ほうほう堂×DJs(佐々木敦、大谷能生)

◎《官能》と《多様性》の夜にその《現象》を目撃する
 プルサーマル・フジコ

身長155cmのダンス・デュオ・グループほうほう堂(新鋪美佳+福留麻里)は神出鬼没な妖精、もしくはオリーブ少女的な小動物のようにキュートな動きでどんな空間でも味方につけてしまう。3月はカフェで。4月はジャンボサボテンと。5月は斜面をごろごろ転がり、6月は砂丘で飛び跳ねる。7月は下北沢の「開かずの踏切」横にあるスーパーマーケット・オオゼキのエレベーターで昇降して電車が過ぎると消えてしまった。

月に1度いろんな場所で彼女たちが踊るこのシリーズはYouTubeでも映像を見られる。そこに「ゲリラ」的な攻撃性は微塵もなくて、「私(たち)が踊る」とゆうその主語として立つような無理をした作為的な意図も全然感じられない。雨上がりにひょいと現れてサッと消えていくような一瞬の《現象》としてほうほう堂はたぶん8月も9月も10月もどこかで踊るだろう。

わたしが初めてほうほう堂を観たのは『あ、犬』、2009年9月11日の吾妻橋ダンスクロッシングだった。僅か1年ほど前のことだ。それ以前の例えばトヨタコレオグラフィーアワードでオーディエンス賞を獲った『るる ざざ』(’04)、チェルフィッチュと作った『ズレスポンス』(’05)、にかスープ&さやソースとのコラボ作品『キキ マニマニ ミ ミミ』(’07)などなど、全部観ていない。正直に言えば。だから「風が吹いたので久しぶりに舞いあがります」と書かれてあった09年吾妻橋ダンスクロッシングでのブログの言葉の意味も、当時のわたしには分からなかった。しかし吾妻橋での「復活」以降、ほうほう堂の噂は徐々に気になり始め、わたしの中で少しずつ膨らんでいった(*1)。

単なる遠巻きな傍観者でいられなくなったのは、テニスコーツ、そして蓮沼執太チームとコラボレーションしていた2010年5月28日のHEADZ 15thAnniversary(@渋谷O-nest)である。特に圧巻だったのは全演目終了後のパフォーマンスで、ラウンジフロアに降り立ったほうほう堂は取り巻きの観客たちのあいだをするする走り抜けて踊り回り、フロアを完全に彼女たちの舞台に変えてしまった。いや、それは「彼女たちの」とゆう所有格がもはや手放された《現象》であり、別にたぶん誰もノリノリで踊ったりとかしていないにも関わらず、その大きな《現象》=ダンスの中に呑み込まれる共犯者のような気分で誰もがあの時間を愉しんでいたのではないか。

そして7月24日、六本木スーパーデラックスで行われたWOSK presentsvol.9。演劇・ダンス系のアーティストが多数参加する興味深いイベントだったが(*2)、ここでほうほう堂×DJsに圧倒されたわたしは何か書かずにはいられないと思った。で、これを書いている。

ほうほう堂×DJsは毎回あらかじめ決まった振付があって、そこにゲストのDJ2人がそれぞれ別の音楽を付けて「ダンス×音楽」の組み合わせの妙を楽しむシリーズであるらしい(*3)。この夜は批評家でもある大谷能生と佐々木敦の2人がDJで、超大げさに言えばこれは大谷と佐々木の批評家としてのプライドを賭けた闘いでもあった。少なくともそう見る愉しみはありえた。

この夜のほうほう堂の振付パターンは、擬態語を当てるならばぴょんぴょん、のしのし、ひょこひょこ、ぶらぶら、きょろきょろ、ぐるぐる、もぐもぐ、わさわさ、ちっちっち、形態としては手拍子、祈り、拝礼、振り子、蟹歩き、ひげダンス、獅子舞、忍術、名指し、マイクパフォーマンス、ビール一気飲み、何かの生き物に喩えるならパート毎にカニ、サソリ、ザリガニといった甲殻類のほか、小鬼、キョンシー(?)など人外の魔物にも見えたりする。特に全体として一貫したストーリーらしきものはなく、いろんな動きと擬態によって構成されているダンスだと言えるだろう。

DJはまず大谷能生が先攻する。アンサンブル・モデルンの演奏によるコンロン・ナンカロウ。その「STUDY No.5」では奇怪な不条理劇を思わせるピアノのメロディにトランペットやピッコロや木琴の音が繰り返し不穏に投げかけられてくる(*4)。その他にDJ VADIMやオリジナルのブレイクビーツも数曲(*5)、さらにカウント・ベイシーの「リル・ダーリン」も使っていたらしい(大谷談)。しかし大谷はこうした不穏さをただ雰囲気としてほうほう堂のダンスにあてがった、のではないとわたしは思う。特徴的だったのはスクラッチ(ディスクを手で前後させるDJ技法)の多用であり、要するにそこで音楽のメロディはビュビュビュビュビュビュッ…と脱臼されてしまう。音楽とダンス(演劇も?)はともすれば勝手にすぐに同期して「音楽→ダンス」の支配関係や「音楽=ダンス」の共依存関係やらをベタッと結んでしまいがちである。要するに雰囲気を形作ってなんとなくそれに酔ってしまうわけだ。スクラッチの多用はそうした支配や共依存や雰囲気への酔いどれを許さない。おそらく大谷のDJの意図するところは、音楽はあくまで各個の音の連続と不連続であり、すなわち分断独立されたマテリアルの集合として際立った存在感を放ち始めてこそ華なのだ。わたしはその目指す世界をここでは《官能》と呼んでみたい。

するとほうほう堂のダンスもまた連続と不連続の世界へと投げ飛ばされ、踊る身体や、動きや、仕草や、擬態や、形態といったものが妖艶さを帯び始めるのだった。音楽もダンスも、全てが分断されて観る者の前に立ち現れる時、寸断された各個のマテリアルの断片は誘引し合いエロティックな様相を帯びてくる。《官能》の状態にあっては、観客の五感あるいは第六感は慣れ親しんだ同期がもたらす何らかの情緒的な雰囲気への依存から離れて、マテリアルの断片たちが舞台で蠢くのを捉えようとして最大限のスリルを味わうだろう。《官能》とは常に何かに脅かされ続けている危機的な状況であり、だからこそ快楽を味わうことができるのだ。

さて、その《官能》のダンスがひとしきり終わり、引き続いて登場した後攻の佐々木敦のDJはまた大谷のそれとは異なる世界を志向していたように見えた。まず冒頭でドローンが空間を重低音で満たしていく。そこに時計のカチカチとした音が入ってきて、さらにRoberto Cacciapagliaの「Sei Note In Logica (parte 1)」(*6)がメインに使われる。この曲自体、ピアノによるミニマルなメロディを基調にひたすら反復しながらもたくさんの電子音や楽器の音(木琴がキュートな幸福感をスパイスとして醸し出す)や女性の声(まるでこの曲に出会うことを待っていたかのように、ほうほう堂のマイクパフォーマンスの模写とシンクロする!)を巻き込んでいく螺旋的な構造になっており、さらにここにChris Watson、THU20、Ekkehard Ehlers、Stephan Mathieuなどの音源が出し入れされる(佐々木談)。おそらくは自然採集された音も電子音も合わせてノイズフルに混入されていったのだろう。それらの音=ノイズはポリフォニック(多声的)に共存を果たし、ゆっくりと六本木の夜を満たしていった。最終的にはこの満ちた潮は引いていくのだけど、基本的にそこまでの過程ではたぶん足し算もしくは掛け算的な発想によってDJされており、それはミニマルな反復の螺旋構造の中で様々なマテリアルを肯定しながら巻き込んでいく。これを仮に様々なものが共存する《多様性》の世界と呼ぶなら、ほうほう堂のダンスはそれらのマテリアルを拾い集める吸引装置であると同時に、彼女たち自身もまた素材として《多様性》の中に呑み込まれていった。

つまり大谷能生における音の配置が、個々のマテリアルのエロティックな分離を促す《官能》的な世界を導き出したとするなら、佐々木敦の音の配置はポリフォニックかつノイズフルなマテリアルによって空間を満たしていく《多様性》の世界を現前させていた、とわたしは観た、あるいは聴いた。そしてほうほう堂のダンスはあたかもそれらに対応するかのように前者では分かたれ、後者では溶けて、観客たちの前で(空間の中で)躍動していたのである。

ところで、この原稿を書き上げる数日前に桜井圭介(批評家・キュレーター、吾妻橋ダンスクロッシング、@sakuraikeisuke)と前田愛実(ライター、ダンス企画おやつテーブル主宰、@mdmnm)が深夜のツイッター上でちょっとした遊び(?)をしていた。YouTubeで異なる2つの動画を流して、片方の動き(ダンス)を無音にして観ながら、もう一方の音楽をそこに重ね合わせる一見他愛のない試みである。ここで桜井が紹介していたのは、坂東玉三郎の踊る「藤娘」にジョン・コルトレーンの「My Favorite Things」を重ねるとゆうもので(*7)、実際試してみるとすぐにも「和」と「洋」のミスマッチに目が行きそうなところだが、本当に面白いのはその文化的差異ではなく桜井の言う「カウントのずらし」である。試しに玉三郎の「藤娘」を数秒先に早送りしてみてほしい。驚くべきことに(?)どんなカウントでもダンスと音楽がぴたりと重なるように見えてしまう。その玉三郎の仕草のなんとエロティックなことだろう! 彼は複数の、ほとんど無限のパラレルワールドの中で踊っている。桜井は呟く。「絵と音のタイミングのヴァリエーションは100万回変えても尽きない。つまり、この世界(のグルーヴ)は無限の潜在性に満ち溢れているのだ」。

この一連の遊びの中で、ほうほう堂×DJsの名前が桜井と前田の会話の中に登場してきたのはある意味では当然のなりゆきかもしれない。この現象の最初に述べたようにほうほう堂自体にはあまり作為的なものは感じられず、彼女たち自身の作風の先鋭性とゆうよりも周囲の環境を味方につけるところで最大限魅力が発揮されるだろうと現時点では思う。×DJsであれその他のコラボレーションであれ、組む相手や踊る場所といった外在的な要素によってダンスは変化する。しかしまさにそこに、桜井圭介の言う「無限の潜在性」があると考えることはできないか? 言うなれば(いささか文学的かのように見える喩えを許していただきたいが)彼女たちは風に乗って飛ばされる種子のようなもので、いろんなところで受粉して花開く、その組み合わせのパターンは無数にあるのだ。風さえ吹けば彼女たちは舞いあがる。ほうほう堂はこの地球上のどこか(たぶんあらゆる場所、どこでも)に現れ、人びとに目撃され、そして一瞬にして駆け抜ける《現象》として噂されることだろう。

(*1)例えば2010年3月の「ほうほう堂@シャトー小金井」のレビューと写真。
http://hoho-do.net/2009/10/hohodo10.html

(*2)主催のcore of bellsには鰰での好演が光った宮崎晋太朗が参加していたし、HOSEはダンボールを使った得意の(?)パフォーマンスで観客の笑いを誘った。「詩のボクシング」優勝経験のある倉地久美夫はドラマーの外山明と組み、手塚夏子と捩子ぴじんも実験ユニットとして参加。DJかいき 幻SHOWズには快快の篠田千明と佐々木文美もいる。

(*3)前回のほうほう堂×DJsは桜井圭介と蓮沼執太をDJに迎えて、清澄白河のアートスペースSNACで行われた。わたしは悲惨なことにこれも見逃した…。

(*4)Ensemble Modern「Conlon Nancarrow Study No.5」
http://www.youtube.com/watch?v=udtVIep4z1s(途中から)

(*5)大谷能生が作曲家・ミュージシャンとして音楽を担当する公演も飛躍的に増えている。中野成樹+フランケンズ、東京デスロック、チェルフィッチュ、神村恵など。また大谷自身、チェルフィッチュの俳優・山縣太一と組んでパフォーマンスユニットのライン京急を立ち上げている。また映画でも冨永昌敬監督の『乱暴と待機』(10月公開)のテーマ曲を担当するなど、各方面で活躍の幅を拡げている。

(*6)Roberto Cacciapaglia「Sei Note In Logica (parte 1)」
http://www.youtube.com/watch?v=3GGNKNho_-g

(*7)坂東玉三郎「藤娘」
http://www.youtube.com/watch?v=sPgtX-ljHi4
John Coltrane 「My Favorite Things」
http://www.youtube.com/watch?v=xw4Hy6MtBLE

(初出:マガジン・ワンダーランド第204号、2010年8月25日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
プルサーマル・フジコ
2010年4月よりミニコミなど周縁的ながら徐々に執筆活動を始める。雑誌「エクス・ポ テン/イチ」(HEADZ発行)にも登場予定。藤原ちから名義では編集者として活動している。個人ブログ「プルサーマル・フジコの革命テント」。
・ワンダーランド掲載一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ha/pluthermal-fujiko/

【上演記録】
WOSK presents Vol.09
六本木 SuperDeluxe(2010年7月24日)
料金:adv 2,800 / door 3,300 (+1drink)

出演
[Live]
倉地久美夫+外山明
HOSE
core of bells

[Dance]
ほうほう堂×DJs(佐々木敦、大谷能生)
実験ユニット(捩子ぴじん×手塚夏子)

[DJ]
かいき 幻SHOWズ(DJもじ化け、DJ生霊、DJ死んだっけ)
カルボナーラ(hang the DJ)

「ほうほう堂×DJs(佐々木敦、大谷能生)」への9件のフィードバック

  1. ピンバック: 坂口修一郎
  2. ピンバック: masanori okuno
  3. ピンバック: waca
  4. ピンバック: オルノ
  5. ピンバック: Chikara Tsuchiya
  6. ピンバック: mikara
  7. ピンバック: Teruhisa Matsumoto
  8. ピンバック: ふくぎ
  9. ピンバック: きのこのうんこ

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