TOKYOSCAPE-東京6劇団、京都へ。2005-2006

◎終わったけれど始まったばかりの旅 全体力と知力を注いだ3年
詩森ろば(TOKYOSCAPEディレクター、風琴工房主宰)

TOKYOSCAPE公演チラシ誰にも望まれず生まれ落ちた豊穣な果実。それがわたしにとってのTOKYOSCAPEです。誰にも望まれず、とは参加カンパニーや立ち会っていただいたたくさんのお客様に対して失礼なものいいであることはわかっています。しかし、せっかくこのような場をいただいたのだから、嘘のないレポートを書きたいと思います。

走り出してしばらくのちは、いえ、正直言って最後の最後まで、それは誰にとってのものなのか、誰が望んだものなのか、ワケもわからず走ってきた、走らざるえなかった。中核をなすわたしのその態度というか態度自体はこれ以上はできないほど献身的かつ熱情的に仕事はしてきたけれど、抱えていた空洞のようなものがあったことは否定できず、それがずっとTOKYOSCAPEをそこねているのではないか、と思い続けてきました。だからこそ、仕事はひといちばい行った。手を抜かず、創作にあてるべき時間を削ってでもTOKYOSCAPEの仕事はやりぬいた。その仕事のモチベーションがフェスティバルそのものではなく、わたくしの、必要以上の責任感の強さという個人的な性質に起因したことをわたしは知っています。

TOKYOSCAPE、それは東京から6つのカンパニー(bird’s-eye view、風琴工房、ポかリン記憶舎、劇団桃唄309、ユニークポイント、reset-N)が真夏の京都に集うというフェスティバルです。開催期間は2週間、使用会場は劇場外を含め4箇所。この控えめに考えても大規模なフェスティバルはしかし、参加6団体の主宰者を中心として構成された実行委員会形式での運営でした。フェスティバルディレクターであるわたしは実質的なそのリーダーでした。わたし自身がイチから立ち上げた企画ではなく、企画の提案をしてくれた方があり、それに乗ってくださった方があり、その流れのなかで、わたしが実質的なリーダーを務めることになったのです。実質的なリーダーがその理念の最初の一歩を担っていないワケですから、運営はなかなか困難を極めました。しかしその苦労話を書くことがこの文章の目的ではありません。

あるとき、それがいつかはよく覚えていないのですが、「これはわたしが全責任を取らなければならないんだ」と気づきました。それは甘えを承知で言えば、自分が主体ではじめた、という自覚に乏しいわたしにとってたいへんに理不尽なできごとでした。しかし、とにもかくにもそれが現実でした。わたしが責任を取らなければ、このフェスティバルは惨敗する。もしかしたら頓挫するかもしれない。それは、わたしの演劇のキャリアにおいてあってはならないことだ。演劇のキャリア、などというものにとんと興味はありませんが、このフェスティバルが頓挫してしまったら、ささやかなわたしの演劇活動が根本から損なわれる、というのは、いかにぼんやりしたわたしでもわかりました。やりたい、とかやりたくない、とかではない。なにがあろうと、やらなければ、です。それは「やりたいことだけをやる」ということを理念として活動をおこなってきたわたしにとって、いままでにない未知の体験でした。

「なぜ京都なのですか?」「なぜTOKYOSCAPEをはじめたのですか?」
フェスティバルディレクターとして答えるべきたくさんの質問はいつも針のむしろのようでした。自分の言葉にそれはない。わたしにあるのは、「とにもかくにもやりぬくのだ」という悲壮な覚悟だけなのですから。その質問に対する答えはその場その場ででっちあげ、やりすごし、でも本音は「わたしがいちばん、それを知りたい」ということでした。

支えは、制作のために京都におとずれるたび、助成金の準備をひとつするたび、すこしずつ自分の考えが先に進んでいくことでした。参加カンパニーのモチベーションや体力にはバラつきがあり、それが進行を阻害することもままありましたが、わたしでさえこの速度なのだから、それは仕方のないこと、あたりまえのことだ、という思いがありました。わたしは、絶対的なリーダーではなく、霧のかかった険しい道をとにもかくにも最初に飛び出していくアンテナのような存在であればいいと思っていました。チラシの細かい文言、料金設定、付帯イベント、そのほかさまざまなことをひとつひとつ実行委員会で決定していきました。そのなかには紛糾も諍いもありました。しかしそれは最終的には話し合いで解決し、埋めていきました。公正であること。わたしの共同作業というものに対する理想を実現する場所であることをわたしは自分に課しました。自分とは違うさまざまな意見を話し合いという方法で解決していくこと。しかし最大公約数的な妥協の産物とはならないよう注意深くあること。その態度は比較的貫けたと思っているのですが、それもわたしが理想を持ったリーダーではなく、理想を探し求めるリーダーだったからこそできたことかもしれません。

そして2週間のフェスティバルは終わりました。準備期間3年という短くない年月がそれに費やされました。総括を、と言われて書いているこの原稿ですが、いまだその圧倒的な体験はわたしのなかで相対化されていません。それほどに自分の全体力と知をつぎこんだフェスティバルでした。しかも「やりとげなければ」その一念だけで。

しかし、振り返ってみると「やらなければ」と決意したときに、「終わったあとに見えてくるものがあるハズだ」という大きな予兆があったこともまた事実です。その予兆なくして、この膨大な仕事にわたしは取り組むことはできなかったでしょう。そしてその予兆は圧倒的なかたちで具現化したと思っています。制作的な成果だけを問えば大成功とも大失敗とも言えません。予算通りにほぼ進んだのは奇跡的ですが、その予算自体がもともと大きな赤字を孕んでいます。大阪・神戸からの集客は望んだほどには実現しませんでした。ここらへんの総括はこの短い文章で語りつくせるものではありませんので、きちんと成果報告書というかたちでまとめる計画でおります。頒布もおこなう予定ですので、TOKYOSCAPEホームページにてご確認ください。

また制作面以外でもすべてが成功とは言えませんし、もちろん失敗に属するものもたくさんありました。しかし、そのすべてが、価値のあるものでした。ふたつの都市、そして6つのカンパニーのあいだで相対化された自分のたち位置、いまここにわたしは立っている、という確かな実感。アーティストとしてこれ以上の成果はありません。そしてみわたせば共に戦ったカンパニーがいる場所が見え、京都と東京というふたつの都市に屹立する演劇というものが見える。気づけばどれほど豊かな時間を体験したことか。

成果報告ではなく大きなイントロダクションのような文章となりました。しかし、それも仕方のないことかもしれません。この体験を手に、京都へ、まだ見ぬ町へ、わたしたちはでかけていこう、いかねばならないと思っています。TOKYOSCAPEはまだはじまったばかりなのです。
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド第12号、2006年10月18日発行。購読は登録ページから)

【筆者紹介】
詩森ろば(しもり・ろば)
宮城県仙台市生まれ。父親が道路関係の仕事をしており、高速道路の傍を転々とする幼年期を過ごす。1993年、劇団風琴工房旗揚げ。以後すべての脚本と演出を担当。2003年劇作家協会新人戯曲賞優秀賞。TOKYOSCAPEフェスティバルディレクター。演劇の公共性を視野においた教育現場・公共ホール等でのワークショップを精力的に行う。

【公演記録】
TOKYOSCAPE-東京6劇団、京都へ。2005-2006
京都・アトリエ劇研/人間座スタジオ/ART COMPLEX 1928/須佐命舎
2006年7月26日(水)~8月6日(日)
(詳細スケジュール略-TOKYOSCAPEサイト参照)
http://www.tokyoscape.org/schedule/

[関連イベント]
●オープニングパーティー
7月26日(水)21:00~22:00 人間座スタジオ
●ポかリン記憶舎 浴衣美男・美女講座
7月31日(月)18:00~21:00 立本寺(りゅうほんじ)
●風琴工房ワークショップ
8月1日(火)13:00~16:00 人間座スタジオ
●風琴工房「ろばカフェ」
7月28日(金)15:00、7月30日(日)15:30、8月4日(金)15:00終演後

【関連情報】
・TOKYOSCAPE公式Webサイト http://www.tokyoscape.org/
・TOKYOSCAPEで、KYOTOトリップ!- 東京6劇団による同時多発公演 in 京都
(高野しのぶ)(週刊マガジン・ワンダーランド第3号、2006年8月16日発行)
http://www.wonderlands.jp/archives/12097/
・詩森ろば インタビュー(BACK STAGE)
http://www.land-navi.com/backstage/report/fukinkobo/report/interview/inta-5.htm


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