青年団+文学座「職さがし」

作品は1971年にフランスで発表されています。当時はポンピドーがドゴールの跡を継いで大統領になったばかり。「5月革命」の熱気が尾を引いているものの劇中でその余波はあまり感じられません。中高年の失業は社会問題になっていなかったようです(労働政策研究・研修機構「フランスにおける中高年の雇用」)。
再就職活動中の夫は40代半ば。勤め始める妻と、左翼活動に入れあげる16歳の娘との3人家族。それに企業の面接官(人事担当者)と併せて4人が、白で統一した服装で登場します。


全体は30場面に分割され、各場面も筋書きが時間的に順序よく流れるわけではなく、ときに前後が入れ替わったり、相対の会話に別人の話が割り込んできたりして、時系列も意味系列も微妙に掻き乱されます。素舞台といえるほど簡素なたたずまいのなかで、それぞれが客席を向き、ほとんど直立してセリフを発します。場面ごとに俳優の立つ位置が変わりますが、服装も姿勢もほとんど変化がありません。観客の耳目をセリフに集中させようという意図がありありでした。

「外」では面接官が経歴や実績を根掘り葉掘り尋ね、職業的な能力を計ろうとします。「内」では娘が妊娠したり、妻が夫のようすを問いただしたりなじったり。内外の関係で夫が切り裂かれていく心理観察劇の趣がありました。

プログラム・ノートによると、作者のヴィナヴェールは「聴かれることを意識した戯曲を書いた」そうです。演出のアルノー・ムニエはだから「俳優を音楽家に、演出家をオーケストラの指揮者に、台本を楽譜にした」と書いています。原語(フランス語)の響きやリズムがどうなのか分かりませんが、「音楽家」としての「俳優」に関していうと、文学座と青年団の日本語の「字体違い」があるような気がします。どちらが正しいとか当該俳優のうまい下手ではなく、それぞれの発声や口調、リズムで微妙なずれが生じているのです。
夫役が文学座の高橋広司、それ以外は青年団の俳優でした。文学座の男優は北村和夫、加藤武、江守徹と挙げるまでもなく、ほとんどが深みのあるバリトンで、セリフは明瞭でよく響き、鍛えられていることが明らかな発声です。比喩的に字体になぞらえると、二つの集団は極太明朝と細明朝ぐらいの違いがあると言っていいのではないでしょうか。「室内楽」になぞらえるにはアンサンブルに無理があるような気がします。

また作者は「わかりにくく、退屈な演劇にはしたくなかった」そうです。そのため演出家は「演技が活力を保つように努力」し、「違う場所に連れて行かれるように感じ、分裂した形式に書くことの喜びと、好奇心をかき立てようとした」と述べています。その狙いはどのように受け止められたのでしょうか。

「ちょうど『職さがし』のただ中にあり(中略)とても親しみを感じる状況」という「楽観的に絶望する」は、「戯曲の意図は明瞭なのだが,舞台作品として楽しめるかどうかは別問題.時間軸やエピソードをここまで細断した上で再構成されると,かなり工夫をして提示しないと見ている観客がそのコラージュを読み取るのに疲労してしまうのである.僕は三場面目ぐらいで疲れてしまった.だんだんとは慣れてきたものの,一時間四五分,30場面が基本的に同じ調子というのはしんどい」と厳しい評価です。
「役者さんがものすごく頑張ってらっしゃるんですが、観てる私が疲れちゃいました・・・・」(しのぶの演劇レビュー)「四人の役者さんによる真剣勝負!って感じのお芝居でした。それは観ているだけの僕でさえ、疲れを伴なってしまうほど。それほど見応えがあったと言う事でしょう」「面白いところは沢山あったけれど、退屈してしまったのは非常に残念でした。やはり同じリズムで進んでいったのが、辛かったのかもしれないなー」(藤田一樹の観劇レポート)という反応を見ると、演出の狙いがすべて当たったとは言い難いようです。

別の見方も紹介しましょう。舞台写真家の青木司さんは「就職試験官の、どこまで探っても裏がありそうな怖そうな存在が、一つのキーポイントなのですが、どこまでが演技かよく見えない、見せない青年団の役者が、かえって怖かった。それに対して、就職する側には文学座の役者さんが。ストレートな直球勝負が、とても気持ちよかった」(東京劇場)と書いています。

「就職試験官の存在」が「一つのキーポイント」という見立てはそう的はずれではないと思います。登場人物のうちで、問われることなくいつも問いただす側にいられたのがこの人事担当者なのです。みんなより一段高いところに立ち、基本的には職を求める夫が前職を辞めた理由を突き回し、家族関係をたずね、管理職としての能力を探ろうとします。いわば「権力」として立ち現れるのです。その文脈でみると、分かりやすい作品構造と言えるかもしれません。夫の役が「極太」に描かれると、逆に青年団の俳優の「細明」的スタイルが「かえって怖かった」というのも無理のないところでしょう。演技の質をうまく捕らえたことばでした。

アルノー・ムニエは今年10月、フランスで平田オリザの「ソウル市民」を演出するそうです。こまばアゴラ劇場のwebサイトで、上演する場所を「フランスで二番目に重要な劇場であるシャイヨー国立劇場」と紹介する個所が目がとまりました。劇場の評価に順番を付けるのかと思っていたら、平田本人のメッセージにならってまとめたコピーだったようです。「二番目」に特別な意味があるのでしょうか。
「二番目」は懐かしい表現です。フィリップ・ディックの「最後から二番目の真実」を思い出してしまいました。しかしここではPenultimateという表現ではなさそうですね。
(6.08一部補筆)

[上演記録]
職さがし La Demande d’emploi」(青年団+文学座自主交流企画シリーズ)
こまばアゴラ劇場(5月26日-31日)

演出 アルノー・ムニエ
作 ミシェル・ヴィナヴェール
翻訳 藤井慎太郎
出演 ◎=文学座 ★=青年団
高橋広司◎、永井秀樹★、石橋亜希子★、山口ゆかり★

スタッフ 舞台監督:鈴木健介
美術:カミーユ・デュシュマン
照明:フレデリック・グルダン、西本彩
音響:バンジャマン・ジョソー、藪公美子
衣裳:有賀千鶴
宣伝美術:京
宣伝イラスト:後藤周太郎
演出助手:吉田小夏
制作:カリーヌ・ブランシュロ、松尾洋一郎、西山葉子
通訳:斉藤チカコ
総合プロデューサー:平田オリザ

共同制作:La Compagnie de la Mauvaise Graine
後援:AFAA(Association Francaise d’Action Artistique)
Le Ministere de la Culture et de la Communication
Region Ile-de-France

投稿者: 北嶋孝

ワンダーランド代表

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