DULL-COLORED POP「JANIS」

◎ねじくれたジャニスをみごとに造形 独自の音楽劇創出の試み
飯塚数人(人形劇研究家)

「JANIS」公演チラシ死への階段を息せき切って急ぎ足で駆けあがってゆくジャニス・ジョプリンの最後の一ヶ月間を描く意欲作。
救いのみえない暗い物語のなかに、きらめくような台詞がちりばめられ、劇中では、いくつものジャニスの曲が生歌生演奏で披露されている。

エルビス・プレスリーやフレディ・マーキュリーを模写した海外の音楽劇はみたことあるけれども、日本人がこれほど本格的に洋楽を再現して芝居に組込むのはそうとうな冒険といえ、論証は省くが、洋楽を題材としながらも日本独自の音楽劇創出の試みのひとつと位置づけるべきだろう。ジャニスを演じた武井翔子はこの苛酷な舞台に果敢に挑み、期待に応えた。

劇場に入ると、客席の隅に酒瓶や古レコードを並べた小さなバーがしつらえられており、観客はそこで飲み物を引き換え、席に着く。
写実的につくりこまれたバーにたいし、舞台そのものはきわめて簡素で、抽象化されているといってもいい。上手に机と椅子をぽつんと置いた空間構成は、昨年上演された「セシウムベリージャム」とほとんどおなじだ。そしてバーの反対側には公衆電話が設けられている。客に飲み物を提供するバーテンダーの影山慎二は劇の登場人物(ジャニスたちの行きつけのバーのマスター、バーニー)であり、場面転換のさいには過去のロックンロールの名曲LPをかけ、舞台の進行を促すディスクジョッキーでもある。

新しいバンドとレコード製作者を迎え、アルバム作成をはじめたばかりのジャニスが、にぎやかにバーに入ってくる。酒を飲み、煙草を吸い、熱唱する。コカインの売人と婚約し、そのからだはクスリにも蝕まれているらしい。「体中の血液を歌にして、喉を切り裂くようにしてロックンロールを歌って」いる彼女は、しゃにむに自分を焼きつくし、破滅を求めているかのようにみえる。まわりのひとたちはみんな、そんな彼女にまとわりつく死の影を予感している。ただジャニスだけが、自分が死ぬということを否認している。とつぜん、ジミ・ヘンドリックスの訃報がもたらされる。麻薬に溺れ、吐瀉物に息を詰まらせて。
それでも彼女は、みずからの死の危険を顧みず、考えたがらない。一年のうちに同じ歳のロックスターがふたりも死ぬはずがないという、子供じみた迷信のような確率を根拠に。
「セシウムベリージャム」とどうように、そこに描かれるのは、迫りくる死や危機から目をそむけ見ないふりをする人間のつかのまのしあわせだ。

「JANIS」公演から

「JANIS」公演から
【写真は「JANIS」公演から。撮影=青木司 提供=DULL-COLORED POP 禁無断転載】

はじめてジャニス・ジョプリンの「サマータイム」を聴いたとき、喉の奥から絞りだされ圧し潰された、呻きにも似た、倍音といってもいいひびわれたしゃがれ声に、まるで地霊をよびさます巫女を連想したことを思いだす。その異化された声の持つ呪力は、韓国の語り物パンソリに近いのではないだろうか。抑圧された民衆の哀切を肚の底から噴きあげ喉を切り裂くようにしてぶちまけ唱うパンソリの声にみなぎるのは、「恨(ハン)」の心だ。そしてこの「恨」こそは、ジャニスが語る「愛」と同義なのだ。

「あなたくらいの年頃だと、愛って、リヴィングルームのクッションみたいなものだと思っているかもしれないけど、本当は、もっと底抜けに冷たくて…、硬い、黒くて硬いものなの。私はクッションに座って紅茶を飲むこともできた、できたんだけどね、前の男となら。でも、私は冷たくて黒くて硬い方を選んだの。」

彼女にとっては、人を裏切り裏切られることが「愛」にほかならない。愛に縛られ、愛をひきずり、暗く冷たい牢獄みたいな場所にひとり閉じ込められ身悶えしつづけることが、いっけん情熱的なジャニスの生の内実なのだ。旅に出た恋人を捨て、親友を罵り、仲間に毒づき、製作者に楯をつく。婚約者はジャニスの同性愛の相手と関係を持ち、一月後に結婚しようと言い残したまま、逃げるように姿を消す。

しかし仲間は決して彼女を裏切り利用しているだけではなく、彼女からほとばしる歌の力を信じ、更生させようと努力している。製作者のポールは喉に負担がかからない歌唱を提案し、親友のリンダは彼女から侮辱され絶交しながらも夫に頼み曲を送り、バーニーは彼女を救済する可能性を持っているかもしれない別れた恋人との復縁をそれとなくほのめかす。それでもジャニスはそうしたかずかずの思いやりを愛として受け入れることがどうしてもできない。彼女の感覚する愛は、おそらく他の人たちの愛とは桁外れに違いすぎるのだ。「常に無軌道かつ放縦、自分自身に正直でいたように見えて、実のところそうでもない、最高に歪んだ性格をしていて、惚れ込んで選んだはずなのに、絶対にこいつとだけは寝たくないと思います」と作演出の谷賢一(記名はないがたぶんそうだろう)は挨拶文で書いているが、そんなねじくれたジャニスをみごとに造形している。

物語とは無関係にみえるが、重要なのが清水那保の演じるホテルのベルボーイだ。闇のなかから浮かびあげるようにあらわれ、ジミ・ヘンドリックスの死を告げ知らせる少年は、彼岸からきた霊的存在のようにおもえ、酷使されながらも澄んだ声で「愛と真心」を口にする、名もなく貧しく美しい少年は、まるで天の使いのように純真無垢で、中性的かつ抽象的であり、かよわくはかなげで、我執と肉欲にまみれたジャニスとは対照的だ。やわらかなクッションと、冷たくて黒くて硬い鉄球や鎖ほどに。

最後の晩、ジャニスは少年を煙草を買いにやらせ、寒さにこごえ、身を震わせ、体を暖めるためヘロインを打ち、その過剰摂取でたったひとり看取るものなく眠ったように息絶える。やがて戻ってきた少年は彼女の死に気づかず、その顔をながめ、これまでとはうってかわった口調でつぶやく。「汚い寝顔。」「二・三週間前に見たな、こういうの。あのバーの入り口で倒れてた浮浪者そっくりだ。はは。あぁ、寒かった。」 そして少年は部屋を出てゆく。ジャニスの存在が掻き消えたとき、入れ替わるようにしてはじめて少年はその身に内面を宿らせる。魔法が解けて、天上の存在から地上の存在になるように、どこにでもいるふつうの少年に変身する。彼女の死は、ほんの一瞬だけ、ひとりの少年を解放した。いや、この瞬間だけ、ジャニスは少年に憑りうつったのかもしれない。そうとでも考えなければ、あまりにその死はさみしすぎるから。

【筆者略歴】
飯塚数人(いいづか・かずと)
人形劇研究家 第一×委員会・最高グー・伊東無線といったいまはなき幻の劇団に所属し、独自の感性を育む。「聖なるブログ 闘いうどんを啜れ」で悪との闘い続行中。

【上演記録】
DULL-COLORED POP 第7回公演「JANIS -Love is like a Ball and Chain-
新宿タイニイアリス(2008年10月8日-13日)

作・演出 谷賢一
出演 武井翔子、清水那保、堀奈津美、岡部雅彦、影山慎二、桑島亜希、齋藤豊、新戸崇史、千葉淳、中村祥

スタッフ
作・演出: 谷賢一 / 舞台監督: 横川奈保子(Y’s factory) / 照明: enjin-light / 音響: 長谷川ふな蔵 / 音楽監督: 伊藤靖浩 / 編曲: 新戸崇史 / 衣裳: 中埜愛子 / 舞台美術: あの子(Upper Gold Reason Aroma) / 宣伝美術: 鮫島あゆ×堀奈津美(*rism) / 演出助手: 陶山浩乃、永岡一馬 / 制作: 鮫島あゆ&クレイジービーンズ

前売:2000円+1 Drink 当日:2500円+1 Drink
※1 Drink = 500 yen 喫煙席設置・飲酒飲食可(持込飲食もOK)

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