サーカス劇場「カラス」

◎底の底の願いを掬い上げてくれ 利口で美しいカラスを脳裏に
西村博子

「カラス」公演チラシ舞台は東京のどこかのガード下。壁に手の跡、人影などいろんなシミや落書きがある。と、いきなりバイクが突っ走り、元男性のカラスおばさんが廃棄物いっぱいの自転車押しながら出てきて歌い出す。

聞けば、東京都知事に恨みはないが、東京中のカラスに餌をやりながら昔救けたカラスを探しているのだという。何を隠そう、実は私もカラスおばさん。せめてお前だけは生き延びてくれとあたり見澄まし手早く餌をまくのだが、みつかると良き市民にひどく咎められるので毎日苦労している。あ、私と同じ。差別されてる! いっきょに劇に引き込まれた。時の設定はいちおう千年後ということになっているが、おばさんの歌「♪東京は森 ♪見てごらん 鉄の木立の上に 一千万のカラスがとまる」を聞いても、排気ガスで真っ黒な空に行き場を失ったカラスたち…まさに東京の今にちがいなかった。

カラスは八咫烏(やたがらす)の昔より人間の仲良き伴侶であった。今も間近に眺めてつくづく利口で美しい鳥と思う。が、それがなぜ石原都政とその良き都民たちにかくまで毛嫌いされ排斥されるようになってしまったのか? もしもカラスの羽が真っ白か美しいピンクだったら? 鶴や朱鷺みたいに保護されたかも知れないのに、である。

このガード下に代わる代わる現れるのが現代のカラスたち、オッと、ではない、泥棒専門学校の面々、大麻の売人、もう派遣はいや、罪を犯せば入れるだろうと刑務所入りを志願する野球青年、顔を見ても当の相手かどうか認知もできないOLとその恋人などなど。いずれも現代の格差社会。働くにはまず技能習得、まず検定、資格試験をと求められ、やっと職を得ても決してうだつ上がることのない使い捨て、下層の人々であった。

そしてそれを深刻に、でなく、たとえば専門学校の教師が怪人二十面相。学生はルパン、石川五右衛門、鼠小僧、黙阿弥白浪五人男のなかの弁天小僧、だったかな?からも推察されるとおり、作・清水浩平の差し出し方は、師の唐十郎とはちがうマンガ世代か。思わずニヤッと口が綻びそうだった。

ちっちゃいことをまず言うと、カラスの一羽であることを暗示されたのが、専門学校の教師と入学志望者ひとりだけだったのがちょっと惜しかった。私の目からみれば、ここガード下に出てきた人はみーんな真っ黒なカラス。税金納めて青空の下を胸張って歩けるような人々とは違う、社会から抹殺さるべき異種の生き物だからだ。ちらっとずつでもカラスであることをめいめい示して欲しかった。

もう一つ。これらのカラスたちのうちで最も中心的な筋を担ったのは、携帯をなくし、ということはこの現代、つまり友だちをすっかりなくしてしまったことになるという青年。それが、誰かれかまわず人を友だちにしようとし、それはつまり、誰かれかまわず自分に奉仕させようとすることであったので、ついに野球青年のバットで殴り殺されてしまう。そして壁のシミになってしまう。-というのが大筋であったと記憶している。が、携帯がすべての青年が壁のシミになってしまう終わりはいい。いかにも現代、いい発想だったし、演出もよかったのだが、そのシミになるまでの道筋にリアリティが欠けていた、あるいは薄かったことがいかにも残念だった。見ているものも携帯なくしたらひょっとして私も?の怖さ、必然があれば申し分なかったと思う。

演出は劇団唐ゼミ☆の中野敦之。壁の落書きが音楽に合わせて徐々に横移動し、その人影から専門学校の教師・怪人二十面相が出現するところ最高にドキドキ。とても面白かった。(この出で、二十面相がカラスの一匹であることもさっと暗示しておいてくれたら、のちのカラスの本性あらわすシーン、その言葉も不要になってなお良かったのに、だったけどね。)

ずうっと前、李麗仙が障子のシミから出現する唐演出を見て吃驚したことを覚えているが、さすが演劇史の歳月も伊達じゃない、中野演出のほうがずっとずっと巧くなっていた。
ただ、同じく演劇史の歳月。中野演出は昔の唐演出とは決定的にちがっていた。違うところは、役者が上手なこと、おとなしいこと。演出の指示に従い、できるかぎり作のテーマを表現しようと一生懸命なこと、であろうか。初期の唐の舞台では、何しでかすか分からないような役者たちが、実際出てくるとおのおの、何しでかすか分かったもんじゃなかったので、見終わったあと、本筋なんか、そんなものあったっけ?ぐらいのエネルギーがあった。筋としては唐作品もつねに敗退に終わっていて別に今とさしたる違いはなかったのだが、そのエネルギーが、今は敗けても又襲来するぞの意気込みとして見るものに伝わってきた。

中野演出は言うことなしの巧さ、整いだった。が、だからこそ余計にだけれど、ただ作品を巧く立ち上げ、書かれた作を誤りなく伝達しようとするだけでなく、清末浩平の、こんな愚かで汚いカラスたちを採り上げずにはいられなかった、おそらく作者自身でさえ気づいていないかも知れない底の底の願いを掬い上げてくれていたら…と思わずにはいられなかった。

初期唐十郎のようなエネルギーではもう通用しない。上手くなってしまった俳優たちを下手にしたってしょうがない。
ではどうするか? 一瞬でいい、舞台に利口で美しい本来あるべきカラスを、私たちの友だちを、目撃させてくれたらと思った。タイトルもカラスだ。カラスというものの印象を私たちの脳裏にくっきりと、鮮明に残してくれたら、と思った。そしたら劇場を出た私たちが今度カラスを見たとき、見る前とは違う姿に見えるのではないだろうか。決して、ただ早く殺してしまえとだけには見えないのではないだろうか-と。

作・演はもちろん、俳優すべてが息を揃え、ほんとに気持ちのいい、現代の温順に挑発的な舞台だっただけに、思わず垣を越えた要求をしてしまった。容赦を乞いたい。(2009.3.15所見)
(初出:マガジン・ワンダーランド第139号、2009年5月13日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
西村博子(にしむら・ひろこ)
NPO ARC(同時代演劇の研究と創造を結ぶアクティビティ)理事長。小劇場タイニイアリス代表取締役兼アリスフェスティバル・プロデューサー。日本近代演劇史研究会(日本演劇学会分科)代表。早稲田大学文学博士。著書は『実存への旅立ち-三好十郎のドラマトゥルギー』、『蚕娘の繊絲-日本近代劇のドラマトゥルギー』I, II など-とは、実は世を忍ぶ仮の姿。その実体は自称「美少年探検隊長」。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/na/nishimura-hiroko/

【上演記録】
劇団サーカス劇場第16回公演「カラス」
新宿・タイニイアリス(2009年3月5日-15日、3月12日24時~レイトショー)

脚本:清末 浩平(劇団サーカス劇場)
演出:中野 敦之(劇団唐ゼミ☆)
キャスト:
森澤 友一朗(劇団サーカス劇場)
浅倉 洋介(風琴工房)
熾田 リカ
尾崎 宇内
久米 靖馬(クロカミショウネン18)
佐丸 徹(vivit)
神保 良介
平野 剛督
水野 香苗(劇団唐ゼミ☆)
宮崎 敏行
八重柏 泰士
ワダ・タワー(クロカミショウネン18)

スタッフ:
脚本・劇中歌作曲 清末浩平(劇団サーカス劇場)
演出・音響 中野 敦之(劇団唐ゼミ☆)
美術 大泉七奈子
照明デザイン・操作 須賀谷沙木子(clore)
照明操作 桜かおり
舞台監督 宮田公一(Y’s factory)
宣伝美術 だり子(薔薇色乞食)
web 相澤知里
制作 清水建志
プロデューサー 森澤友一郎(劇団サーカス劇場)
チケット:一般前売3000円、一般当日3200円、学生前売2000円、学生当日2200円


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