流山児★事務所「ユーリンタウン-URINETOWN The Musical」

◎鏡に映る苦い自画像 「水洗」の枠を超えて
都留由子

「ユーリンタウン」公演チラシオフ・ブロードウェイよりもっと小さな劇場(フリンジと言うらしい)で大好評を得て、ブロードウェイでの上演に至り、2002年のトニー賞まで取ってしまったというミュージカル「ユーリンタウン」を観た。流山児祥の演出である。

会場の座・高円寺1は、普段は搬入口として使われているところが入り口になっていて、お客は舞台を突っ切って客席に入っていく。会場は天井が高くて倉庫のよう。正方形の舞台が作られていて、客席は舞台をL字型に取り囲む。大入りで客席の最前列と最後列に補助席がずらりと並んでいた。

おへそを出して、ショートパンツに黒のストッキングの「横柄な」女性警官が客席へ案内してくれる。「席はわかる?わかんないんなら言ってね。それから、先におしっこに行っといてね」。なるほど、こういう人が登場するんだね。

客席の下には生バンド。おお、ミュージカルならこうでなくっちゃ。最近はカラオケばかりだもの。子どものころ宝塚歌劇を観に行って、開演前のオケピットから聞こえてくるチューニングの音に、これから始まる舞台を想像してどきどきしたのを思い出した。

舞台奥にはグリム童話でお姫様が閉じ込められる塔みたいな建物があり、それが公衆便所№9。てっぺんには、巨大な換気扇がカラカラ回っている。やがて、この公衆便所の前の広場で、貧乏人たちがトイレの管理人との間で大騒ぎを始める。近未来のどこかの街らしい。

この街では、二十年にも及ぶ異常渇水のせいで水の使用は厳しく制限され、決められた公衆便所で用を足すことが義務付けられている。さらに、そのトイレは使用料が徴収され、払えない者は使えない。すべてのトイレを管理している会社UCCは、当然大儲け。じゃあ、いいもん、トイレは使わないもん!と思ってもトイレ以外での排泄行為は法律違反。捕まると、その名もユーリンタウン(おしっこ街!)という、どんなところかは誰も知らない恐ろしいところへ送られてしまうのだ。

そんなことを観客に説明してくれるのは、警官ロクスッポ。黒ずくめで、ナチスの親衛隊みたいな赤い腕章をしたこのスキンヘッドの警官は、ずっと舞台の脇にいて、警官役を演じる以外にもときどき出てきて解説してくれる。ちなみに開演前には、舞台脇の補助席のお客にチョコを配っていた。

おりしも、お金がなくてトイレを使えないスットボケじいさんが爆発的に立小便をして警官に捕まり、ユーリンタウンへ送られる。その息子ビンボーは騒ぎの中で美しい女性ホッピーとめぐりあい一目惚れ。ホッピーにあなた自身のハートの声を聞いて!と言われて、ビンボーは自由を求めて「世界同時おしっこ革命」を起こすことを決意する。ビンボーとともに立ち上がった貧民たちは、トイレの大元締めUCC社長のクラウドとその味方をする警官隊と対決。ホッピーがクラウドの娘だということがわかり、彼女を人質に、古い下水道に立てこもる。

高さのある舞台は下部が開いていて、通路のようになっている。貧民たちは、舞台の下に逃げ込んだり、隠れたり、もぐりこんであちらの方から出て来たりする。貧民街の公衆便所№9がぐるりと回転すると、UCC本社の社長室。鹿の剥製の見事な角の先に社長のクラウドの帽子がかけてあり、その下には豪勢なソファ。紫の制服を着た社員に囲まれて、社長と、その手先かつ恋人のゲイの上院議員は、チャップリンの映画「独裁者」のヒンケルのように、大きな地球儀をボールにして弄ぶ。

対決場面では、会場の天井に近い足場に、ヘルメットと覆面の過激派みたいなのが現れて大きな赤い旗を振る。中学生のころ、こういうおにいさんたちを町で見かけて怖かったことを思い出す。隣ではユーリンタウンに送られたビンボーの父親も旗を振るが、こっちは汚いシーツにおねしょのシミがついたみたいな旗だ。

UCC側からの切り崩しの金銭を拒否したビンボーが、会社の屋上から突き落とされて殺されたあと、その遺志を継いだホッピーが革命を率いて、ついに「世界同時おしっこ革命」は勝利を収める。しかしハッピーエンドには終わらない。「自由におしっこする権利」は得たものの、結局、貧民たちは渇水には勝てず次々と倒れてゆく。

会場が小さいこともあり、役者たちがたびたび客席を駆け回ることもあり、非合法なと言えば言いすぎだが、秘密の場所でこっそり観ているような、親密な、共犯者のような雰囲気が感じられるステージだった。上演時間2時間40分、出演者は50人近い大所帯+生バンド。ミュージカルと言えばチケット代一万円超えが当然のような昨今、チケットはなんと4500円。

ミュージカルを観るといつも、歌唱の力・歌=音楽の力の強さを感じる。この作品でもそうだった。例えば、主人公ふたりが恋に落ちる場面。台詞だけのストレートプレイだと、あんなに短時間に恋に落ちるのはどうも嘘臭くて信用できないが、感情が高まったところで歌が始まり、ハーモニーも美しくふたりで歌い上げられると、つい納得してしまう。その意味で、ホッピーを演じた関谷春子の歌には説得力があり、他の場面でも彼女の歌にはまんまと説得されてしまった。理屈で考えれば話に段差や亀裂のあるところを、歌を歌うことで軽々と飛び越えてしまう。ミュージカルの魔法である。

ビンボーの遠山悠介の歌はそれに比べるとちょっと飛び越える力が不足していた。特に、貧乏人たちに革命を促すところは、貧民たちのざわざわしたコーラスを彼の歌が圧倒して、有無を言ず革命へとなだれ込ませなければならない場面だと思うが、遠山がとても頑張っていたのは認めるけれど、あの歌に説得されるということは、貧乏人たちは最初からビンボーに好意的で、説得されたがっていたとしか思えない。

ミュージカルについて云々できるほど観ているわけではなく、決して目が肥えているわけではない筆者が見ても、ダンスはいま少し上達の余地はありそうだったし、個別の歌唱についても、さらに頑張って頂きたいと思うところも少なくはなくて、全体としてはミュージカルというより、音楽入りのお芝居といった印象だったのだが、出演者全員での合唱の迫力、厚みはさすが。これはミュージカルの快感だと思った。

それにしても、観客の感情に直接訴えてぐいと引き込む「音楽の力」「歌の力」はまことに侮れない。狂言回しの警官ロクスッポが芝居を外側から眺めてコメントし、先のことをネタバラシし、「これはお芝居である」ことを何度も示し続けるにもかかわらず、芝居がはねたあと、うるうるしちゃった!という声をあちこちで聞いた。感情に真っ直ぐに切り込む音楽には、つい感情移入してしまうものらしい。

その狂言回しが「ハッピーエンドでは終わらない」と予言するとおり、ビンボーの犠牲を乗り越えて、自由を求めた革命はついに成功するが、しかしそれは、貧乏人(も金持ちも)が生き延びるための革命とはならなかった。そのことは、予言がなくても途中からは予測がつく。貧民たちは、テロにも革命にもたやすく煽動されるし、ビンボーを失ったホッピーは信じられないくらい簡単に「恋人の遺志を継いで」革命のリーダーとなり、貧乏人たちはそれをあっさり受け入れる。そして、革命に熱狂する貧乏人たちは、誰もその先を考えていない。

先の見通しを持たない力が、たとえひとつの正義「おしっこの自由」を求めるという点では正しくとも、長続きする幸福をみんなにもたらすとは思えない。「おしっこの自由」は勝ち取ったものの、最終的には、UCC側も革命側も、誰ひとり生き残ることはできない。

大衆とは、なんとパワフルな、そしてなんと煽動されやすいものだろうか。正しいところから出発しても、熱狂し煽動されると、そのパワーを爆発させて、人を殺すことも厭わず、パワーを爆発させたあとのことまでは考えない。そのあと、陥った苦境を切り抜けるために、例えば「元の社会に戻ること」を目先の変わったよさそうなビジョンとして提示されたら、きっとそっちへも熱狂して、再び革命を起こしてしまうに違いない。もちろん、まだ脱水症を起こしていなければ、の話だが。

熱狂とパワーはあっても、冷静な賢さと先の見通しに欠け、多くの犠牲を払ってようやく何かを勝ち取っても、その上に堅固なものを打ち立てることもできず、結局は自滅する大衆。疑いもなくそのひとりである筆者自身の姿を鏡に映すように示されて、苦い味わいのある作品だった。

ところで、お金がなければトイレに行けない、というのは悪夢である。しかしどれほど恐ろしいかは、思う以上に、人によるのではないだろうか。不足する「水」を「飲み水」としてでなく「排泄のための水」という側面でとらえ、生理現象を人質に取って大儲けする会社を登場させたのが、この作品の肝だ。生まれたときから水洗便所しか使ったことのない人には、恐ろしいインパクトだろう。下水の整備されたアメリカの観客も、目まいがする思いだったに違いない。それに比べれば、水洗でない汲み取り式トイレを覚えている筆者は、つい、汲み取りにすれば?などと思ってしまって、根本的なところで、生理的切迫感には欠けていたと思う。

与えられた枠の中でだけ考えてしまっては、勝ち目はない。水洗トイレを前提にしていては、貧民に勝利はないのだ。貧民(=わたしたち大衆)にできることは、土俵を広げること、枠の外に考えを向けること、眼前の騒ぎに目を奪われてしまわないこと、なのだ。

水洗トイレに限らず、文化的な背景が必ずしも共有されない場合、物語の内容は共有されても、肌に迫るものは共有されにくい。世代的にも、70年代の学生運動に関わった世代か、その下の世代か、さらには全く知らない世代かで、この作品のピンと来るところは違っただろう。そういう違いを越えて作品としての生命を支えるものは何だろうか。いろいろな年代の人の感想を聞きたいと思った。(2009年6月10日観劇)
(初出:マガジン・ワンダーランド第149号[まぐまぐ! melma!]、2009年7月22日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
都留由子(つる・ゆうこ)
大阪生まれ。大阪大学卒業。4歳の頃の宝塚歌劇を皮切りにお芝居に親しむ。出産後、なかなか観に行けなくなり、子どもを口実に子ども向けの舞台作品を観て欲求不満を解消、今日に至る。お芝居を観る視点を獲得したくて劇評セミナーに参加。

【上演記録】
流山児★事務所ユーリンタウン―URINETOWN The Musical-」(流山児★事務所創立25周年記念公演スペシャル)
座・高円寺1(小劇場)(2009年5月29日-6月28日)
スタッフ
脚本・詞:グレッグ・コティス
音楽・詞:マーク・ホルマン
翻訳:吉原豊司
台本:坂手洋二
演出:流山児祥

音楽監督・演奏:荻野清子
訳詞・演出補:浅井さやか
美術:水谷雄司
照明:沖野隆一
音響:島猛
映像:濱島将裕
衣裳:胡桃澤真理
舞台監督:廣瀬次郎

キャスト:
千葉哲也
曾我泰久
伊藤弘子
関谷春子
遠山悠介
栗原茂
石橋祐
植野葉子
有希九美
木内尚
上田和弘
坂井香奈美
三ツ矢雄二
大久保鷹
塩野谷正幸 ほか

ポスト・トーク ゲスト:
6/2 松本哉(高円寺 素人の乱5号店店長)
6/3 青井陽治(ミュージカル演出家)×吉原豊司(ユーリンタウン翻訳)
6/9 中村哮夫(ミュージカル演出家)
6/10 佐藤信(座・高円寺芸術監督)×吉原豊司
ホスト:全回 流山児祥

入場料金:全席指定 一般 4,500円(税込)

主催:流山児★事務所
制作協力:ネルケブレインアンドハーツ
後援:杉並区 杉並区文化協会
提携:座・高円寺/NPO法人劇場創造ネットワーク

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