九十九ジャンクション「本間さんはころばない」

◎そして、飯島君にさようなら ~こんにちは、土屋さん~
 宮本起代子(因幡屋通信発行人)

【チラシデザイン=大田真希男】
【チラシデザイン=大田真希男】

【九十九ジャンクション】

 この風変わりな名の演劇ユニットは、プロデューサーHこと原田大輔、ツクモ芸能編集長こと大竹周作によって結成された。ふたりはいずれも演劇集団円所属の俳優である。公式サイトには「演劇づくりの各セクションに一切の制限を持たず、演劇界だけでなくあらゆる分野からの参加により、新たな風、新たな流れ、新たなワールドを生み出すことを掲げ、発足」とある。プロデュース形式をとり、書き下ろし作品を中心に今後5年間活動するとのことだ。
 おもしろい企画やリクエストを「大募集!!」と呼びかけつつ、原田大輔がうんと言わなければ採用されないというから、ゆるいのかきついのかわからない。しかし新人劇作家デヴューのチャンス、新作の本邦初演の場にもなりうるということであり、大いなる可能性を秘めているわけである。

【土屋理敬作品とわたし】

 上演があれば必ずみにいく劇作家は何人かいるが、土屋理敬はそのなかでも見のがせないひとりである。その名がはっきりと記憶に刻まれたのは2000年の夏ごろであろうか。当時まだ沼袋にあった演劇集団円の稽古場兼劇場のステージ円で上演された『そして、飯島君しかいなくなった』(以後『そして、飯島君~』松井範雄演出)を、演劇評論家の村井健氏がラジオ番組や演劇雑誌などで絶賛していたのである。筆者は寡聞にして土屋理敬の名を知らず観劇の機会を逃してしまったが、その後NHKで放送された舞台中継を視聴することができた。

『そして、飯島君~』はつぎのような物語である。
 とある市民集会所に数人が集まり、「被害者を作る会」なるものが催されている。近所の誰々さんがほんの数分路上駐車したところ、運悪く違反のチケットを切られてしまった。お気の毒に。あの方こそ被害者だなどと話し合っている。被害者の事情や心情を察し、共感しようとしているらしいが、何とも生ぬるい会合である。だいいち目的がよくわからない。
 顔見知りばかりの気安げな集まりに、この日はどこかで会のことを知ったという中年と青年の男性ふたりが見学に訪れ、やがてこの会の人々が、実は子どもやきょうだいが凶悪犯罪を犯した「少年犯罪加害者家族の会」であることが暴かれるのである。そして見学の男性ふたりこそ、そうした少年犯罪によって家族を奪われた、まさに「被害者の家族」であり、「こんなふざけた会を作って、許されると思うのか」と加害者家族を責め立てる。事件以来、仕事に支障をきたしたり夫婦仲が壊れかけたり、加害者の家族たちに心休まる日はない。床に膝をつき、「ごめんなさい、許してください」と謝りつづけるすがたは痛ましさを越えて異様であり、それでも被害者の家族は彼らを許そうとしない。
 加害者家族たちの心の傷が露わにされたのち、見学者たちがほんとうは何者なのか、「そして、飯島君しかいなくなった」という題名の意味が最後の最後になって明かされる。この衝撃的な終幕は、みる者からことばを奪う。
 永久に許さず、永久に許されない関係がこの世にあり、それでも生きていくしかないことを、これでもかと思い知らされるのである。

【傑作の功罪】

『そして、飯島君~』をみたことのある人は、異口同音に「すばらしい。傑作だ」と語る。「あれは最高傑作だ。飯島君以上の作品は出ないのではないか」と耳にすることもあり、そうなると傑作の功罪というものを考えずにはいられない。
 あれから土屋作品を数本観劇する機会があったが、『そして、飯島君~』を思い出すと、いずれもいまひとつという印象は否めない。新作上演のたびに楽しみでたまらないのに、「やはり、飯島君にはかなわない」と土屋作品のタイトルのような気分になる。
 つねに比べられ、評価のハードルを上げられるのは傑作を書いてしまった人の宿命であり、観客はそれとどう向き合えばよいのか。

 九十九ジャンクション立ち上げメンバーの大竹周作は土屋理敬と演劇集団円研究所の同期生であり、『そして、飯島君~』をはじめとして、これまで多くの土屋作品に出演している。劇作家のことを誰よりもよく知り、理解している立場の人が、「新たな風、新たな流れ、新たなワールドを生み出そう」と立ち上げた演劇ユニットの第一回公演に土屋理敬書き下ろし作品を選んだからには、「飯島君を越えるものを」という期待と、それに応えようとする俳優としての心意気があるのではないだろうか。

【本間さんはころばない】

 会場はこの春オープンした下北沢の小劇場B1である。客席が二方向から挟むかたちの演技スペース正面のガラス戸には「古書買取」の文字が見え、大きな書棚に本が並び、床には奇妙な物体がいくつか置かれている。
 明転するとそこは古書店。アマノ夫婦(大竹周作、小嶋佳代子)が父親から譲り受けた店である。今日は妻のコーラス仲間である市役所広報誌担当のフナキ(歌川貴賀志)が、ライター兼カメラマンのヤギ(ほんとうはヨシダ? 平野圭太)とミキという男性(原田大輔)を伴って訪れる。広報誌ではここ馬西市の感動秘話を連載しており、アマノ夫婦を取材に来たのだ。アマノは古書店業のかたわら、さまざまなイベントの手伝いをしており、店内に置かれた物体は運動会の競技に使う「だるま」であった。
 ミキは小学生のころ、川で溺れかけていたところを天野古書店の先代、つまりアマノの父親に助けられた。しかし彼を助けた父親は溺れて亡くなり、ミキ少年自身もアマノ一家どちらにも複雑な影を落としている。
 いささかわけありではあるが、なごやかに語り合おうとフナキは躍起になり、ヤギは冷めている。ところがことの真相はわけありどころではなかった。
 舞台の空気が次第に張りつめていく。

 問題は過去だけでなく、現在にもあった。少年野球チームの監督をつとめるアマノは、選手の采配をめぐって父兄たちに呼び出され、おまけに選手の母親のひとりである「本間さんとあやしい」と言われているというから穏やかではない。そこにいかにもわけありな風情の美女(深見由真)があらわれ、「本間です」と名のる。

 物語は容赦なく進んでいく。本間さんの息子が前の監督に性的いたずらを受けていたり、ミキ少年が実は天野古書店で万引きをしていたなど、人々の関係や話の流れ、過去の背景などがつぎつぎに明かされていく。想像の範囲内のこともあり、そうでないこともある。
 今回あらためて気づいたのは、土屋理敬は決して手だれのストーリーテラーではないことだ。謎が謎を呼ぶサスペンス劇のように、さまざまな場面のひとつひとつが鍵になり、台詞には伏線が巧妙に張りめぐらされ、終幕で最後のピースがぴたりとはまってすべてが解決する性質のものではない。

 劇作家が物語を書くとき、登場人物のことをどのように考えるのだろうか? 自分の分身のごとく慈しんだり客観的に観察したり、自分の主張を代弁させることもあるだろう。
 土屋理敬の場合、ときに登場人物の都合や気持ちなどおかまいなしに状況を混乱させ、人々をその渦中に放り投げるかように冷徹な面がある。劇作家から突き放されて、人々はとりつくろうこともできない。
 土屋作品の俳優は、劇中でしばしばほんとうに泣く。俳優の「本泣き」は決してめずらしいことではなく、演技の訓練や技術によって可能なものでもあるだろう。しかし『そして、飯島君~』、今回の『本間さんはころばない』でも、物語の人々の涙には俳優の演技を越えた生々しさがあって、凝視できないときがある。
 家族が犯罪加害者になるほど激烈ではなくとも、誰にも言えない重荷をずっと抱えていたり、それが無理やりに曝けだされたりなどの体験は、程度の差はあっても身に覚えのある感覚である。まるで物語の人々が自分の代わりに傷ついてくれているかのように胸が締めつけられるのである。この感覚の共有、共感が土屋理敬作品がみる人を惹きつけてやまない魅力ではないだろうか。

 長いあいだ美談を背負わされてきたミキとアマノ店長の心象、子どもの授からないアマノの妻が、少年野球チームに熱中する夫をどんな気持ちでみつめているのかは、察して余りある。2時間が経過して何か解決したのかと考えると、問題は多少片づき、理解の糸口もみつかったようではあるが、一見落着とはとても言えない。

 しかし人間は、世の中はそう悪くないのじゃないかと思いなおすのである。
 アマノ店長は、仕事をまわしてくれた父兄の子どもをレギュラーにしたり、多少せせこましいところはあるが、子どもたちに野球を楽しんで、試合に勝った嬉しさや負けた悔しさを心底から味わってほしいと願っている。
 本間さんはたしかに魅力的な女性だが不倫をする人ではないし、息子も野球を続けたいと言っているそうだ。
 フナキは本間さんに「児童相談所もありますし」とアドバイスをする。
「何を寝ぼけたことを。これだからお役人は」と腹が立ったが、つづいて「お母さんの気持ちがちょっとでも楽になれば」とほほえんだフナキは、自分のことばの虚しさを知っている顔であった。フナキは古書店内で起こったあれこれの当事者ではない。けれど彼は彼の立場で傷ついた人たちの心を考えたのだ。
 ぜったい力になれる、助けられると信じ込んでいる人より、自分のできることなどたかがしれていると、ある意味で絶望している人のほうが優しい。
 そのことがこの短い台詞から感じとれる。

【そして、飯島君にさようなら】

『本間さんはころばない』によって観客が導かれたのは、一種の諦念に近いものであった。『そして、飯島君~』のヒリヒリするような逼迫感は影をひそめ、かわりに少しだけ柔らかく、深い味わいを残す。『そして、飯島君~』の印象を追いつづけ、もっとすごいものをと求めてきたこちらの気持ちをしずめ、前のめりになる背中をそっと座席に戻してくれた。これまでの土屋作品にはない感覚で、新境地を開いたというほどの激しい変化ではないものの、何よりの収穫は、自分のなかでひとつの区切りができたことである。
 飯島君を深追いせず、いったん「さようなら」を言う。そしてあらためて土屋理敬さんと出会うのだ。
 いまの筆者は実に心軽く、「こんにちは、はじめまして土屋さん」と言うことができる。このつぎはもっとわくわくしながら土屋理敬の作品に向き合えるはず。その日が来ることを、九十九ジャンクションのこれからの活動とともに心待ちにしている。

【筆者略歴】
宮本起代子(みやもと・きよこ)
1964年山口県生まれ。明治大学文学部演劇学専攻卒。1998年晩秋、劇評かわら版「因幡屋通信」を創刊、2005年初夏、「因幡屋ぶろぐ」を開設。
ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/miyamoto-kiyoko/

【上演記録】
九十九ジャンクション第一回公演「本間さんはころばない
下北沢 小劇場B1(2014年9月30日-10月5日)

作:土屋理敬 演出:歌原鷲

出演:男1/歌川貴賀志(現代制作舎) 男2/平野圭太 男3/原田大輔(演劇集団円) 男4/大竹周作(演劇集団円) 女1/小嶋佳代子(劇団民藝) 女2/深見由真(演劇集団円)

美術:江連亜花里
美術制作協力:寺岡崇
照明:佐々木真喜子(株式会社ファクター)
照明操作:新勝洋
音響:暮定真輔
音響協力:穴沢淳
音響操作:平野健
舞台監督:浜辺心太朗
宣伝・Web:大田真希男

制作:九十九ジャンクション
協力:佐藤せつじ 杉浦慶子 中川めぐみ 中野真太郎 桜山優 千葉沙織 山崎亮 川瀬美和 奥村洋治 演劇集団円 円企画 株式会社ファクター 劇団民藝 現代制作舎 CoRich舞台芸術! 高津装飾美術株式会社 東映美術部 小劇場B1

料金:
前売・当日ともに3800円 全席自由
ホンマでっか割1000円(名前の読み仮名がホンマさんであればOK)

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