茶ばしら「茶家 ひみつ基ち 」(クロスレビュー挑戦編第11回)

 茶ばしらの「3つのかえる」が当日のプログラムに書かれている。「帰ろう こどもに還ろう 自分自身に立ち返ろう」だという。その上で「虚構の中にある<ウソから出たマコト>を通して、見えるもの。見えないもの。肌ざわり。においや温度」があるという。果たして今回の上演からそれらがどのように感得できたのか。5段階評価と400字コメントをご覧ください。掲載は到着順です。(編集部)

後藤隆基(立教大学大学院)

「ひみつ基ち」公演チラシ
「ひみつ基ち」公演チラシ

 ★★★
  太宰治の短編小説三本を舞台化。脚本は原作にほぼ忠実といっていい。新しい解釈だとか、解体・再構築といった手練手管でなく、ごくシンプルに書かれた言葉と向き合う。やや物足りなくもないが、後々「太宰はいい小説を書くなあ」と改めて感じた一因は、その衒いのなさにある。雨戸を閉めきった古民家の小さな一室、出演者三人は着物姿で、小説世界を時代感覚も含めて髣髴させる一時間だった。
  女性の告白体小説「燈籠」は女(石川美帆)がちゃぶ台の上に正座し、テキストを語りはじめる。基本的には一人語りの形式。なるほど太宰の小説は音読に魅力を発揮する。そのぶん台詞術にもうひと工夫ほしいところ。次の「畜犬談」は、男(細井学)と妻(石川美帆)、犬のポチ(細井ゆめの)という三役を割り振った。細井ゆめのは、犬の滑稽さや哀愁を、ハタキを使ってうまく表現していた。
  雨戸を開け放ち、庭も舞台空間として用いた「待つ」は、古民家ゆうどという場所の力をもっとも生かした一篇。目白通りから一本路地を入る、都市の皮膜を一枚めくったような静けさが、女(細井ゆめの)の独白する、居所も告げずに〈待つ〉という心性をより深めていた。よく晴れた昼間の観劇だったが、夜だったり、天候しだいで表情を変えるのだろう。回によって多様な受け止め方ができる舞台ではないだろうか。
 総じて、ある夏のひとときを、サイダーの泡沫のように通り過ぎる、そんな時間。
(7月7日14:00 観劇)

岡野宏文(ライター&エディター、元「新劇」編集長)
 ★★
 劇場に選ばれた、目白通りをちょいと脇へ紛れ込んだ古民家の、その時さびたたたずまいには確かに心ときめかせる風情があった。だが肝心のお芝居にときめかなかったのが、なにやらまずい事態を感じさせもした。
 「燈籠」「畜犬談」「待つ」、太宰治の短編を三つお披露目で一時間の一幕という趣向。太宰は「語り」の神業を遺した天才だが、それは語りのニュアンスの繊細なひだや、乱調すれすれの言葉選びのセンスや、話題の転換の見事さに惚れ惚れと、させてくれなかった俳優たちの、歯がみしたいようなつかのまだったのである。人間てもちっといろんな喋り方をするだろう、それが見たいのね芝居なら。
 コミュニケーション能力と人脈とアイデアをたっぷりお持ちのおふたかたとお見受けした。それは貴重な才能に違いなく、うらやましいほどだが、一度お客様に楽しんでいただく「遊び」をかなぐり捨てて、芝居だけの素饂飩みたいな公演なさるならまた伺います。

大泉尚子(ワンダーランド)
 ★★☆(2.5)
 「古民家ゆうど」は、目白通りから1本裏道を入っただけなのに、静かで趣のあるこぢんまりした古屋。太宰治作品とは付き過ぎとも感じられるが、とはいえそれなりの雰囲気を醸し出す。冷房があまり効かず、汗を拭き拭きの観劇だったが、それはマイナスに働いてはいなかった(井戸水を使った麦茶が出されて、喉を潤すこともできたし)。3話のオムニバスもの、中では、「畜犬談」の犬を、ハタキを使って演じたアイデアと心意気をかう。
 これが2作目という茶ばしらは、若い女性の2人の〈ものづくり〉共同体とのこと。いずれも太宰の原作で、演出に、前回は映画監督の大林宣彦と「幌張馬車〔ポジャンマッチャ〕」の松岡哲永、今回は「鳥公園」の西尾香織を招いているが、これからも、まだまだ試みられることがたくさんありそうだ。回を重ねるごとに、観客の求めるものは大きくなるのだから。
(7月10日14:00 観劇)

プルサーマル・フジコ(BricolaQ)
 ★★★☆(3.5)
 初日の夜に観たけどもまだ硬く、古民家が醸し出す世界観に馴染みきれてない印象があり、太宰治に対しても、もっと批判性のようなものが必要だと感じた。特にモノローグは耽美的なナルシシズムが発動しやすいので危険。わたしが見たいのはそうした種類の「美しさ」ではなくて、俳優が何ものかを演じてもなお否応なしにそこに現前してしまうその姿なのですが。
 その点で「蓄犬談」には気になるものを感じた。今回の演出を依頼された西尾佳織が、自身の劇団(鳥公園)で得意とするチャーミングなプレイが発揮されていたのもあるけど、それ以上に、愛でも憎しみでもない、単に依存とも腐れ縁とも呼べない、男と犬と(そしてそれを見る妻)の関係の気持ち悪さ。それは太宰の小説を読むだけでは見えてこなかった、未だ言葉にされていない何か、まだ掘りうるものを感じる。
(7月7日18:00 観劇)

都留由子(ワンダーランド)
 ★★★
 目白駅から歩いて5分、なんと商店街のすぐ裏にひっそり建っている築80年の古民家で行われた公演。太宰治の短編を3本で1時間、出演者3名。当日パンフには「古き良き日本家屋で古き良き日本文学を」とあった。
 出演者はみんな達者で、3本ともなかなかよかったが、ハタキがいつの間にか皮膚病の犬に見えてきた畜犬談が面白かった。太宰治の小説は、すごく深刻なのに妙に明るく滑稽なところや、平気な顔で実は恐いことを言っていて、そのことに後になってからじんわり気がつくようなところがいいと思っているのだが、今回のお芝居はそつなく面白くて、そういう感じがちょっと足りない気がしてもったいない。
 また、面白かったのには、会場が「古き良き日本家屋」だったこと(や、お茶+お菓子つきだったこと)も含まれているかもしれない。とすると、ちょっとずるいような気もするなあ。でもまあ、どういう会場を選んで、どういうしつらえをするかもお芝居のうちか。
(7月7日14:00 観劇)

北嶋孝(ワンダーランド)
 ★★
 小説の舞台化というと、何度か紹介しているように TextExceptPHOENIX + steps「ニッポニアニッポン」公演(阿部和重作、西悟志演出)がぼくの基準になる。太宰作品なら昨秋開かれた「Project BUNGAKU(太宰治)」を挙げてもいいだろう。広田淳一(ひょっとこ乱舞)、吉田小夏(青☆組)、松枝佳紀(アロッタファジャイナ)、谷 賢一(DULL-COLORED POP)がそれぞれ太宰作品を取り上げる試みだった。リーディング上演はとりあえず作品(小説、戯曲)の聴覚化+視覚化だろうが、聴覚化+視覚化だけではない「何か」が、それらの舞台から濃厚に立ち上っていた。今回はその「何か」がどうも希薄なのだ。俳優、演出、会場、企画などが組み合わさって醸し出される「何か」。1時間あまりの公演を「見た」あとで、太宰の短編三作を「読む」以上の「何か」がもっとほしいと強く感じた。その「何か」が感じられる演劇世界はおそらく、悪夢と泥沼、快楽と恍惚が混じり合う果てしない道行きなのだろう。だからこそ、このサブタイトルが生きてくるかもしれない。「おかえり・ただいま」。
(7月7日14:00 観劇)

【上演記録】
茶ばしら「茶家 太宰治編 第弐段 ひみつ基ち<おかえり・ただいま>」
古民家ゆうど(新宿区下落合3丁目、2011年7月7日-10日)

原作:太宰治(「燈籠」「畜犬談」「待つ」)
脚本:高野真希
演出:西尾佳織(鳥公園)

出演:石川美帆(茶ばしら)、細井ゆめの(茶ばしら)、細井学

【茶家衆】
チラシデザイン・総合アドバイザー:佐藤克則
茶家特設HP:福島潤
記録映像カメラマン:春木康輔、平井智章
黒川進一、加賀真貴子、加三修、久保創佑、桑原秀一、田中晶、広瀬貴史、古川絵里奈、渡辺真帆

入場料:2000円


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