いわき総合高校演劇部「Final Fantasy for XI. III. MMXI」

◎正当な「権利」と、失われたものの復活
 水牛健太郎

 日曜日の神戸はちょっと戸惑うぐらいの秋晴れだった。新長田駅を降りるとすぐ、きれいな広場があり、そこでは巨大な鉄人28号のモニュメントがこぶしを空に突き上げている。鉄人の前で屈託なく記念写真を撮る家族連れや恋人たち。備え付けのパンフレットによれば鉄人は16年前の阪神淡路大震災からの「復興のシンボル」だ。神戸出身の作者・横山光輝は長田の町づくりに全面協力しており,もう一つの代表作「三国志」にちなんだイベントも行われていた。
 震災で見渡す限りの焼け野原と化した新長田駅前は、いま商店街と中高層マンションで構成される町となっている。大型商業施設と地元商店街が違和感なく同居し、ほどよい「庶民の町」の風情と買い回りの便利さを両立させている。「ジェントリフィケーション(gentrification)」といった言葉も頭をよぎるものの、当時の被害の深刻さを思い起こしながら、楽しげな人々で賑わう今の様子を見れば、復興はまずは成功と言えるだろう。
 鉄人広場に面したマンションのパステルカラーのエントランス。その階段にお年寄りが数人、腰をかけて鉄人を見上げていた。彼らが青春を刻み、家庭を営んだ町は灰となった。その後に、明るく楽しいこの町ができ、そして鉄人がやってきた。幅の広い階段に座った彼らは、ちょっとシュールな展開に戸惑っているようにも見える。
 あなたの目は何を見たのですか。あなたは今、幸せですか。穏やかなその姿に無言の問いを投げかけても、答えは、鉄人の頭の上に浮かぶ白い雲のかなたに吸い込まれていく気がした。

 福島県立いわき総合高校は選択で演劇の授業があり、東京の小劇場の若手演出家と作品つくりをするなど意欲的な内容で、その舞台は高い評価を得ている(土佐有明「演劇教育の先端で何が起きているのか―いわき総合高校の試み」)。一方、演劇部は放課後の課外活動で、授業とは生徒の顔ぶれも別だが、演劇の授業を担当する石井路子教諭が顧問として生徒と協同創作を行い、高校演劇コンクールでは東北ブロック大会に出場、創作脚本賞、優秀賞などの受賞歴がある(東京公演企画書より)。3月11日の大震災で大きな被害を受け、その後の原発事故で苦しみ続けている福島県の高校、それも「日本最高の高等演劇教育高校」(前田司郎が公演チラシに寄せた言葉)とまで言われるいわき総合高校の演劇部が、16年前の震災で多くの犠牲者を出した神戸の長田区で公演を行うことの意義は大きい。

 作品は震災後の高校を舞台にしており、生徒たちの置かれた現状を演劇化したといっていい内容だ。アフタートークでの石井教諭の話によれば、四月の終わりに学校が再開され、五月半ばから作品作りに着手。苦しい状況を力にするために「原発で遊ぶ」というテーマでエチュードをしてみたが、うまくいかない。そこで生徒たちにとっては生活の一部になっているコンピュータ・ゲームを取り入れたところ、作品が動き始めたという。タイトルが有名なゲームの名前になっているのは、そのためである。

 津波で親友きりか(猪狩桐花)を亡くしたひろこ(長谷川洋子)。一方、クラスメートの良輔(高橋良輔)ら男子3人は、文化祭に向けてプロレスの練習に打ち込んでいたが、震災と原発事故のあおりを受けて文化祭が中止になってがっかり。しかし、立ち入り禁止になった北校舎になんでも望みがかなう「復活の呪文」があるとのうわさを聞きつけ、文化祭を復活させようと、ひろこも含めて4人で冒険に出発する(私はコンピュータ・ゲームのことは全く知らないのだが、ウィキペディアによると、「4人で冒険の旅をする」というのが、「ファイナル・ファンタジー」の設定らしい)。

「Final Fantasy for XI. III. MMXI」公演の写真
【写真は、ひろこ(右)と親友のきりか。撮影=清水俊洋 提供=いわき総合高校演劇部 禁無断転載】

 その過程で彼らが出会うのは、「菅」や「枝野」、東電社長の「清水」といったおなじみの人物や東電キャラクターの「でんこ」、「ホアン保安院」のお色気3人娘といった面々だ。内容だけ見れば「ザ・ニュースペーパー」のコントさながらの社会風刺が続く。

 風刺に力を与えるのは当事者性だということを、これほど思い知らされたことはなかった。福島の高校生が清水を蹴飛ばすとき、私たち観客は笑う。本当に腹の底から気持ちよく笑うのだ。彼らにはそうする正当な「権利」がある。そう本能的に感じるからだ。

 同じことをテレビで「ザ・ニュースペーパー」がやったら(本当にやってそうだ)、あくびをしてチャンネルを変えてしまうだろう。社会風刺というものが力を失ったのは1970年代以降のことだが、その時日本の大衆は、何か(端的に言えば「政治」)の当事者であることを止めたのだ。

 この点だけでなく、この作品はまさに「当事者性」を前面に出し、それが生命である、稀有な作品だった。福島の高校生が震災と原発後の生活を演じる、そこに作品の魂があった。石井教諭はアフタートークで「この作品は『ずるい』と思う。当事者が当事者の役をやって、誰も文句が言えない。でもそれも後から考えたことで、その時は『これで一発やってやろう』などということではなく、生きるために必要だから作ったものです」と言っていた。

 生きるために必要だから作る。口にする人はたくさんいても、(幸いにして)現実になることはなかなかない、ぎりぎりの状況の中で、この作品は、当事者性とともに、演劇の本質に迫るもう一つの要素を自らのものとしていた。それは、失われたものを取り戻す、ということだ。

「Final Fantasy for XI. III. MMXI」公演の写真
【写真は、生徒たちが出会う動物たち。左から犬、鮎、牛。撮影=清水俊洋
提供=いわき総合高校演劇部 禁無断転載】

 私の比較的短い観劇歴の中で、原点の一つと感じている体験がある。それは自分ではなく、他人の観劇体験にかかわるものだ。私が以前所属していた演劇ユニットG.comの主宰三浦剛が演出助手として参加した作品があった。それは1970年代のある左翼セクトの起こした事件を、そのセクトに同情的な視点から作品化したものだった。

 作品は、作劇の都合上、セクトの中心人物ではなく、シンパで事件そのものには直接かかわらなかった女性を主人公にしていた。ところがこの女性本人が、特に制作サイドから連絡を取ったわけでもないのに、作品のことを聞きつけて上演を見にきたのである。

 この女性はシンパに過ぎない自分が作品の主人公であるとは全く予想もしていなかった。それどころか自分が登場人物になるとすら思わず、ただ、自分がよく知る事件や人物がどう舞台化されたかに興味を持って見にきたところ、自分が主人公として舞台上に現れ、一生忘れられぬ友人たち(そのほぼ全員と、彼女は二度と生きて会うことはない-海外に逃亡している人、死刑囚、そしてもうこの世にいない人)が事件の渦中へ飛び込んでいくさまが、目の前で再現されたのである。彼女自身も逮捕され、厳しい取り調べを受け、幇助で有罪となって服役した。同じくシンパだった彼女の姉は自殺を遂げている。劇はその経緯も再現していた。どれだけこの女性が驚き、感情的に揺さぶられたかは想像に難くない。上演の間中、ずっと泣きっぱなしであったという。

 上演後しばらくして、この女性と会う機会があった。「実際の経験からすると、違和感のあるところもずいぶんあったんじゃないですか」と聞いた私に、彼女は、「お姉ちゃんに会えただけで…」とだけいった。彼女は舞台の上で死んだ姉に再会した、と感じていたのである。

 生きる限りすべてを失い続ける中で、人が何かを取り戻したいと思うとき、演劇は極めて現実的な手段なのだ。レトリックとは無縁の女性が発した「お姉ちゃんに会えた」という言葉は、その力を私に思い知らせた。演劇に一生かかわり続けても悔いはないと感じた一つのきっかけだった。

 いま、かつての日常のすべてを取り戻したいと福島の高校生が願うとき、これほど正当な、同時にこれほど実現し難い訴えはない。しかし演劇ならばその願いをかなえることができるのだ。東京公演(12月21日、22日 アトリエヘリコプター 23日 筑波大学付属駒場中・高等学校)もあるから詳細を語ることは控えるが、それはとてつもなく「ずるい」、それだけに演劇の根幹に触れるような場面だった。

 失われたものを取り戻すこと。それは、演劇というものが地上に生まれた、恐らくは最大の理由だ。人々の見果てぬ夢と祈り。それを実現するために演劇は生まれたのだ。福島の高校生たちが、大きな悲しみと怒りと絶望と引き換えに手に入れたささやかな「権利」の行使は、そのことを私たちに思い出させた。

【筆者略歴】
 水牛健太郎(みずうし・けんたろう)
 ワンダーランド編集長。1967年12月静岡県清水市(現静岡市)生まれ。高校卒業まで福井県で育つ。東京大学法学部卒業後、新聞社勤務、米国留学(経済学修士号取得)を経て、2005 年、村上春樹論が第48回群像新人文学賞評論部門優秀作となり、文芸評論家としてデビュー。演劇評論は2007年から。2011年4月より京都在住。元演劇ユニットG.com文芸部員。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/category/ma/mizuushi-kentaro/

【上演記録】
福島県立いわき総合高校演劇部『 Final Fantasy for XI. III. MMXI
Art Theater dB 神戸( 2011年 10月9日-10日)

 原案 福島県立いわき総合高校演劇部
 構成・脚本 いしいみちこ
 演出 長瀬有紀子
 演出助手 猪狩桐花
 舞台監督 谷代克明 高木千穂
 舞台監督助手 大蔵郁弥
 音響 箱崎未夢 沖崎美菜
 照明 木内真紀子 千色和希
 衣装 遠藤憧子 小野愛莉 菅原奈津美 橋本成美
 美術<大道具>小松翔 飯島もも
   <小道具>吉田桃子 大谷ゆうか

 キャスト
 ひろこ 長谷川洋子
 きりか 猪狩桐花
 良輔  高橋良輔
 崇太  本木崇太
 泰規  甲高泰規
 菅   鎌田彩音
 枝野  大槻真実
 アン保安員 長瀬有紀子 吉田夏美 吉田桃子
 でんこ 遠藤憧子
 牛   佐藤摩結子
 犬   渡辺真依
 鮎   鈴木香澄
 ポリス 西田藍
 清水  飛知和寿輝
 ゲンシーロ 八巻紀一
 サルコジ 吉田睦

アフタートークゲスト:
9日(日) 14:00 福本年雄(「ウィングフィールド」代表)
9日(日) 19:00 大塚雅史(演出家)
10日(月・祝) 14:00 ウォーリー木下(劇作家・演出家 「sunday」「オリジナルテンポ」代表)

料金 一般前売 ¥ 2,000 一般当日 ¥ 2,500 高校生以下・ 障がい者 ¥ 1,000

主催 いわき総合高校演劇部神戸公演を実現する実行委員会
( 清水あきよ(俳優、パントマイム)、寺内東子(俳優、パフォーマー、小劇場「イカロスの森」を支える「森の会員」)、福本年雄(劇場「ウィングフィールド」)、くりはらのぶゆき、NPO法人 DANCE BOX )
助成 神戸市パートナーシップ助成
協力 神戸野田高等学校 創作ダンス部
後援 財団法人神戸市民文化振興財団

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  1. ピンバック: けーいち

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