小劇場演劇の字幕作成現場から

◎翻訳者の密やかな快楽 英文字幕の世界をのぞく
門田美和

依頼を受けたので、小劇場を主とした現代演劇について、翻訳者の立場から、字幕を切り口とした劇評を書いてみようと思います。思いました。思いましたが、翻訳という行為も小劇場演劇の字幕もストライクゾーンのほっそいトピックで、というより小劇場演劇の字幕自体が多くの観客にとって「どうでもいいです」的なアイテムであるため、今回は、そもそも字幕って何? 映画とかの字幕とどう違うの? ということと、その世界を味わっていただくために、小劇場演劇の字幕を実際に作成してみたいと思います。では、行きます。

私の考えでは、日本には現在、大きく分けて 2 種類の字幕があります。1 つは「補完」的な字幕で、テレビのニュース番組やバラエティー番組で、要約やオチなどを表示するものです。これは、日本語を理解する日本人に対しても有用な字幕です。
もう 1 つは、言語を変換して提供し直す字幕です。主に、原語を理解しない人に向けたものなので、ベンヤミン風に「伝達」といってもいいと思います。こちらは映画やテレビドラマの字幕、ゲーム (RPG とか) の字幕などで、演劇の字幕はそのほとんどがこのカテゴリに属します。映画などの字幕が「過去」つまり無変化な対象に合わせて表示されるのに対し、演劇の字幕は「現在」に合わせて表示するという本質的な違いがありますが、それについてはまたあとで触れます。

ここでは「伝達」としての字幕についてさらに考える参照として、映画の字幕についてもう少し詳しく記したいと思います。

そもそも映画の字幕とは、ルールに基づいて翻訳し校正された情報のことです。つまり、必ずしもセリフと同じ情報量が提供されるわけではありませんし、話者とはタイミングがずれた状態で情報が提供される場合もあります。大抵の日本語字幕は 1 ~ 2 行で表示され、1 行は 12~13 文字以内です。翻訳は、1 秒の発話内容に対して 4 文字の和訳を当てます。この文字数は、日本人が日本語を読む平均速度に合わせていると言われています。また、句読点は使用せず、長いセリフの場合には「ハイフン」を使用して次のセリフに繋がることを示します。現在の訳文は横書きの中央揃えか左揃えが主流で、一定の日時や場所、歌詞などを示す場合には縦書きの字幕が使用される場合もあります。もちろん例外はありますが、このようなルールにしたがって、内容をそぎ落としつつ、掬い取ったものを制限字数内で表示するのが映画の字幕です。

私はこのようなルールが演劇の英語字幕にもあると考えました。そこで、戯曲翻訳者、演劇関係者、翻訳者の教育機関、字幕公演の経験のある劇団などを訪ねてみましたが、スッキリとした回答はありませんでした。どうやら演劇における英語字幕翻訳のルール的なものが整備されるのはこれからのようです。
とはいえ、これからみなさんに英語の字幕を実際に作成してみていただきたいので、ここでは便宜上、2009 年のフェスティバルトーキョー参加作品、五反田団の「生きてるものはいないのか」の英語字幕を担当した際に作成した my ルールを用いることにします。詳細はいろいろありますが、主には以下のようなものです。

1) 一度に表示するセリフは 1 ~ 2 つ
2) 1 行の文字数は 9 単語以下、かつ 40 文字以内
3) 書式は左揃え、フォントは Verdana の Bold、英数字は半角

おそらく「で?」という感じだと思うのでもう少し説明します。私の考える理想的な演劇の字幕の役割は、できるだけサッサと読まれ、忘れられることで、観客が舞台を見ている状態を長く維持することです。ということは、画面いっぱいにどーんと表示された wordy な文字列はそれだけで読む気が萎えるので NG です。
そこで、1) のように、一度に表示するセリフは 2 つ以内にして、セリフとセリフの間、セリフの上下左右に余白を取って読みやすくします。また、「Yes」「OK」など、汎用的な文字列を多用します。これは picture として瞬時に意味が認識できるので、読者の解釈は速くなり、読むスピードが向上し、それだけ舞台に集中してもらえることが理由です。もちろん例外はありますし、演出家の意図や意向、作風がありますので、必ずしもこの条件を満たすとは限りません。
2) の文字数については、1 行 1 秒で読み終えられる程度の単語数にしておきます。単語数が少ないと、観客は視線を何往復もさせる必要があり、多いと横に広がりすぎて、舞台上の役者に視線を戻すまでに時間がかかります。英語をネイティブとする人であれば、1 秒に 9 単語程度の認識は可能ですが、話すスピードと読むスピードには差があるので、話されている戯曲をそのまま翻訳して長文を表示した結果、観客を読むことに集中させてしまい、肝心の舞台に視線が動かせなくなったとしたら本末転倒です。読み終えないうちにスクリーンが変わると、意外に「イラッ」とするものなので、ここは特に注意が必要です。
3) の書式は、パッと見て認識しやすいフォントや形式を使用して、観客がストレスなく字幕が読めるようにします。私は多くの観客が慣れ親しんでいるであろう Microsoft® のスタイルガイドにしたがって英数字を表示します。ほかにも、行頭をそろえたり、表示位置を統一させたり、カンマあとのスペース落ち、スペルミス、単語間のスペースなどのチェックをしてばらつきが出ないようにすれば、観客が字幕を読む速度は安定します。
この 3 点以外にも、アメリカの英語にヨーロッパの英語が混じっていると、例えば標準語と関西弁をごちゃまぜにしているような違和感がありますし、現代人のように話していたかと思ったら急にアナクロな表現が出てきたりしても戸惑うので、地域や世代を考慮することも読みやすさへの配慮となりましょう。これは Microsoft® Word のツールなどでチェックしたり、別の翻訳者に proofreading (校正) をしてもらったりすることで簡単にクリアできます。

では、ここで、みなさんも実際に字幕を作成してみましょう。

( )内は発話時間のめやすです。舞台上の役者には、英訳に考慮の必要な身体の動きはなく、後の展開の伏線となるセリフでもないと仮定して、次のサカナのセリフに英語をあててみてください。では、どうぞ。

【生きてるものはいないのか】
医師のナイトウが息絶えた後のシーン。カセットテープに吹き込まれたナイトウの歌を、居心地の悪さを我慢して聞くサカナ、マッチ、マキの 3 人。

マッチ「、、」
サカナ「、、」
マキ「、、、いや、ほんと、別に頼んだわけじゃないんですよ」
マッチ「どういう意図があったんだろう?」
サカナ「もう、今となってはわからないね」(1.75 秒)
マキ「、、、、、」

いかがでしょうか?……と言われてもどうしようもない、という方にヒントです。

~なので ~できない   It is too (形容詞) to (動詞)
~できない        There is no way to (動詞)

ほかにも沢山の言い方がありますが、このセリフは、例えば次のように訳せるかと思います。

It is too late to find out what he really meant.
または
There is no way to know what he was trying to convey.

いかがでしょうか。「Nobody」で始めたり、別の動詞でも表現できますが、おそらくこれでも意味は通じますね。セリフの発話時間内にも収まっています。ですが、演劇の字幕は舞台上の役者の動きに合わせて「現在」に対して表示されるものです。「現在」とは、サカナを演じる俳優がセリフを発する一瞬前に「字幕表示の指示」があり、発話と同時に「スクリーン表示」され、観客が「読み」、観客が視線を舞台に戻してからマキの「、、、、、」の演技を観る態勢になるまでのトータルの時間です。ですからこの英訳では 1 秒程度オーバーしてしまい、せっかくのマキの「、、、、、」の芝居が楽しめなくなります。基本は舞台を見てもらうことですから、さらに語数を減らせないかを検討し、3 ~ 5 語の字幕にしてみてください。では、どうぞ。

いろいろな方法があると思いますが、演出家がこのセリフの流れを「もう誰にもわからない」と解釈してよいと判断した場合、この内容を 3 語で伝えることができます。

God only knows.

言葉の意味は「神のみぞ知る」つまり「誰にもわからない」という表現になります。これで、7 ~ 8語分の削減ができ、観客が舞台を見る時間が確保できました。このほかにも沢山の素晴らしい表現があることと思います。みなさんの字幕はいかがでしたか?

さてここでクイズです。今、みなさんに翻訳していただいたような英語字幕は、作品「生きてるものはいないのか」ではおよそ何枚使用されたでしょうか? 次の中から選んでみてください。

1) 90 枚
2) 300 枚
3) 900 枚

正解は 3) の約 900 枚です。表示された字幕は、どんな単純なライン(セリフ)にも、文化的背景や価値観、長期スパンで出来上がった作家自身のかけら的な要素などが含まれており、それを他言語に展開する作業はおおいなる挑戦であり、それゆえ翻訳は苦悩の連続でした。それでも翻訳者がどれだけ奮闘したところで、演出家、舞台監督、舞台美術、照明、字幕オペレータ、そして役者の方々の協力なしに字幕を観客に届けることはできません。私は彼らに心から感謝し、これからも作品の芸術性を観客へと橋渡す透明な案内人でありたいと思っています。
「生きてるものはいないのか」の英語字幕に関しては、英語だから関係ないと思われがちでしたが、こんな声もありました。「役者さんが何を言ったかわからなかったとき字幕で確認した」「アドリブだと思ったら字幕が出ていたので演技だとわかった」……なるほど。字幕は意外と使えるのかもしれません。
(初出:マガジン・ワンダーランド第176号、2010年2月3日発行[まぐまぐ!, melma!]。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
門田美和(もんでん・みわ)
翻訳者。海外留学、会社員を経て、2009年よりフリー。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/monden-miwa/

【参考文献】
前田司郎著「生きてるものはいないのか」(白水社)
ヴァルター・ベンヤミン著、野村修編訳「暴力批判論」より「翻訳者の課題」(岩波文庫)
Microsoft® スタイルガイド公開版

【上演記録】
「生きてるものはいないのか」(東京芸術劇場・芸劇eyes参加作)
東京芸術劇場小ホール 1 (2009年10月17日-11月1日)

作・演出:前田司郎(五反田団
出演:遠藤留奈・大山雄史・岡部たかし・尾倉ケント・笠井里美・鈴木燦・
立蔵葉子・田中伸一・中尾裕美・成田亜佑美・成瀬正太郎・布川雄治・バビィ
・福沢佐瑛子・宮部純子・師岡広明・芳尾シンジ・吉田彩乃

舞台美術:池田ともゆき
舞台監督:榎戸源胤
技術監督:松本謙一郎
特殊装置:岩城保
照明:山口久隆(S-B-S)
演出助手:上松頼子(風花水月)
宣伝美術:木村敦子
制作:尾原綾・三橋由佳・清水建志
字幕オペ:尾原綾
字幕翻訳:門田美和

「小劇場演劇の字幕作成現場から」への1件のフィードバック

  1.  Alice Fes2009に来てもらったイ・ユンテク(李潤澤)の「コリア・レッスン」で、私は大変興味深い試みに出会いました。もとはイオネスコ。あの沢山の台詞から僅か38、劇のポイント、ポイントに必要なものだけを選んで梁(はり)に映す、というやり方でした。選ばれた台詞も一番長くて3~4行。ほとんどがほんの短い1行でしたから、上演中ずっと、私の目は俳優ばかりを見ていることができました。
     もともとのイオネスコが言葉の無意味さ、だけならまだしも、言葉がいかに権力的であり暴力的なものかを突こうとした作品でしたから、こうした果敢な実験もできたのだと言えば確かにそのとおりに違いありませんが、それでも、演劇における字幕というものを私に再考させてくれる刺激的な機会でした。
     かねがね、字幕つきの劇の多くが舞台を見るのでなく、いかに戯曲を読む会になってしまっているかということに私は強い違和感を持ってきました。とくに、台詞の前にいちいち人物名をつけて数行並んでいる字幕はかないません。演劇というものが分かっていない証拠だと私は思っています。願いは、海外でふらっと劇場に飛び込んだときのように字幕なしで観劇がしたい、ですが、譲歩して、字幕を映すならせめて、“その人が話しているうちにその人の言葉を映して欲しい”、です。映画やTVのように。それでも目は俳優でなく字幕のほうに引っ張られてしまうのが残念ですが。
     これからも、なぜ演劇交流するのかについていろいろ考えなければならないことの一つとして、字幕のありかたについても考えていきたいと思っています。実際に字幕を作られる方のご意見、ご示唆など、ご教示いただければありがたいです。(2010.02.05 タイニイアリス・西村博子)

     

http://www.tinyalice.net/ へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください