Bunkamura「殺風景」

◎「わたしたち」を構成しえない狂った家族の空間は、「わたしたち」の空間と位相同型か?
 高橋 英之

 実話がある。

 2004年9月、福岡県大牟田市で暴力団幹部の男とその妻、長男、次男の4人が共謀して、家族同士で親交のあった女性とその息子2人および息子の友人の計4人を殺害し、金品等を強奪し、死体を遺棄した事件。福岡地裁久留米支部は、求刑通り4人全員に死刑を判決。福岡高等裁判所は、判決文に「非情かつ残酷」「凶悪」「極端な粗暴性」「冷酷」「深刻な反社会性」といった言葉を並べ、被告人の控訴を退けた。そして、2011年10月、最高裁判所第1小法廷は、被告である家族4人に死刑の確定を告げている[注1]。

 この事件の犯人に、同情や憐憫の感情が沸き起こる人は少ないだろう。むしろこれは、わたしたちの生きている空間とは全くの別空間の出来事だとしか思えない[注2]。そんなどうしようもない事件を、作者・赤堀雅秋[注3]は『殺風景』という作品として舞台に上げてきた。いったいどういう意図をもって?観客に何を届けようとして?

 『殺風景』はもちろんフィクションであるが、事件の部分はかなり実話に沿った作品である。実際、舞台には「2004年」という事件が起こった年が明示される。殺したハズの相手が息を吹き返すシーン、戦利品のカバンから発見される現金の金額、また、家族の長男が腰痛持ちで内縁の妻が妊娠していること、さらには捕まった父親が拘置所に拳銃を持ち込み自殺未遂を起こしたこと、長男が拘置所から逃走したことまで、ほとんどノンフィクションと呼んでもよいくらいに多くの実話のエピソードが『殺風景』という作品には盛り込まれている。そして、それは、セリフにまで及んでいる。
福岡高裁の判決文に引用されている母親の言葉

「もう、がまんらなん。うち殺さなでけん」

赤堀が作品の中で母親に語らせているセリフ

「お母ちゃん、あん女殺そうと思うと」
「もう限界たい。もうどうにも我慢の出来ん」

信じられないような極悪非道の罪を犯した狂った家族4人の所業は、ほぼ実話通りに舞台上に再現されていた[注4]。まさに、「わたしたち」の空間とは別空間の話として。

 ただ、こうして観劇後にイロイロ調べながら高裁の判決文を読んだり、実行犯の次男の手記を図書館で借りて読んだりしたときの印象と、実際にシアターコクーンの舞台で受けた印象はまるで異なっていた。たしかに、作品の中でも、「実話」の部分は、あきれ返る話の連続だ。『殺風景』の中では、父親・国男の取調べシーンで、刑事・袴田がその気分をしっかりと代弁してくれている。

「正直もう辟易としてるんですよ。あなたみたいな種類の人間たちと接しているとね、怒りを通り越して虚しくなるんですよ。」

別空間の住人たちに出会っての、驚きと怒りと諦めの中間地点。東京から赴任してきたエリート刑事のその感覚こそは、本来であれば、この別空間を眺める観客にもっとも共感性の高い立ち位置であったハズだ。ところが、実際に舞台を前にして、自分のなかに湧き上がってきたものは、かなり異なっていた。むしろ、なんだか怖い気分になっていた。まるで「わたしたち」とは無縁なハズの別空間に引きずり込まれ、自分までもがその別空間に接続してしまうような怖さ。冷静に、文章で、知識として頭に入れるプロセスでは、絶対に自分の空間とはクロスしない別空間の話が、舞台からの不思議な力によって、擦り寄ってきてしまう感覚。舞台に向かって拍手をしながら、その怖い気分に一番近い感覚を思い出していた。そう、まったく別の演劇作品の登場人物に出会ったときのこと。それは、ウィリー・ローマン、アーサー・ミラーの『セールスマンの死』[注5]の主人公である。

 ウィリー・ローマンは、売るものさえあればどんどん売ることができた黄金の成長期のアメリカの幻想にとりつかれたままの凡庸なるセールスマン。気がつかない間に、変化してしまった時代の流れに、ついてゆくことができなくなっていた。彼は、過去の幻想から逃れられず、妄想に取りつかれている。自らの仕事に対して、そして家族に対しても。やがて、それが幻想であると知った舞台の最後で、ウィリーは自殺する。

 この過去と現在が交差する中で描かれた『セールスマンの死』の悲劇が、どうにも今回の『殺風景』と重なってしまったのは、作者・赤堀雅秋が、2004年のほとんど実話で構成された「現在」に、想像をたくましくして作り出した1963年の「過去」をからめてきたからである。その年、作品の舞台となった大牟田に本拠のあった三池炭鉱では、大規模な爆発事故[注6]があった。それは、「総資本対総労働」とうたわれた三池労働争議[注7]の終幕に追い打ちをかけた事件であり、そこからはじき出された労働者たちが、まさしく「去るも地獄、残るも地獄」とした状況にあることを確認せざるを得ない年であった。時代の奔流に飲み込まれてしまった男として舞台に登場した1963年のクニオ(八乙女光)、そしてその奔流の中で、ヤクザに身を落としたその後の姿である2004年の国男(西岡徳馬)。背景も状況も異なるのだけれど、時代の激流に翻弄される姿は、どこかウィリー・ローマンに似ている。そんな気分がした。

 『殺風景』では、若きクニオが、炭鉱にしがみついている。1963年当時も、まだ炭鉱で働いている。これはどうしたことか。1955年の石炭鉱業合理化臨時措置法以降、日本の石炭産業は、政府のエネルギー産業における構造転換政策の下、収束過程を経て、終焉に向かっていたハズである[注8]。1963年は日本の炭鉱の閉山のピークともされていた年だ。その年に、あえて炭鉱に新たに集う者たち。なぜだろう?最初、それは、地域移動の難しさが原因ではないかと思った。

 作品に登場する地名や、店名を、Google Mapに入力していってみると、驚くほど近い。船津のマルキョウ、ミニストップ、マックスバリュー、沖田のファミリーマート、八江町のカラオケ、西口の寿司屋、新栄町のボウリング場、サウンドビルのカラオケ、三池港、ケンタッキーのあるゆめタウン…そのどれもが、半径2.5キロメートルの円に収まってしまった。クニオ/国男が、そしてその家族が、容易には移動のできない困難性[注9]を抱えていたことが示唆される。

 しかし、1960年代に、すでに斜陽を通り越して衰退産業になろうとしていた炭鉱[注10]に、あえてやってくる人間は、地域移動の困難性を原因とした者ばかりではなかった。作者・赤堀は、1963年の炭鉱の現場の登場人物に、次のようなセリフを吐かせている。

「何でわざわざ三池まで。東京だったら来年オリンピックで有り余るほど仕事があるでしょ[注11]」

九州の三池炭鉱に、あえて東京から、大阪から人がやってくる。それは、地理的な移動の困難以上の、まさに労働移動そのものの困難性を象徴している[注12]。炭鉱で働きたい、炭鉱でしか働けない、ほかの仕事では通用しない。そんな人間が、集まる場所。そのような場所である三池炭鉱も、1997年には完全に閉山となる。その過程で、ヤクザに身を落とさねばならなかった者。そのように、赤堀は、クニオ/国男を造形している。国家の大規模な戦略転換という、どうしようもない時代の奔流に飲まれての、どうしようもないヤクザへの転身。そこに、2004年の事件の発端があったのだと、作品『殺風景』は時代の交差を描いている。

 1963年のクニオは、勤勉な炭鉱労働者であった。事故の後、炭鉱を離れることになっても、タクシーの運転手としてまじめにつつましく暮らしていこうとしていた。それが、崩れる。どうしようもなく、変形してゆく。女と出会う。マリは娼婦。しかも、「嫌いな人とセックスしたくなる」と公言する女だ。そのマリとクニオが、魅かれ合い、落ちてゆく。まるで、「堕ちてゆくのも、しあわせだよと」と歌われた流行歌[注13]のように。

 さみしいのだ、皆。そして、どうしようもないのだ、彼ら彼女らを取り巻く状況は。狂気の家族が、事件を起こしている只中に、4人そろってコンビニのパスタを食べるシーン。唐突に「ハワイ」という単語が登場し、それぞれが、その昔家族そろって熱海に行ったことを思い出しながら、次のようなセリフを呟く。

父親・国男(西岡徳馬)「ハワイは・・・遠かよ」
次男・稔(八乙女光)「うん・・・」
母親・マリ(荻野目慶子)「ハワイはちと遠かね」
稔「うん・・・」
長男・直也(大倉孝二)「ハワイは遠かよ」
稔「うん・・・そうやね・・・」

肩で風切るハズの暴力団幹部の家族であっても、かつての贅沢はせいぜい「熱海」。食べているのは、コンビニのパスタ。そして、2004年当時で「ハワイ」がもはや実現不可能な夢でしかないという状況[注14]。加えて、このシーンの直後には、さらなる惨殺を続けるしかないという「どうしようもない」状況が待ち受けている。家族4人を演じた俳優は、この一見平凡な会食の場面で、見事に「さみしさ」をにじませていた。

【写真は「殺風景」公演から。撮影=細野晋司 提供:Bunkamura  禁無断転】
【写真は「殺風景」公演から。撮影=細野晋司 提供:Bunkamura  禁無断転】

 「さみしさ」は、そして、「どうしようもなさ」は、犯人の家族に留まらない。赤堀雅秋は、舞台の上に、まるでグラデーションのように、この「どうしようもない」状況とそこから惹起される「さみしさ」を並べてみせる。キムラ緑子演じる被害者の女・節子が、物質的欲望を追求しようとする背景として吐露する、事故で一酸化炭素中毒となった父親の看病の話もそのひとつ。駒木根隆介が演じた地元所轄署の下っ端刑事が、現場にいながら携帯電話で子供の病気の対応をしなければならないという話もひとつだろう。なかでも、その「さみしさ」の演技で出色だったのは、いまでは家族と袂を分かってスナックのママとなった長女・道子を演じた江口のりこ。ふとしたきっかけで、事件の渦中にある長男・直也と携帯電話でつながり、まさに<なんでもないようなこと>[注15]を話したことを回想する場面で、思わず泣かされた。「さみしさ」は、殺す側、殺される側だけでなく、舞台の隅々まで共鳴していた。

 誰もが「どうしようもない」状況の中で、「さみしさ」を抱えている。そのクライマックスは、もちろん、節子が殺される直前に、殺す女・マリが突然歌いだす『黒の舟唄』[注16]。やがて殺される女・節子と、いまはヤクザとなった国男も加わって、3人が一緒になって歌い上げる。赤堀が、それぞれの「どうしようもない」状況での、それぞれの「さみしさ」を、理屈を超えて舞台の上にドラマチックに共鳴させてみせたシーンだ。

 作品のあちこちに散りばめられた「さみしさ」の共鳴は、舞台を越えて、「わたしたち」にも迫ってくる。その触媒となるのが、エリート刑事の袴田(近藤公園)だ。舞台の上で、うっかりと、この「さみしさ」の渦に巻き込まれてゆく。犯人からトンコツの話を聞いて、トンコツを食べに行き、臭いにおいのしみついたスナックで、大牟田の駅前と実家の埼玉の風景を、しみじみと重ね合わせる。そのような揺さぶりを受けて、「わたしたち」は、この「どうしようもない」狂った家族4人の空間と、まさにどうしようもなく接続されてしまう。

 数学の世界に「位相同型」という概念がある。例えば、コーヒーカップとドーナッツは、外見がまるで違う形のものなのだけれども、粘土のような連続変型が許される条件下では、同じ「穴がひとつ」の物体になってしまう。それを、「同型」だとする考え方だ[注17]。『殺風景』に描かれる狂った家族の空間は、わたしたちの空間とはまるで違うハズなのだが、舞台の進行とともに、しょせんは「位相同型」なのではないかという感覚が襲ってくる。赤堀は、別空間の存在であるハズのクニオ/国男を、多くの人々が行き交うスクランブル交差点に何度も立たせる。まるで、クニオ/国男の空間と、「わしたち」の空間が「位相同型」であることを示すかのように。

 いや、実際、『殺風景』の空間と「わたしたち」の空間の差は、ある意味とてもわずかな距離なのかもしれない。「失業なき労働移動」[注18]などというおよそ不可能性の高い政策看板を掲げる政権に身をゆだねている「わたしたち」も、そのうち、投げ出されるのだ。その不安が常に現実であるいま、「どうしようもなく」なって、「さみしく」なって、クニオ/国男のようにならないと、どうして断言できるだろうか。シアターコクーンの観客席[注19]での自分は、そのような恐怖と不安を、分析という回路を経ずに、演劇人・赤堀雅秋から投げ込まれたのだった。

 『殺風景』は、2004年の実話をベースにしている。作者である赤堀雅秋は、その「現在」と「過去」の交差を、舞台に表出させようとした。では、もう一方の1963年の「過去」の事実とは何だったのだろうか?それは、ひとつではない。事実とは、それほど単純ではない[注20]。例えば、舞台に散りばめられた1963年頃の状況、すなわち昭和30年代を焦点としての炭鉱を去った者たちの状況を、後世の学者たちはどのようにとらえているのだろうか?一例として、最近の学術論文から引用をしてみたい。

 「日本の石炭産業はエネルギー産業における構造転換政策の下、収束過程を経て終焉をむかえた。昭和30年以降、炭鉱離職者は20万人を超えた。離職者対策は、私企業、各産炭地の特別問題にとどまらない国家的課題として認識され、公共性のきわめて強い事業と位置づけられた。他産業にはみられない手厚い対策・支援体制が整えられ、再就職のみならず、移動、住宅、職業訓練等を含めた「総合的な対策」が高じられた。・・・(中略)・・・大規模な炭鉱離職者の再就職は、総じて大きな社会混乱を生じることなく遂行された。」[注21]

 巷間、1960年代が高度経済成長の時代として語られることも多い中、この学術論文の指摘する「総じて大きな社会混乱を生じることなく」という空間記述も、また、ある立ち位置からみた「過去」の「事実」ではあろう。むしろ、「どうしようなさ」や「さみしさ」を振り切って、時代の急流を乗り切って生き残っていくためには、必要かつ正しいポジショニングかもしれない。

 ただ、そのような達観した立ち位置に立ってしまう者は、自らの「さみしさ」を癒す方法もマスターしておかねばならない。『殺風景』のラストシーンで、スナックの女が唐突に切り出すように、サッカーの日本代表を応援することで、大きな「わたしたち」を取戻そうとするのもそのひとつだろう。客の男がスナックのママに結婚を申し込んだように、小さな「わたしたち」を作り出そうとするささやかな工夫も有効なのかもしれない。しかし、その「わたしたち」のひとりひとりが、よるべなきひとりの個人としてできることは、何だろう。『殺風景』で「位相同型」として接続されてしまった、「どうしようもない」世界の「さみしい」住人たちは、ひとつの解答を示している。それは、国男とマリ、そして節子が、一緒に歌い上げた『黒の舟唄』の叫び。

「Row and row. Row and row. ふりかえるな。 Row. Row.」

ウィリー・ローマンのように、過去の幻想をふりかえってばかりはいられない。そう、漕いで、漕いで、前進するしかないのだ。わたしたちは、この殺風景な空間で。

[観劇日: 2014年5月3日(土)18:00公演 Bunkamura シアターコクーン]

[注]
1.[事件の裁判]当初は家族4人に対しての審理行われたが、福岡地裁久留米支部は第二回公判から「母親と次男」と「父親と長男」の2つに分離して審理。その後の地裁、高裁、最高裁においても分離して審理されている。
2.[別空間の出来事]次男の獄中手記『我が一家全員死刑—大牟田4人殺害事件「死刑囚」獄中手記』(2010年/コアマガジン)をまとめたルポライター鈴木智彦は、直接この次男とも面会をしているが、「狂った家族の価値観を、一般的な常識や通念で理解するのは難しい」と評し、「罵詈雑言の限りを尽くしても、最後には言葉が尽きる」と切り捨てている。
3.[赤堀雅秋]本作品『殺風景』の作・演出者。劇団「THE SHAMPOO HAT」の旗揚げメンバーで、同劇団が上演した『一丁目ぞめき』で、2013年に岸田國士戯曲賞を受賞。なお、2012年には自らの脚本・監督により制作した映画『その夜の侍』でも、新藤兼人賞金賞などの映画賞も受賞している。
4.[実話]実際の事件であったことが、相当程度そのまま再現されている舞台作品の『殺風景』の中で、意図的に触れられていないこと、あるいは改変されているポイントもいくつかある。例えば、家族の子供としては、作品では事件に関与した2人の長男・次男と、家族と袂を分かった長女だけが登場するが、実際には、「男3人女2人」の5人兄弟であったことが、次男の手記には記されている。また、次男が、相撲部屋に弟子入りしていたことや、覚せい剤の常習者であったことなども、一切作品の中では描かれていない。すなわち、当然のことではあるが、『殺風景』は「実話」をベースにはしているが、あくまでフィクションなのである。
5.[セールスマンの死]1949年に発表された米国の劇作家アーサー・ミラーの代表作。アメリカンドリームの幻想を追い求めて敗れた1人の男の悲劇。世の中が牧歌的だった時代には、人脈や個性を生かして富や幸福を得られ、一攫千金の夢がいたるところにあったが、やがて才覚なしには成功ができないという当たり前の現実に直面し、主人公ウィリー・ローマンは精神を壊す。
6.[三池炭鉱事故]1963年11月9日に、三川抗で起きた炭じん爆発事故。死者458名というだけでなく、非常に多くの一酸化炭素中毒患者(認定数だけで839人)を出した大事故。のちに、この一酸化炭素中毒患者への対応を巡っての組合闘争(通称:CO闘争)が激化し、国会をもゆるがす運動となっていった。(死者数などは、『むかし原発 いま炭鉱』(熊谷博子/2012年/中央公論社)による)
7.[三池労働争議]戦後次第に激しさを増していた炭鉱での労働争議が、1960年に日本最大の炭鉱であった三井三池炭鉱で沸点に到達。三池労組には全国からの応援が駆けつけ、日本の財界が総力あげて会社側を支援したことなどから、「総資本対総労働」の闘いと言われた。同年7月に強制執行が決定されて、2万人の労働者側に1万人の警官隊が突入する構えとなり、流血の惨事必至といわれた中、最後に調停がなされ、12月には生産が再開されたが、労組は「指名解雇を受けた者は、自主退職」という厳しい結果を受け入れることになった。
8.[エネルギー産業の構造転換]昭和30年(1955年)の「石炭鉱業合理化臨時措置法」以降、日本政府はエネルギー産業における構造転換を開始。昭和38年(1963年)の石炭鉱業審議会の答申を受けて、第一次石炭政策が実施され、以後40年間で9次にわたる政策変転を繰り返し、「石炭から石油」への大規模なシフトを進める政策が展開された。
9.[地域移動の困難性]カネやモノに比べて、一般的にヒトは流動性が低く、状況が変わったからといって住む場所をすぐさま変えることは容易ではない。この傾向は、日本にかぎらず、EU各国などでも見られる現象である(5年間の住居移動率:日本=27.2%、EU平均=27.9% /2012年6月3日・日本人口学会での総務省発表『人口移動の国際比較』)ただし、一般的傾向として、地方における移動率は、都市部における移動率よりも低いことが知られている。(人口問題研究64−3(2008.9)pp.87〜111「地域別将来人口推計における人口移動モデルの比較研究」小池司朗 ほか)
10.[衰退する炭鉱]戦後の石炭産業労働者数の推移 昭和21年(1946年)225千人、昭和30年(1955年)164千人、昭和35年(1960年)128千人、昭和38年(1963年)66千人(通産省『石炭統計月報』による)
11.[東京オリンピック]1964年に東京で開催された、日本初のオリンピック。その準備に向けて、競技施設だけでなく、首都高速道路、地下鉄、モノレールが開通し、東海道新幹線も開通し、首都圏では未曾有の工事ラッシュとなっていた。
12.[労働移動の困難性]ヒトの移動の困難性は、地理的な移動の困難にとどまらない。むしろ、最大の問題は、業種・職種の変更を伴う移動である。特に、異なる産業への移動については、より大きな困難があり、失業者が次の職を1年以内に得た比率は、同一産業内であれば85%であるのに対し、異なる産業への再雇用は20%弱にとどまるという実証研究もある(経済社会総合研究所レポート「経済分析第155号」(1997年)「 労働移動、失業期間と労働者の属性−労働力調査特別調査による分析−」による)。
13.[流行歌]沢田研二「時の過ぎゆくままに」(1975年/作詞:阿久悠、作曲:大野克夫)
14.[2004年のハワイ旅行]日本では、1964年にようやく海外渡航の自由化が行われ、ハワイには民間航路が開かれた。当時、サラリーマンの初任給が2万円程度だった時代に、その旅行代金は36万4千円。まさに、ハワイは「一生に一度は行ってみたいところ」の代表であった。その後、1970年にはジャンボジェットが就航してからは、ハワイは「手を伸ばせば実現できる憧れ」になる。2004年であれば、すでに円高も進行し、格安航空券も一般的になり、ハワイまでの往復航空運賃は6万円少し。うまくいけば、一家4人で飛んでも、30万円はかからない。羽振りがよさそうなイメージのある暴力団幹部の家族といっても、内実は30万円程度の旅行が見果てぬ夢でしかないという絶望的状況にあったということだろう。
15.[なんでもないようなこと]この一節は、1993年にレコード大賞を受賞したTHE虎舞竜のヒット曲『ロード』の歌詞でもある。「何でもないような事が、幸せだったと思う、何でもないようなこと、二度とは戻れない夜」という曲のサビの部分は、『殺風景』でも引用されている。「さみしい」人間の、「どうしようもない」状況と、まさにシンクロする曲であろう。
16. [黒の舟唄]作詞:能吉利人・作曲:桜井順。野坂昭如が自主制作したレコードに収録されていたものを、1971年に日本コロムビアがメジャーデビューさせヒット。その後、長谷川きよし、加藤登紀子、桑田佳祐など多くの歌手によってカバーが行われている。
17.[位相同型]球の表面と湯飲みの表面とはある連続した変型で互いに移し合うことができるので「位相同型」と呼ばれる。また、穴が1つ開いたドーナツの表面 (トーラス) と持ち手がひとつあるコーヒーカップも同じく「位相同型」である。言い換えると、球の表面と湯のみの表面は数学でいうところの位相幾何学的に同一の性質を持ち、ドーナツの表面とマグカップの表面も同一の性質を持つ。しかし、球とトーラスの間には、このような変型方法が存在しないので位相同型とはならない。作品『殺風景』は、球だと思い込んでいた「わたしたち」の空間が、実のところトーラスであることを教えてくる作品だと、・・・とりあえず数学的にはそのようにいえるかもしれない。
18.[失業なき労働移動]安倍政権の経済政策であるアベノミクスの3番目の矢「成長戦略」の中で、核とされているテーマ。成熟産業から、成長産業に人材をシフトさせることで、経済全体の成長を担保しようとするもの。理論的には正しく、政策的にはこれを実現する必要はたしかにあるが、具体的に有効な方法が確立されているわけではない。少なくとも、これまで慣れ親しんできた業種を離れなければならない各労働者にとっては、極めて重いハードルを課す政策テーマ。
19.[コクーンの演劇]今年初めにコクーンで上演された『冬眠する熊に添い寝してごらん』(作:古川日出夫、演出:蜷川幸雄)は、奇しくも新潟の石油油田の衰退を、日本の近代の病理のきっかけとして描いていた。同じ劇場が、今度は九州の炭鉱の衰退を、日本の近代が生み出した別の病理の起源として描いた作品を上演しているというのは、非常に興味深い付合だ。
20.[事実]日本が中国や韓国との過去の歴史上の出来事について、「事実」を争っていることに典型的にみられるように、過去に起こったことがどのような「事実」であったのかを、異なる人間の間で共有することは容易ではない。ましてや、その「事実」の当事者となると、その困難性はさらに増す。
21.[炭鉱離職者の再就職]ここでは、『日本労働研究雑誌』(2013年12月号/ No. 641)の「特集:産業構造の変化と人材移動」の中に掲載された『石炭産業の収束過程における離職者支援』(早稲田大学教授・嶋崎尚子の論文)から、引用している。

【筆者略歴】
高橋英之(たかはし・ひでゆき)
京都府出身。ビジネスパーソン。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ta/takahashi-hideyuki/

【上演記録】
Bunkamura25周年記念「殺風景
Bubkamura シアターコクーン(2014年5月3日〜5月25日)

作・演出:赤堀雅秋
出演:八乙女光、大倉孝二、荻野目慶子、江口のりこ、近藤公園、大和田美帆、尾上寛之、太賀、福田転球、駒木根隆介、安藤聖、キムラ緑子、西岡徳馬

美術:金井勇一郎
照明:原田保
音響:井上正弘
衣裳:十川ヒロコ、
ヘアメイク:鎌田直樹
擬闘:栗原直樹
振付:池島優
演出助手:坂本聖子
舞台監督:中村貴彦/小林清隆
宣伝美術:榎本太郎
宣伝写真:江森康之
宣伝ヘアメイク:西岡達也
宣伝スタイリスト:森保夫
宣伝小道具:片平圭衣子/キーストーンズ

主催:Bunkamura
企画・製作:Bunkamura

【大阪公演】
シアターBRAVA!(2014年5月30日〜6月2日)

 


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