空間ゼリー「穢れ知らず」

◎純愛の果ての崩壊と救い 背後にあるいくつもの真実
葛西李奈(フリーライター)

「穢れ知らず」公演チラシひたすらに隠し続けていた秘密が明かされた瞬間。劇場中に響きわたったのは、真っ白な肌を持つ、女の慟哭だった。やり直しがきかない現実は存在する。泣きわめきながら、周囲の人々の足元にすがりつく女の姿は、その事実を嫌というほど観客に知らしめていた。許しはどこにもない。味方は誰もいない。果てしなく広がる絶望。そんな孤独の中で生きる地獄よりも死を選んだ女は、むしろしあわせだったのではないかと思えた。光なき世界をまえに、愛する男の手によって息絶えることが、女にとっては最大の救いだったのかもしれない。脳裏に焼きついた作品の内容を思い浮かべながら、ぼんやりとそんなことを考えた。

空間ゼリーは、2002年当時、日本大学芸術学部演劇学科劇作コース1年生であった主宰・劇作家の坪田文氏を中心として結成された劇団である。空間ゼリーという劇団名は、不安定な女性の心情をゼリーにたとえ、そういう者が集まる空間を指してつけられたのだという。

旗揚げ公演から一貫して繊細な女性心理を描きつづけているこの劇団。劇団員である女優陣が、みな美しいビジュアルを持っていることも特徴のひとつだ。興味深いのが、坪田文氏が執筆した戯曲を、男性の深寅芥氏が演出している点である。一見、違和感を覚えるかもしれないが、両性の視点が入る効果は大きいというのが、わたしの考えだ。真っ向から女性心理を描く場合、創り手が女性だけだと感情表現のみが前面に出てしまう可能性がある。そこに男性の理性的な目が入ることで、物語の骨組みがしっかりと構築されるのだ。2人のバランスによって「女性には共感を。男性には驚嘆を」感じられる作品づくりが可能となっているのだろう。

舞台は、とある村の一軒家。佐伯家の長男である五樹と次女の柳子、双子の撫子と桜子。そして親代わりの叔父夫婦が一緒に暮らしている。佐伯家の両親は見当たらない。どうやら、母親は男をつくって家を飛び出し、父親は倒れて亡くなったらしい。機織工場のあとを継いだ五樹は、経営難に苦しんでいるようだ。頻繁に家に出入りしている双子の同級生、栄吉。東京から論文の資料を集めるために、村にやってきた大学院生のまどか。工場を手伝っている大地主の家系の娘、早智子。五樹と親しくしている様子の宏香。絶妙なバランスを保ちながらも、穏やかに過ぎゆく日常に変化がおとずれる。女優になると言って東京に出ていった長女の杏子が6年ぶりに帰ってきたのだ。母親にそっくりの顔つきをした杏子の存在が、少しずつ登場人物の関係性を崩壊させていく。

前半では、大きく物語を動かすことになる秘密は出てこない。舞台上で展開されるのは、くるくると入れ替わる登場人物たちのやりとりだ。笑いや派手な動作が盛り込まれることもない。しかし飽きることなく流れに見入ってしまうのは、坪田文氏の戯曲の緻密さと、深寅芥氏の丁寧な演出によるものだろう。わたしはこの公演を2回観ているのだが、その創り込み方の巧みさに感銘を受けた。ひとつのシーンのやりとりではすべてを知らせず、それとなく人間関係の謎を匂わせるのだ。「あの人物とあの人物の間には、どういう背景があるのだろう」…観客は、謎を解くために役者の台詞から表情まですべてを追いはじめる。あまりに答えが見えないと、観客の意識は舞台から離れてしまうが、空間ゼリーの公演ではそれがない。観客の興味が削がれるギリギリのタイミングで、登場人物のつながりがすっと浮かび上がってくるのである。すると、もっと先を知りたいという欲求がわく。この繰り返しを何度か経験した頃には、物語の世界にすっかり入り込んでいるというわけだ。朝食、そうめん、スイカなど食事のシーンをいくつも取り入れているのも、この公演の特徴だ。五感に訴える力を増長させ、観客の集中力を高めることに成功していたと思われる。

この作品で大きく物語を動かすことになる秘密は2つ。五樹が、佐伯家の母親と叔父との交わりによって産み出された子供であるということ。そして、杏子がAV女優であるということだ。後半で、叔母は杏子を自分の姉だと思い込み、また夫を奪われるのではないかと錯乱する。そんな叔母をみて罪悪感にかられた叔父は、早智子のささやきで工場の権利書を持ちだし、逃げ出してしまう。途方に暮れる家族を助けるため、退職金のあてがあると持ち出した杏子に、宏香は言い放つ。「AV女優に退職金てあるんじゃなあ?」。杏子の美しさを信じていた五樹は嘆き、秘密を暴露された杏子は、自らの存在をかき消すように慟哭する。以前から、杏子はAV女優として働いたお金を実家に送金していたのだ。最終的に、杏子は五樹によって首を絞められ、命を落とす。

今公演「穢れ知らず」は、第4回公演「穢レ知ラズ」の再演だ。この作品は民話「鶴女房」を下敷きとして描かれている。初演と舞台の設定などは一緒だが、人物設定や展開は大幅に改訂。特に宏香の人物像は、初演とはまったく違うものになっていた。初演では五樹とつきあいながらも、杏子を愛する女性として描かれていた。今公演の宏香は、杏子を憎む女性だ。学生時代、性行為をしようとしていた場面を杏子に見られ、軽蔑されたことを根に持っているのだ。彼女が杏子の秘密を暴露するまでの経緯が、明確に伝わってくる。
また、五樹と杏子の姉弟愛をこえる関係性が、より深く描き込まれていたことも印象的だ。杏子は真っ白で優しくて美しい。五樹の杏子に対する理想が、より繰り返し語られるようになっていた。嘘のない五樹のまっすぐな言葉。この言葉が杏子を追いつめたのだということが、しっかりと観客側に受け取れるようになっている。
そしてラスト。初演では杏子が五樹のもとから去っていったが、今公演では五樹の手によって杏子が殺されることとなった。鶴女房を下敷きとするならば、初演の展開のほうが適切だろう。しかし、生き地獄から杏子を解放した点、そして五樹に罪を背負わせた点に、坪田文氏の意図を感じた。公演タイトルは「穢れ知らず」。身を削って愛する男を守ろうとした女と、理想の女を仕立て上げることで救いを得ようとした男。わたしは、杏子が五樹という「穢れ知らず」によって地獄に突き落とされたのだと思った。愛するひとの理想になろうとすればするほど、本来の自分を見失う。理想と現実とのはざまで、もがき苦しむ。杏子がたどる女としての苦悩は、共感できるものがあった。

悲劇が起こる要因はひとつではない。今までも空間ゼリーの本公演を観てきたが、その世界観を目にするたびに警鐘を鳴らされるような思いがする。いくつもの、あやまち、裏切り、すれ違い。その積み重ねが、より取り返しのつかない悲劇を生み出す。事実の背後には、一人ひとりの主観によって在り方を変える、いくつもの真実があることを忘れてはならない。そんなことを毎回、考えさせられるのだ。女優の美しさを堪能することももちろんだが、人間ドラマに深く入り込みたいひとにオススメしたい劇団である。(2007.9.11)
(初出:週刊マガジン・ワンダーランド第60号、2007年9月19日発行。購読は登録ページから)

【筆者紹介】
葛西李奈(かさい・りな)
フリーライター。1983年生まれ。日本大学芸術学部演劇学科劇作コース卒業。在学中より、演劇の持つ可能性を活かし『社会と演劇』の距離を近づけたいと考え、劇評とプレイバック・シアターというインプロの要素を含んだ心理劇の活動に携わる。wonderland 執筆メンバー。
・wonderland掲載劇評一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/kasai-rina/

【上演記録】
空間ゼリー穢れ知らず
ザムザ阿佐ヶ谷(2007年8月31日―9月9日)

作:坪田文
演出:深寅芥
出演:
岡田あがさ
下山夏子
佐藤けいこ
河野真衣
榎本万里子
細田喜加
冬月ちき
猿田瑛
豊永純子
篁 薫
水谷一人
鈴木雄三
尾浜義男
宮原将護(Mademoiselle)

舞台美術:塚本好宏
舞台監督:笹浦暢大(うなぎ計画)
装置:川田崇
照明:稲崎愛歩
音響:筧良太(SoundCube)、竹下ヨシユキ(Lotus.)
宣伝美術:寺尾匠
宣伝写真:小峰あいか
WEB:小原光二(25Labo.)
照明監修:北寄崎嵩
制作:金沢仁(Artbiz)
製作:空間ゼリー/(株)アップフロントワークス
主催:空間ゼリー/(株)オデッセー

作品テーマ曲「穢れ知らず」
作・編曲 いしいめぐみ
エンジニア&マスタリング:北城浩志
音楽制作:長岡和弘(jomon)

エンディング「Don’t Fly Birds」
作詞曲&歌:細田喜加
編曲:加藤実
エンジニア&マスタリング:北城浩志
音楽制作:長岡和弘(jomon)

チケット料金:
前売 3,000円(日時指定・全席自由)/当日 3,500円


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