ピッポ・デルボノ・カンパニー「戦争」「沈黙」

◎<特異な俳優たち>が芸術と生の壁を爆破する(上)
芦沢みどり(戯曲翻訳家)

「Shizuoka 春の芸術祭2007」パンフレット静岡県舞台芸術センターでは2007年4月に芸術総監督が鈴木忠志から宮城聰に交代した。新芸術総監督は初企画となる「春の芸術祭」に16演目を用意したが、そのうちの10作品は海外からの招聘だった。イタリアのピッポ・デルボノ・カンパニーもその一つである。筆者が静岡県舞台芸術センターへ足を運ぶのは、じつはこれが初めて。イタリアからやって来たカンパニーをわざわざ新幹線に乗って観に行くのである。どうせならと、このカンパニーが持ってきた2つの演目を一日で観ることができる日を選び、ちょっとした旅行気分で新幹線に乗り込んだ。2つの演目とは「戦争」と「沈黙」。「戦争」は屋内の静岡芸術劇場(客席数350)で、「沈黙」は野外劇場の「有度」で上演された。

「戦争」-多様な身体表現のコラージュ

静岡芸術劇場は劇場全体が馬蹄形になっており、その半分を舞台が占め、プロセニアムがない。つまり客席と舞台の一体感は劇場構造にすでに組み込まれているという感じだ。それを充分計算に入れてのことだろう。開演時間を少し過ぎた頃、遅れてやって来た観客のようにして客席通路を大柄で小太りの男が舞台に向かって歩いて行くのが見えた。彼はすでに舞台上にいた生演奏のミュージシャンに何か指示を出す。どうやらこの男は観客ではないらしい。彼は一旦袖に引っ込むと、今度はハンドマイクを手にして出て来る。そして舞台を下手から上手へ、上手から下手へとエネルギッシュに移動しながら、しゃべり、喚き、ロックシンガー風の男と一緒に歌って踊る。このエネルギー放出器みたいなお腹の出た中年男こそ、1959年生まれの演出家兼パフォーマー、ピッポ・デルボノその人なのだった。

喧騒が静まると今度は下手から、びっくりするほど小柄な老人が花束を抱えて出て来る。少し足を引きずるようにして、ゆっくりゆっくり舞台中央奥から前方へ進んで来るあいだ、筆者の目はその姿に釘付けになった。これはいったい誰なんだ。どう見てもプロの俳優には見えないけれど、舞台には慣れているし、表情は穏やかで、たたずまいには威厳さえ感じられる。周囲に静寂と平安を湛えた一人の老人―これは後で知ったことなのだが、彼はカンパニーの主要メンバーの一人ボボーで、ナポリの精神病院に50年間も入院していた経歴を持つ聾唖者だった。そのボボーがヒロシマの原爆で亡くなった人々も含め、過去の戦争で亡くなったすべての人に花束を手向けたあと、いよいよデルボノ・カンパニーのスペクタクル的パフォーマンス的演劇の幕が切って落とされた。ここで言うスペクタクルとは大仕掛けショーのことではなく、見世物の意味で使っている。このカンパニーの公演をそう呼ぶのは、もちろん、見世物を馬鹿にしてのことではない。見世物的要素は舞台芸術の魅力の一つでもある。このカンパニーは過剰なまでに「見せる=魅せる」ことに情熱を注いでいるように思われた。

「戦争-Guerra」公演
【写真は「戦争-Guerra」公演から。撮影=橋本武彦 提供=静岡県舞台芸術センター 禁無断転載】

<「戦争」はホメロスの『オデュッセイア』に着想を得ている。登場人物たちはオデュッセウスのように己の生の中心を求めてさまよい、愛と恐れの狭間で自分を見失う。それが戦争に巻き込まれた人間の姿だ。>(注1)というのがこの作品のコンセプトだ。このコンセプトに沿ってデルボノは、人間の争いの場面を次々と差し出してみせるのだが、一つ一つの場面に物語的な持続はない。あるのは個人レヴェルから集団レヴェルまで、様々な争いに晒された人間身体の表象のコラージュで、それらは必然的な帰結として破壊の大団円へなだれ込んで行く。舞台に登場するのはデルボノも含めた15人のパフォーマーだが、いわゆるセリフというものはない。言葉が排除されているということではなく、言葉は身振りや表情、ダンス、音楽、色彩などと同じく作品の構成要素の一つであり、神出鬼没に舞台に現れるデルボノによって発語される。テクストはチェ・ゲバラや仏陀から引用された詩的な箴言であったり、時にはデルボノ自身の激しい檄であったりするのだが、彼がマイクを通してそれらの言葉を口にすると、身体表現による個人の諍いの場面がにわかに根源的な意味を帯び始め、革命や宗教的争いの世界が背後に立ち現れて来る。

<特異な俳優たち>の詩的身体

高度な身体表現やダンス・テクニックを持つプロのパフォーマーたちに混ざって舞台空間を支配しているのは、先述のボボーやダウン症児のジャンルーカ、両足が完全に麻痺した松葉杖の俳優や全身白塗りのストリート・パフォーマーらだ。デルボノが<特異な>(different)と呼ぶこれらのパフォーマーたちの身体表現は、ただ舞台にいるか、あるいは単純な動作の繰り返しに過ぎないのだが、それが圧倒的説得力を持って観客を魅了する。そもそもこの作品は、彼らのような社会の周縁に生きる生を表現するために創られたものだという。国家体制によって周縁に追いやられた彼らの身体は、戦争に晒された身体の直喩でもあるのだ。

デルボノがこれらの<特異な>俳優たちと舞台を創り始めたのは、今から10年前の1997年、ある精神病院でのワークショップを基にして創った作品がきっかけだったという。『浮浪者たち』というタイトルのその作品が世間の注目を集め、ブリストル大学連盟の「芸術と生の境界を探る試み」賞を受賞した。社会の周縁に生きる人々とデルボノの共同作業は、今では「差異と共生の演劇」と呼ばれているようだ(注2)。なぜ知的にも身体的にもハンディを持った俳優を使うのかと問われて、デルボノは次のように答えている。

<これらの俳優たちと出会う前から、僕はいつも舞台の真実とは何かを追及していた。普通の人は子供の身体の中にある「身体の詩」を失ってしまっているが、話すことができないがゆえに身体を使ってコミュニケーションせざるを得ない人たちのカラダには詩がある。それから、困難を抱えて生きる人間や傷ついた人間は、悪魔にもなれば光にもなる可能性を秘めた深いものを持っていて、僕はそういうものを舞台で見せたい>(注3)

この「身体の詩」という美しい言葉を、「戦争」の舞台の中に探ってみると、たとえば先述のボボーが花束を抱えて出て来る冒頭のシーンや、ダウン症児のジャンルーカが両腕をブンブン振り回すパフォーマンスの際の無邪気な笑顔、何もかもが破壊し尽くされた舞台でボボーが一人、無心におもちゃで遊ぶ姿の中に見出すことができる。それらはどれも、「悪魔にもなれば光にもなる可能性を秘めた深いもの」を表現していた。

だがこういう舞台表現に対しては、賞賛ばかりが寄せられるわけではない。2003年にアヴィニヨン演劇祭でデルボノ・カンパニーを観たBBCのリポーターは、「ストリート・パフォーマーや精神病院から連れ出して来た人たちに、舞台で何かするチャンスを与えただけのものであり、演劇として内容はない」と一刀両断に切り捨てている(注4)。戯曲を上演すること=演劇という伝統が根強いシェイクスピアの国から来たリポーターとしては、舞台の身体表現の枠を極限まで押し広げて、ハンディのある身体を舞台に晒すことなど演劇でも何でもないと言いたかったのだろうか。デルボノ自身はこのような反応に対して先ほどのインタビューの中で、タデウシュ・カントルの言葉を引用しつつ、何のために演劇をやるのかを伝えるには突き破るべき壁が必要だと言っている。ハンディを持った人間の身体に障害しか見ない常識=偏見も、突き破るべき壁の一つなのだろう。筆者自身はこれらの俳優たちが登場するたびに目が離せなくなったが、それは彼らの身体に障害があるからではなく、そこには異なる時間が流れ、人間の遠い記憶が体現されているようで、未知なるものへ憧れを掻き立てられたからである。上演時間は1時間半。日本語字幕。(次号続)
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド第51号、2007年7月18日発行。購読は登録ページから)

(注1)(注3)Passion Theatre sur Internet, Guerra(Guerre)(en italien et en francais)
(注2)アヴィニヨン演劇祭公式サイト Festival d’Avignon
http://www.passion-theatre.org/cgi-bin/pti_lol/spectacle/affiche/fiche.pl?id_planning=11085
(注4)2003年7月10日付BBC NEWS
http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/3056279.stm
<特異な俳優たち>が芸術と生の壁を爆破する(下)-ピッポ・デルボノ・カンパニー「戦争」と「沈黙」(週刊マガジン・ワンダーランド第52号

【筆者紹介】
芦沢みどり(あしざわ・みどり)
1945年9月中国・天津市生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒。1982年から主としてイギリス現代劇の戯曲翻訳を始める。主な舞台「リタの教育」(ウィリー・ラッセル)、「マイシスター・イン・ディス・ハウス」(ウェンディー・ケッセルマン)、「ビューティークイーン・オブ・リーナン」および「ロンサム・ウェスト」(マーティン・マクドナー)、「フェイドラの恋」(サラ・ケイン)ほか。2006年から演劇集団・円所属。
・wonderland掲載劇評一覧 : http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/ashizawa-midori/

【上演記録】
ピッポ・デルボノ・カンパニー「戦争-Guerra」-Shizuoka 春の芸術祭2007
静岡芸術劇場(2007年6月9日-10日)
構成/演出 ピッポ・デルボノPippo Delbono
出演 ピッポ・デルボノ・カンパニー

イタリア語上演・日本語字幕
4,000円/同伴チケット(2枚)7,000円

【関連情報】
Shizuoka 春の芸術祭2007(2007年5月3日-6月30日)
・静岡県舞台芸術センター(SPAC)
宮城聰芸術総監督の「ビデオメッセージ」「ここは君の劇場だ・vol1-「他者」と出会うこと 」(中高生のみなさんへ)


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