徳永京子(演劇ジャーナリスト)× 藤原ちから(編集者)× 日夏ユタカ(ライター) (発言順)
■イケメンと可愛い女の子が小劇場を変える?
徳永 いきなり余談なんですけど、昔、ある演劇の本の帯に載っていた著者の顔写真にがっかりしたことがあって。もしそれが、表が三浦大輔で裏が多田淳之介だったら…(笑)。「演劇、いいかも?」って思った人は確実に増えるのにとその時は思いました。
日夏 マームの藤田貴大さんも、ロロの三浦直之さんも、かなり母性本能をくすぐられそうなタイプじゃありませんか?
藤原 それはあるかも(笑)。それにしても演劇って当たり前かもしれないけど美男美女が多いですよね。最近その事実に気づいて今さらながら驚愕しました。
徳永 でも実はここ2、3年じゃないですか、小劇場にこんなに可愛い女の子やイケメンが増えたのは。
日夏 それは、現代口語演劇の貧乏くささが良くなかったんじゃないですか。僕は基本的に現代口語演劇はフォークソングだと思っていて。ほら、80年代に演劇がアングラからサブカルへとポップなものに衣替えして、トップカルチャーになった時期もありましたよね? そしてその頃の青年団って、エンターテインメントの毒された笑い中心の演劇からいろんなものを削ぎ落として、やたらにクールで先鋭的に見えたんですよ。かつてフォークがそうだったように。でもそれがいつしか「神田川」みたいに貧乏とセットになって、若者にとってカッコ悪いものになってしまった…。
藤原 そこは今、後継者たちが現れたことでもう一回裏返しが来てるかも。多田淳之介が「演劇LOVE」って果敢に言い続けてきたし、それをなぜか作風の異なる中屋敷法仁がモロに受け継いでひとり全裸で夜な夜な「演劇LOVE!」ツイートをしている効果もあってか(笑)、「演劇やってます」と公言するのが恥ずかしかった暗黒の時代もついに終わろうとしている。今日、僕は「演劇LOVE」の伝道師の末端に加えていただこうと思ってLOVEをプリントしたTシャツを着てきました。
徳永 (笑)。3~4年前でしょうか。演劇雑誌の編集者と「面白い男の子はお笑いに行き、可愛い女の子はグラビアに取られ、演劇の人材は将来どうなる?」という話をしました。それが気が付いたら、男女共に大充実ですよ。
藤原 劇団競泳水着の『女ともだち』の感想をツイッターにわりと難しい感じで書いていた人が、結局最後は「正直に本音を言うと、女優さんたちがカワイイ」って(笑)。例えばあの作品に出てたろりえの梅舟惟永は、15 minutes made vol.8でMrs.fictions に客演した時も凄く光ってたので、今度絶対ろりえを観に行こうと思います。
日夏 あの、僕はろりえを2回観てるんですけど、実は1回観てこれは自分にはあんまり合わないなあ、と思ったんです。もちろん女優さんはみんなやたらと可愛いし、しかもその使い方は絶妙に上手いし、同じ早稲田大学演劇倶楽部出身のポツドールと似た感じの世界観を背景にしつつ、なんかドリフ的なやたらにエネルギーのある舞台を作っていて、これは人気出るだろうとは感じましたけどね。ただ、その時に「お客さんが全員外に出られるまで出演者みんなで踊り続けます!」って踊ってた梅舟さんがすっごい素敵で、なんかつい弾みでもう一度観に行ったらやっぱり合わないんですよ。それで「観に行かない劇団リスト」に入れようとしたんだけど、梅舟さんがカーテンコールで舞台上を走ってる姿を観ると、また観たい…と思っちゃいましたね(笑)。別に顔が好きとかじゃなくて、なんか動いてる彼女はいいんですよ。
藤原 僕は俳優の「素顔」やプライベートとは距離をとる必要を感じるし、特に公演中の俳優との接触はできるかぎり避けたいんですけど、舞台の上で輝く俳優には凄く興味をかき立てられます。マームとジプシーの『しゃぼんのころ』に吉田聡子がおらず、ロロの『旅、旅旅』に島田桃子がいないことはちょっと想像できませんよね。ロロに関しては、衣装を快快の藤谷香子が担当したのも大きいと思います。彼女は三浦くんと並んで2009年の佐藤佐吉賞を受賞しましたけど、俳優や美術を評価する仕組みはもっとあっていいんじゃないですか。「2010年上半期・小劇場女優ベストイレブン」とかやってみたい。この人はスーパーサブとして後半30分から投入、みたいな(笑)。半ば遊びですけど、それによって初めて見える俳優像もあると思うんです。
日夏 えっ、僕はロロに森本華さんがいないことはちょっと想像できませんけど(笑)。それはともかく、その企画、ワンダーランドでも「役者で芝居を観る」ことを強く提唱されつづけているカトリヒデトシさんを誘わないと拗ねますよ。
藤原 彼は彼でPULL のUstreamで「カトリ流・私のベストイレブン」を発表すればいいんですよ! 架空のチーム同士で対決したいくらいです。
日夏 あー、しかしこうやって自分のようなおじさんが嬉々として女優談議をすることに、どこか気恥ずかしさがあるなあ。なので、それ、もしやるなら男優ベストイレブン担当させてください! …あれ、なんか勘違いされてます?
徳永 大丈夫です(笑)。
■こりっちとツイッターの毀誉褒貶
日夏 その話の延長で言うと、今回のバナナ学園の感想をネットで拾っていて非常に残念だったのが、「バナナに男は不要、女優だけでいい」みたいな書き込みが意外にあったことです。野田裕貴さんをはじめ、男優陣も相当に魅力的だったと思うんですけどね…。自分が言うのも矛盾してるけど、現在、小劇場でおじさん客が増えていることには少し危惧感があります。例えば昨秋のF/Tのアンケートでも40代男性のひとり客がもっとも多かったとありましたけど、正直、周囲が腕組んで観てる感じのお客さんばかりだとちょっとなあー。若い学生が中心の客席のほうが、反応は速いし、舞台との共感能力も高いし、やっぱり一緒に演劇観てて楽しいんですよ。もちろん若い学生の笑いの先には、かつての80年代エンターテインメントの「笑わせてくれよ」的な演劇に行っちゃう可能性もあるんですけど、場を温める力が10代、20代には強くあって、それが今回取り上げたロロ、バナナ学園、マームをより面白いと感じさせるような後押しになってるようにも思えるんです。だから逆に、おじさんを必死に取り込もうっていう制作の戦略も見える、女優さんばかり出るお芝居にはちょっと懐疑的なんです(笑)。
徳永 腕組みしないおじさんもいますし、つくり手の人たちには「その腕組みをほどいてやる!」という気概を持っていただいて。
藤原 そうですね。まあ戦略がどうであれ面白ければ僕はいいんですけど…。でも感想というか毀誉褒貶のことはちょっと気になっていて、正直、他の人が貶していてもあんまり信用しないことにしてます。結局、自分の目で観ないと分からないこといっぱいあるし。
日夏 ロロは去年の5月に旗揚げ公演をやってから、検索しにくい名前だということもあって(アニメ『コードギアス 反逆のルルーシュ』の人気弟キャラのロロ・ランペルージや音楽ユニット□□□/クチロロが上位で検索されがちだった)、感想を拾える場所がこりっちくらいだったんです。ところが否定的な感想を書いてる人が7割くらいで、ずっと評判が悪かった。いや自分は、気にいった作品だと絶賛以外は批判と受け取る、という狭量な感覚の持ち主なんで、ほんとはもっと誉められてたかもしれないですけど。でもツイッターだと「分かんなかったけど面白かった!」ってひとことで言えるけど、こりっちはそれでは許されないような空気もあるんですよ。
徳永 こりっちは「1行レビュー」の無責任さにアンチを提示した面もあると思うので、意見をきちんと残す場所という性格は、おのずと生成されてますよね。
日夏 ツイッターで「こりっちでの観てきたの感想は、観劇日時だけとかは絶対にNGで、参考になるようにちゃんと書け」みたいな発言もありましたからね。それに、きちっとした文章でこりっちに書き込む方は年配の人が多くて、案外と快快やロロなんかには評価が厳しいんです。特にロロはそれで動員的に少し苦しめられた印象があります。でもツイッターで20代の若者のワンフレーズの感想でOKになった影響もあって、『旅、旅旅』は初めて連日満員になった。5月はツイッター上で三浦大輔演出の『裏切りの町』と一緒に並んでて、「TLを見るかぎり、今は三浦を観ないといけないらしいぞ!」なんて呟きもあったくらい。
徳永 7000円台と2000円台の公演がフラットに(笑)。実は私がバナナ学園を観に行ったのも、ロロの三浦さんが「今世界でいちばん好きなバナナ!」とかツイッターでやたらと呟いていたからなんです。
藤原 三浦くんはそのリスペクトの陰で、「バナナ学園は完成しすぎている。その未完であるはずの部分を俺は書きたいのだ」とか真夜中にこっそり呟いていましたね(笑)。とにかく、ツイッターに瞬間風速的な感染力があるのは確かだと思います。でも逆に興奮をもたらさない芝居とか、ロングランや再演の場合、瞬間風速に繋がりにくい。だから劇評も含め、いろんなチャンネルでの語り口が必要だと思ってます。僕が(プルサーマル・フジコ名義で)劇評を書きはじめた理由もそこが大きくて、鳥公園という小さなユニットがあるんですけど、この前の舞台を偶然観たら素晴らしくて。派手な文脈にうまく乗っかれたり、自己アピール力の強い人だけがいい作品を作るわけではないから、未知の才能を見い出す編集者や批評家がもっといてもいいのになーとはいつも思うんですけど。
■演劇の自由度
―(編集部) 今日のお話を伺っていると、アプリケーションが新しいというだけでなくて、われわれ観る側のメンタリティも含め、演劇を支える基盤となるOSが更新されかかっていると感じました。それは演劇だけに起こっている変化ではなくて、小説や漫画や音楽にもあるはずですよね?
日夏 演劇がようやく遅れてやってきた、みたいな感覚はちょっとあります。先頭ではなく。
藤原 第4コーナーから大捲りで一気に差し切りみたいな?(笑)。うーん、僕はむしろ演劇以外の他ジャンルのほうが、更新しそびれて突破口を見出せてない気がしてます。演劇は見立ての力で想像力を飛ばして舞台を作れるし、そもそも複製技術ではないから、網羅できないのが前提。シネフィル的な「観てないのはダメ」っていう抑圧的な教養主義を強いられる場面も少ないと思います。「文壇」みたいな強固なシステムもないし。自由度に関して言えば、今いちばん持ってるんじゃないですか?
日夏 確かに自由ですね。編集者とか何らかの検閲的なものが入らずに表現をそのまま出せるのって、コミケと小劇場ぐらいなんですよ。ライブハウスでも事前の審査がありますよね? 基本的にはみんな思うままに作って、それを規制抜きに上げられる自由度は、もっと誇っていいと思うなあ。クオリティの問題はありますけどね。
徳永 私も、他ジャンルより演劇のほうが自由で可能性を秘めているのでは、という考えです。今、日夏さんの話を聞いて思ったのですが、もともと小劇場は初期衝動を表現に昇華させやすい場所でしたよね。なので、多くの作品にそれを感じるわけですけど、ロロ、マームとジプシー、バナナ学園純情乙女組、ジエン社に私が感じた共通点は、飛び抜けた切実さです。暑苦しさや湿っぽさはない、肌ざわりとしては、むしろドライなのに、そして表現方法もそれぞれ個性的なのに、作品の核にある「これを表現しなければ苦しい」というヒリヒリした初期衝動がまず飛び込んで来たし、あとあとまで残る。「テン年代」と呼ばれる人たちの作品には、テーマよりも表現方法への興味を先に感じるんですけど。本来そういう生々しいものは、既存のメソッドという器には収まらないはずなんですよね。4劇団に現代口語演劇からの一定の距離を感じたのは、そこかもしれません。どこもまだ作品数の少ない劇団なので、アフター初期衝動も見定めなければなりませんが。
藤原 そうですね…。確かに神里雄大、柴幸男、篠田千明、白神ももこ、杉原邦生あたりには、演劇あるいはダンスというものに対する一種の「照れ」や「戸惑い」があったかもしれません。彼らは昨年の「キレなかった14才りたーんず」という企画公演を通して、結果的に自らの初期衝動を再発見したようにも感じるし、その迂回のために、表現方法に執着していく必要もあったんだと思います。その点、まだかなり未知数だと思いつつも、例えばマームとジプシーの藤田貴大には、やむにやまれぬ「業」に導かれるまま表現しているようなストレートな初期衝動を感じます。でもそこは予断を許さないというか、まだまだ見守りたい。むしろ、今名前を挙げた面々とか、あるいはもっと上の世代の人々も含めて、なんか腹が据わってきた気もするんですよね。形式の目新しさへの執着ではなくて、一生演劇ではないにしても何かしらやって生きていくという、そのスパンで表現していく覚悟や図太さを最近ひしひしと各方面から感じます。体力がついてきた。そこに小劇場の次のフェーズを僕は予感してます。とにかく全体として自由だし、ユーモアやアイロニーもあるし、もちろん中には失敗作だってあるにせよ、観てる側にとって打率は結構いいんじゃないですか?
日夏 打率、いいですねー。僕は80年代の小劇場ブームの頃にずっと観てて、いったんやや離れてまた出戻りしたんですけど、その頃は10本観て1本良いかどうかのレベルでした。今の安定度は半端なく高い。選択のための情報量が圧倒的に増えたこともありますが、それだけではなく、特に最近の劇団の特徴としては、「NHKが舞台中継しても面白くできない」ような作品を積極的に作ってることも大きいと思いますね。つまり、ピンスポを当ててこの2人が主人公で喋ってますって単純なツクリを基本的にはしてない。その場にいないと味わえないものを作ってる。
藤原 舞台のどこを見てもいい。入り口がたくさんある感じですね。
―(編集部) それが今の演劇のスタイルですね。ワンダーランドで劇評セミナーをやる理由のひとつでもありますが、「見た人たちも含めて演劇が成立している」ということを知ってもらいたいんです。百人百様、様々な感じ方があって、そっちとこっちがお互いにうまく反応して演劇が成立する。それが今は垣根も低く入り組んでいることによって、演劇に活気をもたらしてるんだなあと思って、今日はちょっと元気になりました(笑)。
■小劇場に集まる人材
日夏 ただ、あえて厳しいことをいうと、昔は劇団員がコストを安くするために自分たちで作ってたのに、今は全部外注で舞台装置を作ってもらい、照明を吊ってもらい、音響も入れてもらって、なおかつ雇われ制作という形で専属じゃない人に頼んで、劇団員、主に役者がちょっと「お客さん」になってる傾向も一部では感じます。金銭的には役者が一番食えない状況なのに、それでもオーディションになると出たい人が何百人も集まる。役者の供給源はいくらでもあるから、例えば発展途上国で珈琲豆を栽培するように、僕らは、安い労働力を搾取していいものを収奪してるかのような罪悪感もあったりするんです。
藤原 確かに小劇場の経済的・精神的土壌は不安定だと思います。そこで崩壊せずに劇団の体力をキープできるかどうかは、なんといっても制作者にかかってますね。ロロも、マームとジプシーも、制作者はまだ若いけど不思議とお母さんや親戚のおばさんのような安心感がある(笑)。メンバーにとっては心強いことじゃないですか。
日夏 「これからは桜美林の時代だ」と言ってた人が、アートマネージメントを学んだ制作者がいろんな劇団に入ったことも指摘してました。
―(編集部) 4年制大学の舞台芸術専科卒業生が数年経って今花開いてるのは、舞台の上の個々のプレーヤーだけじゃなくて、舞台美術や照明、音響、それにアートマネジメントなどを含めて演劇を支えるトータルのシステムとして新しい人材が動いているんですね。60年代以降の移り変わりを見てると、産業の盛衰もあって若い才能がどこへ流れるかは10年スパンくらいで変わってるんですが、少し前から多様なクリエーター(やその予備軍)が演劇周辺に集まり始めた気がします。おもしろそうな場所、活気のありそうな分野をかぎ分ける嗅覚が働いているのではないでしょうか。
藤原 個々人の能力というより、人脈や人間関係の中で初めて発揮される種類の力を持ってる感じですね。「若い連中は友達同士で馴れ合ってる」と見えがちだけど、実はその友達同士の交流から芽生えたものも大きかったんじゃないかと。
徳永 この30年の演劇の最も大きな変化は、ネットワーク力が付いたことかもしれません。かつては劇団同士で大喧嘩とか、飲み屋で会っても挨拶もしない、客演したら退団という関係性だったのが、今は映画にも文学にもないネットワーク力を身に付け、発揮している。劇団内部が縦社会じゃなく横つながりになったのと同時に、制作者も、劇団も、劇場も、それぞれがいろんな「衛星」を持っている。その「衛星」が時と場合によってさまざまな星座を組みつつある気がします。
藤原 確かにネット的な情報でも、必ず具体的な場所や人と結びついて表れるのが演劇の最大の長所だと感じます。例えば横浜とか、池袋とか、王子とか、富士見とか、そういう具体的な場所が局所的に面白いというふうに東京周辺も変わりつつあるし。もはや「東京」という抽象性の中だけでは作ってないというか。そういう「衛星」をつなぐネットワークの「のりしろ」として、例えばこまばアゴラ劇場の野村政之みたいな、制作者もドラマトゥルクもやってる謎の、訳の分からない人がフラフラしてるのが面白い。
徳永 そういう、余白のある人が増えてきたのも最近です。
藤原 宮永琢生くんとかもね。彼はずっと柴幸男を陰で支えてきた制作者ですけど、意外に面倒見が良くて、若い演劇人たちのお兄さん的な役回りにもなってます。ああいう精神的な余裕を持って、しかも風変わりな語彙を使うヘンなお兄さんたちが暗躍している。彼らは目先の演劇だけでなく、もっと先の未来を見据えてる感じがします。
徳永 野村さんとか宮永さんがああいう形で居られるのは、いい意味で無駄を許す土壌が小劇場にはあって、効率とは違うところで動いているということですよね。だから儲からないんだけど(笑)。以前、野村さんとある打ち合わせをした時に、「早く決まり過ぎて良くない。たぶんこれで正しいんだけど、少し寝かせて無駄を考えましょう」と言われて、この人がみんなに頼られる理由はそこかと。
藤原 野村くんはガンジーみたいな人ですからね。非暴力でノーガード。どんなに叩かれても叩き返さない。敵を敵にしない。
徳永 そして「いつか一緒にやりましょう」という和の精神ですね(笑)。
■演劇の未来
藤原 でも演劇に関わってる人たちは、この先どうやって生きていきますかね?
徳永 「国民総生産量じゃなくて、国民総幸福量を大事にする」ってブータン政府が言ってますよね。それ一色になったら気持ち悪いですけど、そういう考え方が示せる可能性を演劇は持っているのではと。五反田団の前田(司郎)さんが以前から「好きなことをやれるほうが豊かだ」と言ってますが、景気がガッと上向きになる予兆もないし、これからは個人の内的な豊かさがもっと注目されるようになると思うんですよ。さっき話に出たように、ルックスのいい人たちが演劇を選ぶようになってきたのも、そこと無関係ではないような気がします。演劇の雇用を増やそうという劇場法も作られようとしていて、それはとても大事ですが、単にお金を稼げる人が増えていくだけじゃなくて、演劇に関わって良かったと思える人が増えることもとても大事なことだから、そこは両輪で。
日夏 劇場法ができると、別の形での淘汰圧力が高まる気はします。
徳永 表現に淘汰があるのは基本的に健全ですし、そうなったらまた何か違うアゲインストの力が出てくる気はしますけど。お金の稼ぎ方で言うと、劇作家が文学に呼ばれたり、映画を撮ったり、テレビやラジオからの依頼もあるし、以前より他ジャンルとの距離は近くなっていますよね。
藤原 CMもありますしね。マスメディアとも大いに仲良くできたらいいと思います。でも「単にそっちにフラフラ?って行ってもどうも幸せになんないぞ!」って匂いも一方で若い人は嗅ぎ取ってるんじゃないですか。10年くらい前はだからといって他に行く場所もなかったけど、今は「だったら自分たちで作ればいいじゃん」って感覚も出てきたかも。例えば多田淳之介がキラリ☆ふじみの芸術監督に就任したことで、あの劇場がひとつの拠点として見えるようになったのは大きいと思います。しかも彼は青森とか、鳥取とか、神戸、福岡に行ったり、韓国行ったりしてその「演劇LOVE」の手応えを広げている。そういう活動も若い演劇人は見てるから、一見キリギリス的な楽天主義に見えても、単なる刹那的な多幸感ではなくて、それなりに根拠があると感じます。
徳永 こないだの長島確さんと野村政之さんの「ドラマトゥルクって何してる人?」(@川崎市アートセンター)をUstreamで観たんですけど、ドラマトゥルクになりたいという人が結構いて驚きました。質問者に大学院生がいたり、他の方も高学歴ではないかと思うんですが、でもたぶん最初から高収入は当てにしてない。それより、自分がやりがいを感じる可能性のある仕事を求めている。バブルっぽくないクリエイティブっていうか。
藤原 バブルが崩壊してつくづく良かったと思いますよ。でも90年代と00年代はさすがに辛かった。後遺症的な暗さと、その反動の明るさで騒ぐみたいな。やっと地に足ついてきたんじゃないですか。2010年。生きててよかったー。
日夏 バブルの頃も楽しかったですよ。
藤原 知らないし!(笑)完っ全に子供でしたからね。ロロやマームなんて、下手したら生まれてないんじゃないですか? でもロロのUstreamとか観てると、コストかけなくてもアイデア次第でいろいろできるってことを体感的に分かってる感じがする。
徳永 目の前にあったバブルが完全に消えた時に就職期を迎えた岡田利規さんが、社会へのある批判眼を作品に内包している姿勢とはやっぱり違いますよね。「あの頃は良かった」という比較対象がない。日夏さんが言うところの「小劇場ネイティブ」は、「低成長ネイティブ」でもあるのかも。みんなお金ないけど前向きじゃないですか?
日夏 これからじゃないですか。20代はいけるんですよ、楽しいことやってれば。だけど、ライターなんかの自由業もそうですけど、30歳過ぎて、例えば昔の同級生と我が身を比べた時にどうか、ってことですよね。見てると、高学歴な人ほど心理的に大変そうですよ。だから冷たい言い方になってしまうけど、ある時期までやってダメだったら、辞めればいいとも思うんです。ずっと続けるために別に仕事を持つやり方もあるけど、でも僕は、小劇場は、若い人が不安とかある中で新しいものを作り出している、その「揺らぎ」が一番面白いと思っているんで。少なくとも、既得権益が欲しくて「役者は免許制にして欲しい」とか言いだしちゃう役者は見たくないです。
■大型劇場での演出と海外進出
徳永 でも、一方でパルコやコクーンや銀河劇場など、商業演劇の大きな劇場は若い才能を待ってるんですよ。よく劇場やプロダクションの人に「若くて面白い才能は?」って訊かれるんですけど、今の若い世代で大きい劇場でやりたがっている人は少ない。かつてあった「劇場すごろく」はもはや伝説だし、商業演劇に呼ばれることも勲章ではない。大型の劇場と、若い人たちの志向性、作風の相性が良くないわけで。そこがどうなっていくのかはとても気になります。
藤原 小劇場と大型劇場を、同じく「演劇」と呼んでいいのかためらいます。同じ「演劇」の土俵で語り続けるかぎり、小劇場は小さい、狭い、閉じてる、青年団系の台頭が云々、的な紋切り型の語り口になってしまいがちで。だから小劇場として独自に小さな経済が成り立つかどうかも少しは考えたいですけど、もちろんそこだけに閉じる必要は全然なくて。ただ、徐々に大きい劇場やテレビの芸能人へとステップアップしてくのが演劇人としての成功だ、っていう発想だと、もう表現としては致命的に面白くないんじゃないですかね? 僕は、岡田利規が個人で何度か大きめの劇場で演出した後で、でもやっぱり自分はチェルフィッチュをやるんだという決意表明をしたことで、パーッと視界が開ける感じがしました。岡田さんを含め、何人かのパイオニアがすでに国境を越えて頻繁に行き来してますし、これからの小劇場は海外との接触が飛躍的に増えていくと思います。BeSeTo演劇祭でも、柿喰う客の『Wannabe』なんかは、演劇の力を信じて国境を亡きものにする挑戦を感じました。でも彼らがそこで「言葉や文化の壁なんてない!」って言い切る一方で、快快は思いきり異文化間のディスコミュニケーションの壁にぶち当たって…。
徳永 しかもそれを取材陣の前で図らずも露呈してしまったという(笑)。
藤原 快快は8月に東京芸術劇場で、タイのユニット・B-Floorとコラボレーションするんです。ところがショーケースで彼らに急に猫耳を被せようとしたのを拒絶され、その文化的価値観のギャップについてその場で取材陣も巻き込んでの討論会が開かれたんですよ。場を収めるためにとりあえず芸劇の職員の方が猫耳を被ったりして最終的には和やかムードなんですけど(笑)。でもそうやって雨が降ってこそ固まる地もあるというか。さすが快快、無邪気にやってくれるぜという。
徳永 あれは面白かったですね。でも今のような話だと、やっぱり演劇はこれからマス演劇と小劇場演劇とに分かれていくんでしょうか?
日夏 いやいや! もっと細かく、音楽ジャンルくらい棚がたくさんないとみんな選べないんじゃないでしょうか。例えばこりっちみたいな、細分化されないままの一個の大きくて漠然とした「演劇」の尺度の中で評価されて、別々の棚のものを「金払ってるから何書いてもいいじゃん」みたいに何の抵抗もなく安易にばっさりと切られてしまうと、逆にお客さんの間口が狭くなる感じもします。正直いま、J-POPにクラシック並の完成度を求めているんじゃないか、と錯覚してしまうような文章に出会うこともありますし。これだけ作り手側が演劇の境界を広げているのに、まだまだ観客もメディアも狭い演劇観に閉じこもっている印象が少しあります。
藤原 対応するメディアももう少し細分化、というよりは多様化していかないと、小劇場がいかに面白くても「演劇」の括りの中ではいつまでも辺境扱いなんじゃないかなあ。だから電子書籍とかも含めて、演劇ミニコミがぼこぼこ出てくるといいなあと。パイは奪い合うものではなくて、焼いて作って楽しむものだし。その先駆けとしてまずはロロが雑誌を作ると(笑)。
徳永 「テン年代」の枝分かれなのか、「ネクスト・テン年代」なのか、結論は出せませんでしたが、それを考え続けていくためのポイントはいくつか挙がったと思います。以前、ハイバイの岩井(秀人)さんが「今は演劇で食べてはいけないけど、演劇がないと生きていけない」と言ってたことがあるんです。今回考えた4劇団は、そうやって演劇という表現に辿り着いた時、消去法ではなく、たくさんの選択肢の中から、あるいは選択肢を混ぜ合わせた結果、演劇を選び取っている気が強くします。だから他メディアとの垣根も低いでしょうね。ジエン社の作者本介さんは映画の脚本で活躍されているようですし。「生まれた時から社会は低成長、でも自由で垣根がない」という特徴を特権にして、いろんな試行錯誤をしてほしいです。まだみなさん、とっても若いですから。
(2010年7月5日、世田谷区区民センター)
(初出:マガジン・ワンダーランド第200号、2010年7月21日発行。購読は登録ページから)
【参加者略歴】
徳永京子 1962年、東京都生まれ。演劇ジャーナリスト。小劇場から大劇場まで幅広く足を運び、朝日新聞劇評のほか、「シアターガイド」「花椿」「EFiL」などの雑誌、公演パンフレットを中心に原稿を執筆。東京芸術劇場運営委員および企画選考委員。
■ツイッター:@k_tokunaga
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ta/tokunaga-kyoko/
藤原ちから 1977年生まれ。フリー編集者。雑誌「エクス・ポ」などで活動中。「キレなかった14才りたーんず」では雑誌「りたーんず」の編集も担当した。プルサーマル・フジコ名義で劇評も書いている。小劇場の面白さを英語で発信するためのブログも開設。
■ツイッター:@pulfujiko
■ブログ:http://pulfujiko.exblog.jp/
■英語版:http://pulfujiko.blogspot.com/
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ha/pluthermal-fujiko/
日夏ユタカ 東京都出身。日大芸術学部卒。競馬予想職人を名乗るも、一般的にはフリーライター。たまに、演劇と競馬という組み合わせを驚かれることがあるけど、かつて寺山修司という人がいたように、けっこう親和性があるんですよね。ということで、どちらも絶賛推奨中♪
■ツイッター:@hinatsugurashi
【上演記録】
ロロ『旅、旅旅』
王子小劇場(2010年5月6日-9日)
脚本・演出:三浦直之
出演:
望月綾乃 青木宏幸 池田野歩 板橋駿谷 大柿友哉(害獣芝居) 北川麗 島田桃子 長澤英知(東京コメディストアジェイ) 森本華
スタッフ:
照明/上林悠也
音響/池田野歩
舞台監督/鳥養友美
舞台美術/松本謙一郎(王子小劇場)
衣装/藤谷香子(快快)
小道具/ 辻本直樹(nichecraft)
振付/二階堂瞳子(バナナ学園純情乙女組)
演出助手/山口千晴
宣伝美術/玉利樹貴
制作補佐/幡野萌
制作/坂本もも
2,500円(全席自由・税込)
マームとジプシー『しゃぼんのころ』
脚本・演出:藤田貴大
STスポット(横浜)(2010年5月26日-31日)
出演:青柳いづみ 召田実子 吉田聡子 伊野香織 斎藤章子 萩原綾 波佐谷聡 横山真 尾野島慎太朗
スタッフ:
舞台監督 森山香緒梨
照 明 吉成陽子
音 響 角田里枝
演出助手 舘 巴絵
宣伝美術 本橋若子
制 作 林 香菜
提 携 STスポット
協 力 NINGENDAYO.
チケット料金:予約 2000円/当日券 2200円
バナナ学園純情乙女組 七限目『アタシが一番愛してる』
作:月並ハイジ 演出:二階堂瞳子
ART THEATER かもめ座 (2010年06月15日~2010年06月20日)
出演:加藤真砂美 野田裕貴 前園あかり(以上バナナ学園純情乙女組) 浅川千絵(東雲ドライバナナ)浅利ねこ(劇団銀石)大川大輔(しもっかれ!) 小田崎諒平 叶じょい 桐村理恵 杉田健介 高柳美由己 田中正伸 中村梨那(ワーサル)ばんない美貴子(The Gunzys/ナラニソハヌルソン) 樋口雅法 望月綾乃(ロロ)岩田裕耳(電動夏子安置システム)塚越健一
\1000~\2500
ジエン社『クセナキスキス』
日暮里d倉庫(2010年6月3日-6日)
作・演出:作者本介
キャスト:伊藤淳二 大重わたる(夜ふかしの会) 大矢文(劇団森) 岡野康弘(Mrs.fictions) 萱怜子 北川未来 清水穂奈美 寺内淳志 宮崎圭史 山本美緒 善積元 山本健介 他
舞台美術:泉真
舞台監督:桜井健太郎
照明:南星
音響:田中亮大
制作:清水美峰子(劇団銀石)
Web:きだあやめ
宣伝美術:サノアヤコ
前売り 2.500円/当日 2.800円 平日ブロガー割引/平日ツイッター割引 2.300円(前売りのみ取扱い)