南河内万歳一座「S高原から」 青年団プロジェクト公演「青木さん家の奥さん」

◎俳優の役割や魅力とは 青年団・南河内万歳一座共同企画
水牛健太郎

青年団・南河内万歳一座共同企画公演チラシ芝居にかかわる人間は数多いが、私たちが舞台の上に見出すのは役者だけだ。当然のことではあるが、しかしそれが再確認される時点で、既にそれ以外の人たちが舞台の隠れた「主役」となっている事態を示唆しているといえる。演劇の設計図を書く劇作家、そしてそれを舞台の上に実現していく上で、主導権を握る演出家。ことに日本では「作・演出」という形で両者を兼ねるのが、小劇場を中心に一般的な形式になっている。何よりもまず、「作・演出」個人の作品として、芝居が理解されているゆえんだ。

この点をぎりぎりまで突き詰めたのはやはり青年団の平田オリザだろう。「役者は私にとって将棋の駒」という有名な発言は挑発を意図したものだというが、「『役者一人ひとりの存在はかけがいのないものだ』といった幻想から、私たちは早く脱却しなければならない。戯曲家にとって、役者は交換可能な存在である」(平田オリザ『現代口語演劇のために』p.84)といった言葉を待つまでもなく、平田作品がもっぱら作・演出の表現の媒体として俳優を見ていることは、動きと発話のタイミングに細かい指示を加えた彼の戯曲を読むだけでも明らかである。実際にこれを演じるにはかなりの専門的訓練を経た技量ある俳優が必要なことは確かだし、それぞれの役に対して、その技量や外見・声のイメージなどから、よりふさわしい役者を選ぶことも重要だが、その俳優の「唯一無二の個性」が必要とされているのではないこともまた、確かだ。こうした俳優観が必然的に行き着くところとして、平田は最近ではロボット演劇を手がけてもいる。

青年団・南河内万歳一座共同企画公演チラシ青年団と南河内万歳一座(以下南河内)の共同企画として、南河内が平田オリザの「S高原から」を、青年団が南河内の主宰内藤裕敬の作品「青木さん家の奥さん」を上演した。この上演は舞台における俳優の役割や魅力といったことについて考える絶好の機会になった。

まず見たのは南河内による「S高原から」だった。沖縄の海岸の海の家といったイメージの、雑然とした印象を与えるセット。ジャージを着た、いかにも大阪のおばちゃん風の人(鴨鈴女)が出てきて、冗談を交えながら上演前の注意と物販の案内をした。そこから既に人間臭い感じである。

上演が始まると、癖の強い役者が次々出てきて、医者は看護婦のほっぺたをつねりまくるし、取っ組み合いも起こる。しかし台詞の流れを見る限り、戯曲はほぼ変えていないようだ。後日戯曲で確認したが、事実その通りだった。

南河内の役者は、台詞に強いアクセントをつけたり、無理やり不自然な間を入れたり、表情を変えるなどしてひねりを加えていた。その意図が見えすく場合もあったが、一度見たら忘れられない個性の強い役者たちにそれがよく似合った。舞台の上に三人以上の人がいる間はどたばた調、しかし二人になると舞台がきゅっと締まる。光が強いだけに影もまた、色濃い。どたばたに向けられていたエネルギーが二人の関係性という一点に絞られ、緊張感で胃が痛くなりそうな場面がしばしばあった。特に男女関係が絡むとそれが顕著である。

「S高原にて」には多様な男女の姿が描かれている。サナトリウムに入所している男に別れを告げに来る女、逆に連れ戻しに来る女。八年も療養を続ける若い女性吉沢貴美子と熱心に看病を続ける兄茂樹の関係は密接で、他の入所者の興味を引き、またたじろがせる。プレイボーイ福島和夫と面会に来る藤原友子、福島の友人鈴本春男と坂口徹子の二組の男女。鈴本はかつて福島に友子を取られ、福島の死を密かに望んでいる。以前結婚をも念頭においていた福島と友子の関係は、細やかな機微を含んでいる。一方で福島は吉沢貴美子にも思いを寄せているようだ。そしてあと一年の命と噂される前島明子と画家西岡隆の入所者どうしの関係。いわゆる男女関係ではないが、医者松木と看護婦藤沢の組み合わせも強い印象を残す。

もともと戯曲に丁寧に書き込まれていた男女の愛憎は、南河内の役者の個性と癖の強い演技によって輪郭を与えられた。青年団の上演では劇全体の構図の中に静謐さをもって自ずと浮かび上がってくるものだったが、南河内では、まるで高原から日差しの強い亜熱帯に舞台を移したかのように、すべてがくっきりと光と影を持って観客に示される。まさにそれこそが「沖縄の海の家」調のセットの寓意でもあろう。

特にラストシーンの前島明子と西岡隆の場面は、西岡を演じる木村基秀のなみなみならぬ格好良さもあって、実にキマっていた。限られた命を「何も考えないで」生きていこうとする男女の姿。「S高原から」という戯曲の質の高さを確認すると同時に、頭の中ではそれぞれの役がすっかり南河内の役者の顔でイメージされてしまうことにもなった。今後青年団による再演を見る機会があっても、南河内の役者と比べてため息をついてしまうことになりかねない。

続いて上演されたのは青年団による「青木さん家の奥さん」である。ちなみに、もともとの南河内による上演は見たことがないし、戯曲も手元にない。

どたばたと笑いの多い愉快な上演であった。もっとも、その笑いのかなりの部分が、関係者席と化しているらしい最前列の座布団席から率先して起こっているのが少し気になった。細かいことだが、最近アゴラで感じるここらへんの「内輪な感じ」は、青年団という劇団のあり方とは本来相容れないものではないか。少し気を付けた方がいい。

ビールケースが山と積まれた酒屋のバックヤードで、酒屋の店員と娘、時々訪れる妙な女性客らが繰り広げるどたばた。取っ組み合いのけんかが繰り返され、客たちはこっそりとビールの栓を抜いて乾杯。店員に見つかるたびに走って逃げていく。店員どうしのけんかは主に配達先を巡ってのもので、特に美人の奥さんのいる青木さん家への配達を巡って伝票を奪い合う。

このどたばたぶりは、南河内を強く意識したものだったように思う。楽しいことは楽しかったが、青年団がやるとちょっと無理している感じが出てしまうのは否定できない。一方で、女性客の登場場面や「どうして誰も配達に行かないのか」「伝票に『青木さん家』と書かれている」(いずれも記憶によるもので、大意)といった自己言及的な台詞は平田オリザの不条理への傾倒を感じさせた。

この上演の大きなポイントは、「青木さん家の奥さん」その人が舞台に登場する場面だろう。劇場で配られた平田オリザと内藤裕敬の対談によると、「青木さん家の奥さん」が登場する場面は南河内の舞台にはなく、平田がオリジナルで付け加えたもののようだ。それまで数十分に渡って素晴らしい美人として噂され、そのために取っ組み合いのけんかが繰り返された「青木さん家の奥さん」が実際に登場するというこの設定は、演じる役者にとってはとんでもなくハードルが高い。もっとも、必ずしも前評判どおり素晴らしい美人である必要はない。例えば池谷のぶえのような人が出てきて、こんなとんでもない人だったのか、という落とし方もあるし、笹野鈴々音が出てきてこんな小さい人だったのかというのもアリだと思うが、ともかく何かは期待される。

ところが、出てきたのは「普通の人」だった。普通の人と言っては失礼かもしれない。背も高くきれいで、おそらく日常生活で会ったらかなり印象的だと思われる女優さん。だが、舞台上において「こんな人だったのか」という驚きを生み出すものはなく、したがって「青木さん家の奥さん」にはなりえない。そして、観客の受けた肩透かしの印象を裏書するかのように、「あれはどうも青木さん家の奥さんではなく、偽者らしい」という話の展開になっていった。

この一連の流れには、とてもシニカルなものを感じた。もともとなかった登場シーンをわざわざ設けてまで、「青木さん家の奥さん」を演じられる女優は青年団にはいないということを観客の前で明らかにしてみせる平田オリザ。身についていないどたばたシーンの強調も相まって、個性ある役者の不在という、青年団の弱点を故意にさらけ出すかのような上演であった。フランス公演との重なりから新人を多く起用したという事情もあったと聞くが、そもそも原理的に、青年団の俳優の苦手な部分を強調する仕組みになっていた。

しかし本来、青年団において、個性ある役者の不在は「弱点」ではないはずである。平田オリザは革命家である。革命家が一般人から見て極端と思われる見解を持ち、それをかたくなに推し進めたとしても当然のことで、それを弱点とは言わない。平田の現代口語演劇は1980年代までの演劇に対する根本的な問い直しであり、その一環として役者の個性の否定もあった。それに疑いを持って役者のあり方を見直すのは後から来た世代の務めで、平田自身は役者を見直したりする必要はないのである。役者の個性を伸ばさない青年団のあり方は役者個人にとっては大問題だろうが、平田にとってはどうでもいいことである。南河内の「S高原から」が、ある意味で青年団の上演よりも魅力的だったとしても、それもそもそも平田の戯曲あってのものなのだし、平田が推し進めてきた革命とは何の関係もない他人事なのだから、自分の俳優への対し方を省みる必要なんて一つもありはしない。

その平田が、どうしてこのような、「役者の個性の不在」をしみじみと感じさせる芝居を作ったのか。平田の演劇観の何らかの変化を表すものなのか。それとも単に、南河内のエネルギーに煽られて自分を見失っただけなのか。戸惑いと疑問を感じた上演であった。
(初出:マガジン・ワンダーランド第159号[まぐまぐ!, melma!]、2009年9月30日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
水牛健太郎(みずうし・けんたろう)
1967年12月静岡県清水市(現静岡市)生まれ。高校卒業まで福井県で育つ。大学卒業後、新聞社勤務、米国留学(経済学修士号取得)を経て、2005 年、村上春樹論が第48回群像新人文学賞評論部門優秀作となり、文芸評論家としてデビュー。演劇評論は2007年から。そのほか村上龍主宰の「ジャパン・メール・メディア(JMM)」などで経済評論も手がけている。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/mizuushi-kentaro/

【上演記録】
青年団+南河内万歳一座 共同企画
▽南河内万歳一座「S高原から
【大阪公演】精華演劇祭vol.13参加 精華小劇場(2009年8月17日-23日)
【東京公演】こまばアゴラ劇場(2009年9月2日-8日)
http://www.komaba-agora.com/line_up/2009_09/minamikawachi.html

作  平田オリザ(青年団)
演出 内藤裕敬
出演
鴨鈴女 藤田辰也 荒谷清水 三浦隆志 前田晃男 重定礼子 木村基秀 福重友 中津美幸 皆川あゆみ 岡ひとみ 鈴村貴彦 倉重みゆき 手嶋綾乃 松浦絵里 藤川央子 内藤裕敬

スタッフ
舞台監督:永易健介
美術:加藤登美子
照明:皿袋誠路
音響:堤野雅嗣
音楽:藤田辰也
大道具:(有)アーティスティックポイント
小道具:重定礼子
衣裳:高本章子
美術助手:三浦綾子
宣伝美術:長谷川義史
専属トレーナー:針・骨接ぎ野本
運搬:堀内運送(株)
制作助手:中津美幸・岡野礼音
制作:奈良歩
共催 精華小劇場活用実行委員会・精華演劇祭実行委員会・大阪市
主催 南河内万歳一座

▽青年団プロジェクト公演「青木さん家の奥さん

【大阪公演】精華小劇場(2009年8月26日-30日)精華演劇祭vol.13参加
【東京公演】こまばアゴラ劇場(2009年9月11日-27日)

作:内藤裕敬(南河内万歳一座)
演出:平田オリザ
出演
申 瑞季 田原礼子 村井まどか 山本雅幸 海津 忠 木引優子 桜町 元 畑中友仁
スタッフ
舞台美術:杉山 至
照明:岩城 保
衣裳:有賀千鶴
宣伝美術:工藤規雄+村上和子 太田裕子
宣伝写真:工藤規雄
制作:服部悦子
協力:(株)アレス
企画制作:青年団/(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場

主催 (有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
共催 南河内万歳一座 精華小劇場活用実行委員会 精華演劇祭実行委員会 大阪市
料金
*芸術地域通貨ARTSがご利用いただけます。(ARTSとは、桜美林大学の演劇施設で施行されている地域通貨です。1ARTS=1円。)提携 (有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場

料金 (日時指定・全席自由・整理番号付)
一般前売=3500円
一般当日=4000円
学生・シニア(65歳以上)=3000円
青春18歳差切符=5500円(年齢差18歳以上のペア割引)
セットチケット=6000円(青年団『青木さん家の奥さん』と南河内万歳一座『S高原から』の2公演をご観劇いただけます)〈各会場20組限定〉
平成21年度文化芸術振興費補助金(芸術創造活動特別推進事業)

【参考】
内藤裕敬×平田オリザ対談「世界一静かな『青木さん家の奥さん』と世界一やかましい『S高原から』」(全文)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください