虚構の劇団「ハッシャ・バイ」

◎娘の物語、母の物語
都留由子

「ハッシャ・バイ」公演チラシお芝居の中には、人生のある時期に観ると、激しく心を揺さぶられ、強い印象を残すものがある。鴻上尚史が主宰する若い劇団、「虚構の劇団」の『ハッシャ・バイ』は若いうちに観たかった作品であった。初演を観ていないことを、本当に残念に思った。第三舞台による初演は23年前のことである。

何もない、灰色の壁に囲まれた舞台に、白く輝くような布が下がっている。そこは病室で、昏睡状態の母親に付き添う男性が、看護師と言葉を交わす。母親が倒れる前にもっと話しておけばよかった。母親はいつも、自分の母のようにはなりたくないと言っていた。こんなに長く眠っていて、どんな夢を見ているのだろう。看護師は、意識がなくても音は聞こえていて、目覚めたときにその記憶の残っている人もいる、と応える。

銀河の中に立つさっきの男性が流れ星に願いをかける幻想的な場面の後、白いカーテンが飛び、ベッドは下手すみに退く。何もない舞台。さっきの男性金田は探偵で、ひとりの女性から奇妙な依頼を受ける。依頼してきたその女性は、半年前から、まるで夢の中に別の世界がありそこに住んでいるかのように、毎晩同じ世界の夢を見続けていた。ところが驚いたことに、自分の「夢」のはずの、その世界が写った写真が古道具屋の店先に飾られていた。現実のその写真には、いつも夢に出てくる女の人が写っていたという。自分の夢の世界は、現実に存在するのだろうか? そこで、その写真について調査してほしいというのである。

調査を始めたふたりは、問題の写真が、すでに亡くなった森田という人のものであることを知り、森田の息子、幸男を探す。その過程で、担任した女子高生と恋に落ち、その子を死なせてしまった元高校教師土屋、超能力を研究している超心理学者成田らと出会う。成田によれば森田幸男はかつての超能力少年。ふたりが会いに行くと、今は精神病院にいる森田幸男は女装して現われ、問題の写真は、実際に写したものではなく、自分が超能力で念写したものだと言う。

そして、話は依頼人の女性が見た夢と、調査を進める現実と、写真の世界とが入り混じり、何が夢で何が現実か、区別がつかなくなっていく。依頼人が毎日見ていた夢の世界、つまり写真の世界では、世界は終わりを迎えていて、それを認めない怒り組とそれを悲しみカーニバルを開こうとする嘆き組がいる。写真に写っていた女性はどちらにも属さず、その世界を脱出しようとしている。金田と依頼人と成田は夢の世界に取り込まれ、依頼人の女性はいつの間にか精神病院の看護師長になっている。

ひとつずつの場面はとてもはっきりしているのに、場面と場面のつながりは判然としない。それらしい説明はなされるが、では、このお芝居の筋をかいつまんで話せるかというと、そうではない。実際、お芝居を観て帰ってきた筆者は、どんな場面があったかはとてもよく覚えているのに、その順番となると、とたんに分からなくなってしまった。

この作品ではストーリーを追うことはあまり意味がないのだろう。次々に起こるできごとは、つじつまが合っているようで、実はどうなのかよくわからない。場面場面をとればとてもクリアなのに、そのつながりはというと、まるで脈絡がない。クリアな場面の、わけのわからない連続そのものにこそ意味があり、それぞれの場面で提起されるイメージこそがこのお芝居なのだ。

夢とも現実ともつかない、めまぐるしく入れ替わる舞台で、くりかえしくりかえし示されるイメージ。それは、母、支配し立ちふさがる母、母を殺して母から逃げ出す、母のいない国。なんでこんなに母にこだわるのかと思うほどの母、母、母。そして夢、虚構、自殺する人々、世界の終わり。

登場するのは、マザコンの夫を持つ妊婦、機能不全に陥った家庭、「あなたのために」と子どもを支配する母親、「ママのために」期待に応えいい子でいようと努める子ども、無力な夫、そして母を捨て、母を刺し、母を殺して「母のいない国」へ脱出しようとする子ども。超能力者にすがりつく人々。このように並べてみると、まるで心理学の教科書のようだ。

心理学の教科書みたいなのはもっとある。問題の写真を念写し、金田や成田が迷い込む夢の世界を作り上げたと思われる森田幸男は、終始、女装していて、女性っぽい言葉を話す。性同一性障害かと思ってみていると、そのままの姿で全く切れ目なく幸男の母親にもなる。本当の母親なのか、幸男が母親を演じているのか、演じる意識もなく幸男が母親になってしまっているのか、観客に区別はつかない。幸男が母親と一体化している、もしくはまだ母親から分離できていないのは明らかである。

さらに、生きづらさに悩む人へのアドバイスのように、母のいない国へ脱出する唯一の方法は「深く深く絶望すること」、「絶望に悩むのではなく絶望に生きることだけが、たったひとつの母のいない国へのトンネルだ」と語られたりもするのである。

あまりにも直裁に語られる心理学の教科書のような言葉は、はるか昔にその時期を通り過ぎてすっかり鈍感になってしまっている筆者などは、ちょっと気恥ずかしく鼻白むのであるが、もちろんそれは、筆者がすでにすれっからしだからで、育った家を巣立ち、おとなになろうと苦闘している若い人がこのようなお芝居を観たら、どのひとつの台詞も自分のことを言っていると感じられて、きっと涙の流れるのをどうすることもできないだろう。若い頃に観ておきたかったと筆者が痛切に思った理由である。暖かく保護(言い換えれば支配)してくれた母親を殺して、たったひとり世の中へ足を踏み出そうとする不安な時期にこのお芝居を観ていたら、たしかに世界は絶望に満ちているかもしれないが、それでも、大丈夫、絶望に沈むことでこそ生きていくことができるのだと励まされたに違いない。

終幕近く、登場人物全てが舞台に立ち、客席をまっすぐに見つめていっせいに台詞を言う場面では、若いころ、清水邦夫のお芝居を観て同じような場面で訳もなく涙があふれたことを思い出した。「このお芝居を見て涙があふれた」のではなく、「かつて涙があふれたことを思い出した」であるのが、筆者の年齢を感じさせていささか残念ではあるが、それでもこの作品に流れる瑞々しさには、登場人物の感情を自分のこととして感じて演じているらしい若い役者たちの姿とともに、感じるものがあった。若い劇団にはふさわしい作品であったと思う。

虚構の劇団の役者たちは、みんな若く、よく訓練されていて、とてもお行儀がいい。ステージ上に装置と呼べるようなものは何もないが、灰色の壁には様々な映像が映し出され、壁に切られた七つの扉は、開くとその裏は黄色や赤の鮮やかな色で塗られていて、扉の開閉を含めて、とても効果的でよく考えられたおもしろい舞台運びだった。第三舞台でも評判だったというダンスも、若い役者たちの汗を流し涙を流す演技も、筆者には好感が持てた。

それにしても、年齢的には、捨てられ殺される親の側に立つはずの鴻上尚史が、このようなみずみずしい、リリカルな舞台を作るのには、驚かされた。いったいどんな秘密があるのだろうか?

ひとつひとつはとてもクリアな場面が脈絡なく並ぶ。それは、眠っているときにわたしたちが見る夢そのものである。幕開けに出てきた、金田の母親のベッドが、最後までずっと舞台下手に見えているのを考えると、このお芝居全体が、金田の母親の夢であってもおかしくないと思える。もしそうなら、最初の場面で、眠りつづける母親がどんな夢をみているのか探偵として探って、母の夢を終わらせたい、というようなことを金田が言うのだが、それが実行されたのがこのお芝居ということになる。

ところで、先ほどから「依頼人の女性」と繰り返すのを、まどろっこしいと思われただろうか?そうなのだ。この依頼人の女性は、中心となる登場人物のひとりでありながら、名前では呼ばれない。主な登場人物のうち、探偵の金田、超心理学者の成田、元高校教師の土屋、元超能力少年森田幸男、土屋の教え子で恋人でもある女子高生エミは名前も職業もはっきりしている。名前を呼ばれることもなく、職業もはっきりしないのは、依頼人の女性、写真の女性、そして森田の母である。

終幕、夢の世界から戻ってきた金田は、依頼人の女性に、眠れないときのおやすみなさいの挨拶である「ハッシャ・バイ」の言葉を残して去る。そしてひとりになった依頼人の前に、写真の女性が現われ、「わたしはもうひとりのあなた」だと言う。半年前、自分が母親になることを受け入れられなかった依頼人の女性は、自分自身を手放そうとして海に入って行き、その日からあの夢を見始めたのだという。つまり、依頼人の女性=写真の女性であり、拒否してはいるが、=母親、ということになる。(ここで話を持ち出すとややこしくなるので深入りしないが、このお芝居全体が、このとき海に入った依頼人の女性が見始めた夢だと考えることもできる)

作者の鴻上尚史が意図したかどうかはわからないが、名前がない三人は、みんな母親なのだ。
母親には名前が必要ない。それまでは名前で呼ばれていても、母親になったとたん、当然のように「○○ちゃんママ」「○○くんのおかあさん」になってしまい、名前で呼ばれることはなくなってしまう。巣立とうとする子どもの側から見れば、支配する母、立ちはだかり、取り込もうとする母、すがりつく母であるが、母の側からすれば、名前を剥ぎ取られ、無力な夫は当てにできず、やがて殺され、捨てられるのが母なのだ。母の側にだって悲しみはあるのだよ。母を殺して「母のいない国」にようやく脱出して行った果てが、「『母のようにはなりたくなかった』母」だったりもするのだから。

このお芝居の中でも、娘との関係に悩み、森田幸男の超能力にすがる、依頼人の女性の母親のことがほんのちょっと触れられるが、いつかぜひ鴻上作品で、母の側からのお芝居を観たいものだと思う。「ハッシャ・バイ」のような、リリカルな、心を揺さぶるお芝居を。(2009.8.12 観劇)
(初出:マガジン・ワンダーランド第160号[まぐまぐ!, melma!]、2009年10月7日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
都留由子(つる・ゆうこ)
大阪生まれ。大阪大学卒。4歳の頃の宝塚歌劇を皮切りにお芝居に親しむ。出産後、なかなか観に行けなくなり、子どもを口実に子ども向けの舞台作品を観て欲求不満を解消、今日に至る。お芝居を観る視点を獲得したくて劇評セミナーに参加。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ta/tsuru-yuko/
【上演記録】
虚構の劇団 第三回公演「ハッシャ・バイ
座・高円寺1(2009年8月7日-8月23日)

作・演出:鴻上尚史
出演:大久保綾乃、小沢道成、小野川晶、杉浦一輝、高橋奈津季、三上陽永、山﨑雄介、渡辺芳博

チケット代金:前売・当日 4500円  (全席指定・税込)

企画製作:サードステージ
後援:杉並区/杉並区文化協会
提携:座・高円寺/NPO法人劇場創造ネットワーク


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