中野成樹+フランケンズ「44マクベス」(クロスレビュー)

「44マクベス」公演チラシ中野成樹+フランケンズは海外作品の「誤意訳」版を舞台に載せることで知られる劇団です。意表を突く着想が周到な演出によって具体化されると、海外の古典も「いま」の芝居に見えてくるから不思議です。今回取り上げる「「44マクベス」公演(日暮里d-倉庫、2009年2月18日-23日)で、その中野マジックはどう展開されたか、評価(五段階)とコメント(400字)をゆっくりご覧ください。掲載は到着順です。(編集部)

山田ちよ(演劇ライター)
★★★★
海外の戯曲を、現代の日本人の感覚に合わせて書き直しながら、原作のニュアンスを伝える、という中野成樹がこれまでも見せてきた技(中野は「誤意訳」と名付けているが、「誤」は字義通りでない)があちこちで鮮やかに発揮された。例えば、原作で、王位に就いたマクベスが、晩餐会で幽霊を見て騒ぎ出す場面を、幽霊は出さずに、客が誰も来ない、という事件に変えて、元の場面に漂う夫妻の不安感、衝撃などを再現した。殺しを請け負う男たちが殺害後、原作にない仲間割れを起こす展開も、原作から受ける殺し屋の内面の暗さを、現代人にうまく移し替えている。一方、シェイクスピア劇から脱し切れてなく、もどかしさを覚える場面もあった。冒頭、マクベスとバンクォーが歩き回る場面は、階段を使うなどの工夫はあっても、普通の『マクベス』と変わりない印象を受けた。それでも、今回の経験が中野のステップアップのきっかけになるのでは、という期待を抱かせた。

門田美和(翻訳業)
★★
翻訳を生業としていてツノるのは、そもそもすべての翻訳は意訳、つまり「○○○だろう」という確率高げな憶測にすぎないのではという思いだ。言語を置き換えるとき、最も近そうな表現を1つ選ぶという作業の裏にはいつも、これでよしとする傲慢な思いと、違っているかもという小さなビビりがせめぎあう。誤訳には白い目を、腑に落ちぬ惑訳には疑いの目を向けられがちな翻訳という行為に、それでも果敢に挑み続ける誤意訳者、中野氏の世界観を『44マクベス』で初めて覗いた。
舞台は言葉だけの意訳にとどまらず、解釈も演出も400年後の私たちにわかりやすい「現代訳」が施され、古典を観るというよりは、今のどこかを描いたようだった。「Is this a dagger…」や「Tomorrow, and tomorrow, and tomorrow」などの名セリフ、バンケットシーンもあえて削るなど、潔い演出も目立った。マクベスを女性が演じた効果からか、全体的に狂気は薄味、ガツガツ感低めで草食度高め。それこそがまさに時代背景丸ごとの誤意訳化なのか、新解釈が新鮮な舞台であった。【2月18日観劇】

井土 耕太郎(学生)
★★★
シェークスピアの悲劇を恣意的に換骨奪胎した作品である。「DQ」や「FF」的RPG感覚の冒険譚として僕は観劇した。更に敷衍、推敲すると邯鄲の夢枕に於ける廬生をマクベスと置換出来る結末のような気がした。
普遍性への疑義と葛藤が身を擡げている演出は同時代性との狭間で揺れている。その結果、劇作との間に齟齬が、観客との間に距離が生じ、劇的痙攣(カタルシス)や求心力が損なわれてしまっている。蜷川幸雄の「マクベス」を劇画調の漫画だとするなら、中野のそれはスペクタクル性を欠いた線の細いヘタウマだろう。
「マクベス」との苦闘の末、誕生した「44マクベス」は残念ながらマグナム44の撃鉄に触れることすら出来ていない。つまり誤意訳は誤意訳でしかないのである。
追記@ドラマトゥルクすなわち監修は必要なのだろうか?

「44マクベス」公演から

「44マクベス」公演から
【写真は「44マクベス」公演から。撮影=飯田研紀 提供=中野成樹+フランケンズ 禁無断転載】

小畑明日香(学生)
★★★★
かつて劇場の柱や幕で劇的な仕掛けを作ったという、演出家としてのシェークスピアの魅力に触れた感じだ。正方形の部屋が四列二階建てに組まれた空間にエッシャーの絵を思わせる斜め階段やベランダが走り、柱や壁の後ろをマクベス達が走り回る様が一瞬一瞬いい。その巨大な「城の内部」の前に置いた小さな城の模型をマクダフが覗き込み、マクベスに呼びかける演出も知的だった。
門番や侍女などの端役が重要な役割を担ってた点も特筆したい。素人発言ですが門番がいるってことも知らなかったぜ。笑わされました。
最後にはマクベスは包囲された城の中で妻と共にひっそりと死ぬ。墓の中で安堵の独白が入る切ない結末。
が、原作の「女の股から産まれた者はマクベスを殺せない」という予言が消化し切れてないのは気になった。「女から産まれた奴は俺のこと殺せないの?」という誤意訳マクベスの発言は印象強いぞ。この一点のみで星4つ。原典が読みたくなった。

大山康生(音楽ジャーナリスト)
★★★★
「マクベス」特有の、観劇後の重苦しさや不快感を期待していた観客は、肩透かしを食らっただろう。これが、数多の翻訳劇を手がけてきた中野成樹流の「マクベス」調理法。女優がマクベス役を務め、コスプレ魔女を含めた普通の若者男女が魔女役、バンクォーの亡霊は出現せず、マクダフがマクベスを殺す場面は無い。このように原作の象徴的な部分を削り、大胆に翻案した脚本は、フランケンズら役者のコメディっぽく反悲劇的な演技と結合し、原作との絶妙な距離感を楽しませてくれた。
エンディングでは、魔女の呪縛から解き放たれ、武器を置き、王冠さえ捨てた新しい世界が示される。それだけ見れば、ユートピアが残されたようなハッピーエンディング風だが、終幕の異化された世界の中では、小道具を置いた役者が現実の世界へと誘ったと解釈すべきだろう。ユートピアは墓の中にしかなく、人間が創り上げた(=芝居がかった)現実世界を生きねばならないのである。

因幡屋きよ子(因幡屋通信発行人)
★★
中野成樹の「誤意訳」の舞台には「換骨奪胎」の言葉に収まりきらない魅力がある。戯曲に対する敬意と既成概念への反骨精神。舞台作りへの心意気と遊び心。相反する要素が混じり合いながら、劇世界が展開するさまは、ぞくぞくするほど刺激的だ。しかし今回は残念ながら楽しめなかった。主人公マクベスを女性が演じることをはじめ、さまざまな試みがある一方で、マクベス夫人が夫からの手紙を読みあげるところ、夫婦で王殺害を企てるところ、晩餐会の亡霊騒ぎ、マクベス夫人手洗いの場など、いくつもの場面がカットされていたと記憶する。すべてに演出の意味や意図を求めるわけではないが、手応えが得られず。観劇後にダッシュで帰宅し、本棚の奥から戯曲を引っ張り出して、既に読んだことのあるものを「こんなおもしろい舞台表現を可能にする戯曲の魅力は何だろうか?」と興味と夢をもってページを繰るのももどかしく読み返す。願わくはそんな体験を与えられたい。

大泉尚子(主婦&ライター)
★★★
舞台奥は、2階建てで縦に4分割され8区画になっている。その各スペースをスピーディに使う様子は、マンガのコマ割りを思わせる。ドレスダウンした衣装は、おおむねモノトーンを基調にしているが、それに対して、マクベス夫人のドレスと夫妻の手についた血の色だけが真っ赤。セリフも、普通に翻訳調なところとタメ口っぽく崩された部分が、交互に出てきたり。とまあ、いろいろな仕掛けがなされているが、それぞれが噛み合ったりぶつかったりして、起爆力をもつには至っていない。役者もマクベスをはじめ、何人かの男性の役を女性が演じているが、その効果が今ひとつ。
耳に残ったのは、バンクォー親子の殺しを依頼された男たちの会話。好きで殺すわけじゃないんだけど、でもやっぱり殺すのが好きなんだよねー(みたいなことを言ってたような)。「人はなぜ他人を殺すのか」という大テーマを追求するのかと思ったら、そこで終わってしまったのが残念。セリフに「クトゥルー神話」っていう言葉がちらっと出てきたが、どうせオリジナル部分を加えるなら、ラブクラフトの怪奇小説なみにモラルの枠を取っ払って、その辺さらに斬りこんでほしかったんだけど…。

香取英敏(会社役員、「地下鉄道に乗って」)
★★★★
荘重な仏壇の中の「マクベス」も圧倒されるが、人間がガチャガチャと愚かしく動き回るのを冷静に見渡せる作劇は力強い。「きれいはきたない。きたないはきれい」なのだから、マクベスが女でも、魔女が自信なさげな男と妹二人でも、人物が10名以上削られていても、2階建て8室のセットに善と悪が現れたり消えたり、オセロのように見せる構成でまとめあげる(オセローと伸ばすと4大悲劇になるのもまたたのし)。ヴァンコーの亡霊など原作の名場面を削ったと思えば、土地の老人の嘆きは生かし、レーザー銃で反抗者を打ち倒したり、城門をリモコンで解錠したりのお遊びもいれこんでの150分(初日)。少しもダレずに芝居のテンションを保っていく。
沙翁の前に臆せず、萎縮せず、起承転結の物語に整序しようという奮闘!
敗れたマクベスは夫人とともに床の中に二人並んで埋葬される。原作にはないロマンチックな最後の場面、大きな余韻が残った。

「44マクベス」公演から

「44マクベス」公演から
【写真は「44マクベス」公演から。撮影=飯田研紀 提供=中野成樹+フランケンズ 禁無断転載】

鈴木励滋(舞台表現批評)
★★★★☆(4.5)
NHKの教養番組を思わせる女性のナレーションには、スクラッチが施される。三人の魔女にはニット帽にTシャツの今様の男もいればとんがり帽子にマントというベタなのもいる。リュックを背負った軽装の女性がマクベスを演じ、バンクォーはスーツ姿の男性が扮している。迫真の絞殺があれば、ふざけた銃殺(!)もある。刀はずっしり重く、銃は限りなくチープだ。
正調か邪道か、リアルか戯画か、重厚か軽薄か、分類されることを拒むかのように雑多なものが混在している。話法も新劇調から現代若者風まで幅広く、相容れないはずの諸々を最もだらしない身体と言葉を使う門番の中村たかしを要としてまとめあげたのは、まさにブレンドの妙である。
マイク・フィギスの四分割画面を想起させる、二段二列の四部屋のような舞台装置は空間を多様にしたものの、効果を十分に発揮してはいなかった。時間のゆがみや虚実のあわいまでも、あの装置ならばさらに効果的に見せられたはずで、再演が待ち遠しい。

田中綾乃(東京女子大学非常勤講師)
★★★☆(3.5)
「誤意訳」というので、「マクベス」を期待せずに観に行ったら、意外にも「マクベス」だった。とはいえ、魔女は現代の若者であるし、マクベスの館はメゾネット。舞台は矮小化され、登場人物たちも我々と等身大。だが、それでも「マクベス」だと思うのは、魔女(他者)の言葉に翻弄され、野心に燃え、欲望に支配される青年たちがいるからだ。
もっとも「野心」と言っても、演出家によれば、「六本木の店長になりたい」ぐらいの野心だそうだ。ただ、その矮小化の中で見えてきたのは、野心や欲望の根源が思慮のないところから出現している、という点である。中野演出の「マクベス」では、マクベスやマクベス夫人だけでなく登場人物たち全てが「思慮のない人々」として描かれている。魔女たちも思いつきで話し、その思いつきを鵜呑みにし、躊躇いもなく殺人を犯す人々。最後に勝利したマルカムの「今後は皆の意見を聞いて新しいやり方で国を動かす」という言葉さえ、単に方針がない人の発言として聞こえる。登場人物たち全ては「自分自身で考えない人々」の集まりなのである。それゆえ、マクベス役を女性が演じても違和感がない。中性的なマクベスは、ジェンダー以前に、自分自身で考えることができない浅はかな人間である。「ハムレット」が近代的自我の象徴であるならば、中野演出は、現代版「マクベス」として近代的自我の行き着く先をリアルに描き出していた。

広沢梓(会社員)
★★
古典を上演する際、ドラマの普遍性に依拠する方法と、現代から見た違和感を露呈させる方法があると思う。本作においては、どちらの側面もないとは言えないが、積極的にあるとも言えない。
よく知る『マクベス』が淡々と進む。門番=暗殺者や従者=SP、城の模型等の演出もある。しかし突出した独自性には繋がらない。これが2時間続く。何か覚悟を持ってのことだろうが、その手ごたえの無さに、良いとも悪いとも評価を下せずにいる。

北嶋孝(ワンダーランド編集長)
★★★★
水は低きに流れる-見終わった後、そんなことばが浮かんだ。英語では「Water finds its own level」というらしい。この世の差異を見つけ出し、水は自ずから流れていく。人力では止められない。だからこそ、予言者が男でもマクベスが女でも構わない。荘重華麗なせりふはなくてよし。どんな意匠、どんな音楽もアリなのだ。しかし野望の実現、破綻、灰燼へという流れは欠かせないし、変わらない。
生身の人間は城内を走り回り(権力の)狭い急階段を危うげに昇ったり降りたり。それぞれのown level で門と扉をくぐり抜け、生の浮き沈みを忙しく体現する。2階で王の謀殺を企み、1階で手を下し、最後はあっさり死んで地中に葬られる。文字通り、高きから低きに流れて予言成就の世界に幕が下りる。ホントに、原作に忠実な舞台ではないか。現代に見合う軽くて矮小な人物造形に苦笑しつつ、帰り道はちょっとやるせない気分になってしまった。
(初出:マガジン・ワンダーランド クロスレビュー特集号、2009年2月27日発行。購読は無料。手続きは登録ページから)

【上演記録】
中野成樹+フランケンズ「44マクベス
日暮里・d-倉庫(2009年2月18日-23日)

作:W・シェイクスピア「マクベス」より
誤意訳・演出:中野成樹

キャスト:
村上聡一、福田毅、野島真理、石橋志保(フランケンズ)
中村彰男(文学座)
永井秀樹(青年団)
伊原農(ハイリンド)
ゴウタケヒロ(POOL-5)
篠崎高志(POOL-5)
坂しおり(メガデルヅ)
中村たかし(宇宙レコード)
金谷奈緒
北川麗
竹田英司、斎藤淳子、中川春香(オオカミ男)

スタッフ:
ドラマトゥルク:長島確
美術:細川浩伸(急な坂アトリエ)
音楽:大谷能生、竹下亮
照明:高橋英哉
音響:山下菜美子
舞台監督:山口英峰
宣伝美術:青木正(Thoms Alex)
チラシマンガ:青山景
制作:渡辺美帆子、ゴ・フランケンズ

トーク・ゲスト(終演後):司会=長島確(ドラマトゥルク)
18日(水)松岡和子(翻訳家)
19日(木)多田淳之介(東京デスロック)
21日(土)松井周(サンプル)

協力:にしすがも創造舎
特別協力:急な坂スタジオ
助成:財団法人 セゾン文化財団
主催:中野成樹+フランケンズ

▽最近のクロスレビューは次の通りです。
・東京デスロック「その人を知らず」(2009/01/08)
・サンプル「家族の肖像」(2008/09/04)
・ポツドール「顔よ」(2008/04/18)
・阿佐ヶ谷スパーダース「失われた時間を求めて」(2008/05/30)


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