新国立劇場「舞台は夢 イリュージョン・コミック」

◎大輪の花のような「夢」空間 秀逸な美術と演出の効果
門田美和(会社員)

「舞台は夢」公演チラシ大輪の花のようだった。
緋色の蕾が空中に見えた次の瞬間、ふゎら~りと広がり開花した。布地の花びらは、頭上約20メートルの高さから舞い降りてステージを役者ごと包み込み、観客は予想外の高揚と想像外の驚愕に飲み込まれた。このシーンを見るためにチケット代を払ってもよいと思った。沢山の偶然を必要としてできあがったであろうその景色が、私の中でいつまでも消えない。それが私の『舞台は夢 イリュージョン・コミック』だった。

話はこうだ。魔術師の住処である洞窟に、行方知れずの息子の安否を訪ねて父親がやってくる。魔術師は亡霊の姿を借りて息子の人生の顛末を見せるのだが、息子ははからずも悲劇の死を遂げてしまう。嘆き悲しむ父親に魔術師は告げる。息子さんは俳優という職業についたのです。ご覧なさい、これまであなたが見ていたものはすべてお芝居だったのですよ、と。

なるほどおもしろい構成だ。息子の人生は劇中劇として描かれ、父親がその劇を見る観客の立場となる。本来の観客である私は、「劇中劇を見る観客としての父」を通して一喜一憂させられる観客であるわけだが、しかしそれも結局亡霊の演じる芝居であったり、魔術師が見せた夢だったりするのだ。そしてさらにラストでは、亡霊が演じていた息子たちはすべて役者であり、繰り広げられた愛憎や死のドラマがすべて虚構であったかのように幕を下ろす。捻った見方をすれば、解釈はさらに広がるだろう。そしてこの構造のおもしろさを今回ひと際引き立てていたのが演出や美術、翻訳であった。

まず、今回のステージでは、奥舞台を取り払って観客席が置かれ、こちらからと向こうから、ステージを挟むように観客席ができていた。そのうえ舞台は円形で、大きな円形の舞台が1つと傍らに、小さな円形ステージが添えられている。役者たちは上手、下手、円形ステージの上、大型円形ステージの脇、劇場の扉のそれぞれから現れては消え、客席間の階段や舞台の下でも演技を披露する。舞台の下には岩が転がり、スモークがたかれ、四方に発せられる役者のセリフはあたかも洞窟の中のような効果で耳に届く。しかも、観客の視線の先は左右だけとは限らない。円形ステージの頭上高々と、数メートルにもおよぶ位置まで布地を押し上げて表現される魔術師の登場シーン、ステージの上にするすると梯子に乗った役者がせり上がるシーン、大胆な吊り物で役者の衣装が披露されるシーン、冒頭で記した緋色の大布が花の開花のごとく落下するシーンなど、観客の視線は上下左右、時々背後と実に忙しい。舞台を仰ぐだけのプロセニアム形式なら5分で飽きたかもしれないが、秀逸な美術と演出の効果で舞台空間は終始好奇に満ちていた。

とはいえ観るまで多少の不安がなかったわけではない。このお芝居の初演は1636年。日本でいうと、どっぷり徳川政権、江戸時代まっただ中。歌舞伎が最新の現代劇だった時代で、これから島原の乱が起こるところでもある。時代も言葉も過去すぎて、いくら日本語に翻訳されていたところで私には理解不能なのではないか。しかも作者はフランス人。7年前に弁護士系から転職したという新進気鋭の劇作家(当時29歳)だ。芝居タイプが喜劇と悲劇に峻別されていたアナクロな時代に「喜劇は二幕~四幕、悲劇は五幕、でも全体的には喜劇です」などというこみいった作品を世に出してしまって、相当浮いていたに違いない。なにしろ、荒唐無稽な話や公序良俗、道徳に反するものはNGというキビシい時代に、魔術は使うわ不倫に走るわのストーリーで、こちらの方がドキドキしてしまうくらいなのだ。しかし、いつの時代も過渡期を生きた先駆者だけが体験する苦渋があるはずで、その軌跡の1つがこの作品だとするならば、古典だからと見逃す手はない。はたして舞台はフランスの古典劇どころかフランスの現代劇にも疎い私でも心配無用で大いに満喫できた。むろんそこには、巧みな翻訳と役者力という大きな功績がある。

この戯曲を翻訳したのは伊藤洋氏である。原文は各行で韻を踏む12音節詩句(アレクサンドラン)で書かれているそうだから、当てる日本語を考えるだけでも膨大な労苦であったろうと、翻訳者の艱苦がしのばれる。彼は30年前にも同作を翻訳しているが、今回の上演にあたって全面的に改訳したとのこと。そしてオリジナルの古典文体のダイナミズムを役者に伝えるという演出家の鵜山仁氏の意向で、脚本はあえて分かち書きにしたそうだ。脚本を手にしたとき、短い文章が何行にも連なっているのを見て違和感を覚えたが、なるほどそういう意図だったのかと膝を打った。また、2001年版の井村順一氏翻訳の『舞台は夢』と内容を比較してみると、より馴染み深い語句が使用され、観客の「耳心地」も格段に改善されていることがわかる。こうして400年前の言葉たちは、達者な役者たちの奏でるセリフとなって今一度蘇って観客に届けられたわけである。

この作品はその後『幻想 イリュージョン』と改題され、内容も大きく改訂されている。興味を覚えてトニー・クシュナー氏による英語版の『The illusion』を手に取ってみると、あまりに身も蓋もない英語らしい言い回しばかりで少々辟易したが、解釈の差が如実で興味深かった。私にとって、今回がコルネイユ作品の初観劇となったが、こうして思い起こすと、予想以上に愉快なタイムスリップを経験した。

私は役者でも作家でもない会社員である。それでも芝居に行くのは「観客」になりたいからにほかならない。観客はただの、気まぐれで飽きっぽくて能天気な舞台要素にすぎないが、供された舞台空間の中へ、価値観も時間軸も倫理も捨てて飛び込む優しい挑戦者でもある。もうすぐ始まる2009年。これからの私を待ちうける新しいお芝居たちに、私は早くも胸を躍らせている。
(初出:マガジン・ワンダーランド第120号、2008年12月31日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
門田美和(もんでん・みわ)
会社員。海外留学などを経て、企画・広報部門にて翻訳を担当。2008年よりワンダーランド主催のセミナー等イベントをサポート。

【上演記録】
新国立劇場「舞台は夢 イリュージョン・コミック
新国立劇場中劇場(2008年12月3日 – 23日)
上演時間 約2時間5分(休憩なし)

作:ピエール・コルネイユ
翻訳:伊藤 洋
演出:鵜山 仁

【出演】堤 真一・秋山菜津子・高田聖子・田島令子・川辺邦弘・松角洋平・窪田壮史・三原秀俊・眞中幸子・坂田 聡・磯部 勉・金内喜久夫・段田安則

【美術】島次郎
【照明】勝柴次朗
【音響】上田好生
【衣裳】太田雅公
【ヘアメイク】佐藤裕子
【アクション】渥美 博
【舞台監督】北条 孝
【芸術監督】鵜山 仁
【主催】新国立劇場

【第43回紀伊國屋演劇賞個人賞】
金内喜久夫(俳優座劇場プロデュース公演「真実のゆくえ」におけるサー・デーヴィッド・メトカーフ、新国立劇場公演「舞台は夢 イリュージョン・コミック 」におけるプリダマンの演技に対して)

【参考】
・新国立劇場芸術監督の鵜山仁が語る『舞台は夢』とこれから(演劇情報サイト・ステージウェブ 2008年12月16日
・『嘘つき男・舞台は夢』(岩波文庫)
ピエール・コルネイユ作、岩瀬孝・井村順一訳、ISBN4003250710
・『The illusion / Pierre Corneille ; freely adapted by Tony Kushner』
ピエール・コルネイユ作、トニー・クシュナー訳、Theatre Communications Group ISBN1559360895


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