虚構の劇団「ハッシャ・バイ」

◎真摯だけれど何か物足りない 清志郎の歌を聴きながら
直井玲子

「ハッシャ・バイ」公演チラシ今年の5月2日からずっと、忌野清志郎の歌ばかりを聴いている。この日、清志郎が亡くなったのだ。大人になって長い間その存在を忘れかけていたけれど、清志郎は私の少女時代のアイドルだった。連日CDやDVD、もちろんYouTubeを見続けいていると、新たな発見がたくさんあってやめられなくなる。


例えば「清志郎は鼻濁音の{が}の使い方が完璧である!」と気がついた。甘いラブソングを歌う時にはとろけるように優しい鼻濁音の{が}を響かせ、怒りをぶつける歌の中では時にわざと鼻濁音を使わずに力強く「(あんた)が!」と叫んでいる。そんな些細なことをみつけては、私のアイドルは凄かったんだわ~と惚れ直し、気がつけば朝だったりする。しかしさすがにこの歳で徹夜なんかすると、てき面に次の日使い物にならない自分がいるわけで、でもやめられないのよ~・・・。そんなトチ狂った精神状態で劇場に出かけて演劇やバレエを観ても、つい清志郎と比べてしまって、おかしなことになっている。

夏の終わりに座・高円寺で、鴻上尚史が主宰する虚構の劇団「ハッシャ・バイ」を観た。鴻上さんがオーディションで選んで育てている若い役者達が、第三舞台の代表作の再々演に挑戦したのだ。私は高校時代に一度だけ第三舞台の公演を観た。当時、話題の舞台は片っ端から観なくちゃいけないと思い込んでいた演劇少女だったのに、今となってはあれが「ハッシャ・バイ」だったのか違う作品だったのかすらわからなくなっているのがなさけない。とにかく客席が今回と比べ物にならないほど盛り上がっていたということは覚えている。第三舞台には熱狂的なファンがたくさんついていた。

劇評セミナーの中で鴻上さんは「ハッシャ・バイ」の再演について「(虚構の劇団の役者達が)育ってきたから、(この作品を)ぶつけたらもっと高いところに着地できるかもしれない」と語った。私は虚構の劇団を観るのは今回が初めてで、いずれの役者もお初にお目にかかる子達ばかりなので、旗揚げからどれくらいの成長を遂げてきたのかはわからないが、その動きや台詞術から、きちんと訓練がされていて、みんな真摯に舞台に取り組んでいることが伝わってきた。

しかし私は虚構の劇団の役者にこんなことを思ってしまった。「彼らは鴻上尚史にハッシャ・バイをやらされている」と。特に踊りの場面でそれを強く感じた。お世辞にもあまり魅力的とは思えない振り付けのダンスを、彼らはそつなくきっちり踊ってみせた。それには「はい、よく出来ました」という感想しかもてない。もっと振り付けからはみだすくらいの、例えば若い無茶な情熱みたいなモノを見せてくれたならば、こちらももう少し嬉しくなれたかもしれないし、もしも私の大好きな男優がマタニティ姿(初演はフレンチカンカンだったそう)で登場してくれたなら、それはそれで大盛り上がりしちゃえるのかな、まるで第三舞台の役者に熱狂していたあの時のお姉さんたちのように。しかし今回は、踊りの場面になる度に「このシーンは果たして必要なのか?」という疑問がわき、少々複雑な気持ちになった。昔は「第三舞台は踊りがあったから良かった」という感想をもったダンス大好きな私なのに。

私が「ハッシャ・バイ」で一番好きなのはスーパーサイコロジストが次々に衣裳をかえて、ひとり裏を走り回ってたくさんの扉から登場する場面だ。ユーモラスな勢いがあって、ちょっと笑った。初演でこの役を演じた筧利夫が稽古場であそび倒してつくりあげていった場面だと聞いてなるほどと思った。虚構の劇団のこの役の役者も稽古場で何度も試行錯誤を繰り返し、ついに自らふんどしという飛び道具を持ち出す頑張りをみせたとのことで、なかなか生き生きとした場面をつくりあげることに成功していたと思う。実はこの役者、ふんどし姿になるのが好きなのだそうで、確かに彼はとても楽しそうだったし、あのふんどし姿がちゃんと客をも楽しませていたのだから、好きこそものの~とはよく言ったものである。

そういえば、忌野清志郎の追悼本の中でRCサクセションの仲井戸麗市が清志郎のソングライティングについて語っていた。「あいつは本当に最初っからオリジナル曲を作っていた」と。私は清志郎の歌はもちろん、清志郎のステージングが大好きだった。そして例え洋楽のカバーであっても、もしくは日本の他の歌手の歌であっても、まるで清志郎の為につくられた楽曲かのように昇華して歌い上げる姿に私は惚れこんでいる。しかし如何せん、どう贔屓目にみても清志郎のドラマ出演時の演技はいただけなかった。清志郎はコンサートでたまにギター漫談(もちろん清志郎作)なんぞをやっていたが、そこでは実に見事な「語り」を聴かせてくれていた。なのに、なのに…。思うに、テレビドラマのあれは時間のない中で言わされていたセリフだったのだろう。

役者が台本づくりの段階から芝居づくりに参加すれば作品がもっと面白くなる、なんてことをここで言いたいわけではない。そんな単純なものではないし、舞台製作には確固とした役割分担がある。作家がいて、演出家がいて、役者がいて、他にもっとたくさんの人の手があって。それらの気の遠くなるような確かな仕事の積み重ねが、客を満足させる舞台につながっていくのだけれど、私達観客が直接目にする板の上の役者が、ただ教えられたことをきっちりこなすだけの舞台は、観ていて何かが物足りないと思うようになってきた。もっともっと、「自分達が好きな演劇を、自分達の手でつくり、自分達の責任でやってんだ!」、そんなパワーを、私は若い役者達から感じたかった。

芝居が終わってロビーにでると、鴻上さんが家路に向かう客達を見送っていた。つい「出演されてましたっけ?」と声をかたくなるほどに、髪がみだれて汗をかいて疲れきった表情で、何人かの客に声をかけられてもうなずくだけの鴻上さんだった。もしや上演中の舞台の裏で、誰よりも気を回し、駆け回って仕事をされてたのですか?と勝手な想像をしてしまった。一方、若い役者達は、みんな幸せそうな顔して、爽やかな笑顔で楽々と客を見送っていた。そりゃあ鴻上さんは主宰だし~とか、単なる歳の差でしょ~と言っちゃえばそうだし、また、舞台で見たことではないのでここに記すべきか迷ったけれど、やっぱどこか、逆でなきゃいけないんじゃないかしらと思ったので、最後に書いてみた。
(初出:マガジン・ワンダーランド第160号[まぐまぐ!, melma!]、2009年10月7日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
直井玲子(なおい・れいこ)
東京都三鷹市生まれ。都内の公立保育園勤務を経てイギリスに遊学。帰国後、子どもミュージカルや演劇ワークショップ等の企画制作及びファシリテーターをつとめる。現在、東京家政大学家政学部児童学科に勤務、保育者養成の仕事をする。今秋から東京学芸大学大学院において演劇教育の研究をすすめる予定。

【上演記録】
虚構の劇団 第三回公演「ハッシャ・バイ
座・高円寺1(2009年8月7日-8月23日)

作・演出:鴻上尚史
出演:大久保綾乃、小沢道成、小野川晶、杉浦一輝、高橋奈津季、三上陽永、山﨑雄介、渡辺芳博

チケット代金:前売・当日 4500円  (全席指定・税込)

企画製作:サードステージ
後援:杉並区/杉並区文化協会
提携:座・高円寺/NPO法人劇場創造ネットワーク


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