ままごと「朝がある」

◎love the world
 山崎健太

「朝がある」公演チラシ
「朝がある」公演チラシ

 柴幸男は世界に恋している。『わが星』では地球の一生、『スイングバイ』では人類の歩みを作品の構成の根本に置き、『テトラポット』では生命の進化をモチーフとして取り入れるなど、柴は作品に「科学的な」ガジェットを多く取り入れてきた。『朝がある』でも先例に違わず「科学的な」視点が導入されているのだが、これらは全て、柴の世界への恋心の発露なのだ。そもそも科学とは世界のことをもっと知りたいという人間の欲望の表れであり、その意味では相手のことをもっと知りたいと思う恋と何ら変わるところがない。ときに散文的な言葉でつづられる柴の作品が圧倒的なリリシズムを湛えるのはこの恋心がゆえであり、だからこそそこには世界への肯定がある。柴は作品を通して世界への愛を歌い上げる。

 『朝がある』は三鷹市芸術文化センターの企画「太宰治をモチーフとした演劇」の第9回として上演された。太宰の「女学生」を題材とした今作は、ある女子高生のある朝の一瞬、くしゃみをした一瞬から広がる世界を描く。上演に先行する形で群像2012年7月号に掲載された、柴自身の筆による同タイトルの短編小説「朝がある」では語りの主体もその女子高生に置かれており、柴独自の魅力が存分に発揮されつつ、形式の上でも「女学生」を踏まえた作品となっている。舞台版『朝がある』(以下舞台版)は大筋を小説版と共有しつつ、大石将弘という一人の俳優の語りと身振りがその世界を描写し構築していくという一点で小説版とは大きく異なる作品となっている。

 今作を特徴づけるのは微分的視点だ。微分は積分と対になる概念で、ある変化を伴うものの、ある一瞬の状態を切り取ってみせる。一方の積分は同じものを総体として捉える。岸田國士戯曲賞を受賞した『わが星』は人の一生と星の一生を重ねて描くことで、1日の、1週間の、1年の積み重ねが人の一生となり、人の一生の積み重ねがやがて地球の、そして宇宙の一生となることを示してみせた。ここでは、人の命がより大きな時間の流れの中にあることが、積分的な手法によって極めて効果的に描かれていると言える。一方、『朝がある』には微分的な視点が導入されている。『わが星』では捨象されてしまっていた世界の細部へのまなざしがそこにはある。『朝がある』は『わが星』と対をなす、世界を描き出すための柴の試みなのだ。

 舞台版が描き出すのは2012年7月9日月曜日午前7時39分の一瞬、少女が水たまりを飛び越えようとした一瞬、彼女がくしゃみをしたその一瞬だ。その一瞬には、しかし無限の世界が内包されている。地上18mにはヒバリ、上空2キロには雨雲、足元には時速1300キロで回転する地球があって、彼女の時計の中には1秒間に13000回震えるクオーツがある。一瞬の世界を構成する無限の要素。数えきれないそれらを丁寧に数え上げていく柴/大石の身振りは、好きな子の好きなところを挙げるそれにも似ている。「あばたもえくぼ」ではないけれど、世界の構成要素を一つずつ示してみせる柴/大石の身振りによって、ごく当たり前の世界に潜んでいた瑞々しさが鮮やかに表れてくる。

 光が彼女にくしゃみを呼ぶ月曜日の朝。光あれ、と神様が月曜日に世界を作り始めたことを考えると、彼女のくしゃみはビッグバンだ。彼女のくしゃみから広がる世界。くしゃみの一瞬には世界の予感がある。微分で求められるのは例えば放物線の接線の傾きで、それはその一瞬に秘められた変化の予兆を示す。ビッグバンに始まる宇宙。それを構成する要素を数え上げる身振り。折しも2012年7月4日、公演期間の丁度真ん中、ヒッグス粒子発見のニュースが流れた。不思議なシンクロニシティ。それはこの宇宙を構成する最小単位、素粒子の一つで、ものに重さを与えているという。詳しい仕組みは分からないけれど、宇宙の仕組みの一端が解明されるかもしれないというそのことにワクワクする気持ちがたしかにある。科学のロマンがそこにある。

 世界を微分する鍵は7という数だ。一週間が7つの曜日で構成されるように、光は虹の7色へ、音はドレミの7音へと分かたれる。世界を彩る7つの色/音。橙色のカーブミラー、赤い電車、緑のパジャマに黄色いパーカー。何もない舞台に大石の言葉が世界を描いていく。舞台は色が塗られていく真っ白なキャンバスに似ている。

 ところで、画家モネは無数の睡蓮を描いたことで知られている。睡蓮に限らず、彼は同じモチーフを繰り返し繰り返し描いた。繰り返すことで事物のイデア=真の姿を何とか捉えようとしたから、ではない。刻一刻と移りゆく光、それが照らし出す世界のその一瞬を捉えようとしたのだ。彼は全ての瞬間ごとに、世界に新鮮なまなざしをもって接した。だから、無数の睡蓮はその全てが等しく真実であり、ゆえに世界の煌めきとして見るものを惹きつける。柴/大石もまた、世界の一瞬を、一瞬の煌めきを捉えようとするかのように、少女のくしゃみとそこから広がる世界の断片を描いていく。7度繰り返されるくしゃみの瞬間。その度ごとに、瑞々しさを失わないように。世界はいつも驚きに満ちている。そのことを忘れないように。繰り返すごとに生き生きと鮮やかな演技を。日々はいつでも新鮮なものとしてあり得るのだから。

 大石は柴の絵筆として世界を描き出す。何もない空間に、ひとりの少女と、彼女を取り巻く世界を描く。舞台には何もない。だが私たち観客には、そこに息づく少女と世界が確かに感じられる。大石の軽やかな演技がそこに生命を吹き込む。一方で大石は同時に、私たち観客と同じ目線に立ち世界を発見していく役割も担っている。MCとして挟み込まれる大石の独白は「ここ、だけのはなし/個人的な意見を言わせてもらえば/来なければいい、朝なんて。/特に月曜の朝は、最悪だ」と心情を吐露し、キラキラと光る少女のくしゃみの瞬間とは正反対の月曜日の憂鬱を語る。そんな大石は、しかし、繰り返し少女を描写する中で少しずつ世界を発見する。「ここにある、全てを語ることは出来ないが、/おれは、/ここにある、ものを、見つめる、/これは、光のうた、だ」と改めて語り始める。

「朝がある」公演の写真1
「朝がある」公演の写真2
【写真はいずれも「朝がある」公演から。撮影=青木司 提供=ままごと 禁無断転載】

 大石を通して再発見されていく世界。思えば、作品の冒頭で使われていたのはバッハの「目覚めよと呼ぶ声が聞こえる」だった。始めから、柴は私たち観客に呼びかけていたのだ。目を開け、世界を見よ、そして世界に恋せよと。大石は柴の書く世界を舞台にリアライズするための絵筆であると同時に、私たちが世界を見るためのレンズでもあった。光の7色を見るのにプリズムが必要なように、私たちは大石を通して世界の美しさを知る。大石の透明な存在感こそが、世界と私たちをつなぐ媒介の役割を可能にしたのだ。

 一方で柴/大石は、世界の全てを知ることは出来ないことも知っている。くしゃみをする彼女の背後には虹が出ているが、「彼女は、目を閉じていて、虹が、あることを知りません」と、その美しさに彼女は気づかない。あるいは虹は「朝、/西の空に、/見える虹は、/これから、天気が悪くなることを表しています」と不吉の前触れであるのかもしれないが、いずれにせよ、彼女は虹がそこにあることに気づいていない。大石自身もまた、「すべてを知るには、多すぎる/すべてを知るには足りなすぎる」と己の無力を言う。それでも「関係のないものなど、ない」。世界はそこにあって、私たちはその和音の一部をなしている。

 「俺達は、ないものばかりを見ている/なくなったものを、/失ったものを、/見てばかりいる/あるもの、も、知らず、/夜を、さまよっている、/でも、/どんな人も……、朝の陽に包まれる……、/だから、/ないものを、語るのは、俺は、やめる/なくなってしまったものを、思うのは、今、俺は、やめる/それが、祈り、なのか、弔い、なのか、わからないが、/ここにある、すべてを語ることはできないが、/おれは、/ここにある、ものを、見つめる」

 この直後、半ば照れ隠しのように「立ち上がれ、日本!」というセリフが挿入されることからも分かるように、この作品もまた前作『テトラポット』と同じく、震災への応答としての側面を持つ。前作が震災そのものを直接モチーフとしていたのに対し、今作では震災への直接的な言及はない。そこでなされるのは、柴の決意表明だ。世界とどう対峙していくかという決意表明。『わが星』のラスト、少年と少女は出会った。そこには特別な一瞬があった。『朝がある』では大石と少女は出会わない。互いに接点を持つことなく、世界は続いていく。それでもなお、世界は特別な一瞬に満ちている。何でもないくしゃみの瞬間にすら、輝きがある。その一瞬一瞬に、真正面から向き合うこと。

 柴幸男は世界に恋している。だから柴の描く世界はキラキラと輝いている。それはある意味では恋にありがちな、相手を理想化する行為なのかもしれない。だが、好きでもない相手を愛することが出来るだろうか。愛してもいない世界を生きることが可能だろうか。世界の負の側面を無視していると批判することは容易いが、それでは私たちは世界の素晴らしさにきちんと目を向けているだろうか。2012年7月7日、七夕の夜、7時の回。観劇を終えて中央線に乗り、いつものようにtwitterを開く。そこには土曜日の夜の断片。無数に流れていくつぶやきの向こうに広がる世界。顔を上げれば、車内にはたくさんの人。さらにその向こうの車窓には、たくさんの明かり。

【筆者略歴】
 山崎健太(やまざき・けんた)
 1983年東京生まれ、早稲田大学文化構想学部表象・メディア論系幻影論ゼミ1期卒業生。現在、同大学院文学研究科表象・メディア論コース所属。演劇研究。

・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ya/yamazaki-kenta/

【上演記録】
ままごと+三鷹市芸術文化センター presents 太宰治作品をモチーフにした演劇 第9回「朝がある
三鷹市芸術文化センター 星のホール 2012年 6月29日(金)-7月8日(日) 全12公演

作・演出:柴 幸男
出 演: 大石将弘

■スタッフ
舞台監督=佐藤恵
演出助手=きまたまき
振付=吉村和顕
美術=青木拓也
映像=浜嶋将裕
照明=小木曽千倉
音響=岩野直人
衣裳=藤谷香子(快快)
衣裳協力=URBAN RESEARCH
宣伝美術=セキコウ
制作=ZuQnZ [坂本もも/冨永直子]
製作総指揮=宮永琢生

■チケット
【全席自由】(日時指定・整理番号付)
 会員 前売2,700円・当日3,150円 一般 前売3,000円・当日3,500円
 高校生以下1,000円(前売・当日とも)
*未就学児は入場できません。

「ままごと「朝がある」」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: 薙野信喜
  2. ピンバック: へそ(冬の光)

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