ヤン・ロワース&ニードカンパニー「イザベラの部屋」

◎音楽とダンスと演劇と美術の融合による記憶のコラージュ
芦沢みどり(戯曲翻訳者)

「イザベラの部屋」公演チラシこの2月に彩の国さいたま芸術劇場でヤン・ファーブルの「わたしは血」を観た。その2カ月足らず後、同じベルギー人という以外何の予備知識もなしに、同じ劇場でヤン・ロワースの「イザベラの部屋」を観た。当然ながら舞台から受けた印象と感動の強度はそれぞれ違うが、どちらもダンス、音楽、演劇、美術が融合した作品だった。

「イザベラの部屋」の日本語パンフレットに谷川道子氏が「演劇ニューウェーブの旗手、ヤン・ロワース」という一文を寄せておられる。それによると、フランス北端からベルギー西部にかけての地域ではベジャールやヤン・ファーブルだけでなく、すでに80年代からさまざまな新しい演劇の波が起きていて、ヤン・ロワースもその一翼を担っていたそうだ。その新しい波は今では「フランドル・ニューウェーブ」と呼ばれているとか。2月の「わたしは血」の時もそうだったが、「イザベラの部屋」でも観客は開演10分前くらいまでロビーで待たされて、劇場へは入れてもらえなかった。これがフランドル流の客あしらいかどうかは知らないけれど、おかげで観劇前にパンフレットをゆっくり読んで、上記のような知識を得ることができた。また簡単な粗筋も手渡されていたので、それにも目を通した。観劇前に芝居の筋をバラしてしまうのは、ふつうは禁じ手だろうが、この公演ではそうではなかった。そのわけは、稿が進むうちにわかっていただけると思う。

「イザベラの部屋」公演1
【写真は「イザベラの部屋」公演から。撮影=Eveline Vanassche ©  提供=彩の国さいたま芸術劇場 禁無断転載】

さて、劇場に入ってまず目を惹くのは、舞台上に置かれたおびただしい数のオブジェだ。白い舞台の数箇所に、画廊や展覧会場で目にするような白いクロスを掛けた陳列台が置かれ、その上にアフリカやエジプトの民芸品や骨董品が所狭しと並べられている。一瞬、ここでいったい何が始まるのだろうと首をひねったが、よく見れば楽器とマイクのスタンドがあるではないか。冒頭、白いスーツを着たヤン・ロワースが登場して、これらのオブジェは最近亡くなった父親フェリックス・ロワースの遺品であると説明する。彼はこの父親のコレクションに触発されてイザベラの物語を書いたのだと言う。

<20世紀の始めに生まれ、まるまる一世紀ちかくを生き抜いたイザベラは、今90歳になろうという年で、盲目となり、パリの一室でこれらのオブジェに囲まれて暮らしている。しかし彼女はカメラが映し出す映像を、直接脳へ伝える科学実験の被験者になっているので、盲目ではあるがカメラが撮影したものは「見えて」いる>。

ウソ! この話、どこまで信じていいのだろう? ロワースは観客にそう思わせておいて、おもむろに出演者たちを紹介する。そして彼自身を含む十人の出演者が楽しげに人間賛歌の歌を合唱したあと、イザベラの物語が始まるのだが、このイントロからすでにロワースの手法の一端を窺い知ることができる。つまり現実と虚構の境界を限りなくファジーにするという方法だ。限りなくファジーにされる境界は、現実と虚構だけでなく、およそ考えられうる限りの演劇的境界なのだが、まずはイザベラの物語の粗筋から。

1910年生まれのイザベラは、修道院のポーチに捨てられていたのを拾われて、8歳までそこで育てられた。それからアンナと灯台守アーサーの養女となり、三人はどこかの島の灯台で暮らす。彼女は養父母から、本当の父親はアフリカの「砂漠の王子」だと言い聞かされる。砂漠へ遠征旅行に出かけて行方不明になった男の娘だと。彼女が14歳の時に養母が死ぬと、養父は酒びたりとなり、イザベラを残して島を出て行ってしまう。イザベラは砂漠に、砂漠の王子に、アフリカに憧れていた。だが、結局アフリカへは行かず、パリへ行ってアフリカを専門とする文化人類学者になる。そして妻のいるアレクサンダーと恋に落ちて彼の愛人となる。その頃、養父アーサーが死んで彼女に手紙を遺す。その手紙からイザベラは、本当の両親がじつは養父母のアンナとアーサーだったことを知る。

時は移って1940年。ドイツがフランスに侵攻し、アレクサンダーはレジスタンスに加わる。それから彼はイギリスの諜報部員となり、日本軍の捕虜となってヒロシマで原爆を体験する。帰還した彼は、次第に狂気に犯されてゆく。

一方、イザベラは盲目になり、アフリカやエジプトの民俗学、考古学のコレクションに囲まれて暮らしている。そして自身の孫である16歳のフランクと恋に落ちる。フランクはイザベラの76人目の恋人だ。だが彼は赤十字の職員としてアフリカへ赴任し、そこで死んでしまう。それでもイザベラは言う。「ほら、この髭を生やした男の写真を見て。ウソから生まれた男。わたしの砂漠の王子。彼はわたしといつまでも一緒にいる。アンナやアーサーやアレクサンダーやフランクはいなくなってしまった。永遠に。でも、砂漠の王子だけはまだ存在している。カメラのスイッチを切ると、わたしには彼がはっきり見える。フェリックス。ラテン語で幸福を意味する言葉」。そして全員が冒頭で歌われた「We just go on and on and on わたしたちは歩いて歩いて歩き続ける」という歌を、今度はフェリックス・ロワースを追悼する歌として楽しげに、微笑みをたたえて歌い、この寓意劇は終わる。

「イザベラの部屋」公演2
【写真は「イザベラの部屋」公演から。©Eveline Vanassche 提供=彩の国さいたま芸術劇場 禁無断転載】

谷川道子氏によると「フランドル・ニューウェーブ」が目ざしているのは、西欧近代演劇が構築した<ドラマの忠実な再現>という「ドラマ演劇」の概念を、もっと大きな「演劇」へと拓いてゆくことだという。事実この「イザベラの部屋」も、従来のテクスト再現の演劇などではもちろんない。ドラマを展開させてゆくことが作品の眼目なのではなく、音楽とダンスと演劇と美術を融合させて、そこにひとつの寓話を浮かび上がらせることが主眼であるように見える。フランス語・英語・ドイツ語併記の公演パンフレットによると、ロワース作品ではいつも複数の言語が話され、言葉はいつも問題含みのコミュニケーション手段なのだが、「イザベラの部屋」の場合は歌が言語間の衝突を緩和し、境界を越えさせたという。

境界を越えているという印象は、出演者のたたずまいからも感じ取ることができた。彼らはいつのまにか踊り出し、いつのまにか歌い出し、いつのまにか話している。踊り、歌い、話すというアクションのつなぎ目は、限りなくファジーだ。そもそもイザベラが自分の生涯を語り始める時、彼女はすでに老いて盲目になっている。物語は一応時系列的に進んでは行くが、死んだはずの人間が当然のように再び舞台に現れてイザベラと話し、歌い、踊る。ここでは生と死の境界さえも越えられている。

生と死の境界を越えるということで想起されるのは、歴史と記憶である。舞台上の出来事を、イザベラの記憶の断片をコラージュしたものであると了解した時、20世紀を横断して生きたイザベラの個人史の背後から、激動の世紀の歴史が浮かび上がって来る・・・戦争、原爆、コロニアリズム、ポストコロニアリズム、etc。イザベラが盲目なのは偶然ではない、と前述の公演パンフレットの筆者であるErwin Yansは書いている。ロワースは男性的な視線を権力と欲望の象徴として否定し、イザベラを盲目の肯定の女として描いたという。男に支配されることなく、歴史の虚構に惑わされることもなく、ウソから生まれた「砂漠の王子」への憧れは失わず、たくさんの恋人をつくって人生を謳歌した女。

イザベラを演じたヴィヴィアンヌ・ド・ミュインクはニードカンパニーの主演女優で、脚本を書き翻案もする多才な人だ。その豊満な肉体から迸るエネルギーは、生と性を謳歌して生きたイザベラを見事に体現していた。記憶の断片のコラージュが、ややもすると集中より拡散、緊張より弛緩に傾きそうになるのを、彼女の身体がいつも舞台の中心にあることで、断片が雲散霧消するのをしっかり引き止めているように見えた。16歳の孫と70歳のイザベラの長い長いキスシーンが終演ちかくにあり、最初はぎょっとしたが、次第に感動している自分に気づいたことを記しておきたい。(4月7日、観劇)
(初出:週刊「マガジン・ワンダーランド」第40号、2007年5月2日発行。購読は登録ページから)

【筆者紹介】
芦沢みどり(あしざわ・みどり)
1945年9月中国・天津市生まれ。早稲田大学文学部卒。1982年から主としてイギリス現代劇の戯曲翻訳を始める。主な舞台「リタの教育」(ウィリー・ラッセル)、「マイシスター・イン・ディス・ハウス」(ウェンディー・ケッセルマン)、「ビューティークイーン・オブ・リーナン」および「ロンサム・ウェスト」(マーティン・マクドナー)ほか。2006年から演劇集団・円所属。
wonderland掲載劇評一覧 http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/ashizawa-midori/

【上演記録】
ヤン・ロワース&ニードカンパニー『イザベラの部屋』(日本語字幕付)
Jan Lauwers & Needcompany”Isabella’s Room”
彩の国さいたま芸術劇場大ホール(2007年4月6日-8日)

構成・演出・舞台美術:ヤン・ロワース
テキスト:ヤン・ロワース、アネーケ・ポネマ「嘘つきのモノローグ」
音楽:ハンス・ペター・ダール、マールタン・シーゲルス
歌詞:ヤンtロワース、アネーケ・ボネマ
ダンス・パート創作:ジュリアン・フォール、ルーデ・ハグベルグ、ティジャン・ロウトン、ルイーズ・ベトロフ

出演:
イザベラ:ヴィヴィアンヌ・ド・ミュインク
アナ:アネーケ・ボネマ
アーサー:ブノア・ゴプ
アレクサンダー:ハンス・ベター・ダール
フランク:マールタン・シーゲルス
砂漠の王子:ジュリアン・フォール
快活な妹:ルイーズ・ベトロフ
意地悪な妹:ティジャン・ロウトン
語り手:ミシヤ・ダウニー、ヤン・ロワース

衣装:レムス&バーキー
照明:ヤン・ロワース、ジェロン・ヴュイッツ
制作:ニード・カンパニー
共同制作:アヴィニョン演劇祭、パリ市立劇場、ガロンヌ劇場(トウールーズ)、ラ・ローズ・デ・ヴァン劇場(ヴィルヌーヴ・ダスク)、ブルックリン音楽アカデミー(ニューヨーク)、バーゼル国際演劇祭
協力:カイ劇場(ブリュッセル)、ブリュッセル首都圏フランドル共同体委員会
料金: S席6,000円 A席4,000円 学生A席2,000円


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