ポツドール特別企画公演「女のみち」

ポツドール特別企画公演「女のみち」公演が終わって2カ月もたってからの紹介は気が引けるのですが、まあご勘弁願って、ポツドール特別企画「女のみち」を取り上げます。三浦大輔作・演出の本公演(本番!)も意見が分かれますが(例えば「夢の城」公演評)、今回の特別企画の評価もだいぶ振り幅が大きかったようです。いつものように、肯定的評価から入って、だんだん問題の所在を洗い出していくという構成にしましょう。長くなりましたが、ご容赦を。

「今回はキャラクター・感情・関係・物語がはっきりと浮かび上がり、ラストには希望ともいえる明るい展開を見せる」「女は強いし美しく神聖なんだ!と改めて明るい気持ちになれたポツドールもいいものだ。なので評価★★★★(ほぼ満点。4.8くらいつけたいっす)」(30’s SubCulture Blog

「芝居は、徹頭徹尾とてもリアルで、トーンもボリュームも仕草も、見事に日常会話そのもの。身近に「いそうな人」たちの「ありそうな会話」ばかり。細部でたくさん笑えるし共感できる。制服から更衣後の各々の衣裳も、本当の私服かと思えるくらい各自のキャラクターを象徴していたし、まったく「嘘」を感じさせないものであった」 (のっぱさんの観劇日誌

「当たり前だけどAV女優と云っても彼女たちは飽くまで普通の女の子。その普通さを維持しつつ、その世界で生きていくシンパシー、マナー、だとか、他者への思いやりだとか、そういった話題を待合室でタバコを吸いながら雑談しているのはそれだけでずっと見ていたくなるような魅力に溢れています。居なくなった人の悪口を云ったり、マネジャーの男(この人もまた凄いキャラでした)とその場にいる全員が実は寝たことがあるってことが発覚したり、笑いに涙に倦怠、怒り、ムカつきなどなど、色んな要素が上演1時間半の間にたっぷり展開凝縮され、それでいて起承転結と云うか、最後にはしっかりとハッピーエンド。」(吃音問題のススメ

物語の骨格がしっかり組み立てられているとの指摘に間違いはありません。登場人物の性格も書き分けられているし、生起するエピソードも目配りが利いています。「明るい展開」「しっかりとハッピーエンド」という言葉に、この芝居の性格が言い当てられているようです。
ここまでがとりあえずの入り口だとすると、もう少し内部に分け入ったらどうなるのでしょう。こんな見方が浮かんできます。

「作品に登場するのは、C級のモデル事務所に在籍する5人の女たちで、それぞれ似て非なる背景を抱えている。彼女らはバラバラに派閥争いをし、離合集散しているように見えるのだが、結局そんな「女」たちを繋ぎまとめるのは、肉体関係でつながる「男」ではなく、仲間内にいる「長女」的存在の「女」。彼女ががリーダーとして認識され、5人のペンタゴンは一塊としてまとまるのである。つまり、いわゆる家長的な「父性」の役割というのは、何も生理学的な「男」が果たしているわけではない、というところにも、本作が女性による番外公演として提示された意義が見出せると思う」 (のっぱさんの観劇日誌

「さすがに現役のAV監督の脚本だけに説得力がある。AV女優たちの会話が、また凄い! 実際の現場の話なので、なるほどそうかと思うようなAVネタがポンポンと飛び出してくる。しかし、ポツドールと似ているのは、テーマにしていたモチーフだけだったということがすぐにわかる。三浦とは全然違う。溝口真希子の母性が強く現れている。安藤玉恵が新人の女優を慰めるシーンが圧巻だった。娘に対する母親のような姿で全てを受け容れていく」(haruharuy劇場)。

「安藤さん演じるお局AV女優が花も実もある感じで非常に素晴らしかったです。彼女一人だけ、陰口言わないし、人格攻撃しないんだよね。しかし、仕事に怠慢な態度に対しては厳しい、男前なキャラについつい感情移入。彼女の存在が救いになってる。あくまで救いを用意しない三浦演出のハードボイルドさも良いけれど、ハートウォーミングな彼女の存在感もそれはそれで心地よい、と感じました。なんていうのかな、泣ける感じ。」(直行直帰

癖のある女優たちも、彼女らとほとんど「やっちゃう」マネジャーも、合わせて抱きとめるのは父性と言うより、「haruharuy劇場」が指摘しているような「母親」、つまり吉祥天女や観音菩薩、あるいは地母神のようなイメージに近いのではないでしょうか。こういう「女神」像は古くから多くの物語に折り込まれ、「おしん」的忍従成功譚にもなれば演歌の「涙」になってきたことは言うまでもありません。あれこれみーんなまとめて飲み込んで救う「母」が、ポツドール公演の舞台に現れるとは思ってもみませんでした。
もう一つ、紹介しましょう。

「女性同士の関係の図式はちょっと複雑なのだが、それも無理に全部描こうとしない演出が成功しているのだと思う。あくまでも、その場の空気のようなものの背景に人間関係や個々の感情が見え隠れしている感じが、AVの現場という、ある意味彼女達の戦場での感情の動きをよりしっかりと浮かび上がらせ、さらには女優同士が背負っているものの本当の重さを観客に伝えることに成功していたと思う。(中略)三浦演出作品にあるここ一番での圧倒的な迫力に欠けていたのが惜しい」(R-Club

ぼくはポツドールの本公演をみていないので「三浦演出作品にあるここ一番での圧倒的な迫力」を知りません。とりあえずここでは「圧倒的な迫力に欠けていた」という指摘に留意しながら先に進みましょう。
分け入りついでに、細部の描写が杜撰ではないかと指摘する一文が目にとまりました。こんな感じです。

「細かいことだけど、バイブにコンドームを着けないのが気になりました。
作・演出の方はAV監督でもあるそうだけど、着けるだろ?バイブにコンドーム。そうゆうトコロに無頓着な現場ってコトなのかな。ありえねーとか思うけどな。ま、ADが動かないでマネージャーにローション取りに行かせるような現場だったからな。そう、そのローションも一度はちゃんと用意するのに、その後の撮影では使おうとする素振りもみせなかったりで。
キャラ描写が細かい分、「AVの世界」への描写がちょっと杜撰かなぁと思ってしまいました」(OLD FASHION

前後の記事を読む限り、筆者はこの世界の事情に通じているようです。確かに細部がしっかり描かれないと、ホントっぽく見えません。それぞれの現場にはそれぞれの流儀があるようですから一概に言えませんが、とりあえずはこういう指摘があったということだけは記憶の片隅にとどめておきましょう。
理解の手がかりすら掴めないとの書き込みもみられます。

「私には理解できない芝居でした。
アダルト・ビデオの制作をするため、女優が5人撮影所に来て仕事をするわけですが、リアルなのかどうか分からない。5人の会話を中心に物語が進みますが、感情の揺れかたも理解できなかった。笑えるところもないので喜劇ではないのでしょう。かといって、何かを考えてもらおうと言うこともないようでした。設定が非日常の世界でしたから、そういう意味では面白かったかも?」(散策する見物

これもまた紛れもない率直な気持ちでしょう。「何かを考えてもらおうと言うこともない」という指摘は、作品が放つ臭いというか、はみ出してくるものが感得できないと読み替えると、手がかりが掴めそうです。つまり作品の開かれ方や方向の問題ではないかと考えられます。次の感想は、その辺の心情を実にうまく言い表しているような気がします。

「今回はAVの撮影現場が舞台なんだけど、笑わせるための演出が入っていたりと、雰囲気が妙にうそ臭くてリアリティがない(あれ、今回演出やってる溝口さんってAV業界の人だよね?)。そのぶん、この劇団特有の売り(らしい)「覗き見してる感じ」はあんまり感じられなくて何気に健康的。内容は本当に普通。女の子だけの芝居なので、悪口とか男自慢とかそういったことを一人一人がベラベラ喋ることで彼女たちの性格を観客に教えてくれる親切設計。それだけで話が進んでいくので構えず観られる。ドラマティックじゃないけどドラマしてるので、アダルトなシーンに抵抗がなければ演劇初心者でも楽しめる感じ」(炭酸カルシウムガールズ2

「女の人ならではの視点で書いたという会話などが要所要所に感じられる。ただ、ドラマ性はあまり感じず、よくある展開にこじんまりとまとまってしまった印象があった」(緑色の羊たち

「親切設計」「ドラマしている」「こじんまりとまとまった」という個所は率直に書いた分、勘所を突いているかもしれません。先に紹介した好意的文章でも、「三浦演出作品にあるここ一番での圧倒的な迫力に欠けていた」と指摘され、「最後にはしっかりとハッピーエンド」とありました。これでは、いわゆるポツドールの本公演には指摘されることのなかった物言いではないでしょうか。従来の三浦演出との差異は敏感に感じているようです。次のような指摘がありました。

「ただ、逆に思ったのです。「なぜエロにこだわるのか?」と。こういう芝居をやりたいのなら、別に「エロ」の要素はいらなかったのでは?と思うのです。安藤さん演じるお局AV女優はそのままお局のOLだし、それ以外も化粧品会社とか保険会社とか女子率多い会社だったらどこにでもいる典型的なキャラなんだよね。女性6人の群像がよく描けている脚本なのに、「やっぱりエロ」なのね、というところは得してるのか疑問」(popo-lism

「ポツドールと言われなければ、そのまま普通の演劇として見てしまっただろう。ネタはAVの現場というちょっと角度をつけたきわもの的なものであるとしても、語りは実にベタ(「女」の「みち」)。ただしそのベタがすごく丁寧な叙述」「その力量は見ている者を飽きさせず、演劇ってこうした微細な諸々の力の流れをどう捉えるかなのだろうな、などと終演後すぐには感心していた。けれども、」「今作がもつ批評性の薄さ、ベタさは、ぼくが以前見た『夢の城』でのギャルたちの動物的乱交の光景の描写とは似て非なるものだと思ってしまうのだった」(Sato Site on the Web Side

ぼくもこの公演をみましたが、AV女優らの撮影現場を題材にした、よくできた舞台というのが率直な印象です。まず全体の構成が実にしっかりしています。教室で演じられるいじめ=強姦プレーは窓で仕切られた舞台奥のセットで、ぶりっこちゃん(クラシックな表現!)のオナニーシーンはモニターを通して映し出されます。AV撮影は「皮膜」の彼方の出来事として描かれ、舞台手前にあつらえられた控え室が現実といううがった設定自体に並々ならぬ技巧をみることができます。

人物配置もツボを心得ています。仕切り役のお局女優だけでなく、悪口陰口言いまくりの女優、人がよすぎて獣姦シーンを押しつけられる女優もいれば、豪快な性格丸出しの子持ち女優や手当たり次第女優と関係するマネジャーも。ぼけとつっこみの遣り取りを含め、キャラクターの配置と書き分けは見事です。最後はお局が仕切って幕。母性なる存在がすべてを飲み込んで舞台は見事に昇華されます。苦笑と微笑を交えつつ、安心、安堵の空間が提供されるのです。エンターテインメント(娯楽)とアート(芸術)という線引きを仮にしてみるとしたら、この公演はエンターテインメント寄りの優れたウェルメイド作品だったと思います。「ドラマティックじゃないけどドラマしてるので、アダルトなシーンに抵抗がなければ演劇初心者でも楽しめる感じ」(炭酸カルシウムガールズ2)という指摘は、この点をぴったり衝いています。

この公演はよくできていると述べましたが、そのよくできている前提には、物語にも人物設定にも破綻のないことが挙げられます。「それって、あるある」「そうだよね」という、いわば既知の記憶を巧みに組織しているからでしょう。「いそうな人」たちの「ありそうな会話」(のっぱさんの観劇日記)という表現が的をえています。いわば、みている側の「同意の視線と納得の感情」が動員されるのです。それらは合流しながら、作者がセットした導線をぐるりと回って「ハッピーエンド」に落とし込まれます。みてはならない展開を見せられて心がざわざわしたり、意表を突く設定や過剰なイメージによって揺さぶられることもありません。ぶりっこ女優が肥満やいじめの過去を告白してほかの女優と親しげになったり、気のいい女優が鶏(だったかな?)とやらされたりするエピソードもさらりと組み込まれて違和感がないのです。「ここ一番での圧倒的な迫力に欠けていた」(R-Club)「批評性の薄さ」(」(Sato Site on the Web Side)という指摘の根拠でもあるのでしょう。
ネット上でこんな書き込みに出会いました。「最後までしっかりと観ることはできたし、別につまらないわけではないのだけど。割と脳みそをうごかさずに観れる感じ」(どうにもやる気の起きない脱力日記)。そうか。「脳みそをうごかさずに観れる感じ」か。なるほど、と感心してしまいました。

再度繰り返しますが、初めての作品でこれだけ出来上がった舞台をみせる作・演出の手腕は並ではありません。ドラマの呼吸とでもいうべき、押したり引いたりのタイミングが既に自分の物になっていると言っていいでしょう。恐るべき技量だと思います。しかし手腕と技量の外周にもまた、幾重にも広がる世界があり得るのです。
その一つを、あるサイトはこんなエピソードとともに述べています。

「男性誌のグラビア担当者が最初にやる仕事に写真のレスポンス(写真を修正する機械)指示っていうのがあって、事務所の言う通りにアイドルのシワやシミを消したりするんだけど、AV女優の場合、よくあるのがリストカットの跡とか根性焼きの跡を消してくれっていうせつないレスポンス。
以前、カンパニー松尾のAV作品にこんなシーンがあった。フツーの主婦がAV出て、自宅でセックスして、お金ももらえて、あー楽しいと。でも撮影が終わってカンパニーを駅まで自家用車で送っていくとき、この主婦、ハンドル握ったまま突然ゲロを吐く。バレリーナの足の裏は血マメだらけっていう西洋近代芸術の光と影を持ち出すまでもなく、人間そんなに軽やかになれるものじゃない。カラダは正直だ。
「女のみち」にはそこまで臭くて酷薄な現実は描かれていない。かといって安藤玉恵演じるAV女優がその名を模した立花里子のような痴女神が跋扈するどエロな世界が描かれるわけでもない。それでも、物珍しいAVの撮影現場を舞台に、「リストカットの跡」や「根性焼きの跡」を適度に散りばめた、たくましい女たちのドタバタ劇として楽しい作品だった」(*S子の部屋

この舞台はおそらく「女」の「道」を示したかったのでしょう。あるいは「女」のみ「知」(あるいは「値」)であることを潜ませていたのでしょうか。しかし「女」の「未知」は描かれずに終わったような気がしてなりません。別に「ゲロ」にまみれたいわけではありません。いささかでも「未知」に遭遇したいだけなのです。

【公演記録】
ポツドールvol.14.5「女のみち」(ポツドール特別企画)
新宿THETER/TOPS(7月5日-10日)

作・演出 溝口真希子
主演 安藤玉恵  脚本・演出 溝口真希子(映画『はつこい』監督)
出演 岩本えり 内田慈 玄覺悠子 佐山和泉(東京死錠)/米村亮太朗 ほか

照明/伊藤孝(ART CORE design)
音響/中村嘉宏(atSound)
舞台監督/清沢伸也
舞台美術/田中敏恵
演出助手/富田恭史(jorro) 尾倉ケント(アイサツ)
小道具/大橋路代(パワープラトン) 鷲尾英彰 衣装/金子千尋
宣伝美術/富田中理(Selfimage Produkts)
写真撮影/曳野若菜 広報/石井裕太
制作/木下京子
制作補佐/安田裕美(タカハ劇団) 吉永紘朗(アイサツ) 青木理恵 安見和子 運営/山田恵理子(Y.e.P.)
助成/芸術文化振興基金 協力/(有)マッシュ にしすがも創造舎 どん平
企画・製作/ポツドール

★5日(水) 6日(木) 7日(金)公演後、溝口真希子&スペシャルゲストによるアフタートークあり。出演者は5日(水)乾貴美子(タレント)、6日(木)廣木隆一(映画監督)、7日(金)バクシーシ山下(AV監督)
★6日(木)-7日(金) 14:30より同時公開
第25回ぴあフィルムフェスティバル審査員特別賞受賞 映画『はつこい』(三浦大輔・溝口真希子監督)

「ポツドール特別企画公演「女のみち」」への1件のフィードバック

  1. 女のみち

    ポツドール「女のみち」を観に、新宿THEATER/TOPSへ。
    今公演は番外公演ということで、主催の三浦大輔ではなく、劇団の旗揚げ当初から役者・スタッフとして参加されていた溝口真希子という方が脚本演出…

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