コンブリ団「ガイドブック」

◎煙に巻かれる
 林 伸弥

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 Bright Eyesというオクラホマのバンドがあって中学生の頃から愛聴しているのだけれど、このバンドの中心人物であるコナー・オバーストはいつも同じことばかり歌っている。僕なりの言葉で要約すれば、

 好むと好まざるとにかかわらず、あなたに出会った瞬間に僕とあなたの関係はすでに終わっている。

 世の中には、どこにもいけない関係というものがある。最初から結末の見えている関係ほど苦しいものはない。にも関わらず僕らは往々にしてその関係を求めてしまう。できることは、ただひたすら絶望に向けて一直線。何かを変えることはできるはず、と意気込んでみても、心のどこかで、きっと何も変わらないと諦めている自分がいたりする。
 例えば、そんな関係があったとして。
 例えば、それが文学なら音楽なら一つの美しい詩にでもなるかもしれない。
 けれど実人生において、僕らは終わってしまった「後」もどうしたって生きなければならないのだ。果たしてあなたのいない人生に向き合うことはできるのだろうか?

 コンブリ団「ガイドブック」を観劇。(1月26日14:00の回@津あけぼの座)
 たまたまこの作品の大阪公演の時、僕は照明と搬出の手伝いをすることになって、なぜか代表のはしぐちさんに「劇評書きますよ」と偉そうなことを鼻息とともに豪語。が、すべてを後回しにするA型特有のいつもの癖が出始めたのは、そう去年の暮れか。そうだ。来年の津公演を観てから書いても遅くはないだろうと呑気に炬燵でミカンをムキムキしながら「はやし君、劇評まだ?(―_―)」というはしぐちさんからの連絡に怯えていた今日この頃、やっと重い腰を上げた次第…。
 というのは、嘘で、いや半分、本当なのだけれど、大阪公演を観た後では正直うまく言葉にできなかったというのが本当の本当である。

 「ガイドブック」はいわゆるメタフィクションの構造を持った作品である。
 まず劇の冒頭、はしぐちさんが前口上と共に現れ、演劇の特性を語りだす。曰く、「演劇は時間と空間を飛び越えることができる」ということ。しばらくすると名前のない女たちが現れ、「境界線」についての議論を交わす。どうやらこの劇では「境界線」が重要な意味を持つらしい。女たちは青い線をはしぐちさんの前に引く。はしぐちさんはその線をちぎり取る。

 すると舞台は病室の待合室へ飛ぶ。女1が一人(手にはガイドブック)。女1はどうやら先ほど運び込まれた男の恋人らしい(男の容体や病状はこの段階では説明されない)。
 そこへ死神がやってくる。男を看取りに来たのだ。
 そこで場面が飛ぶ。
 どうやらそこはあの世の市役所らしく、死神たちが地球の人口数を整えている。死神たちは人間たちがまた戦争を始めたおかげで仕事が忙しくて嫌になっちゃうと文句を言っている。

 また場面が飛ぶ。また病室。今度は女1の前に別の死神が現れる。が、ここで女1と死神による男を巡るドラマは展開されない。死神は「あなたの持ってるガイドブック、それはこの劇の台本ですよ」と指摘、メタフィクションモードに突入しながらサラエボの2人の少女の場面に転換。

 劇場、病室、あの世、サラエボ。主にこの4つの場面を行ったり来たりしながら劇は進行し、場面間を区切る「境界線」は溶けはじめる。そして最後、女1の男に対する、ある一つの態度の表明で終幕する。

【写真は、「ガイドブック」公演から。撮影=西岡真一 提供=コンブリ団 禁無断提供】

 前述したように、最初、僕はこの劇に対して言葉を持つことができなかった。
 なぜか。
 作者の芯が、僕には見えなかったからだ。劇中の言葉を借りれば「煙に巻かれた」のだと思う。いったいはしぐちさんは、何を語りたいのだろう。

 なるほど「ガイドブック」は「境界線」に関する話なのだろう。あらゆるシーンで物事は二対で示される。人間:死神、あっち側:こっち側、ボスニア:ヘルツェゴビナ、現実:虚構、俳優:登場人物…そしてそれらの中心に据えられるのが、生と死の境界線上にある病室であり、そこに佇む女1であり、我々である。いやそれはわかるけれど、だからどうしたというのだろうか。何かを読み取ろうとしても、すぐに言葉も人物も、相対化され、はぐらかされる。Aが何かを言う。するとすぐ誰かがそれは台本に書かれた言葉だ、という。

 誰かが冒頭で「それじゃー劇をはじめーます」と言いはじめるスタイルが当たり前になって久しい。登場人物に成り切るのはダサイぜ彼女。これは演劇ですよ。作りものですよ的ワンクッション。これ大事。
 俺は思う。あほかと。
 もうそんなクッション、ドンキーホーテにも売ってないぜ。と声を大にして言いたいところだが、そうではない何かが「ガイドブック」にはあるような気がした。

 ここに大阪公演で最も印象的だったシーンを挙げておきたい。
 ある場面で女1は(たぶん)夢の中で男に話しかけている。男は随分前に死んでしまったようだ。

 女1「酔っぱらっちゃった時にメールしちゃってさ、そしたらメーラーデーモンって送り返されてきてさ、びっくりした。悪魔からのメールかと思って」
 男「(ふふ)」
 女1「そしたら違うのよね。Mailer Daemon。調べたら悪魔とは綴りが違うのよね。Daemonは守護神って意味なんだって」
 男「(そう)」
 女1「見守っててくれた?」
 (「ガイドブック」p.19)

 僕はこのシーンを大阪公演で観たとき「いい台詞だな」と思ったのを覚えている。けれど、他のシーンの相対化合戦に気を取られ、いまいちこのシーンが持つ意味を理解できずにいた。けれど津公演で改めてこの場面を観た時にあることに気が付いた。
 非常にリアルなのだ。男と女1の佇まいが。
 この作品では登場人物が、ことあるごとに「これは俳優がやってますよ」と言ったりして登場人物を演じることそれ自体が相対化されてしまうため、登場人物には登場人物(虚構)としてのリアリティが伴わないはずである。ではなぜ?
 簡単な理由だ。この二人だけは劇中で「演技してますよ」と表明することはなく、周到に相対化が避けられていたのである。
 この二人をとても身近なものに感じたとき、僕の感情がグルッと揺れた。そしてはしぐちさんの芯を発見したような気がした。
 ここでこの文章の最初に書いたbright eyesの作家性につながってくる。

 はしぐちさんは、すでに終わってしまった関係の「後」を描こうとしたのではないか。

 後半で男は自傷行為を繰り出していたと暗示される。いつ死んでもおかしくはない、10年後死ぬかもしれない、あるいは明日死ぬかもしれない。

 女1「予感はあったんです、あれからずっと。いつかは今日のような日が来ると思っていた。いつもあしたがそうだったらどうしようって思って眠りについていた」
 (「ガイドブック」p.28)

 男の自傷行為は女1と出会う前から始まっていたのだ。
 これは完全に僕の邪推だが 女1は男に出会った瞬間から、男の死を見据えていたのではないだろうか。「ガイドブック」はただ様々な「境界線」を描いた作品ではなく、女1が境界線を越えてしまった「後」の男と向き合う作品なのではないか。

【写真は、「ガイドブック」公演から。撮影=西岡真一 提供=コンブリ団 禁無断提供】

 津あけぼの座の会場でコンブリ団の前作「ムイカ」の台本を買った。やはり「ムイカ」にも、僕が仮定したはしぐちさんの作家性は現れている。「ムイカ」は広島に落ちた原爆の「後」の話である。(そう考えれば、女1と男がまだ一緒にいた頃(終わる前)の描写が一切ないことも合点がいく)
 何かが決定的に終わってしまった「後」、僕ら(はしぐちさん)はどうするべきなんだろう。女1は最終的に、こう結論付ける。

 「悲しみを言葉にするがいい、そうすれば耐えきれない重荷を背負った心に悲嘆が囁きかけて心がはりさけることはない」
 (「ガイドブック」p.29)

 「悲しみを言葉にする」
 いうまでもなく、それははしぐちさんが演劇を作る、行為そのものである。

 「ガイドブック」は受け手に忍耐力を強いる演劇だったと思う。脚本構造の段階で男と女1のシーンが極端に少ないし、様々な場面がランダムに組み込まれているため焦点を絞りにくい。また最初は明確に場面と場面を別けていた「境界線」が曖昧になり溶け合ってくるので、よほど注意していないと最初に僕が感じたように煙に巻かれてしまう。もちろんその煙は意図されたものであり必然であるのはわかる。なぜならはしぐちさんは「演劇は時間と空間を飛び越えることができる」と信じているし、様々な時空を飛び越えた果てに、初めて男と女1は、その「後」を語り合わなければならないからだ。

 ただ意図せぬわかりづらさが、この作品にはあったように思う。男と女1のその「後」が、すべて言葉で説明されてしまうので、具体性が乏しいのは明らかな難点ではないか。僕としてはその「後」の二人の関係がもっと具体性を持った形で、いかに変容するかを観たかった。(それこそが作家の仕事ではないか)

 その「後」どうすべきか? の結論が「悲しみを言葉にする」という点からも明らかなように、これははしぐちさんの「私演劇」に他ならない。そして「私演劇」で最も重要なことは作家と作品の距離感である。
 僕はちょっと作家と作品が近すぎる気がした。(もちろんメタフィクションを最大限に使って距離を取ろうとしているのだけれど「ムイカ」の方が距離感はうまく取れている。原爆という題材のおかげか)

 実のところ、この作品には他者が登場しない。すべての登場人物は、はしぐちさんの自問自答を言語化しているのみである。
 しかし、だからこそ、であるが故に、先ほど引用したメーラーデーモンの件は胸を熱くさせるのだ。
 行くあてもなく帰ってきたメールには唯一作家以外の他者がいる。
 それは僕らにとってのかけがえのない人である。

(注)「ガイドブック」の脚本ははしぐちしんさん御本人に提供して頂きました。

【筆者略歴】
林伸弥(はやし・しんや)
 演出家/作家。2009年同志社大学文学部美術・芸術学専攻卒業。京都を拠点に日々演劇活動を行っている。夢は地上征服。最近は大阪・名古屋・東京などにも出没中。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ha/hayashi-shinya/

【上演記録】
コンブリ団その7「ガイドブック
作・演出 はしぐちしん

大阪公演 カフェ+ギャラリーcan tutku(ジャン・トゥトゥクー)(大阪市西成区松1−1−8出口ビル)(2013年12月06日-08日)
三重公演 津あけぼの座 (2014年01月25日-26日)

出演
佐藤あい
竹田飛鳥
濱奈美(劇団ひまわり)
朝平陽子
諏訪いつみ(満月動物園)
はしぐちしん

スタッフ
[舞台監督] 山中秀一
[照明] 池辺茜
[音響] あなみふみ(ウイングフィールド)
[制作協力] 秋津ねを(ねをぱぁく) 尾崎雅久(尾崎商店) 山田千佳代
[協力] 有限会社現場サイド 劇団ひまわり 満月動物園 香川倫子
[共催] 特定非営利活動法人パフォーミングアーツネットワークみえ 津あけぼの座
[主催] コンブリ団
[助成] 芸術文化振興基金 大阪市

[ポストトークゲスト]
1月25日(土)14:00 山口茜さん(トリコ・A主宰 劇作家・演出家)
1月25日(土)18:00 鳴海康平さん(津あけぼの座芸術監督 第七劇場主宰・演出家)
1月26日(日)14:00 小熊ヒデジさん(てんぷくプロ所属・KUDAN Project代表 俳優・演出家)
1月26日(日)18:00 はせひろいちさん(劇団ジャブジャブサーキット主宰 劇作家・演出家)


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