◎近くて遠い国に伝うべきもの。
柾木博行
晴れ渡った青空の下、ゆったりとのぼり旗がたなびいている。ずんぐりとした年配の男がマイクを片手に話す。
「全国の皆さん、お元気でしたか。今日も世界各地で希望を胸に頑張っておられる海外の同胞や勤労者の皆さん、ボランティアの皆さん、蒼い大海原を渡る外航と遠洋漁船員の皆さん、韓国を守る兵士の皆さん、そして全羅北道金堤市の市民の皆さん、ありがとうございます…」
韓国KBSテレビの長寿番組「全国のど自慢」のワンシーンだ。日本の「のど自慢」と同様、参加者は民謡から演歌、最新のK-POPまでさまざまな歌を老若男女が楽しく歌う。だが、どこか日本の「のど自慢」と雰囲気が違う。それはここにいる人達が「未来に希望をもっている」ように思えるからだ。あるいはそれはこちらの勝手な思い込みかもしれないが、それでも、参加者、観衆の人達を見ていると、成長する国特有の明るさ、力強さを感じる。それは、かつて日本にもあり、今はもう失われてしまったもののように感じるのだ。そんなことを思ったのは、ある舞台を観た後だったからかもしれない─。
『キル兄にゃとU子さん』は東日本大震災直後の2011年6月に福島県の劇団満塁鳥王一座(まんるいとりきんぐいちざ)の主宰者で座付き作家の大信ペリカンが発表した作品だ。この作品の成立について、大信はこのように語っている。
舞台は一面真っ白い。おびただしい新聞紙が散らかっており、中央に浮島のように1メートル四方くらいのジオラマが吊り下げられている。山をくりぬいたトンネルを走る新幹線のレールがあり、おそらくこれは福島を表しているのだろうと思われる。芝居は男女二人が、2010年から福島県の主な出来事を1年ずつ遡りながら語っていくところから始まる。磐越道全線開通、野口英世が描かれた新千円札発行、東北新幹線路線発表…。そして語りは東京電力が大熊町で原発の運転を開始した1970年で終わる。そしてこの町にはキル兄にゃという男がいて、新聞をまき散らして町の人が困っていること、いつかは止まると思っていたがキル兄にゃは新聞販売店に住んでいるため、いつまでも新聞をまき散らすのが止まらないことが語られる。
3人の登場人物たちはこの町に住むU子さんという女性を探している。だが、ある女が探すのは幼稚園で一緒だった幼なじみのU子さんで、別の女が探すのはネットで知り合ったジャニーズが好きでコンサートのチケット代を預かったまま姿をくらましたというU子さんであり、ある男が探すU子さんは、家庭料理が売りのビストロのシェフ、とどうも要領を得ない。やがて、U子さんを探す3人が足元に散らばる新聞を拾って記事を読み上げると、ご当地映画の製作やフラダンスのイベント、孫との交流を綴った新聞への投書など、そこに登場する人の名前はすべてU子さんだ。そして読み上げる記事の日付が3月11日になると、けたたましく緊急地震速報が鳴る。警報音がおさまって登場人物たちはまた新聞を読み続ける。被災後に移住先で出産した女性、ツイッターで作品を読み続ける福島の詩人、米タイム紙で「もっとも影響ある100人」に選出された南相馬市市長。その全ての人の名はU子さんだ。そしてまた別の新聞紙を三人の男女は読み上げる。それは福島県警発表の死亡者名簿。名前は全てU子さん。沢山のU子さん=無名の人達の死が淡々と読み上げられていく。やがて3人は「たなばたさま」を演奏しながら、男は2011年7月、8月と未来の年月を読み続け、女ふたりは歌を重ねる…。
私がこの作品を見たのは初演から3カ月後に行われた「PAW2011東北・復興week」という相鉄本多劇場で開催されたフェスティバルでの再演だった。既に震災から半年ほど経っていたが、この作品の衝撃は大きかった。なによりも劇中で鳴り響く緊急地震速報は、その当時も実際に日常で体験していた東日本大震災の余震を告げるもののようで、鋭いチャイムの音に対して身体が反射的に身構えてしまった。そして、年表を読み上げることで、福島県が経済的な発展と引き換えに原子力発電所を受け入れてきた事実を冷静に見つめ直しているところに、作者の大信の無念さが伝わってきた。それと同時に、首都圏の人間として、自分たちが使う電力のために作られた原発による事故のつけを福島県の人びとに回していることを告発された気がして、どうにもいたたまれない思いになった。
それから2年─。『キル兄にゃとU子さん』が初演と同じ東京の小劇場、サブテレニアンで2013年11月〜12月に再演された。今回は、満塁鳥王一座の公演ではなく、劇場のプロデュース企画として劇場主でありサイマル演劇団代表の赤井康弘が演出を担当。さらに出演者も福島の俳優は使わず、東京の俳優陣と韓国の女優クォン・ナヨンが演じるということだった。夏に会ったときに演出の赤井はこの再演について「この作品は震災後の福島を描いた作品だが、福島で完結している話ではなく、他の原発のある韓国や中国など他のアジアでも起き得る話。そういった普遍性をもたせた上演にしたい」と語っていた。果たして、実際の上演はどうだったか─。確かに赤井の言うように、単に震災後の福島での原発事故を扱った作品というだけに止まらない普遍性をもったものになっていた。というよりも、作者の大信が一部書き加えたことによって、原発に代表される科学の発達が人類の幸福と蜜月を遂げた時代の終わりを訴える文明批評へと質的に変化をしていた。
再演版『キル兄にゃとU子さん』も基本的な枠組みは初演と変わっていないが、唯一大きく変更されたのは、初演版にはいなかった「1970年の女」という登場人物が追加されたことだ。この女は物語の展開とはほとんど関係なく突然ある歌ととともに登場する。
こんにちは こんにちは 西の国から
こんにちは こんにちは 東の国から
こんにちは こんにちは 世界のひとが
こんにちは こんにちは さくらの国で
一九七〇年の こんにちは
こんにちは こんにちは 握手をしよう
明るく朗らかな三波春夫の声で歌われる「世界の国からこんにちは」は1970年に開催された日本万国博覧会、通称大阪万博のテーマソングである。「1970年の女」は万博のシンボルともいえる岡本太郎デザインの「太陽の塔」に模した衣裳を着て、コンパニオンのような明るい声でこう言う。
「こんにちは。こんにちは。わたしは一九七〇年の女です。未来はこちらですか?」
そう、我われは万博に詰めかけた6,400万人の人びとが夢見た「未来」に生きている。「1970年の女」は今を生きる登場人物たちの会話を気にすることなく突然割って入る。
「西暦一九七〇年、〈人類の進歩と調和〉を主テ一マとした日本万国博覧会の開催を記念して、毎日新聞社と松下電器産業株式会社の両社は共催で、現代文化を五千年後の人類に残すために、同じ内容の「タイム・カプセルEXPO’70」二個を完成し、歴史的に由緒ある大阪城公園本丸跡の地下十五メートルに埋設した」
「1970年の女」が語るタイムカプセルは実際に現在も大阪城公園の下に埋められており、パナソニックのWebサイトには詳細なデータが掲載されている。2つあるタイムカプセルのうち1つは2000年に内容物の検査のために開封され、百年後の定期検査まで再び埋め戻されている。劇の最後、初演と同じく「たなばたさま」を登場人物たちが歌う中、「1970年の女」がタイムカプセルに入っているだろう、ある小学生の作文を読み上げて劇は終わる。
大阪万博が開催された1970年当時、もちろん水俣病や四日市ぜんそく、さらには光化学スモッグの発生などの公害は既に社会問題化しており、科学技術の発達が必ずしも人類に幸福をもたらすだけではないということは認識されていた。だが、この当時、基本的には科学の発達と社会の発展はともに歩みを進めるということが信じられていた時代だった。万博の開会式が行われた3月14日には、関西圏に電力を供給する敦賀原発1号炉が営業運転を開始している。そんな科学に希望をもった時代の象徴である「1970年の女」が現れることで、現代の福島に生きる登場人物達=観客である我われは、もう科学にも人類の未来にも希望をいだけないという事実を改めて突きつけられる。
劇の冒頭、福島県内の過去30年間の出来事をクォン・ナヨンが韓国語で読み上げ、それに合わせて日本語字幕を出したことも、福島県の原発との足跡を客観的な視点で提示し、この作品が福島県在住の劇団による地元で起きた原発事故を描いた作品から普遍的な文明批評をした作品へと進化することに効果をあげた。もともと演出の赤井はクォン・ナヨンにも台詞はほとんど日本語で話すように求めていたということだが、稽古段階でどうしてもしっくりこなかったため、急きょ一部の台詞を韓国語で話すように変更したのだという。この判断は演出家の考えていた以上にうまく働いたと言えるだろう。
もちろん、すべてがうまくいった訳ではなく、役者同士のテンポが早過ぎるのか、本来はコミカルであるだろうシーンが、笑っていいのかどうか判断がつきかねるようなところもあった。その意味では今回の上演を踏まえてさらに練り上げた舞台を見せて欲しいと思うのは私だけではないだろう。
初演について大信は「劇団として福島の「今」と向き合おうと思いました」と語ったが、今回の改訂再演版は「人類の「今」と向き合った」作品になったと言えるかもしれない。
「それでは本日の優秀賞の発表です─」
『キル兄にゃとU子さん』のことを考えているうちに、もう「全国のど自慢」は表彰式になっていた。この人たちの住む国にも原発があって、いつ福島で起きたことと同じような事故があるかもしれない。この人たちが『キル兄にゃとU子さん』を観たらどう思うだろうか。「明るい未来」を信じている人びとにそんなものはもうないのだと伝える役目を演劇に求めるのは酷だなと思いながら、私は明るいエンディングテーマ曲が流れるテレビを消したのだった。
【筆者略歴】
柾木博行(まさき・ひろゆき)
演劇批評誌シアターアーツ編集長。1964年青森市生まれ。演劇情報誌シアターガイドの創刊から3年間編集部に在籍。その後、1995年から演劇情報サイト・ステージウェブを主宰。共著に「ステージカオス」「20世紀の戯曲III」「80年代・小劇場演劇の展開」。
ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/masaki-hiroyuki/
【上演記録】
SUBTERRANEAN Dialogue 「キル兄(あん)にゃとU子さん」
東京公演 サブテレニアン(2013年11月29日-12月3日)
静岡公演 アトリエみるめ(2013年12月5日-6日)
脚本:大信ペリカン(満塁鳥王一座)
構成・演出:赤井康弘(サイマル演劇団)
出演:クォン・ナヨン 葉月結子 米谷よう子(第七劇場) 山本啓介
照明:麿由佳里(満塁鳥王一座) 音響・演出助手:山田尚古(未定ノ類) 舞台監督:大山ドバト
宣伝美術:川村智美
制作協力:洪明花(ユニークポイント) 制作助手:菅井新菜(ハルヌル)
制作:さたけれいこ(サブテレニアン) 製作:サブテレニアン サイマル演劇団
主催:サイマル演劇団・サブテレニアン 助成:芸術文化振興基金
アフタートークゲスト
[東京公演]
11/30(土)15時 柾木博行氏(シアターアーツ編集長)
12/1(日)15時 大信ペリカン氏(満塁鳥王一座)
12/2(月)15時 西堂行人氏(演劇評論家)
司会:菅野直子氏(99roll、劇作家・演出家)
[静岡公演]
12/5(木)15時 渡辺亮史氏(劇団渡辺)
料金: 一般前売 2500円(当日 2800円) 学生前売 1500円(当日 1800円)