浙江京劇団「オイディプス王」

◎京劇で演じるギリシア悲劇
 北野雅弘

 新国立劇場で、中国の浙江省の杭州を拠点とする浙江京劇団による『オイディプス王』を観た。毎年、北京・ソウル・東京の持ち回りで開催されるBeSeTo演劇祭の一環で、東京での公演は一日だけだ。京劇の上演はずいぶん昔に「孫悟空大鬧天宮」を観たくらいで予備知識がないのだけれど、『オイディプス』は自分の専門領域とも関係があるので、どんな風に料理するのかしら?という関心が大きい。

 浙江京劇団は、1969年に結成された浙江省唯一の京劇団で、2005年には、中国の文化部によって初の「国家重点劇団」に選定されたまだ若い劇団だ。レパートリーは多岐に及び、新作や伝統的京劇など様々な作品を取り上げてきた。演出と主演を兼ねる翁国生は、まだ若手と言って良いのだろうけれど、劇団の芸術監督を務めている。

 この東京の上演を大きくそこなった二つの点をまず指摘しておく。第一は字幕のタイミング。沈黙する、遅れる、遅れを取り戻すために読めないほどの速さで次々に提示する、台詞よりも前に表示するなど、字幕として殆ど機能しない酷さ。演劇の字幕は、そのときその場で台詞を聞きながらプロジェクターを操作しなければならないので難しいし、中国語だと英語の場合よりもいろいろ大変なのは分かるが、ここまで酷いのは未経験だ。

 第二は音響。演劇祭の予算規模や劇場の問題からすべてをライブで演奏することは出来ず、伴奏やコーラスはテープに頼らねばならないのに文句をつけるつもりはないが、二列目中央で観ていた私には、スピーカー音がほぼ左上から聞こえてくるのは結構気になった。舞台上の俳優の歌唱の一部が左上からだけ響き、口パクのように聞こえる箇所が幾つかあった。殆どはテープにあわせて舞台でも歌っているのだけれど。

 この二点を除けば、上演はとても面白いものだった。舞台は古代ギリシアのテバイに置かれ、中国の話に翻案はされていない。原作となるソフォクレスの悲劇では、「父を殺し母と交わるだろう」との神託を受けたオイディプスは、テバイ王ライオスを、テバイ王だとも実の父だとも知らずに、諍いの末殺してしまう。その後、テバイを襲っていた怪物スフィンクスを退治した功績でテバイ王に推戴され、ライオスの妃だった実の母イオカステを母とは知らず妻とする。彼らは四人の子をもうけ幸せに統治していたが、あるとき、テバイに疫病が蔓延し、その原因を究明するうちに、彼は、それが、知らずして犯した自分の罪に下された神アポロンの罰であると知る。イオカステは縊死し、オイディプスは、自らの両眼をえぐり出し、今やテバイの新しい王になった義弟クレオンに自分の追放を求める。ソフォクレスは、直接には、テバイの疫病からオイディプスの破滅までを舞台上で描き、それまでの出来事は物語の進行の中で徐々に明らかにされてゆく。

 この上演も、若いオイディプスが一人の従者を連れて三人の予言者を訪れ、テバイの疫病の原因をたずねるところから始まる。この従者が舞台上を所狭しと駆けまわりながら連続して宙返りを行うのにまず驚嘆する。その衣装に「馬」と書かれているのを見て、この動きが疾駆する馬を表していたことが分かる(パンフレットでは「衛兵」役)。私はこの冒頭で上演に引き込まれた。頭に雉の羽根飾りをつけたオイディプスは真心溢れる美青年で、裏声の歌の凜々しさも嬉しい。次の場面に登場する王妃(毛懋)も美しく華がある。役柄としては、それぞれ若い武将を表す「雉尾生」と女性主人公の「靑旦」になるのだろう。王妃との間に四人の子供がいるという原作の設定とは異なり、まだライオスの死後三年しかたっていないという設定がこの二人の若さに活きている。二人とも、腕の倍以上ある長い袖を使った踊りが華麗で美しい。女優が演じている場合も裏声なのは京劇の演技の特徴のようだ。

 助けを求めたオイディプスに、予言者たちが、先王の死の真実を求めよとのお告げを下すのも原作通りだ。側近(ソフォクレスの原作だと王妃の弟のクレオンに当たる人物)の言葉から、三年前、流浪の途上で諍いになり殺めてしまった人物こそが先王でないかとオイディプスは疑う。ソフォクレスでは、オイディプスは、まず、予言者テイレシアスによってライオス殺害犯だと糾弾され、その糾弾が義弟クレオンによる王位簒奪の陰謀ではないかと考え、クレオンの処罰をはかる。ライオス殺害は自分のかつての諍いが原因ではなかったのかと彼が疑い始めるのは劇も半ばを過ぎてからだなのだけれど、本作ではそこは省略され、「父殺しと母との婚姻」という、この伝説の本質的な部分に焦点は絞られている。

 オイディプスが悩む中、彼が生まれた国の乳母が登場し、オイディプスに祖国の父王の死と、オイディプスが王位を継ぐように民が求めていることを告げる。乳母は、オイディプスが祖国の父王の実子ではないこと、馬丁によって乳母に渡された捨て子だったことを告げ、それを聞いて王妃はオイディプスが自分の子であると知る。乳母の到着から王妃が真相を知るまでは、ほぼソフォクレスそのままの進行で、ソフォクレスから採られた台詞も多い。前半の主要な事件が省略されているので、ここまではとてもテンポ良く進行する。

 本舞台の醍醐味は、王妃がオイディプスの出生の真実を知ってからだ。彼女は一人になり、悲嘆のアリアをたっぷりと歌った後で、駆けつけたオイディプスと側近の目の前で身を投げて死ぬ。王妃の歌は悲痛だがうつくしく、原作にはない情感溢れる二人のやりとりが痛ましさを盛り上げていた。今回、殆ど裸舞台での上演で別に大きな不満は感じなかったが、ここだけは場所を想像させるセットが欲しかった(高楼なのかしら)。投身自殺が出来るような場所だということも分からなかったため、身投げはやや唐突。

 その後、馬丁(原作では羊飼い)の王への真相告白。笑いの要素が殆どないドラマ上のクライマックスに登場する馬丁は道化役の化粧をしている。馬丁は、ライオス殺害のおり逃亡してしまった件で既に死刑を覚悟しているが、オイディプスがかつて自分が助けた赤ん坊であり、ライオスとイオカステの子であったと乳母から聞いて自ら命を絶ってしまうのが意外。

 「京劇」という言葉から私たちがまずイメージするリズミカルな武の描写が全くないこの作品で、視覚上のクライマックスはすべてを知ったオイディプスが自分を責めて目をつぶす場面だ。ソフォクレスでは幕間に置かれ、観客は伝令の言葉によって想像するだけのこの場面は、この京劇版では舞台中央で実際に演じられる。たっぷりとした嘆きのアリアと踊りのあと、客席に背を向けたオイディプスを三人の預言者が取り囲み、早変わりの準備をする。彼が再び振り向むくとき、真っ白だった長い袖は赤く染まっており、目を刃物で突き刺したことが効果的に示される。本上演では西洋の弦楽器と中国の伝統的な楽器の両方が用いられているが、オイディプスの嘆きの歌はメロディアスで、中国のテレビドラマの音楽のように親しみやすく、荘厳さや悲愴さを感じさせるどころかやや楽しそうにも響きかねないメロディだった。音楽と感情の関係は文化によって様々であることを実感する。袖が染まった後もオイディプスは歌い続ける。この場面には目の演技もあり、その点で違和感はあったが、しかし彼の激情の表現としては興味深い。側近が登場してオイディプスの目を包帯で手当てさせてようやく彼の感情は静まる。クレオンに権力が移るソフォクレスの悲劇とは異なり、オイディプスが破滅した後も主従の関係に変化がないのも面白い。ギリシア悲劇にも、オイディプスが盲目になった後もテバイを支配し続けるという設定の作品はある。だが、側近のこの変わらぬ忠誠は馬丁の自殺とともにどこか東洋的に感じるのも確かだ。

 ギリシア悲劇と京劇は、東西の古典劇の代表のように聞こえるけれど、ギリシア悲劇上演は近代の復活だからもともと古典性はないし、京劇も、きちんと形をなしたのは十九世紀後半で、今回のように西洋の楽器も利用するものも結構あり、私たちが「古典」という言葉に求めるような伝統的な規範性をそれほど持っていないように見える。でも、歌唱や動きの独特の様式美は、ギリシア悲劇の古典的な単純さとかなり相性が良く、実際、京劇によるギリシア悲劇の重要な上演も幾つかある。最も有名なものはリチャード・シェクナーが1995年に台北で上演したアイスキュロスの「オレステイア」(http://hidvl.nyu.edu/video/000033694.htmlに上演のヴィデオがある)と、陳士爭が1996年に国立京劇院で行ったエウリピデスの「バッコスの信女たち」だが、河北省の石家庄を拠点とする「河北梆子(かほくほうし)劇団」もソフォクレスの「アンティゴネ」やエウリピデスの「メデイア」など、幾つかの作品を伝統的歌劇のスタイルで上演している。今回は、シェクナーや陳の上演と比較すると、役柄、演技、踊りのどれも京劇の枠組みを踏み越えずにオイディプスの物語を手際よく取り込んだように見え、その点でも興味深いものだった。

【筆者略歴】
北野雅弘(きたの・まさひろ)
 群馬県立女子大学文学部美学美術史学科教員。専攻は美学。しんぶん赤旗の劇評を月一度担当(2006年から)。ソフォクレス「オイディプス王」(『新版ベスト・プレイズ』論創社2011年所収)の翻訳あり〼。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/kitano-masahiro/

【上演記録】
浙江京劇団 京劇『オイディプス王』(第20回BeSeTo演劇祭)

新国立劇場中劇場(2013年10月23日)
原作:ソフォクレス
演出:翁国生
出演:浙江京劇団
料金:1500円~3000円


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