村川拓也「エヴェレットゴーストラインズ」
ルイス・ガレー「マネリエス」
She She Pop「春の祭典――She She Popとその母親たちによる」

◎隠すほど現れるもの――KYOTO EXPERIMENT 2014報告(第2回)
 水牛健太郎

 京都行の高速バスではせいぜい4~5時間しか眠れず、午前中梅小路公園で仮眠を取ろうとしたが、読んでいた本が面白すぎてうまくいかなかった。観劇中に寝てしまうのではと心配したが、この日3演目とも一瞬も眠くなることがなかったのだから、この週の演目がいかに充実していたかということだろう。どういうわけか3演目とも女性演者が上半身裸になる場面があったので、そのせいもあるかもしれない。一昨年だったか、海外演目で男性演者がやたらと男根を露出した年があったが、こういうのをシンクロニティと言うのだろうか。たぶん違うと思うが。

エヴェレットゴーストラインズ

 会場となった京都芸術センターの講堂はもともとここにあった小学校の講堂を転用したものだ。だから、正面には立派な演壇がある。観客が講堂に入ると、演壇の額縁に白いスクリーンがはめ込まれているのに気づく。そこに字が映し出されている。

 13:58~14:08
 ・観客が席に着く
 The audience sits down in the seat

 要するに戯曲というか、いつ何が起きるかが映写されている。14時8分になると、この字が

 14:08~14:09
 村川拓也さん(京都市在住、演出家、32歳)
 ・右入口から入ってください
 ・「これから始めます」と言ってください
 ・客席に座ってください
(記憶に頼っているため、正確ではない)

というものに変わる。そしてその通りに右後方の入り口から村川が現れ、「これから始めます」(記憶に頼っているため、正確ではない)と言い、客席に座る。

 この作品ではこのように、スクリーンに出演者の出演時間と何をするかの指示書きが次々に映写される。出演者候補29人に前もってこの指示書きが郵送されている。出演者候補は出演しないことを選ぶこともでき、その場合には(当然ながら)会場には現れない。観客はスクリーン上の指示書きだけを目にすることになる。

 このようにして一種のドキュメンタリーとして出演者によるパフォーマンスが展開されていく。ただ観客を見ている人。指定された内容の話をする人。演壇の壁づたいに歩く人。弁当とラジオを持ってくる人。その弁当を食べる人。中には「舞台上の人に触ってください」などというのもあって、触られる他の出演者が反応を示すこともある。

 ただ1点注意すべきことは、出演者のうち多くが舞台経験を持っていることである。中には合田団地のように京都で劇団を主宰して活発に活動している出演者もいる。終演後に村川に確かめたところでは、この回(4日午後2時の回)の出演者中6~7人を除いて全員が舞台経験者とのことであった。ただ、稽古や演出はされておらず、会場に現れるかどうかも含めて、完全に出演者の自発性に任せられているという。一方でカギになる出演者は関係者でもあり、何らかの形で意思疎通はされているようだ。

 彼ら舞台経験者のパフォーマンスは当然、舞台未経験者と異なり、観客の視線を堂々と受け止め、間にも配慮したものであり、作品の成立に大きく寄与していた。そのことは自ずと観客に伝わっただろう。ただ、この作品を文字通りの、一般的な演劇作品とは異なるドキュメンタリーと解するとややトリッキーな面もあることは事実で、出演者の性格上、感触としてはドキュメンタリーというより、かなり演劇作品に近い印象を受けた。要するにこの作品はある指示を受けた舞台経験者たちがそれをどのようなプランに具現化していくかということを見る、いわば「演技すること」についてのドキュメンタリーと言えるかもしれない。

 面白かったのは、著名な物故者が召喚されていたことだ。中村勘三郎、チャールズ・チャップリン、藤圭子の3人で、彼らの出番になると舞台は暗くなり、演壇脇のオレンジ色のランプが灯る。彼らは、その直前の出演者が舞台に残していった赤い傘をさして舞台を横切ることを求められていたが、当然のことながら現れることはない。赤い傘だけがいつまでも観客の視線を集めていた。
(10月4日午後2時の回)

マネリエス

 ルイス・ガレーはアルゼンチンを拠点とするコロンビア人のコレオグラファー。「マネリエス」は彼の振り付けによる、女性ダンサーのソロ作品である。1時間20分ほどの作品だが、大まかに4つの部分に分かれる。

 最初の部分は30分ほどある。まずは暗闇の中にうっすらと女性ダンサー(フロレンシア・ベシーノ)が直立しているのが浮かび上がる。ゆっくり、5分ほどかけて徐々に明るくなるが、それでもまだ薄暗い。鍛えられた細身の身体に黒いビキニスタイルのトレーニングウェアを来て、スポーツシューズをはいている。直立したままで、場所も動かず、左右対称を守って動く。ひじを曲げたまま顔にかざすように両手を上げたり、腰を曲げてお腹を引っ込めたりする。動作が極めてゆっくりなだけにかえってパフォーマーに大きな負荷がかかっているようだ。その間、ラジオのノイズのような音と機械の作動音のようなリズミカルな音がしている。さらに、幅1メートル、奥行き3メートルほどのスペースの中を前後に歩く。最初はスローモーションのようにゆっくり。それから急に下がったり、ダッシュしたりを繰り返す。

 それから2つ目の部分に入る。つま先立ちをして顔を心持ち前に出して舞台を歩き出す。直角に曲がったり、ビートを刻む音響に合わせ、飛び跳ねるようにぎくしゃくした動き。まるで操り人形のように、上から引っ張られているように見える。横歩きをしたりもする。かなりの速さである。

 この2つの部分は、動き方、スペース、速度などでダンサーの身体に大きな制限がかかっている状態である。その中で動き続けるダンサーの体力やスキルがありありと表現されている。

【プログラム公式写真。右がルイス・ガレー、左がフロレンシア・ベシーノ。photo: Leandro Da Silva、提供=KYOTO EXPERIMENT 禁無断転載】
【プログラム公式写真。右がルイス・ガレー、左がフロレンシア・ベシーノ。photo: Leandro Da Silva、提供=KYOTO EXPERIMENT 禁無断転載】

 不思議なことは、ダンサーのミニマルな動きをじっとみていると、そこにかえって彼女の精神、いわば「心」の働きが生々と感じ取れるような気がしてくることだ。身体の動きを厳しく統御し、動き続ける指令を出し続けている「心」。それが前面に出て、手を出せば触れられるような気がした。そう感じた時にダンサーは走り出した。陸上選手を思わせる鍛え抜かれた身体の美しさ。そしてダッシュして「アーッ」と叫んだ。2度短く、そして1度は長く雄叫びをあげた。

 開始から40分ほど過ぎて、ダンサーは服を脱ぎ、シューズだけになって第3の部分に入った。今度は制限が目に見えない、柔らかい動きだった。まず観客の方を向き、左手を高く上げる。それから崩れるように座り込み、背中を向けて横たわる。それから床を四つん這いになったり、立ち上がったりしながらゆっくり動いていく。また、へその周囲にねずみのようないたずら書きをし、口に含んだものを吐き出したりした。この部分は20分ほどあったが、全体の中では不思議なほど印象は薄い。

 そして最後の部分では、ダンサーは再び服を身に着け、踊った。ここで初めて、音響にメロディが加わり、ディスコ調の曲になる。ダンスはパントマイムのような細かい手の動きが加わったもの。単純に楽しいというのではなく、引き続きある種の緊張をはらんだものではあったが、最も自由な表現に近いダンスだった。

 10分ほど過ぎて、彼女がまだ踊っている間に、ルイス・ガレーが客席から舞台に。また舞台上でライブで音響を担当したマウロ・パンジッロも立ち上がり、客席に向かって礼をした。やがてフロレンシア・ベシーノも加わり、拍手を受けた。

 70分ほどの間に実に多様な身体表現を含んだ、見応えのある作品だった。来週はルイス・ガレーのもう1つの作品「メンタルアクティビティ」が上演される予定であり、比較して論じたい。
(10月4日午後4時の回)

春の祭典――She She Popとその母親たちによる

 昨年のShe She Pop「シュプラーデン(引き出し)」には参った。圧倒されたとでもいうか。自分たちの過去を言語化し、旺盛に語るそのパワーに、紛れもない異文化を感じ、ちょっと胸焼けがしたというのが正直なところ。だが1年経つと、それもまた甘美な思い出に――はならないが、ともかく、1年後にこれほど強烈な印象が残っていること自体、なかなかないことではある。今度は何を見せてくれるのかと、期待半分、怖さ半分で会場に足を運んだのである。

 今回まず驚いたのは、男性メンバー(セバスティアン・バーク)がいたことである。なにせShe She Popというぐらいで、当日パンフにも「女性アーティスト集団」と書いてある。まあ「心はShe」ということなのかもしれないが。昨年の記録を見るとバークはクリエーションには加わっていて、そもそもShe She Popの創立メンバーのようだ。今回の出演者は4人だが、バーク以外の3人は女性であり、2人は昨年の「シュプラーデン」にも出演していた。

 そして、その4人それぞれの母親が映像で出演する。母親との関係こそが今回のテーマだからだ。この場合、バークが加わることの意味は大きい。男性のバークがいることで、テーマは「母娘関係」に限られず、一般的な母と子の関係に広がることになる。当たり前だと思うかもしれないが、重要だ。なぜなら日本では「母娘関係」と「母と息子の関係」には大きな質の差が感じられ、区別せずに一つの作品の中で扱うのは難しいと思われるからだ。それは、日本における女性の社会進出がドイツと比較して遅れており、社会的地位において男女間の格差が大きいこととパラレルになっている。

 パフォーマンスはストラヴィンスキーの名曲「春の祭典」に沿って行われる。いくつかの節を歌うこともあるし、演奏に合わせて一定の動作をしたり踊ったりすることもある。「春の祭典」が用いられるのは、「犠牲」がキーワードになるからだ。「春の祭典」はバレエ音楽だが、若い娘をいけにえにささげる異教の儀式――実際にそういう儀式が存在したというよりは、たぶんに想像上のものだと思われる――がモチーフになっている。

 舞台中央には4枚の縦長のスクリーンがつりさげられている。まず、パフォーマンスの前に、このスクリーンを囲むようにして朱色の縄で直径5~6メートルの円を描く。相撲の土俵を模したものではないかと思われる。ここで母親たちと子どもたちの戦いが繰り広げられるという趣向だ。

 まずは母親たちがスクリーンに登場し、自分の人生を振り返る。人種が違うので推測が難しい面もあるが、She She Popのメンバーたちは30~40代、その母親たちは60~70代と思われる。母親たちの語りは様々で、全く違う名前を2つ持っているといった、やや意味の取りにくい内容もあれば、子どもたちの成長後、料理研究家として成功しているという自信満々の人もいる。この時点では子どもたちは口を挟まずに、母親たちを見守っている。

 冒頭部でクリエーションの内幕についても語られるのだが、そこで気になる言葉があった。母親たちを生出演させないのは「母親たちのイメージをコントロールするため」であり、母親たちをスクリーンに閉じ込めるのは、自分たちが生まれたことにより母親たちを家庭に「収監」したことの繰り返しになっているのだ、というのである。この言葉は彼らアーティストにとっても母親というのが一筋縄ではいかない対象であり、作品として昇華するためには一定の加工が必要だったことを物語っている。勇気ある言葉と言うべきだろう。

 冒頭のファゴットのメランコリックなソロは出演者によるアカペラでカバーされる。これが素晴らしかった。また、出演者たちが口ぐちに母親について自分たちの語りたいこと、語りたくないことを口にする場面では、母親たちが有名な変拍子に合わせて椅子の肘掛を叩き、子どもたちはその音に脅かされる。

 それから、録音されたオーケストラの演奏に乗せて、布を使ったパフォーマンスがある。母親たちがそれぞれに大きな一枚の布(それぞれ、とても美しい色彩のもの)を持っている。布には首を通すボタン穴のような横長の穴が開いており、ギリシャ人が着た貫頭衣のようなものであるが、大きいため、魔女のように、またイスラムの女性が着るブルカ(眼だけを出すもの)やヘジャブ(頭だけを出すもの)のように、あるいはヒモで一部を結ぶことにより、和服や中国服のようにも着られるのである。一枚の大きな布を使うことで、母親たちは実に多種多様の民族・文化のイメージをまとう。そこにはイスラムや東アジアでの女性の地位の低さという含意が、あるいはあったかもしれない。子どもたちも、それぞれ映像の中の母親と同じ布を着て自分の母親と向かい合う。

【プログラム公式写真。布を魔女ないし民族衣装風にまとった母親の映像に、子どもたちが向かい合う。photo: Doro Tuch、提供=KYOTO EXPERIMENT 禁無断転載】
【プログラム公式写真。布を魔女ないし民族衣装風にまとった母親の映像に、子どもたちが向かい合う。photo: Doro Tuch、提供=KYOTO EXPERIMENT 禁無断転載】

 このパフォーマンスが終わると、母親たちは布を広げて、その陰で相談を始める。「今さら『春の祭典』でもないのではないか。100年も前の作品だ」というのである。母親たちの多くは自分たちが夫や子どもたちのために犠牲になったというこの作品のコンセプトに納得していない。

 そこで、子どもたちによる回想が始まる。子ども時代に母親にされて悲しかったことや傷ついたこと。母親の癇癪や気分の揺れに支配されていたこと。それに呼応するようにして、母親たちも子育て中の苦労や悲しみ、キャリアを失う不安、一方で子育てによって得た喜びについて語っていく。この作品が感情的に最も深まる瞬間である。自己分析を交えた回想の語り口の揺らぎのない感じ、表現の豊かさなどはやはりドイツならではではないかと感じた。

 そこから作品は再び「春の祭典」の演奏に乗せて動き出す。母親の過去の写真を順番に映しだし、それと同じポーズを4人の母親がしてみせる。バークの母親が赤ん坊のバークを抱いている写真に、舞台の奥で赤ん坊のようにむずかったり乳を飲む真似をしたりするバークの映像を二重写しする。舞台奥で女性出演者の1人が上半身裸になり、胸をゆする映像がその母親の映像にかぶさる。さらに大写しした母親たちの顔にその子どもの顔を二重写しする。顔の共通性がはっきりと浮かび上がるのだが、同時に出演者たちは目をむいたり、口を開いたりと表情を変えるので、グロテスクな、怪物めいた顔にも見えるのである。

 最後は「春の祭典」のクライマックスのアルペジオに乗せて、母親との相撲での勝負になる。母親が映っているスクリーンを子どもが押すと、スクリーンが大きく揺れるのに合わせて、映像の中の母親もよろめいている。子どもたちは必死になって押すが、母親たちは倒れることはない。やがて母親たちの顔が大きくアップされ、母親たちが大笑いしたり、目をむいて威嚇の表情をしたりしている様子が映る。まるで勝利宣言のようだ。子どもたちは観客の方を向き、「もうかなわない」という表情。その時、特徴的なフルートの不協和音が響き、曲が終わった。

 そこで出演者から観客への最後のメッセージが語られる。かなり長いものだが、大意は「分からないことはたくさんあるから、口にして、表現していくべきだ」ということだったと思う。要するに、母親と自分の関係といった、ふだん口にしづらい問題こそ、表現していくことで乗り越えていくべきだ、という作品作りの精神を披露したものと受け取った。そこには表現者としての断固とした強さがある。

 思えば「春の祭典」という選択も絶妙だった。この曲は人間の始原の闇に深くのめり込んでいくような暗い情熱をたたえているが、「祭典」というだけあって、開かれた華やかさをもって、その暗い情熱を表現へと昇華していく力強さをも備えているのだ。「母」という題材を、遊びの精神をふんだんに込めたパフォーマンスによって、その複雑さを損なわずに、しかし観客にも共有できるものとして表現していくためのツールとして「春の祭典」は機能していた。

 その一方で、日本で同じことができるかと思うと、難しいのではないかと感じたのも事実だ。日本の「母」の問題は、共依存や母子密着など、この作品には見られない暗さに満たされている。当日パンフレットによれば、この作品の制作にあたり、She She Popは「日本の神話や儀式での女性の犠牲の表象、社会での女性の役割について京都でリサーチを行」ったというが(中島那奈子氏の寄稿による)、それは作品には具体的には反映されなかった。あるいは、自分たちには適切に処理できないと感じたのかもしれない。
(10月4日午後7時の回)

【筆者略歴】
水牛健太郎(みずうし・けんたろう)
 ワンダーランドスタッフ。1967年12月静岡県清水市(現静岡市)生まれ。高校卒業まで福井県で育つ。東京大学法学部卒業後、新聞社勤務、米国留学(経済学修士号取得)を経て、2005 年、村上春樹論が第48回群像新人文学賞評論部門優秀作となり、文芸評論家としてデビュー。演劇評論は2007年から。2014年9月より、慶應義塾大学文学部で非常勤講師。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/mizuushi-kentaro

【上演記録】
KYOTO EXPERIMENT 2014

村川拓也「エヴェレットゴーストラインズ
京都芸術センター講堂(2014年10月2日‐5日)
演出 村川拓也
舞台監督 浜村修司、磯村令子
照明 葭田野浩介(RYU)
音響 齋藤学((株)STAX)
映像 嶋田好孝、小西小多郎
演出助手 山村麻由美、豊山佳美
助成 公益財団法人セゾン文化財団
製作 村川拓也
共同製作 KYOTO EXPERIMENT
主催KYOTO EXPERIMENT

チケット料金
一般 前売 ¥2,500/当日 ¥3,000
ユース・学生 前売 ¥2,000/当日 ¥2,500
シニア 前売 ¥2,000/当日 ¥2,500
高校生以下 前売 ¥1,000/当日 ¥1,000
ペア ¥4,000(前売のみ)

ルイス・ガレー「マネリエス
京都芸術センターフリースペース(2014年10月4日‐5日)
演出 ルイス・ガレー
出演フロレンシア・べシーノ
ライブミュージシャン マウロ・パンジッロ
照明デザイン エドアルド・マッジオーロ
共同製作Internationalle Musikfesttage Martinu B. CH. Subsidy of Prodanza
助成Porto a Solo(ポルトガル)
主催KYOTO EXPERIMENT

チケット料金
一般 前売 ¥2,500/当日 ¥3,000
ユース・学生 前売 ¥2,000/当日 ¥2,500
シニア 前売 ¥2,000/当日 ¥2,500
高校生以下 前売 ¥1,000/当日 ¥1,000
ペア ¥4,000(前売のみ)

She She Pop「春の祭典――She She Popとその母親たちによる
京都府立府民ホール“アルティ”(2014年10月4日‐5日)

コンセプトShe She Pop
クリエーションメンバー コーネリア&ゼバスティアン・バーク、ハイケ&ヨハンナ・フライブルク、ファニ・ハルンブルガー、リーザ・ルカセン、ミーケ・マツケ、イレーネ&イリア・パパテオドル、ハイディ&ベーリット・シュトゥンプフ、ニーナ・テクレンブルク
映像 ベンヤミン・クリーグ
美術 ザンドラ・フォックス
衣装 レア・シュブシュ
音楽協力 ダミアン・レープゲツ
振付協力 ジル・エマーソン
アシスタント・ドラマトゥルク協力 ヴェロニカ・シュタイニンガー
照明デザイン・テクニカルディレクター スヴェン・ニヒタライン
照明 アンドレアス・クレーアー
音響 フロリアン・フィッシャー
グラフィック・デザイン トビアス・トロースト
映像アシスタント アナ・ツェット
トレーナー マリアナ・セネ・ドス・サントス
制作・広報ehrliche arbeit- freelance office for culture
カンパニーマネージャー エルケ・ヴェーバー
英語字幕翻訳KITA
字幕翻訳 古後奈緒子
製作She She Pop
共同製作KYOTO EXPERIMENT, HAU Hebbel am Ufer, FFT Düsseldorf, Tanzhaus NRW, Künstlerhaus Mousonturm, Kaserne Basel, brut Vienna, German Language Theater Festival of Prague, Archa Theater Prague, Théâtre de la Ville/Festival d’Automne à Paris
京都芸術センター×KYOTO EXPERIMENTアーティスト・イン・レジデンスプログラム
特別協力 ドイツ文化センター
助成 ベルリン州政府文化局、ベルリン首都文化基金
共催 京都府立府民ホール“アルティ”
主催KYOTO EXPERIMENT

チケット料金
一般 前売 ¥3,500/当日 ¥4,000
ユース・学生 前売 ¥3,000/当日 ¥3,500
シニア 前売 ¥3,000/当日 ¥3,500
高校生以下 前売 ¥1,000/当日 ¥1,000
ペア ¥6,000(前売のみ)

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