東京デスロック「演劇LOVE2009~愛のハネムーン~」

◎コミュニティの誕生、成熟、崩壊、再生へ 編み直す演出で成長する作品
 カトリヒデトシ

 現在、演出に専念している多田淳之介の最後のオリジナル作である「LOVE」の再演を見た。
 今作は「演劇LOVE2009~愛のハネムーン~」というツアー。1月の韓国公演を皮切りに、6月に埼玉県富士見市のキラリ☆ふじみでプレビューの後、桜美林大学(神奈川)、青森、7月に神戸、そして来年2月に鳥取と各地で公演していく。再演に全く関心のなかった多田が初めて取り組む再演ものにして、初の国内巡業作品である。

 この作品は2007年原宿リトルモア初演の「演劇LOVE~愛の3本立て」の1本として、「東京デスロックの現在形」として初演されたものである。次々舞台上に現れてくる人物が無言で立ったり座ったり見つめ合ったりという振る舞いだけで、コミュニケーションをとり仲間になっていく。そのコミュニティが成熟した後疲弊して、崩壊していく過程をも無言で行っていくという舞台は話題を呼び、デスロックの代表作となった。

 さて、それでは「LOVE」という作品はどのようなものか。
 無言劇であるため8人の役者たちのキャラクターは記号的なものになる。セリフによる人格や性格の規定はできないので、役者本人の見た目と舞台上で演じられたしぐさから現れるキャラクターとは不分明なものになる。舞台上で見える印象がキャラクターとなるということは、普通演劇で言われる「役」を演ずる「役者」とは異なる「人間」として理解しなければならないだろう。

 すると、佐山和泉は気が強く己が道をゆずらない人間に、坂本絢は、地味目な風貌にかかわらず、確固たる自我を表に出す人間に見える。同様に佐藤誠は見た目は怖いが配慮を持った優しさを持つ人間に、山本雅幸は見た目は頼りないが、周りを明るく引っ張る力を発揮する人間に見える。山本の見せる優しさは印象的で、作品の中でコミュニティの推進力として働いていく。強い個性を持たない山本であるために「先駆者」として適任なのだろう。髙橋智子は気の強さを持つものの、長身のしなやかな体で長い手足を美しく使い、踊りのシーンでの印象が強くなる。井坂浩は思わず笑ってしまう風貌で、いじめられっ子風である、なかなか仲間に入れない人間を表する。夏目慎也はマンガ的な見た目だが実は根性がよくないという印象を与える人間で、井坂との張り合いによってコミュニティの中での力関係の存在を浮き彫りにする。

 桜美林版を元にまとめる。
 YMOのリミックス版の「テクノポリス」「ライディーン」がかかり幕が開く。
 前半はすべて立ち座りと視線の交錯、そして笑顔で進行していく。佐山が登場し、客席に正対した後下手側に座る。坂本は静かに佐山に相対する。立ち座りの応酬がある。ここで、立ち座りが互いの気持ちが理解しあえるか、気が合わせられるかというコードとなることが理解される。人間関係が生じると目を交わしほほえみあうのである。

 佐藤以下は登場すると、既にある人間関係に新参者がどう振る舞い、受け入れられるのかが立ち座りによって表現される。佐藤は女性たちの機嫌を伺いつつ仲間に加わる。山本は佐藤が当初対抗心を見せつつも仲間に入っていく。4人そろい、ここでコミュニティが立ち上がったことが分かる。

 華やかな雰囲気で登場する堀井。その堀井をめぐる駆け引きの中で、佐山と佐藤が対抗心からスクワットをする。和解した二人が座ろうとすると、全員での笑顔のスクワットが始まる。コミュニティの結束が強化されていくさまである。

 坂本がピョンと横に飛びつつ手をパッと開くという、新しい動きをする。新しい動きによりコミュニティの温度があがり、活性化していく。そこに新らしく登場する髙橋はスムースにくわわれるが、井坂は集団に違和感をもたらしなかなか仲間に入れない。夏目は怪しい雰囲気に集団が警戒するが、長身者との背伸びにより、虚勢が露呈し集団が受け入れていく。

 人数が増えるたびに、集団が一体になるまでに様々な葛藤や試練が起こり、ギクシャクしつつコミュニティが成長する過程がみられる。

 コミュニティが立ち上がり、成熟していく。転がってくっついたり離れたり、絡めた足でピラミッドを作ったりという緊密感がメンバーの気持ちを高揚させる。やがて熱狂を生みだしていく。YMOのリミックス版の「ビハインド・ザ・マスク」がかかる中、一体感をもつ集団に属している喜びといったものからか、奇声をあげ、8人は踊り狂っていく。集団の精神は沸騰する。疲れて倒れ込んだ人びとの上に曲がリピートする。人々は再びよろよろと立ち上がる。しかしそれは、1回目の快感を無理に再現しようとするために、長続きしない。

 ささいな体のぶつかり合いから、たたき合いが始まる。暴力の応酬によりコミュニティの一体感は消え、集団の崩壊が起こる。

 互いを警戒しつつも、疲れ切って倒れ込む中に3度目の曲のリピート。長い無反応の時を経て、再度立ち上がり、コミュニティを復興させようとするのは、髙橋と佐藤である。
 既に破たんしたコミュニティを再建しようと、必死でみんなを鼓舞しようとする姿。その「覚悟」に深く打たれる。もっとも美しいシーンである。力つきて倒れる二人、コミュニティは個人の努力では再建できなかった。

 佐山が立ち上がる。ここで初めてことばが発せられる。「挨拶」である。挨拶が伝播していく。様々な挨拶、様々な言語で叫ばれる。そして、相手の趣味を問うことばへと移っていく。「好きな○○は何ですか?」そして「あー、いいですね」という相づち。相手を探りつつ、無限定に受け入れていく、「ことばによる最初のコミュニケーション」である。絶叫しつつ一人一人が舞台からさっていく。
 さて、コミュニティは再生するのであろうか。

 前半のコミュニティが立ち上がるまでが、青森版では全く異なった。
 まず登場するのが夏目、次が佐藤である。最初の立ち座りがオスの主導権争いに映る。坂本の加入では主導権をあっさり奪われたり、髙橋の時には、再び男性二人の争いが起こったり、登場順が異なることにより、コミュニティの成立過程が全く異なることになる。両版を見ることにより、構成人員だけでなく、関係の生じ方によってコミュニティが全く違ったものになることがわかり、実に興味深かった。

 スクワットを行うのも夏目、佐藤のため男同士の意地の張り合いから主導権争いという姿がくっきりと浮かび上がる。その後のスクワットでは全員が一度力を出し切り、和むことが、コミュニティの一体感が形成するために重要であることがよりハッキリする。

 全く新しい、佐山が現れるが最初は通り過ぎていってしまうという展開もある。集団の側が受け入れるかどうか忖度するだけだった桜美林版にはなかった、個人がその集団を選ぶかどうか、という今日的な問題もそこには感じとれる。

 青森版のピョンは、御当地での「跳ね」なので、矢野顕子「津軽ツアー」がかかり、ねぶた風になるのが楽しい遊びであった。井坂が袖から「ハネト」のように勢いよく飛びだしてくるのは地元の人には大受けであった。

 青森版では、最後に夏目一人が絶叫に加わらず、彼に向かって全員が問いを発する。対象を定めたため、関係を構築しようとするための挨拶と問いの意味性がより明解になった。
 また、青森は前の二か所にくらべ舞台空間が狭いため、ただ観客に挨拶、問いが投げつけられるのでは、強圧的な、強い意味性を帯びてしまっただろう。

 実は筆者は、多田演出の才能にはかねがね感心しつつも、不満もあった。
 彼はその丁寧な性格で、ポストトークやブログで、すべての手の内をさらしてしまうような解説を行う。明日以降あそこを何とかしたいとか、楽日にここまでできたから満足したとか発言してしまうのは、いかがなものかと思っていた。日々演出が変更し楽日に完成すればよい、というのであれば、初日の観客はどうすればいいのかという思いである。

 その問題を考えるため、今回、数か所で同じ作品を見続けることを試みた。
 まず、6/4のキラリ☆ふじみでの公開稽古ではまだ模索段階であった。初演を見ていないものには、登場順と立ったり座ったりのタイミングと視線の交わし方にこだわる演出がどんな作品に結実するのか見当もつかなかった。6/10プレビューに、作品がようやく体をなし、その面白さを堪能した。しかし、その後半の未完成ぶりには驚いたことを正直に書いておく。
 そして6/14の桜美林で作品として完成したものが見られた。散漫だった後半20分がタイトになり、練度もあがり、作品の意図が一層明確になった。

 そして、6/27青森公演を見た。
 まず、青森WS版の上演。会場になったアトリエ・グリーンパークのレジデントである「渡辺源四郎商店」の若手中心の(驚いたことに店主の畑澤聖吾も参加していたが)40分版を見た。それは、WS発表会といったものを越えた、単なるダイジェストではない「作品」として確固たるものになっていた。
 8名の「愛」のコミュニケーションがはっきりと立ち現れていた。それまでに2度本体を見ている目にも、新鮮に感じるものであった。

 WSは4日間、1日2時間から3時間程度の稽古であったと聞いた。それであのクオリティが実現するのは驚きだった。これは「LOVE」という作品のもつ構造の強靱さと完成度の高さを現しているだろう。同時にある程度の素養をもった役者が参加すれば、どこででも「LOVE」を作り上げることができる、多田の演出家としての構想力、教育力の証明になったといえよう。

 「LOVE」という作品がセリフを使わずに、人間が個人からコミュニティへと編み上げられていく過程を描くものであること。コミュニティ内での人間関係の葛藤、コミュニティの成熟と崩壊の過程が現れること。壊滅後にコミュニティを再構築するために払われなければならない努力と犠牲といったこと。もろもろの人間の活動の過程がすべて「愛」という概念に包括しうることを如実に表しているからである。

 この一連の上演をとおして見て分かったことがある。
 多田は決して、時間がなかったというような凡百かつ愚鈍な理由から未完成な作品を上演しているのではないことだ。彼は一回の上演のたびに、作品を「成長」させていこうとしているのである。
 上演ごとに、作品を見つめ直す。例えば桜美林と青森では空間の大きさの違いにより、この物語性のない作品においては特に慎重に演出を変えねばならない必然性があるだろう。だから演出の変更は納得がいかなかったところに手直しを加えていくというのではなく、絶えず作品そのものを考え直し、根本から「編み直し」ていく努力を続けていることだといえる。それは言ってみれば、「走りながら考える」ているのである。

 作品が進化していく過程を見られることは、演劇を愛するものにとって極上の楽しみを与えてくれることになることは間違いない。
 しかし、同じ舞台をくり返し見るというのは、決して観劇において常態のことではない。たゆまず変化していく舞台作品を見つづける喜びが多くの観客のものとなっていくのは、今後も難しいことだろう。
 しかし、一度の観劇でももちろん面白い。けれどくり返し何度も見ることも面白いのだという、観劇方法のもう一つ別な在り方を模索していけるのは現在のところデスロックにおいて外はない。
 多田淳之介は貴重な取り組みをしていると明記しておきたい。
(初出:マガジン・ワンダーランド第150号[まぐまぐ! melma!]、2009年7月29日発行。初出のタイトル変更。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
 カトリヒデトシ(香取英敏)
 1960年、神奈川県川崎市生まれ。大学卒業後、公立高校勤務の後、家業を継ぐため独立。現在は、企画制作(株)エムマッティーナを設立し、代表取締役。ウェブログ「地下鉄道に乗って-エムマッティーナ雑録」を主宰。「カトリ式小劇場の歩き方」をワンダーランドに連載中。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/katori-hidetoshi/

【上演記録】
東京デスロック『演劇LOVE~愛のハネムーン~』
 韓国公演 2009年1/9水 光州芸術文化会館
 「Fujimi Preview」(2009年6/10水 キラリ☆ふじみ、6/4木 公開稽古 キラリ☆ふじみアトリエ)
 「 Obirin ver.」(2009年6/13土、14日 桜美林大学プルヌスホール)
 「Aomori ver.」(2009年6/26金~28日 アトリエ・グリーンパーク WSver.同時上演)
 「Aomori Work Shop ver.」(2009年6/21日~24水 アトリエ・グリーンパーク)
 「LOVE2009 Kobe ver.」(2009年7/3金~5日 神戸アートビレッジセンター、神戸WS 7/10金~12日 神戸アートビレッジセンター)

director:多田淳之介
actor:夏目慎也 佐山和泉 坂本絢 佐藤誠 髙橋智子 堀井秀子 山本雅幸 井坂浩
(Korea ver. 夏目慎也 佐山和泉 石橋亜希子 笠井里美 坂本絢 佐藤誠 髙橋智子)

照明:岩城保
制作:服部悦子
助成:財団法人セゾン文化財団
協力:青年団、(有)レトル、krei inc、森下スタジオ、シバイエンジン


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