鵺的「暗黒地帯」

◎澱んだ世間、汚物が逆流 暗闇の中に一筋の光も
木俣冬

「暗黒地帯」公演チラシ舞台の壁面に、細いパイプが一面に張っている。場面転換は、この壁面に、
章の数字を幻想的に映すことで理解できる。
薄暗い舞台に、時折、ゴボッゴボッと不快な音が響く。
やがて、この音は、マンションの下水がうまく機能せず、逆流している音だということがわかる。この音のように汚物がうまく流れていかない気持ちの悪さが、芝居の通奏低音となっている。


まずは、施工会社の一室。社員の林が覚せい剤を打っている。折しも、芸能界では薬物事件が勃発中でタイムリーな場面となった。その姿に引く後輩社員。いきなり、劇場中に凶悪な空気を漂わせた林だが、インチキをやっている会社の仕事を「こうでもしなくちゃやってられない」と早々に弱さを見せてしまう。

場面変わって、林が務める施工会社の担当するマンション一室。夫婦がもめている。会社は下水の詰まりは自社の不手際ではなく、ネズミがゴミを運んで詰まらせたのだと言いはり、さらには住民から大金をせしめ再度工事をさせようとしているが、妻・美佐子は聞き入れない。

キツい性格の美佐子は、工事費を払ってさっさと問題を解決させようとする夫を責める。かつては夫と同じ建設会社に勤務し設計を担当していた美佐子は、下水の仕組みも熟知していると自信満々だ。

プライド高く負けず嫌いな美佐子が正論と信じて吐き続ける言葉が、下水の音以上に不快。美佐子のヒステリックな芝居が多く、美佐子の夫のやるせない気持ちに共感する。また、会社は会社で、明らかに不正をしている上司や社員だらけ。どっちの場面も救いがなく、話が進行すればするほど、邪悪さが蔓延し、滅入っていくばかりだ。

クスリで感覚を麻痺させてまで不正を押し通さないと生きていけない林と、自分が正しいと思ったことを声高に主張し続ける美佐子がぶつかり合うことになるが、結果、会社が仕組んだ、韓国人の林を美佐子が差別したという嘘によって美佐子は不利な立場に追いやられる。夫との仲もぎくしゃくしてしまうが、転落してもなお、美佐子は「真実を知りたい」と求め続ける。下水道のことも人種差別も、美佐子に比はないのが真実なのだから、切ない。でも、世の中、嘘をつき続ける人っているんだよなあ……。混乱のどさくさにまぎれて裏切り行為をする施工会社の社員なども現れて、どこまでこの世は暗黒なのだ……と心底堪え難くなってくる。とことん観客を追いつめる演出と、俳優の演技の集中力には並々ならぬものがある。

「暗黒地帯」公演
【写真は「暗黒地帯」公演から 撮影=安藤和明 提供=鵺的 禁無断転載】

真実に固執する美佐子は浮かばれることはなく、むしろ、真実を明確にすることこそが最たる罪なのだろうか。とかく日本社会では、いわゆるKY??「空気を読む」という、言葉に出さずに察することが美徳とされる。それは、相手を傷つけないためというのは、それこそ建前だ。曖昧は、自分を守るため、自分を悪くしないためだから。

かと言って、いくら信念があっても、美佐子のかたくなで他人に対して高圧的な態度はあんまりだ、彼女がもっと違うやり方で伝えていたら……などと言うようなコミュニケーション論でもないだろう。また、リアルな現代の嫌な気持ちを批評的に再現したいわけでもなく、嫌な気持ちをエンターテインメント化したいわけでもないようだ。作者は、我々人間は、正や悪を明確に分つことはできないし、正を推奨し悪を断罪するものでもないーーその事実を描いているだけなのだろうか?

汚物をすっきり流すことができないもどかしさ。隠蔽に隠蔽を重ねていくだけの虚しさが、人間の精神を徐々に狂わしていく。地獄のような現実の隠喩の中で、一筋の光を見つけたような気さえした場面があった。林は、美佐子は国籍など関係なく、美佐子は、林ときちんと向き合って真実を話し合おうとしていたのだ、と、上司に問いかける。それはまるで、闘い合う敵同士が、互いの力を認め合う瞬間があるかのように。目を逸らさずに暗黒を見つめながらも、そこに何かを描かずにはいられないし、見た者も、そこに何かを見いだす-それが物語なのだ。

ラストは、暗闇の中、二人だけになった林と美佐子が腰掛け、客席を振り返る。静かに「あなたならどうしますか?」と思考を促すような瞳を見ると、ゴボッと何かが逆流してくる音が、私の心の中から沸き上がったような気がした。
(初出:マガジン・ワンダーランド第160号[まぐまぐ!, melma!]、2009年10月7日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
木俣 冬(きまた・ふゆ)
フリーライター。映画、演劇の二毛作で、パンフレットや関連書籍の企画、編集、取材などを行う。キネマ旬報社「アクチュール」にて、俳優ルポルタージュ「挑戦者たち」連載中。蜷川幸雄と演劇を作るスタッフ、キャストの様子をドキュメンタリーするサイトNinagawa Studio(ニナガワ・スタジオ)を運営中。個人ブログ「紙と波」。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/kimata-fuyu/

【上演記録】
鵺的第1回公演『暗黒地帯』
http://www.nueteki.org/
下北沢「劇」小劇場(2009年8月5日-9日)
作・演出=高木登
出演=荒井靖雄、加藤更果、実近順次、平山寛人、細田刑事(妄想の劇団)、
吉田テツタ(五十音順)
照明=千田 実(CHIDA OFFICE)
音響=佐々木華音(BASH / Solid State Kanon)
舞台美術=袴田長武+鴉屋
舞台監督=福田 寛
演出助手=武田浩介
宣伝美術=詩森ろば(風琴工房)
写真・ビデオ撮影=安藤和明(C&Cファクトリー)
制作=鵺的制作部・J-Stage Navi

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