NODA・MAP「南へ」

◎分からないことにチクッとする自虐的嗜好への思慕
 岡野宏文

「南へ」公演チラシ 野田秀樹の演劇は面白い。
 野田秀樹の演劇は分からない。
 このふたつのフレーズを上手に貼り合わせると、こういう命題が出現する。

 世の中には、さっぱり分からないくせに飛びっ切り面白いものがある。

 なかなか頼もしい言葉ではある。とくに演劇を愛し、志すものにとって。

 たとえば公演がはねて地下劇場から階段をのぼってくる観客の善男善女の口の端から、「なんだか全然分かんねぇ」などとなかば含み笑いのささやき声が耳に入るとき、あるいは有望なはずの若き劇作家が上気したかんばせを楽屋口から覗かせつつ「あたしの芝居、いっつも分からないって言われちゃうんです」と声を落とすとき、僕は決まって映画監督の鈴木清順のことを思い出す。

 あまりにも訳の分からない映画を作ったかどで、ほぼ一方的に所属する映画会社日活から首の処分を喰らった清純の、その最後の意味不明の映画「殺しの烙印」は、ランキングされた殺し屋たちの世界で、ある日棚ぼた式にナンバー3からナンバー2の座を獲得した男が、顔も性別もいっさい不明の幻のナンバー1に狙われ始めるというストーリーがすでに充分荒唐無稽なわけであるが、ドアから顔をずらすだけで遠く離れた部屋にいる女性と話せたり、30メートルは離れた人物とボソボソ声で会話ができていたり、ちょっと小躍りしたいほどに日常の風景が食い違っている蠱惑的な時空錯乱フィルムなのである。主演は宍戸錠。

 私は清純の映画がとても好きなのだ。だからといって、彼の作品がなんだか分からないことにまるっきり変わりはない。対面して喋っているはずの二人の人物の背景が、なぜそれぞれまるっきり違う場所なのか。なぜセックスしているはずの男女が背中合わせで交接できているのか。も、じぇ~んぜん分かりません。分からないけど、分からなくても、じぇ~んぜん困らないんである。面白いから。

 清純フィルムは、面白いのだ。そこで芝居がハネたばかりの、「分からない」が「つまらない」の入り口にあると勘違いしているのぼせ顔の劇作家に僕はいう。「分かりやすくしなくていいんですよ。分からないまま面白くしようとすればいい」

 野田秀樹は「劇団夢の遊眠社」でのスタート当時から、この「分からないけど抜群に面白い」を見事に達成していたまれにみる劇作家だ。野田が二時間の菓子袋に「分からない」をかなう限りいっぱいに詰め込んで観客に手渡すと、僕たちはまるで甘い砂糖菓子をしゃぶるようにして、陶酔しきった表情で「分からない」の愛しき迷路にさまよったものだった。

 が、清純の披露するまやかしと、野田の打ち立てた迷宮伽藍とでは、味わうものの至福の面持ちに仄かな色違いがある、と僕はずっと感じていたのも事実だ。

 野田のステージでは、はじまったとたんに膨大な情報の断片が、次から次と投網のごとく観客に投げかけられていく。はっきりいえばおちおち芝居を、というか事態を眺めている暇などなく、ほとんど三つくらいのジグソーパズルを同時に相手にしている気概で、雪崩かかってくる言葉のはしばしをああでもないこうでもないとプラグ&アンプラグしちゃあ絵作りに青息吐息涎を垂らす、役者と観客とどっちがたいへんか分からないていたらくが野田観客を待つ心弾む運命だ。おまけに野田が芝居に山盛りにして運び込んでくる単語ときたら、たとえばギリシア神話からの引用、たとえば民俗学での用語、などなどとちょっとどっか覚悟してないと生きていけないような場所で、まあ学校ですけどね、学校ででもなけりゃ教わらない手のものとくるわけで。だからもちろん舞台の提示するきわめて魅力的な疾走する謎物語のしっぽにつかまってではあるものの、客席の暗闇に渦巻く数百の脳髄の中では、あずかり知らぬ単語たちに対して間断のないチクッとした痛みも、たたみかけられていたんではあるまいかと妄想しちゃうのであった。ましてやラストシーンにおいて、確かにいくつかの重要な絵柄は観客の手の内に組み立て上がったものの、最も忌まわしい悲劇を連想させる核心の事件がどうしても像を結ばないという仕立てに描かれている以上、戯曲で読めば分かるんじゃないか、もう一度見れば分かるんじゃないか、もっと教養があれば分かったんじゃないか、そう切実に思うからこそ残された謎からのなまめかしい引力はいや増し、野田演劇にますます絡め取られていくつらい幸福に陥ることになる。

 しかし幸福には違いない。
 だから僕はこう思うのだ。野田演劇はM演劇なのだ、と。
 も、とにかく馬鹿だなぁ、俺。とさいなまれるのである。なんでこの謎が解けないの、あとちょっとのはずなのに、といびられるのだ、自分に。これが、この自己の再確認の痛さがたまらなく甘い。そういうユニークな演劇なのだ。動員の減ろうはずがない。我が国は、そういうことを喜びとかみしめるようわれわれを教育して成り立っている。

 さて、そこで今回見た「南へ」である。誰でも「タッチ」の後日譚かなあなどと馬鹿げたことを考えながら見に行くのだろうが、僕の頭の中は「南」といえば「ハヤシもあるでよぉ~」のフレーズしか浮かばず、最低である。

 最低の僕が客席に着くと、エネルギッシュにかつスピーディーにステージは展開していった。違ういい方でいうと、四、五人の若い人がギャーギャー言いながらドタドタ走ったりヨイショって装置持ち上げて場面転換したりしてあっちこっちへすっ飛んでいった、なんか小劇場の芝居よ永久にという展開だった。いや、けなしてるんじゃなく。

 そこは富士山のそばにある、無事山という火山の火口ちかくの観測所。近く噴火の予兆もあるとかないとか。火口に飛び込もうとしていた少女あまねがつれてこられると、追うようにして新職員の南のり平が着任する。折からの天皇行幸の噂を巡り、やはり天皇の行幸があった300年前の大噴火の年に場面はスライドしつつ、今と昔をせわしく行き来する中で、記憶喪失だというのり平の過去を探るモチーフと、何から何まで謎の嘘つき少女あまねの出自をサスペンスにして、日本人と天皇のあり方をあぶり出してみせる、といったような内容。やっぱりジグソーパズルは三枚くらいあった。

 まず特徴的だったのは、物語全体がそれほど迷宮的でなかったこと。蜘蛛の子を散らすように迷宮のよすがを張り巡らせて、メインストリームを韜晦しながら突如パセティックな音楽とモノローグを発し、きわめてドラマチックな叙情を溢れさせて終わる、あの従来のドラマツルギーは影を潜めていた。

 その分すべての役に背負わされたダブルたちの抜き差しならない命の姿、つまり野田秀樹が幻想の中からつかみ出してくる人間の真理みたいなものが、くっきりと立ち現れていたといえる。が、などとまたまた話をひっくり返して申し訳もないけれど、はっきり分かったことが面白さとイコールだったかというと、それは微妙にずれるというまたのっけの文脈に先祖返りせねばならないのである。
 つまり、これ以上ないほどはっきり分かったのに、面白くはないということもしばしば起きるのである、世の中。

 もう公演は終わったので、ネタバレふうのことを書いてもある程度許されると信じ、ぶっちゃけてしまうなら我が国の天皇は古代においていずこからか流れきて、発明した天皇という地位の下に見知らぬ日本人をひざまづかせた。それ以来天皇は日本国民をたぶらかす装置として機能してきたが、南のり平なる記憶喪失の青年の真の姿である英霊も、あの太平洋戦争ですっかりたぶらかされた無垢の命であったのだ。というようなドラマが仕組まれている。ちなみに英霊とはイギリスの幽霊のことではない。分からない人は調べましょう。
 こうしてはっきりさらけ出すこと、またはさらけ出されたドラマが演劇の核心ではないと、野田秀樹はいうだろう。僕もここに野田の狙いがあろうとはさらさら思わない。だがこのはっきり見えた世界認識にリアリティの感じられないのも事実なのだ。いってしまえば、野田が天皇問題に関して、演劇を離れたところで自分の問題として何かの思いを込めている手ざわりが全然ない。天皇問題に限らず、オウムも赤軍も原爆も、この人はただモチーフのために運んできているだけで、そのモチーフの中でうごめいているドラマだけが大切なのではないか、取りまく血の通った問題にはさほどではないのでは、そう思えてしまう。

 いやいや、それでは韓国北朝鮮問題もテーマに含んでいた今回の公演の、「演劇」はどこにあったのか。僕には野田演劇の、分からないことへの落ち着かない気持ちに思慕がある。分からないことにチクッとする、我が身の過去の痛みを確かめる、そんな自虐的嗜好にいまだ野田演劇の最高の楽しみがあるような気がしてならない。何しろ幕の下りるまで、「ナンボクチョー」がガラパゴスあたりの鳥だと思ってたことのある僕だ。ツルヤーって鳴くんだけど。
(初出:マガジン・ワンダーランド第235号、2011年4月6日発行。無料購読は登録ページから)

【筆者略歴】
 岡野宏文(おかの・ひろふみ)
 1955年、横浜市生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒。白水社の演劇雑誌「新劇」編集長を経てフリーのライター&エディター。「ダ・ヴィンチ」「サファリ」「e2スカパーガイド」などの雑誌に書評・劇評を連載中。主な著書に『百年の誤読』『百年の誤読 海外文学編』(豊崎由美と共著)『ストレッチ・発声・劇評篇 (高校生のための実践演劇講座)』(扇田昭彦らと共著)『高校生のための上演作品ガイド』など。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/okano-hirofumi/

【上演記録】
NODA・MAP 第16回公演「 南へ
東京芸術劇場中ホール( 2011年2月10日-3月31日、3月11日-13日は震災のため公演中止)
作/演出:野田秀樹

出演:
妻夫木 聡、蒼井 優、渡辺 いっけい、高田 聖子、チョウ ソンハ、黒木 華、太田 緑 ロランス、銀粉蝶、山崎 清介、藤木 孝、野田 秀樹

スタッフ:
美術 堀尾幸男
照明 小川幾雄
衣裳 ひびのこづえ
選曲・効果 高都幸男
振付 黒田育世
映像 奥秀太郎
ヘアメイク 宮森隆行

チケット料金:S席9,500円 A席7,500円 サイドシート5,500円


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください