小西耕一ひとり芝居「既成事実」

◎俳優の仕事-虚構と現実をむすぶ鍵-
  宮本起代子

「既成事実」公演チラシ
「既成事実」公演チラシ

【俳優小西耕一のこと-荒野に立つ四男-】
 小西耕一の出演した舞台は、2010年春elePHANTMoon(以下エレファント)公演『ORGAN/ドナー編』(マキタカズオミ脚本・演出)や、2011年秋同じくエレファント公演『業に向かって唾を吐く』などをみている。いずれも物語の脇筋や副筋に位置し、堅実で的確な演技をする俳優という印象をもった。

 それを大きく変えたのは、昨年夏の鵺的第六回公演『荒野1/7』(高木登作・演出)である。母親から虐待され、父親の起こした事件によって散りぢりになった7人のきょうだいが再会した。成人したいまも虐待の記憶に苦しむ兄や姉、記憶には残らないまでも生い立ちが落とす影に悩む妹たちが、老いて病む父親をめぐって議論を闘わせる。

 親への愛憎をむき出しにしたり、逆に必死で堪えようとしたりするきょうだいたちのなかで、小西の演じる四男だけが表情にも口調にもまったく変化や起伏がない。別れぎわに「また会えるか」と問いかける長兄に対し、彼は「タイミング的によければ」と言う。「タイミング的ってなんだ?」いぶかしげな兄に、「バイトの予定とか」と答えて立ち去ってゆく(台詞は記憶によるもの)。

 虐待の記憶がほとんどないために影響を自覚していないのか、関わりたくないのか、いまが幸せで満たされているためなのか。台詞が少ないうえに表情も乏しく、類推させるようなところがない。きょうだいたちを拒絶も受容もせず、ただその場にいる。この不思議な存在のしかたは何だろう。

 演劇をしょっちゅうみているわりには、人物の背景や前後の物語など、おもてにあらわれていないあれこれを想像することはあんがい少ないものだ。
 しかし『荒野1/7』は上演から1年近く経ったいまでも濃厚にあとを引いており、その鍵を握るのが小西の四男だと思われてならないのである。

【ひとり芝居のこと】
 ひとり芝居『既成事実』当日リーフレットは、手に取った者を少なからずたじろがせる。A4二つ折り用紙の左右に細かい字でびっしりと、主宰者である小西耕一の「ご挨拶」が書かれているのだ。冒頭に来場の感謝と観劇前の注意事項があるのはいいとして、「人間関係において、『人畜無害』をモットーに生きてきた僕ですが」との前置きからはじまるのは、小西の恋愛破局体験の自己分析と生い立ちの告白なのだ。観劇まえに読むべきかどうか判断できないまま読み出してしまうと、不謹慎な言い方だがおもしろくてとちゅうでやめられなくなった。小学3年生のとき両親が離婚したこと、母親の再婚によって新しい苗字になり、以前の苗字がはずかしくてならなかったこと。

 つい1年前、インターネットで前の父親の名前を検索したところ、ある運送会社の月間優秀ドライバーとして表彰されていたことなどが、気負いのない語り口で淡々と綴られている。小西は運送会社の電話番号をメモして携帯電話を手に取った。果たして父子は再会したのか?

 これだけで芝居になりそうなほど、劇的である。ここまで詳細に自己を語った上になおかつ「ひとり芝居」というのはいったいどのようなものになるのか?期待と困惑が入りまじるなか、小西耕一のひとり芝居『既成事実』がはじまった。
 
 形式としては小西がひとり複数役を演じるのではなく、恋人や家族、職場の人たちが周囲にいるという設定で進行する。
 記憶をたよりに、登場人物や物語のながれを書きだしてみよう。

「既成事実」から
「既成事実」から2
【写真は「既成事実」公演から。提供=筆者 禁無断転載】

 タケシにはミヨコという可愛い恋人がいる。彼は彼女を愛してやまないのだが、彼女の浮気癖に悩まされている。発覚するたび彼女から浮気の首尾を聞きだして詳細なメモをとり、怒りはするもののずっと許しつづけている。

 タケシはなかなか仕事のできる男らしく、後輩の川島くんの言葉づかいを厳しく叱る面もあるが、先輩女子社員の佐々木さんには頭があがらない。タケシの両親は、彼が母親のおなかにいたときの父親の浮気が原因で離婚し、いまは新しい父がいる。タケシはこの父にあまり心を開けない。

 ある日ミヨコがまた浮気をし、さすがに許せなかったタケシは暴言を吐いて彼女を部屋から追い出した。それでも収まらず、浮気相手のクラモトユウスケがオーナーをしている店に佐々木さんと乗り込んだ。したたかに酔ったあげく佐々木さんにひと晩だけの慰めを求め、そこから話は急展開、猟奇的な結末を迎える。

 最小限の舞台美術のなかでタケシがひとりしゃべりつづけるが、携帯電話の会話も使いながら、相手とのやりとりを自然にみせる。浮気を責められて泣きだす恋人、土下座するその相手、鷹揚に接する佐々木さんなどが生き生きと感じられて、90分の上演時間を飽きさせない。さらっとした筆致であるが、ひとり芝居の戯曲として、きちんとした構成をもつものである。

 予想したとおり、主人公の背景や話のながれには小西自身の恋愛観や父への複雑な心境などが濃厚に反映されている。非常にベタな告白劇、私演劇になることが懸念されたが、重苦しさや押しつけがましさはまったくなく、あくまで芝居として楽しめるものであった。

【俳優の仕事】
 つくるほうもみるほうも、演劇ならではの醍醐味を堪能できるのがひとり芝居最大のメリットであるが、逃げ場のない劇場に拘束され、自己完結、自己陶酔、自虐、自己憐憫など、俳優のむきだしのエゴにつきあわされるというデメリットもあわせもつ。自分を主人公にするならなおさらだ。

 父親との確執、愛して別れた女性たちへの思いのためのひとり芝居、いわば自己救済が目的の舞台であったなら、みるほうは食傷したのではあるまいか。そうなっていないのは、小西の俳優としての個性であり、その根底にあるのは小西耕一自身の特質にあると考える。

 もう一度『荒野1/7』の四男のたたずまいを思い起こす。作・演出の高木登が小西本人の生い立ちや心象を知った上で彼をこの役に配したのかどうかはわからないが、あれは父親に対する彼自身の思いを反映した演技であったのではないか。今回のひとり芝居『既成事実』からさかのぼって『荒野1/7』を考えたとき、両者を切り離すことができなくなったのである。

 ひとり芝居の「ご挨拶」後半において明かされるのは、小西が別れた父親に連絡をとらなかったことと、そのときの心境だ。自分には「何も話すことがなかったから」。父親に何を言われようと、もう絶対に何も響かない、自分の感情がプラスにもマイナスにも動かないと思ったそうなのだ。「空白の20年という歳月は、血の繋がりすら他人に変えてしまうものなんだなあと思いました」と、決してネガティブな感情ではない達観をみせながら、「それでも」父親の仕事ぶりを知って、彼は「ほんの少しだけ誇らしい気持ちになった」というのである。「人間関係において『人畜無害』をモットーに生きて来た」小西耕一の心の鍵が、ここにある。

 『荒野1/7』の終幕ちかく「タイミング的によければ」と言った四男は、きょうだいたちとの再会が、「ほんの少しだけ」嬉しかったのかもしれない。
 そして「タイミング的によければ」、身ごもった妹をあれこれと手伝ってやったり、会いたがらないきょうだいたちへもあんがい嫌がらずに連絡をとったりするのではないか。これはあくまで筆者の妄想であり、『荒野1/7』は観客がそうやすやすと期待や希望を抱けるようなものではない。しかしあの四男がただ無関心で冷淡であるはずがない、と思ってしまうのである。

 ひとり芝居は誰にでもできる舞台ではない。また俳優みんながみんなやる必要のないものだ。その形式をとることがもっともふさわしい優れた戯曲と、演じる実力と魅力を兼ね備えた俳優の存在が必須条件と考える。

『既成事実』は俳優みずからが戯曲を書き、構成(演出)する形式である上に、本人以外の俳優に演じられる可能性は極めて小さく、小西自身はいわゆる名人芸的な技巧をもつ俳優ではない。しかしながら実人生を色濃く反映しつつ、自立した劇世界を構築した点において、俳優・小西耕一としても、演劇の一形態としても独自の境地を提示したといえる。俳優が劇作や演出にも手をひろげて才を発揮したということではなく、あくまで俳優の仕事として行ったひとり芝居であるととらえたい。
 俳優の仕事は役を演じること。そしてもうひとつ、役柄も演じる人自身も越えたところへ、みるものをいざなうことだ。

『荒野1/7』の印象が1年ちかく経って今回のひとり芝居に結びつき、今度はひとり芝居を通して『荒野1/7』の記憶を再度呼び起こしたとき、つかみどころのなかった四男が、小西耕一その人の存在を通して歩みはじめた。
 俳優の心の鍵は、その人が舞台で演じる虚構と素にもどった現実を結ぶ。

 小西耕一がこのひとり芝居を上演することは、俳優という仕事を選んだ一人の青年として必然であった。
 そして自分は、舞台における彼の虚と「ご挨拶」に記された以上のことは知らない彼の現実を行き来する体験を得たのである。

 ひとりの俳優に対して新たな視点を与えられたことは、演劇というものを自分がどうとらえるか、つまり虚の世界で自己をさらけだす俳優を前にして、客席の自分がどう呼吸するかという自己の存在までも考えさせるものであったのだ。考える手がかりとして、小西耕一の心の鍵(と筆者が思いこんでいるもの)はきっと重要な助け手となるだろう。しかしあまり安易に頼っていると危険な場所へ追いやられる可能性もあり、それも含めて行き先のわからない旅をあじわうことができるのではないか。

 9月には早くも第三回公演『破滅志向』が予定されており、今度は女優とのふたり芝居とのこと。「ご挨拶」ともども楽しみにしている。

【筆者略歴】
宮本起代子(みやもと・きよこ)
1964年山口県生まれ。明治大学文学部演劇学専攻卒。1998年晩秋、劇評かわら版「因幡屋通信」を創刊、2005年初夏、「因幡屋ぶろぐ」を開設。

【上演記録】
小西耕一ひとり芝居 第二回公演「既成事実」
中野坂上・RAFT (2013年5月15日-19日)

脚本・構成・出演 小西耕一
音響・照明 大谷倫之
映像記録 ハセガワアユム
協力 秋澤弥里 菊地未来

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