◎サリngROCK の優美な凶暴さ
岡野宏文
今年も、年間の最低映画に贈られるゴールデン・ラズベリー賞が決まった。めでたく受賞してくれたのは「トランスフォーマー/リベンジ」であるが、なにより油断できない気にさせるのは、この映画が「当たった」という畏るべき事態である。巨大なレゴ・ブロックのごときロボットたちが、せわしくパーツを組み替えながらめまぐるしく変身してみせる、というか変身してみせるだけのこの映画は、映画を観ているというよりグラフィック・アプリケーションのデモ画面を見せられているような、侘びしくも場違いな気分を我々に味あわせる。にもかかわらず、その退屈を求めて映画館に人は詰めかけたのだ。世の中はまだからくりの手の内がすっかり透けた玩具がお気に入りらしい。2012年など飛んでもない。まだまだ人類は滅べまい。
久しぶりに、素晴らしくヘンテコなオモチャと出くわした悦びも持った。しなやかな筐体からいくつもの手足や頭が生えているくせに、どれを触るとどれが動くか想像のそとなのである。これにふれると……エッこっちが動くの! だったらこれだと……エエッなんでそれよ!とすこぶる振りまわされる観劇体験。突劇金魚の「ビリビリ HAPPY」、サリngROCK 作・演出である。
サリngROCK は、サリングロックと読む。大阪の劇作家。女性。東京初公演である。おととし大阪ガスが主催するOMS戯曲賞大賞を「愛情マニア」で受賞、昨年は愛知県主催のAAF戯曲賞優秀賞を「金色カノジョに桃の虫」で受賞した。いや、もちろん賞をいくら獲ったからっていい作家とは限らない。それはまあ十二分にも三分にも承知の上だ。手の内をあかせば、上記の二賞ともに少しだけお手伝いさせてもらっているため、すでに彼女が孕んでいる作家的力量とその世界に大きく魅せられてはいたわけ。
しかし、作品の門をたたく前に、いかなるいきさつがこのキテレツなペンネームを誕生せしめたのか、勘ぐりに勘ぐりたいと思わざるをえない。語感はサリン、あの毒ガスのあれね、あれを真っ先に連想させる。こともあろうにそのサリンがロックンロールすると抜かすのである。大丈夫なのか。大きな劇作家になったとき、はたしてNHKが取り上げてくれるかどうか人ごとながら今から心配になる。それはそれとしても、ごく当たり前に推測するなら、身内の中の悪しきものを、創造する劇に込めてしこたまドライブさせてやる、そういった塩梅の矢印であろう、このペンネームは。
そう、この劇作家が我々に伝えるものは、確かにある種の毒に違いないのだが、今はちょっとそれは置いといて、「ビリビリ HAPPY」の大まかな内容説明のほうに先にとりかかりたい。
高校生スミ子は母と妹に出奔され、実家である町の小さな電気店で一人暮らし。けれど将来ホラー作家になり、映画スターと花開き歌手としてもブレイク、若くして引退するも渋い伯爵にお屋敷に招かれ、深い愛に抱かれつつ晩年を過ごすというあふれる夢に、未来はすっごくバラ色だ、と毎日を生きている。当然小説、歌、演技のトレーニングはかかさない、地味めに。派手にやると出る杭はうたれるから。
ある日強盗に入られる。強盗君にはしっかり者のミドリという彼女がいて、二目と見られぬダメ男の強盗君を養いながら、小説家デビューを夢見て毎日ホラー小説を書いている。
ほとんど唐突なまでに伯爵があらわれるや、電化製品を物色するかたわら、沈み込んで冷蔵庫の中に閉じこもっていたスミ子をやさしくいたわり、屋敷に連れ帰る。お屋敷には60歳をむかえるギン子なる伯爵夫人がおり、剥製づくりが趣味の伯爵の手により、誕生日にはどうも殺されて剥製にされるとおぼしい。
お屋敷に併設されている動物園の管理を任されたスミ子は、ピンクのモコモコした謎の生き物をとくに可愛がっていたところ、毛皮がパックリ割れヒト型をした六歳のモモゾー(メス)とアラタ(オス)が出現する。動物園の閉園を告げられたスミ子は、結局獣であるアラタを連れ去って円満な暮らしをと企むものの、そろそろ発情期だし帰らなくちゃとアラタに去られる。
時は一気に飛び去り、29歳になったスミ子は、今飛行機から母がいるという砂漠に降り立った。母の身に起きたことを無性に聞きたいし、またこの砂漠で自分になにが降りかかるか、楽しみ一杯の未来だわ、と歩いていく。
幕、といささかの後ろめたさで書かざるを得ないのは、あらすじというものがいつも宿命的に伴走するディティールの切り捨てという落とし穴に、まんまとはまっている以上に、サリngROCKの作品が細部こそ重要という逆遠近法的風景の描かれる世界だからだ。たとえば伯爵と夫人のあいだに流れる「男の都合に女が合わせ、しかも男はその関係にまるで無神経な」不合理な空気感や、スミ子とアラタのあいだに醸す「ささやかなことに幸せを見出す女に、外ばっかり見てる男」のドンヨリした傷つき感、これらは最後までいわゆるストーリーの中には回収されていかない。回収されないままに、物語の曲がり角曲がり角で観客を小さく刺し、また慰撫してゆく。
そう、私にとって、メカニズムの理解できないブラックボックスは、まず第一に、サリngROCK作品のこの部分にある。前述の二つのシーン、さらに加えるなら強盗君とミドリの短いシーンにおいても、ああだこうだいっても男はみんな出来そこないに書かれている。出来そこないでありながら、無言のうちに一歩ゆずることに、女性たちはなぜか幸せそうなのである。いや、古い任侠映画の耐える愛の話なんかしたくない。「夫婦善哉」の話なら山々したいが、止めどがなくなるから自粛しよう。要するにサリngROCKはそうでない男も書けるはずだといいたいのだ。それでもなおダメェな男を書き続けるのは、それを書くことが快楽だからなんじゃないか。それは一体どんな快楽か、うまく理解できないのである。
もう一つ分からないのは、場面のつなぎ方である。ストーリーの進め方といってもいいが、理屈を無視した跳躍力でシーンが繋がっていく。しかしその跳躍がきわめて鮮やかであるほどの筆力が見事でもあるのだ。
厄介なことに、上記二点をはじめとするサリngROCKの分からなさは、多くの女性の観客の心には深い共感と感動となって現象するらしいのである。「そう、そう、そうよ。なんでいままで誰もこのことをいわなかったの」というような感じ。ということは我々は今日までずいぶんたくさんのことを見落としてきているのだ。
実に面目ないことはなはだしいが、共感と感動のかわりに、私には「愕き」があった。たとえば女性登場人物の名前がすべて色にちなんでいるのはお気づきかと思われるが、六歳のモモゾーが赤子の頬のような桃色、60歳のギン子さんがシルバー世代の銀色、と年齢に連れて変わってきているのであって、冒頭でスミ子が夢見た未来の姿をいく人かピックアップしたのか、あるいはひとりの女性の一生のありかたをいくつかに切り出してみせたのか、もしかしたら全編が冷蔵庫の中に閉じこもってまどろむスミ子の幻という仕掛けを読みとることも可能なのだが、そのいまだ高校生のスミ子のイメージが真っ黒の墨色なのだと分かってきたとき、ちょっと待ってねという気になった。キャラクターが複雑すぎる気がしたのだ。
理屈でなく、女性の感性によって組み立てられためざましい舞台というものを、いままでに私は少しは目撃してきている。女性だけで構成された劇団「青い鳥」の公演である。それこそあらゆる場面は直感だけで接合され、物語のゆくえは誰にも分からない。楽しきながらも、それは畏怖すべきステージであるし、あった。彼女たちの作品が語りかけてくるのは、大切な何かを失ってしまい、あるいはあらかじめそれは失われており、欠落を埋めるべく賑やかな旅に出る、そのような状況であった。だがサリngROCKの事情はいちじるしく違う。彼女は何かを失ったわけではない。むしろ失えないのだ。外界から膨大な情報が絶えず流れ込んできて、あいてるはずの空隙を満杯にされてしまう。探索の旅に出る由もない。
そこで彼女は希望しつつ絶望する。限りない不幸を幸福とすり替える。今現在をやり過ごす方法で未来への視界を保とうとする。サリngROCKの芝居が、ぎょうぎょうしく訴える荒ぶるタッチでないのも、私にはとても好ましかった。心の深い深いあたりで、腐ってるというより、何かが醗酵しているに違いない。ひょっした、らそうした自分の複雑な心の動きを彼女自身があまり好いてないといったような葛藤が。ともあれ優美な凶暴さをますますふるわれんことを。
(初出:マガジン・ワンダーランド第181号、2010年3月10日発行[まぐまぐ!, melma!]。購読は登録ページから)
【筆者略歴】
岡野宏文(おかの・ひろふみ)
1955年、横浜市生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒。白水社の演劇雑誌「新劇」編集長を経てフリーのライター&エディター。「ダ・ヴィンチ」「せりふの時代」「サファリ」「e2スカパーガイド」などの雑誌に書評・劇評を連載中。主な著書に「百年の誤読」「百年の誤読 海外文学編 」(豊崎由美と共著)「ストレッチ・発声・劇評篇 (高校生のための実践演劇講座)」(扇田昭彦らと共著)「高校生のための上演作品ガイド」など。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/okano-hirofumi/
【上演記録】
突劇金魚「ビリビリ HAPPY」
★東京公演 こまばアゴラ劇場(2010年2月23日-24日、【冬のサミット2009】参加)
■作・演出 サリngROCK
■出演
上田展壽
蔵本真見
サリngROCK
片岡百萬両(ミジンコターボ)
河口仁(シアターシンクタンク万化)
山田将之
一瀬尚代(baghdad cafe)
重田恵(コレクトエリット)
高島奈々(七色夢想)
七味まゆ味(柿喰う客)
■スタッフ
舞台監督 今井康平(CQ)
舞台美術 高島奈々(七色夢想)
照明 大塚雅史(DASH COMPANY)
音響 中野千弘(悪い芝居)
衣装 植田昇明
小道具 石川智子
演出助手 伊藤由樹
宣伝美術 小泉しゅん
記録映像 森達行(もみあげフラメンコ)
制作 安部祥子
制作協力 安田小梨江
音楽 もけもけ
■ポストパフォーマンストーク
トークゲスト:
23日夜 杉原邦生(サミットディレクター)
24日昼 柴 幸男氏(劇作家・演出家・ままごと主宰)
※開場は開演の30分前、受付開始は開演の45分前
(※24日の開演時間、変更になりました。正しくは13時/18時です。)
★大阪公演 シアトリカル應典院(2009年11月25日-29日)
アフタートーク:
26日ゲスト:もけもけ
28日ゲスト:城田邦生氏(劇創ト社)