劇団八時半「完璧な冬の日」

 Wonderland はいまのところ東京中心になっていますが、各地の演劇活動も紹介したいと思っています。今回は大阪・京都・兵庫をフィールドにしているブログ「現在形の批評」主宰の藤原央登さんから、劇団八時半「完璧な冬の日」の大阪・精華小劇場公演の劇評をいただきました。「家族」と「運動」を取り上げつつ、「劇団」や「演劇」のありように迫ります。藤原さんは「振り返る私の2005」にも参加して、関西演劇の1年をまとめています。ご一読ください。
 「完璧な冬の日」は東京公演(3月16日-19日、こまばアゴラ劇場)が予定されています。言うまでもありませんが、読んでからみるか、みてから読むか、これから観劇予定の方はご留意ください。以下、全文です。


◎「演劇の再起をかけて」

1993年、鈴江俊郎が京都で旗揚げした劇団八時半公演『完璧な冬の日』を観た。(2月18日)この公演は、精華小劇場で開催中の精華演劇祭vol.3(2006年1月から3月)参加作品である。

舞台を観ながら、私は「演劇とは何か」ということを考えていた。否、そんなことはあまりにも高尚に過ぎ、且つ一言では答えることのできない命題である。ではその問題をもう少し具体的に手触りのある「演劇をすることの必要性」と「集団を持つ/維持する」とは如何なるものかと措定してみたい。鈴江俊郎はこの舞台でその辺から演劇の再考を試みているように思われた。

道路拡張工事のまさにど真ん中に建つ家に立てこもる男女三人。彼らは空港建設に反対している。道路とは空港へ通じる長距離道路の事を意味するのだろう。折りしも、関西では神戸空港が開港し(2月16日)、関西国際空港・伊丹空港と共に3空港時代が幕を開けたばかりであるが、とりわけ空港反対自体に主眼は置かれていない。問われているのは、そこを起点として織り成される男女三人の微妙な人間関係である。それは人間関係を「集団」の問題、彼らを安全な立場に匿い、守っているアイデンティティ維持装置としての家を「劇団」という制度のメタファーとすれば、演劇の問題としてこの舞台を観ることができる。

坂ノ下譲(鈴江俊郎)は父親から譲り受けた家を中心にして、遠井典形(葛西健一)・兼杉のりこ(長沼久美子)と共に日夜駅前でビラを配り、のぼりを持って反対運動を行っている。数多く参加していた同志は退却し、この広い家で今や3人を残すばかりである。ここで注目するのは、舞台となる居間のような一室から他の部屋と玄関に通じているドアと道路の関係図である。前者は上・下(カミ・シモ)に、そして拡張される道路は舞台面から舞台奥へと延びる設定であり、それらの交点が舞台フィールドとなっている。道路の真ん中に位置する家(劇団)はそれだけで反体制・運動の象徴として鉄壁の根城として存在する。劇集団とは、日本における小劇場の勃興期を思い浮かべてみれば明白なように、人間が自明として無自覚に信じ、それゆえに支配されてしまうというパラドックスに楔を打ち込むことであった。それが新劇批判を出発点とする「演劇の運動」に留まらず、人間存在の根源を問い直し、社会全体への違和を思考することへと広がっていった。それがかつての革命者世代が「運動の演劇」と標榜した所以である。

日常性の侵犯としての共通の理念(反体制の理念)を共有している者同士が直截的に運動の志を抱いて行動している限りにおいて、劇団は有機的に機能した。しかし、同士が去った今、がらんどうの広々とし、茫漠とした家(劇団)に立てこもるという保守的な位置に立たざる得なくなった。彼らは自分達がビラ配り等の一連の活動が自己充足化していることを知っていたはずである。上・下のドアから行き来することは、集団としての今の自分達が、当初掲げた理念から出発した劇団と齟齬を来していることからの逃避を意味する。舞台上=中心(劇団)で交わされるやり取りの一切は有機的な戦略を練る場としてではなく、その齟齬のいらだちと苦悩をぶちまける悪所としてしか存在しない。もはや立てこもる事がそれだけで何らかの主張を持って存在し得なく、コミュニティの保身でしかない。この場合の街頭での活動とは防音個室に居ることで見失った意志を取り戻す事である。

そもそもこの家は運動家である亡き坂ノ下の父親の所有であり、坂ノ下自身の意志というよりも成り行きであった。他の2人も同様な理由である。大義と自身達との齟齬は当初から存在していたのである。30歳を超えても定職に就かずにギリギリの地点で踏ん張り続ける彼らは、ニートと呼ばれる人達に重なる部分がある。ズルズルと成り行きにまかせ、自分の意思が直截反映されていないとすれば、失敗時も責任転嫁できる。このモラトリアム思考を促進させ、下降的な螺旋を描く構造は、遠井が兼杉に向かっての「願望を抱く内は現実的な責務が伴わないから良い」という旨の台詞に如実に表れている。結果に到着することなく、いかにそこまでの過程を実感し続けられるか。

俳優達はこの哀しみを伴った捻じ曲がった主張を必死にぶつけ合う。時に滑稽な慰み合いとして結実するアンサンブルは観客へもがき苦しむ人間の本質を垣間見せる。特に、遠井を演じた葛西健一が健闘していた。何も入っていないコップのコーヒーを飲む、口に含まれていない饅頭を食べる演技といった何気ない所に説得力を持たせる。照明家でもある葛西の確かな技術力を堪能した。

アフタートークのゲストである歌人の河野裕子氏は、登場人物1人1人に3人全員の人格の扉を持っている、と演技について語った。私も同感する所である。俳優の発する台詞を「集団を背負った言葉」と述べたのは鈴木忠志である。集団を擁する劇団とは、「個」ではなく「孤」でしかない人間が、集団において自己の立場を能動的に確立させる行為を通して「個」を発見する所にある。集団総意の相貌を台詞として俳優個々が割り振られて語るにすぎない。そこには台詞の表層以上の意味が付与された強大な岩盤のような意志が発生するのである。劇団の役割は先述したような俳優を教育する場としても非常に重要なのである。これは「孤」同士が公演時だけ集まるプロデュースシステムでは実現不可能な、劇団に備わった唯一の強みなのである。

後半、3人の関係が破綻する。遠井が、遅々として進まぬ反対運動の代替として兼杉に告白し、結婚を迫る。先の見えない自分の姿を変えるきっかけを得、確かな生きる意味を見出そうとしたのだろうか。しかし、遠井は断られてしまう。その後も連続放火魔の嫌疑を受け
(市側・推進派の陰謀を匂わすが真偽のほどは明らかにならない)た遠井はあっさりと荷物を残して出て行ってしまう。つらくとも居続けることで何者でもない自分を示せと説得するも虚しく響く。ラストは残った坂ノ下と兼杉が暗室の状態でパソコン画面を覗く中、ブルドーザーのような重機の音も響き始まる。ついにはパソコン画面の灯りも途絶え暗転する

これは何を意味するのだろう。このラストの暗示は、演劇を成立させるための前提である「集団」と「劇団」の理念の瓦解、もっと言えば演劇への内向的な疑義しか感じ取れないだろう。つまり完全なる敗北である。しかし、あまりにも諦念で溢れるこの舞台を一元的にそう捉えるには私自身抵抗を感じるし、鈴江もそうは思っていないはずだ。それは、「私たちは圧倒的に間違っている」がテーマの精華演劇祭vol.3の実行委員長を努める鈴江がパンフレットに書いた言葉からも明らかである。以下抜粋する。

「小さな差異ばかり気にしてきた僕らはいつのまにか時代の暴走に取り残されかけていないか? 時代はさらに狂っていく、と予感してるのに、手が届かないこととあきらめてはいないか? すべてが面倒になった時、『私たちは圧倒的に間違っている』とつぶやいてみたらすっとした。(中略)逆転大ホームランは『やや間違っている』とか『もしかしたら間違っている』って程度の悲しい位置からではなく、『圧倒的に間違っている』という途方もなく悲しいところから生まれるのに違いない、と。小さな優勝劣敗にこだわる必要のないその悲しい状態は、『そもそもなにがしたいの?』という自問自答からの出発を許してくれる。

この一節からは、鈴江俊郎による愚直なまでに「演劇」の必要性とそれを成立させるための「劇団」に拘ることの真っ直ぐな視線を感じる。かつての新劇とアングラとの鬼気迫る戦いの軌跡は失効し、今や両者の線引きが曖昧になった。それどころか今や、演劇はかつての文学的な舞台、エンターテイメント志向、それにコテンポラリーと冠されたトータルパフォーマンスとが仲良く共存し、自足する状態にあって、鈴江はあえて「圧倒的に間違っている」と全否定してみせた。舞台には繊細で内向的・心情をストレートに表現する俳優と洗練された台詞という鈴江が演劇することに対して拠り所としてきた作風・方法論を余すところなく表現しつつも、それを最後に舞台上でぶっ壊した。はるか遠くに目指す目標を抱え込みながら、切実な現実に疲弊しきってもがき苦しむ登場人物はまさに鈴江自身の演劇することの思想と同義である。

この舞台は逆証という手法を採りつつも、極めてアナクロニズムに拘ろうとする鈴江の演劇観を垣間見せた。
(藤原央登 「現在形の批評」主宰)

[上演記録]
劇団 八時半公演「完璧な冬の日
作・演出 鈴江俊郎
出演 鈴江俊郎 長沼久美子 葛西健一(クセノス)
<スタッフ>
舞台監督 (大阪)浦本和典
      (東京)小出 薫
舞台美術 柴田隆弘
音 響  狩場直史(KTカムパニー)
照 明  堂前有希子
写真提供 長沼久美子/鈴江俊郎
宣伝 美術 水上宏樹
制 作  劇団 八時半
協 力  クセノス
京都芸術センター制作支援事業


投稿者: 北嶋孝

ワンダーランド代表

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