなり長い休憩時間が意図せずしてできてしまったことは、逆に問題であったのかもしれない。

また、このようにかなり強引で、骨折れるツアーは、絶えられぬ程ではないにしても、時折何かしらの不快感を抱かせるものでもあった。例えば、訪問地のマンションの一室で、箱庭療法的な遊びをする場面や、先の劇場内での判決シーンで、自分が何かを為さなくてはならないというのは、それ程気持ちいいものではなかった。一緒に行動する中で次第に仲良くなってきたとはいえ、やはりまだ良くは知らない他のツアーメンバーや、その場に居合わせるスタッフたちの前で、自分が何かをしなくてはならないこと、そこで何かをすることを通して自分の外からは一見見えない内面が、何らか他者に見えてしまわざるをえないことには、引っかかるものがあった。

もちろん、ツアーのメンバーもみんないい人で、スタッフも丁寧にソフトに対応してくれる。それだからこそ、何らかの気持ち悪さをどことなく胸の奥に感じても、それに異議を唱えたりはせずに、言われるがままに従ってしまったのだ。しかし、後から冷静に考えてみれば、このツアー途中で怒りだす人、異議申し立てをする人、何かを拒否する人がいてもおかしくはないだろう。ツアーはあくまでも「私たちの」ツアーであったのであれば、尚更に与えられる指示の全てに忠実に従う必要もなかったのであろう。しかし、私はそうはしなかった。そのことはまた、人間がどんなに用心していても、自分を取り巻く環境や状況に気付かぬうちに時として否が応でも巻き込まれてしまっていること、あたかも中立な存在として、過去の人々を評価/判断しようとする自分自身も、自分を取り囲む外的なものから何ら離れて生きているわけではなく、あの当時の人たちと同じように、確実に或る状況の中で生きているのだということを、後々になって初めて私に痛感させた。

しかし、強引で過酷なツアーでありながらも、与えられる諸々の情報は特定の方向へ方向付けされたり、色づけされたりせずに、またその資料自体への副次的説明的情報も無しで、私たちに与えられた。もちろんそれらは全て、Port Bの彼らによって、おそらく周到に選択・編集されたものではある。しかし、作品と呼ばれるものが、本来は、まずその作品外部の言葉による説明無しに、その受け取り手個々人と対峙するべきものであるのと同じような仕方で、彼らは諸々の情報を私たちに呈示してきた。つまり、呈示される過去をどう受け止めるのかは、完全に私たちに委ねられていたのである。この点に関しては観客に、最大限の自由があったことを、最後にもう一度記しておきたい。

ツアー・パフォーマンス『サンシャイン62』。そのパフォーマーは、結局私であり、私たちであり、そんな私たちから見た、あの時から今までの時の間を生きた、それぞれの時代の人たちであった。劇場で最後に観た映像のように、未来の人たちが、過ぎ去った私たちに思いを向ける日が、いつの日かきっと来るだろう。そのとき彼らは私たちをどのように見つめるのだろうか。

そして振り返る・・・story/history
(2008年3月19日15:30の回に参加)
(「劇評を書くセミナー」2008春季コース 自由課題作品)
(初出:「マガジン・ワンダーランド」第104号、2008年9月10日発行。購読は登録ページから)

【上演記録】
Port B ツアーパフォーマンス『サンシャイン62』(07/08 あうるすぽっとタイアップ公演シリーズ)

日時: 2008年3月19日(水)~23日(日) 全5日間
出発時刻: 19~22日 12:00-15:30 23日   11:00-14:30
*5人一組のグループで30分おきに出発(各日8組)
場所: 池袋サンシャイン60周辺地域 及び あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)
集合/受付: あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)
料金(税込): 一般3500円 学生3000円(前売)一般4000円 学生3500円(当日)

スタッフ・キャスト
構成・演出:高山明
セカンドライフ製作:井上達夫
音響・地図作成・宣伝美術:三行英登
舞台監督・照明:清水義幸
プラットフォーム設計・照明オペレーション:江連亜花里
映像:宇賀神雅裕 郷田真理子 三行英登
音源製作:宇賀神雅裕 高山明
不動産:牧つづみ 林立騎
セカンドライフ製作補:郷田真理子
演出助手:細川浩伸(NPO法人アート・ネットワーク・ジャパン)
ドラマトゥルク:林立騎
リサーチ:Port B

ツアーサポート: 暁子猫 井上達夫 猪股剛 宇賀神雅裕 郷田真理子 高山明 萩原健 林立騎 藤原敏史 細川浩伸 牧つづみ 三行英登

制作:高山暁子
制作協力:相馬千秋(NPO法人アート・ネットワーク・ジャパン)

主催:Port B
共催:(財) としま未来文化財団
助成:アサヒビール芸術文化財団
後援:豊島区
協力:にしすがも創造舎(豊島区文化芸術創造支援事業)
トシマックス不動産プロジェクト(TIF08)
平成19年度文化庁芸術創造活動重点支援事業


「Port B「サンシャイン62」」への4件のフィードバック

  1. ピンバック: 糾弾者
  2. ピンバック: どこも
  3. ピンバック: 糾弾者
  4. ピンバック: 大村k

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