作・演出のタニノクロウが当日配布されたプログラムで「この作品を作るまでチェーホフのことを知りませんでした」と率直に述べています(!)。医師でロシア人であることも知らなかったというから大物の風格十分でしょうか(?)。「膨大な資料」を読み、周囲の智恵と助言を得てどんな舞台が展開されたのか。謎の「?!」は明らかになったのか-。それぞれの400字コメントと5段階評価を手がかりに、ぜひ劇場に足を運び、自分の五感で解き明かしてください(東京芸術劇場、2011年2月13日まで)。掲載は到着順です。(編集部)
▽鳩羽風子(ライター)
★★★★
見終わった後の感想は「?!」だった。公演のタイトル通り。まんまとやられた。チェーホフの心象風景を純化して舞台に乗せたタニノ独特の世界。生演奏あり、極力せりふを削り役者の力を生かした身体表現のスタイル…。音楽も演歌風あり、オペラ風あり、唱歌風あり。多様な形式が混在しつつ、一つの世界を作り出している。それをなんと呼ぶのか、私は知らない。思うに「?!」とはミロのビーナスを見た時と似ている。欠落した腕の部位の代わりに、明示されない筋を観客が補助線を引いて像を結ぶところにこの作品の真価はある。分からないことが逆説的に面白い。そんな不思議な味わいがある。
ぜいたくをいえば、「序破急」の「破」の部分がもっとあれば、深さと奥行きを増したように思う。あれだけのキャストがそろっているのだから。
▽岡野宏文(ライター、エディター、元「新劇」編集長)
★★★
すべての躓きは「かもめ」の冒頭にあった。
メドヴェージェンコ「あなたは、いつ見ても黒い服ですね。どういうわけです?」
マーシャ「わが人生の喪服なの。あたし、不仕合せな女ですもの。」
このときメド君はなぜ、このこまっしゃくれた女に殴りかかっていかなかったのか、それがわが人生の疑問なの。「私は女優」たらチェーホフの誑し文句に騙されて、何人の女の子が演劇生活の蟻地獄にのみこまれていった高校時代であったことか。人体は演劇にとって時に致命的なまでに邪魔になる。戯曲のエキスが、シンプルな煌めきが欲しいのに、なんでこの女優は八百屋のおばちゃんの汗をかいてんだ!って。チェーホフは優しい言葉でむずかしい状況を巧みに構造化したが、俳優の体をそぎ落としていくような、今ひとつ正体がつかめぬところがある。この舞台の、幻想の中に身体性を希釈させた試みも分からぬではない。シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」を見てる気分だった。
▽片山幹生(早稲田大学非常勤講師)
★★★★
これまでのタニノクロウ演出作品同様、特有のひねくれた諧謔の雰囲気と意外性に富んだアイディアを楽しむことのできる舞台だった。大半の観客にとってまったく想定外の極めて独創的なチェーホフ劇であったと思う。
生演奏の音楽と精妙な照明効果が作り出すスペクタクルが素晴らしい。そこで再現されるのはチェーホフのテクストから自由に敷衍・構成された幻想的で民話的なエピソードの数々だった。説明のことばは皆無であり、神秘的で不可解なエピソードの解釈は観客に委ねられる。奇矯で滑稽な幻想に翻弄され悪酔いしそうになりながら、観客は豊穣な演劇的驚異に浸ることになるだろう。
この作品はチェーホフのテクストをもとに彼が終生愛したというボードビルというジャンル形式によって表現された、タニノ流のチェーホフへのオマージュになっている。タニノクロウ独特の美学によって構成された奇抜で洒落たボードビル・ショーだった。
▽水牛健太郎(ワンダーランド)
★★★★
精神分析的な背景を思わせる残酷童話風の断章の連続。まるで悪夢の中のように、色はあくまでも鮮やかに、光と影はくっきりと描かれる。身体の部位や大きさ・小ささの強調は眩暈のような感覚を呼び起こす。全編を結び付けるストーリーのようなものは特にないが、それでも緩やかな流れが感じられる。生演奏の音はぜいたくで豊かだ。
チェーホフのテキストを用い、また各断章もチェーホフ作品を参照しているという。それにしても「チェーホフをやっている」という感じはせず、あくまでもネタにして自由に遊んでいるという印象を受ける。「こういうチェーホフもありか」とは思うが、「これがチェーホフだ」というほどの説得力はない。要するに生誕150周年記念で何かやらなくてはということなのだろうが、文化の世界におけるこうした「周年感覚」にはいま一つわからないものがある。
▽金塚さくら(美術館勤務)
★★★
たとえば幻燈の揺らめきや自動人形の魔性。歪んだものや不気味なものに官能的な美を見る類の感性のもと、悪夢にも似た不穏なメルヘンが綴られる。情景は詩のように感覚へ先に働きかけ、観る者を幻惑する。
しかし、『雪の女王』を思い起こしたのは、なぜだ。作家が違うし、それほど似てもいない。せいぜい雪国を幼子が遍歴しているくらいだ。
「知識」だけを頼りに独り迷宮へ迷い込んだ幼子は、いくつもの不思議な世界を通過し、やがて父なる男と母なる女と智慧の木の実のもとへたどり着く、の……か……? まやかしの知識を手放し、古来の叡智へ回帰して? 錬金術や老婆の薬草、誰かが教えたおまじない。不可知の領域を持つものこそ真実に見える、というような、前近代なものへの憧れが、チェーホフにもあったのだろうか。
異形めいた演じ手たちが描き出す舞台は、コントラストの強い影絵のような表現手法が美しく、美しすぎてときどき目が痛い。
▽大泉尚子(ワンダーランド)
★★☆(2.5)
黒い幕一面に赤い木の影。すっぽりと顔や体を覆い尽くすほどのコートをまとっているのは、幼い子どもか。白い手だけがひらりひらりと手招きする。舞台の中に舞台、の中に舞台、の中に…の入れ子が現れ、子どもは、その一番小さい舞台に、音もなく吸い込まれてしまう。ここは、その子がまよい込んだ物語の迷宮なのか。透明感を湛えた青や赤に刻々と色を変える空には、不吉なまでに大きな三日月が浮かび、手術台に横たわる男から取り出されるのは巨大な心臓。語られるチェーホフは、風に吹き飛ばされる声のように、切れ切れに耳をかすめるのみ。登場人物はしばしばシルエットとなって、その存在から個性の匂いを消してしまい、皮を剥がれて宙吊りにされた動物や、露出した内臓も無味無臭、清潔でさえあって、血生臭さは微塵もない。巨大な立体絵本のページを、するするすると繰るような時間が流れ、いつまでも覚めない夢は、心の襞をなぞる奇妙なシーンを次々に映し出したのだが、夢幻の粘着性はもう少し強くあってほしかった。そして、無臭ってホントにチェーホフに似合うのかしら?…確かに、夢に匂いはついてはいないのだけれども…。
▽都留由子(ワンダーランド)
★★★
タイトルの「?!」はダテではない。少なくとも私の思っていた「チェーホフ」っぽくはなかったから、見終わったときはまさに「?!」。
夢かうつつか判然としない。登場する者が誰で、何のために何をしているのか、お互いにどういう関係があるのかなど、全く説明されない。そもそも人間かどうかもわからない。舞台上で起こることをただ感じる、わからないのに目が離せない1時間20分。感じるための仕掛けは十分で、ステンドグラスか影絵のように美しい舞台は、ときどき眩しすぎるほどだった。美しくも恐ろしいお伽噺という印象だったのだが、お伽噺が恐いのは人間が恐いからで、人間が恐いのは人間がわからないからだろう。そういう恐ろしい荒野を、それでも生きていかねばならない、という点が「チェーホフ!」だったのかも。生演奏の音楽も、出演者の歌もよかった。上演前、プログラムの「特殊小道具」って何?と思ってたんだけど、あのことだったのね。
▽米山淳一
★★★★
劇場に入った瞬間目に飛び込んできたのは、高さ間口ともに目一杯の見事な額縁。それに赤カーテン。さらにはオケピまで。このホールで見慣れていたのは素舞台に近い黒舞台に舞台セット配置なので、この光景にまずはびっくり。今回チェーホフとは言っても、戯曲ではなく、民間伝承や、いいつたえ、奇術、魔術などの超自然的で観念的なものが扱われている彼の未完の博士論文等をベースにしているとのこと。自分の知る限りのチェーホフが顔を見せるのは、ほんのわずか。タニノ演出により、照明や装置、生演奏がそれだけでもう額縁の内外に一つの世界を作り出している。人物たちにほとんど台詞はないのだが、彼らがその世界の中に溶け込みながらただ佇むだけの有様にも、ダンスや舞踏を見るような息遣いで、ひたすら見入ってしまう。そうなったら、もう覚悟を決めるしかない。そうだ!僕の知らないチェーホフ探しは、後でいくらでもできる!!(劇場プロデュースとなれば元来の付帯設備に加え、キャスティング、スタッフワークにより、芸劇小1でこれだけの舞台が見られるということにも再度びっくり。)
▽丸岡ひろみ(国際舞台芸術交流センター)
★★★★
タニノクロウの舞台は常に絵画的だけれども、今回の作品は、徹底的に絵画的でありシュールに美しい。チェーホフの劇作からのテクストは僅か一言だけ使用されていると言えばわかるように、愛好される、もしくは「知られざる」チェーホフの劇作やテクストを再考するだとか、残された資料から劇作家の生涯を描く、などというものではない。一個の人間が想像し「創造」し得る世界の豊かさが、タニノという芸術家によってみごとに描きだされており、私たち観客は自身の想像力を刺激されることになるのだ。『演奏』を挟んで始まる後半、時代は現代に進む。そこでは、チェーホフが生きた時代とは異なり、もはや想像力さえ管理されていてわずか臭覚などの感覚しか個人が自由に出来る物はないと言わんばかりだが、そこに立つ役者の存在と演出から、私たちは新たな想像力を手に入れる事ができる。優れた同時代性を獲得している作品は常に普遍性をも獲得している。
▽北嶋孝(ワンダーランド)
★★★★
幼子から身の丈が縮む翁まで、ぼくら小さき者はいつもうろたえ、道に迷う。劫火に追われ冬枯れの林に立ちつくすことだって少なくない。星のまばゆい三日月の夜に浸っても、その叙情と静寂には得体の知れない恐怖が同居する。女は艶めかしく迫り、男は粗野乱暴、不知不可解。臓器だって脈打つ温かさはなく、人体機械のようによそよそしいほど清潔なブツ…。そう、いつだって人の世に、心安らぐ時間も空間も保証されていないのだ。折々、周遊/徘徊しつつ扉を開け門を潜ると、最後は奈落に引きずり込まれるのもよくある話ではないか。
作・演出のタニノクロウがこの舞台でチェーホフの作品世界をどのように描いたかに大方は興味が薄いだろう。問題は、描かれた風景の数々と鳴り響く音楽、目の前に流れる奇妙で魅力的なツクリモノなのだろう。それらすべてがどれほどリアルと符丁が合おうと、脳内の妄想であろうとも-。
【上演記録】
「チェーホフ?!」~哀しいテーマに関する滑稽な論考~(チェーホフ生誕150周年記念)
東京芸術劇場 小ホール1(2011年1月25日-2月13日)
※プレビュー公演1/21(金) 1/22(土)
作・演出:タニノクロウ
ドラマトゥルク:鴻英良
出演:
篠井英介
毬谷友子
蘭妖子
マメ山田
手塚とおる
ミュージシャン:
阿部篤志(音楽/キーボード)
廣川抄子(バイオリン)
小久保徳道(ギター)
岸徹至(ベース)
秋葉正樹(ドラムス)
美術:田中敏恵
衣装:太田雅公
照明:山口暁(あかり組)
音響:中村嘉宏
ヘアメイク:川端富生/高村マドカ
演出助手:若月理代
技術統括:白神久吉(東京芸術劇場)
舞台監督:白石英輔((有)クロスオーバー)
演出部:板倉麻美/村田明/谷肇/八須賀俊恵((有)クロスオーバー)
照明部:小沢淳/成久克也/大野正光(あかり組)
音響部:佐藤こうじ/野中祐里
衣装助手:斉藤恵子/八木良介
サードローブ:武田園子
衣装製作:大野寛/河合信夫/野窪百合恵/高橋詠美/市川ひとみ/高畑美里/松村夏美
衣装協力:大野縫製
ヘアメイク:山崎智代
大道具:金井大道具株式会社
小道具:高津映画装飾株式会社
特殊小道具:小此木謙一郎(G.a.R.P)
運搬:(株)アベエキスオプレス
東京芸術劇場技術スタッフ:
舞台 尾中孝二/谷内義弘/秋山佑子
照明 齊藤義男/佐藤恵太
音響 小川義治/中根悠子
宣伝美術:松下計/木村明子(松下計デザイン室)two minutes warning
宣伝写真:望月孝
ポスター貼り:(株)ポスターハリス・カンパニー
印刷:望月印刷株式会社/(株)リーブルテック
パンフレット編集:徳永京子
記録撮影:田中亜紀
制作:勝優紀/樺澤良(東京芸術劇場)
制作助手:坂田厚子((有)quinada)
票券:大迫久美子 (東京芸術劇場)串田陽子(東京芸術劇場チケットサービス)
協力:アトリエ・ダンカン/ジェイ・クリップ/トライストーン・エンタテインメント/庭劇団ペニノ/テアトルアカデミー/丸茂電機株式会社/RYU/彩の国さいたま芸術劇場/リブロ池袋本店/森隼人
特別協力:小長谷夏希/平野慎
プロダクション協力:トライストーン・エンタテインメント
ポストパフォーマンス・トーク(withタニノクロウ):
キャスト5名(1/26 14:00)
毬谷友子(1/27 14:00)
手塚とおる(1/27 19:00)
篠井英介(1/28 19:00)
脳科学者 茂木健一郎×作・演出 タニノクロウ(2/1 19:00)
司会:中井美穂(フリーアナウンサー)
【関連企画】
連続サミット『チェーホフ?!』はこうして生まれた メインパネリスト:鴻 英良
第1回 はじまりのチェーホフ(2010年12月4日)
ゲスト:福田善之/徳永京子/タニノクロウ
第2回 チェーホフ劇の展開(2011年1月15日)
ゲスト:津野海太郎/扇田昭彦
第3回 新たなるチェーホフ(2011年1月29日)
ゲスト:岩松 了/タニノクロウ ほか
チケット料金(全席指定・税込)
<通常公演>S 席4,500円 A 席3,200 円
A 席(25 歳以下) 2,000 円
<プレビュー公演> 3,000 円
助成 文化振興費補助金(芸術創造活動特別推進事業)
主催 東京芸術劇場(公益財団法人東京都歴史文化財団)、東京都/公益財団法人東京都歴史文化財団
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