トヨタ コレオグラフィーアワード2014

◎明らかにされない判断基準、今後が期待される顕彰事業
 鉢村優

 トヨタ自動車と世田谷パブリックシアターの提携事業として2001年に創設されたトヨタ コレオグラフィーアワード。一般公募の中から選ばれた6名(組)の振付家がファイナリストとして作品を上演し、“ネクステージ”(最終審査会)で「次代を担う振付家賞」の授与者を決定する。本アワードは、トヨタ自動車の公式サイトによれば、「ジャンルやキャリアを超えたオリジナリティ溢れる次代のダンス」を対象とし、振付家の成長を支援する目的で実施されている。9回目の開催となる本年は以下の6組がネクステージに選出された。

 捩子ぴじん 「no title」
 スズキ拓朗「〒〒〒〒〒〒〒〒〒〒」
 木村玲奈「どこかで生まれて、どこかで暮らす。」
 塚原悠也「訓練されていない素人のための振付けのコンセプト001/重さと動きについての習作」
 川村美紀子「インナーマミー」
 乗松薫「膜」

 以下、上演順に各作品について整理していく。

捩子ぴじん 「no title」

 「no title」は男性ダンサー2人1組による作品。ロボットダンスのように関節や体の部位を個別に動かす運動と、全身を有機的に連携させる全身運動が対比されて描かれる。この2種類の運動の対比という構図が作品の主要なモチーフとなり、そのうえで「言葉と振付の関係」や「自己と他者」といった論点が取り上げられる。これは身体による思索とも呼べる、高度に内省的な作品である。このような構造をもつ約20分の作品は、大きく3つの部分に分けられるだろう。
 (1)分断された運動と連関する運動の対比
 (2)踊りの客観視
 (3)言葉の踊りへの変容

 (1)で身体を細分して見つめ、次第に高まる音楽に乗って踊りを展開しようとする。しかし、その勢いにブレーキをかけるような冷静さが(2)で提示される。2人のダンサーのうち1人は動きを止めて舞台にしゃがみこみ、もう1人の踊りを黙って見つめるのである。
 続く(3)では、静止しているダンサーがうつろな声で何かをつぶやき始める。それは徐々に明瞭な発音となり、パンフレットにも記載された、踊りを引き出す「言葉」であることが明らかになる。それぞれのダンサーが役割を交替するうち、踊りは減衰して幕を閉じる。

 傍観する側のダンサーが唱えるのは擬音語と簡単な単語の入り混じった不思議な文字列である。1人のダンサーが発する「シュッ ドン カッカッ ウン」「クルン キック ウタタ」ということばは、もう1人によって受け取られて踊りに変容する。
 特に興味深いのは、ことばを受けて生み出される踊りは、2人のダンサーによって微妙に異なるということである。捩子ぴじんは土方巽の弟子でダンサー、役者、演出家である麿赤児に師事した経験をもつ。土方はことばのイマジネーションによって振付を生み出す「舞踏譜」でダンスに新たな地平を開いたが、本作からはその系譜を端的に感じ取ることができる。ことばとその踊りへの変容過程を注視する「no title」は、6組の中でもひときわ禁欲的な印象を残した。

スズキ拓朗「〒〒〒〒〒〒〒〒〒〒」

 本作は「宛どころに訪ねあたりません」という言葉を出発点としている。それは宛先不明で戻ってくる郵便物に印字される文字であり、この言葉から想起される物語が作品を一貫する軸となる。踊りと筋書きとが互いに牽引しあって展開する本作には、演劇とダンスを越境しようとするスズキの創作姿勢が感じられる。このことは、スズキがダンスカンパニーと劇団をそれぞれ主宰していることからも明らかである。
 (1)郵便配達員の前口上
 (2) 郵便物の群舞

(1) 郵便配達員(スズキ拓朗)は宛どころ不明の郵便物が焼却処分されることを述べ、激しい音楽と共にブレイクダンスを展開する。彼は突如停止すると、暗転の後に自転車に乗って登場し、舞台上に置かれたポストを覗き込む。すると摩擦音を立てて、舞台の3分の1を占めるほど大きな茶褐色の袋が下手から登場し、郵便配達員の動きに合わせて移動、収縮/膨張を繰り返す。あるとき袋が突然決壊すると、中から10人のダンサーが飛び出してくる。彼らは皆、茶封筒を模した衣装を着ており、一目で彼らが郵便物の擬人化であることが分かる。

(2) 舞台上に撒き散らした茶封筒の上で彼らは口々に何かをわめき、少人数でのアンサンブルを繰り広げる。「封筒の群舞」はアンサンブルの人数/動きのモチーフ/男女の組み合わせと多岐にわたる内容で展開され、それを通低するのが郵便屋さんの縄跳び歌である。
「ゆうびんやさん はがきが10枚おちました ひろってあげましょ 1枚2枚・・・」

 この歌は封筒の群れによって輪唱され、変奏され、複層的な音響を構築する。縄跳び歌と封筒の踊りは歩調を合わせて展開し、その頂点に至ると郵便配達員が踊りに加わる。彼は舞台上を封筒の間をぬって踊り、いたるところで白紙を投げ上げる。それは床の茶封筒と10人の封筒に対して鮮やかな対比を成し、大きな効果を上げていた。次第に乱舞は収束し、暗転。ポストの中に光がともり、郵便配達員と郵便物が覗き込む顔を照らす。彼がそのフタを閉じると光は細り、観衆の視線を一身に受けながら消えて、幕。物語はシンプルだが、音響と色彩、空間把握と振付家の鋭敏な感覚の光る洗練された作品である。

木村玲奈「どこかで生まれて、どこかで暮らす。」

 舞台上に3つのランプがあり、そのそばにそれぞれ1人のダンサーが佇んでいる。客席の壁にも1つのランプが灯され、長い沈黙。薄明かりの中で電話と思しき会話が聞こえてくる。それはなまりを含んでいて、郷里の家族と上京してきた娘とのやりとりであることが分かる。音楽の代わりに電話の録音を用いた本作は、舞台上のダンサーがともに郷里との電話を背景に踊るよう構成され、したがって3つの部分から構成されている。
 会話を背景に踊られるのは同一のシークエンスである。扉を開けるように腕を前から横へと動かし、腿を打って床に伏し、四足で這う。この繰り返しを中心に踊りが展開された後、最後にダンサーは再び元の位置に戻り、長い沈黙を経てランプが消されて幕。
 木村はダンサーとして活動した後に2012年に振付家としての活動を開始したが、本作は彼女の処女作とも言える作品である。音楽を使用せず、録音された会話を背景に踊るというアイデアは、振付家の問題意識をもとにした独自のアイデアとして評価すべきである。しかし表出しようとする概念を運動に変換しきれず、踊りとして未消化のマイムに終始した印象があり、今後の洗練が期待される。

塚原悠也「訓練されていない素人のための振付けのコンセプト001/重さと動きについての習作」

 本作は一抱えほどもある石や重い本の束を持った男性2人が、仰向けになった1人の男性の上に乗る、という行為を中心に進められる。
 乗られて呻いている男性の顔にはカメラが向けられ、その様子は舞台上のモニターに映し出される。床にはビー玉のようなものが置かれ、少し離れて太鼓も置かれている。これは片面だけに皮の張られたドラムをひっくり返したような形で、ビー玉が投げ入れられると良く響く。この呑気な音が男性の呻きと対比を成し、シュールなユーモアを作り出している。乗られる側、乗る側の誰かがビー玉を投げ、太鼓が鳴ると舞台上のランプが消されて暗転する、というのが本作のルールである。
 暗転の際には、同じく舞台上に設営された小屋の中から笛を吹く男が登場し、掛け声と共に数回フラッシュを焚く。しばらくするとランプが灯され、相変わらず乗られている男が現れる。重りを増やしながらこれらの運動を繰り返し、上に2人が乗ったまま移動して小屋に3人が入ったところで終わる。
 本作を構成・上演した《contact Gonzo》はリハーサルをほとんど行わないことを特徴とし、美的洗練を意識的に排除している。そのため、タイトルが示すとおり重さを主題としたパフォーマンスが行われていることは明らかであるが、これを舞台芸術と呼ぶべきかどうかはまた別の議論が必要であろう。
 
川村美紀子「インナーマミー」

 当日配布資料で川村は、本作は「心の中にひそむ母親を撃退するゲーム」であると述べている。作品は、大まかに以下の3つの部分から構成される。
(1) 轟音の中でストロボが焚かれ、ダンサーが登場する
(2) サイン音の踊りのポリフォニー
(3) キューピー人形を交えて展開される(2)

 (1)暗転の中で強力なストロボが焚かれ、踊りながら登場するダンサーを照らす。暗闇に浮かび上がる4人のダンサーは白黒の衣装を着け、8ミリフィルムのように不連続に明滅して浮かび上がる。徐々に間接照明が灯され、観衆はこの運動を連続した像として認識できるようになる。(2)暗転の後に1人のダンサーが照らされ、コンビニエンスストアの入店サイン音にあわせて踊る。
 続いて緊急地震速報、JR東日本の発車サイン音、エレベーターの案内音声、横断歩道の誘導音、ファストフード店のサイン音、踏切の警報、警察の街頭アナウンスが踊りを伴って流される。この8種類の踊りとサイン音の組み合わせが以降の主題となり、それらは互いにぶつかり合いながらポリフォニーを形成する。
 (3)やがて暗転し、佇むダンサーの右からラジコンに乗せられたキューピー人形が登場する。追いかけるダンサーから人形は逃げ、1人のダンサーの周囲に合計で3体の人形が登場しては消えていく。やがて1体の人形を中心に4人のダンサーが一列に並び、スポットライトの中で先の「サイン音の踊り」を繰り広げる。
 暴力的な轟音に始まり、幾種類もの電子音が同時に鳴り響く壮絶なポリフォニー。本作は音楽を効果的に用い、圧倒的な存在感を持って20分を埋め尽くした。一方で、それぞれのサイン音に割り振られた振付は全篇を通じて変化することがない。8種類の踊りは一種の建築資材のように扱われており、その組み合わせによって本作は構成されている。また冷静に個々の振付を見てみると、そこに強い独創性も見られないことに気づく。つまり、本作の牽引力や存在感はおおむね、音響効果によって生み出されていたことが分かる。

乗松薫「膜」

 天井から吊るされたハンガーの束には光を反射する装飾が付けられている。床には細い緑色の絨緞がしかれ、その上を歩いて2人の女性ダンサーが登場する(鉄田えみ、乗松薫)。一方は赤いパーマのかつらをかぶり、白シャツと半ズボン、もう一方はピンクのドレスを着ている。弦楽四重奏に乗せて2人はデュエットを踊り、それは映像をはさんで大きく2つの場面に分割される。
 映像は卵割や細胞分裂といった生命に関する主題を暗示していて、2人のダンサーは男女の組み合わせであることがわかってくる。2人は一連のデュエットの中で奇声を発し、バナナを食べ、絨毯の上に置かれたミキサーにトマトをかけて飲み干すといった行動を取るが、その意図するところは明らかではない。男女の愛と葛藤や生命の誕生を扱っていたと考えられるものの、様々な意表をつく演出に妨げられて、主題は幻想的な舞台美術の中に埋没し、全体としてメッセージの曖昧な作品になってしまった。

 予定時刻を40分ほど超過する審査を経て、「次代を担う振付家賞」は川村美紀子に授与された。彼女は同時に総投票数357のうち126票を得てオーディエンス賞も獲得した。しかし審査結果報告によれば、12名の審査員による審査会の中で過半数を超える推薦を受けた振付家はいなかったという。
 本アワードは、踊りや振付よりも舞台芸術としての総合的な構成力を評価するものであると考えられる。純粋に振付という行為や身体性の追求を評価するなら、捩子ぴじんの《no title》が最も顕彰されるべきであっただろう。言葉からイメージされる運動の多様性の具現化や、身体に対する分離と統合の視点を行き来するアプローチを通して、彼が最も純粋に踊りという行為を考察していたからである。
 音響、色彩、物語性も含めた舞台作品という評価基準を設定するならば、確かに川村作品は群を抜いていた。しかしそれ以上にすぐれた洗練を示したのは、スズキの「〒〒〒〒〒〒〒〒〒〒」ではなかっただろうか。
 川村の「インナーマミー」の最大の強みは、前述のとおり音響の効果的な使用にある。加えて、複雑に変奏されるサイン音と変化しない振付の対比が8つ衝突されることによって生み出されるストレスは踊りと音楽を越境し、観客を長時間ひきつけて余りある強度を有していた。しかし指摘すべきは、その内容の一貫性である。
 「インナーマミー」のタイトルとパンフレット記載の振付家コメントが指し示すのは、娘の母に対する葛藤である。しかし、その主題に対して、本作の表現はどれほど適切であったろうか。「子」という存在を暗示するキューピー人形の使用は、変奏されるサイン音と変化しない振付との相克を、タイトルで指し示した主題に無理に関連付けるための後付けにも感じられる。唐突に挿入される過度に雄弁なモチーフは作品のもつ革新性を希釈し、その価値をかえって損ねた。
 彼女が持っていた問題意識はおそらく純粋に舞台芸術的な内容—つまり、踊りを主要素として舞台上の運動をオーガナイズし、多彩な変化をもちながらいかに一貫した作品に仕上げるか、という点にあったろう。そこに母娘の確執という主題を使って物語性をあとづけし分かりやすさに仮託しようとする意図が、作品の率直さを弱めてしまう。逆にそのような狙いなしにこの主題が導入されているのであれば、その結果として生じる散漫を予見して交通整理をしなかったという点において、演出力が不足していたといえよう。

 それに対してスズキの「〒〒〒〒〒〒〒〒〒〒」は、扱う主題はシンプルすぎるほどに一貫している。宛どころ不明で焼却処分される郵便物を擬人化し、彼らによって一糸乱れず構築される舞台が、その匿名性の不気味さを際立たせる。純粋に舞台芸術として本作が他の5作品から抜きんでていたのは、空間の構築力と色彩感覚である。
 郵便配達員は勢いを増す封筒の群舞の間をすり抜け、飛び上がりながら白紙を投げ上げる。3度の投擲は全て違う高さを狙って行われた。スズキが白紙の飛ぶ軌道や速度、量さえもコントロールしていたことを証明するのは、ひとえにその美しさである。封筒の茶色の上に鮮烈なコントラストを刻み、群舞する封筒の群れに降る白は、訓練された身体によってこそ実現された高度に洗練された美意識である。客席側にセットをおくことで舞台を拡張した木村のほかには、スズキのように作品の空間構築を意識的にコントロールした者はいない。この点ひとつを取ってみても、本作は6組の中で高く評価されるべきであったといえよう。
 その身近な主題設定と、ユーモラスでキッチュな雰囲気が作品の内容を軽く見せた可能性は否定できない。しかし、主題の選択と作品の完成度とは、必ずしもイコールではない。「次代を担う」振付家に踊りを中核とした舞台芸術の革新や発展を託すならば、まず視覚的な美の完成度や一貫性を期待したい。扱う主題の議論は、もう一段先の問題といえるだろう。
 審査員のコメントでは、40分の超過を要した審査が何をめぐって議論されたか、説明や示唆はなされなかった。審査員の意見が割れたという事実を述べるだけでは、審査会が最終的に何の視点を優先して、何を後回しにしたのか、つまりどのような価値判断に基づいて作品を評価したのか知ることは難しい。
 それは顕彰された作品に対しても、「次代を担う振付家賞」に選出されなかった作品に対しても説明不足だと言えないだろうか。ネクステージに進んだのはいずれも一定の水準に達した作品であり、その中からさらに顕彰作品を選び出すということは、価値の取捨選択あるいは優先順位付けがあったことが推察されるからである。
 振付あるいは振付家という視点の顕彰事業は数少ない。また、ダンスの他分野への越境を推奨する本アワードは、舞踊のみならず舞台芸術全体の発展に貢献できる可能性が高い。審査員にも、各ジャンルから第一線の舞台人を招いているという視野の広さは特筆すべきものである。本アワードが何を最も重視しているのか。その視点はこんにちの日本ダンス人が参照すべき指針にもなり得るだろう。

【筆者略歴】
鉢村優(はちむら・ゆう)
 1988年東京生まれ。東京大学経済学部卒。会社員として文化事業に携わるかたわら、クラシック音楽の評論活動を行う。現在、東京と福岡のアマチュアオーケストラに曲目解説を連載している。

【上演記録】
トヨタ コレオグラフィーアワード2014″ネクステージ”(最終審査会)
世田谷パブリックシアター(2014年8月3日)

捩子ぴじん 「no title」
出演:YANCHI,捩子ぴじん
舞台監督:佐藤恵 照明デザイン:中山奈美 照明オペレーション:岡野昌代 音響:星野大輔

スズキ拓朗「〒〒〒〒〒〒〒〒〒〒」
出演:スズキ拓朗、池田仁徳、エリザベス・マリー、加藤このみ、清水ゆり、ジョディ、鈴木みほ、福島梓、増田ゆーこ、まひる、本山三火
照明:坂本明浩(One Drop Office) 音響・音楽:鶴岡泰三(快楽音響) 衣裳:柴田千絵里(パフォーマンス集団・たまご)

木村玲奈「どこかで生まれて、どこかで暮らす。」
出演:重里実穂、田添幹雄、中間アヤカ、木村玲奈
照明:三浦あさ子 音響:堤田祐史(WHITELIGHT
塚原悠也「訓練されていない素人のための振付けのコンセプト001/重さと動きについての習作」
コンセプト・出演 contact Gonzo

川村美紀子「インナーマミー」
舞台監督:桑原淳 照明:しもだめぐみ 音響:相川貴 音楽:Merzbow Jiser Alva Noto 音楽編集:川村美紀子

乗松薫「膜」
照明・舞台監督:内田正信 映像:鉄田えみ 映像オペレーター:玖島雅子 音響オペレーター:植村真 協力:草彅ジュリア 舞台装置・衣装:太めパフォーマンス

チケット料金 [全席指定]
A席 [1階, 2階] 3,100円 (税込)B席 [3階] 2,600円 (税込)

主催:TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD 実行委員会
トヨタ自動車株式会社
提携:公益財団法人せたがや文化財団 世田谷パブリックシアター
運営:トヨタコレオグラフィーアワード事務局
後援:世田谷区
協力:金沢21世紀美術館 [(公財)金沢芸術創造財団]
NPO法人Japan Contemporary Dance Network(JCDN)

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