第七劇場「雨月物語」

◎「野良仕事」で得た越境の可能性
 カトリヒデトシ

第七劇場「雨月物語」公演チラシ 第七劇場は野良仕事をしてる。と言ってみよう。

 このところBeSeTo+やポスト・トークなどで「現在、演劇には三つの系がある」と、私は話している。「を」と「で」と「な」と名付け、分類している。まず、テキスト「を」やる人たちを「を」派と呼ぶ。完成したテキストを元に上演をしていくもので、ほぼ戯曲=作家中心主義といえる。次に、テキスト「で」やる人たちを「で」派と。古典などの既成戯曲を元に作品づくりをしていくもので、ほぼ演出中心主義といえる。最後の「な」はちょっと苦しいが、テキストは「ない」か、あっても作品の要素のひとつにしかすぎず、作品の中心にこないものを「な」派と考えている。身体表現を重視したり、物語性の「ない」テキストを使ったりするものをここに分類している。これらは固定したものではなく一つのカンパニーや作家でも、時に系をかえたり、横断したりもする。チェルフィッチュだから「な」とか、単純には言えない。

 なぜそんなことを考えているのかというと。見てみないとわからない演劇において観劇前にまずこの系の違いを意識しておくことが、観客に有力な選択の情報を与えるだろうと思っているからである。系を理解したうえで見るものを選べばいい。どれかが優れているなどでなく、もちろん芸術的価値とは無縁だ。しかし、「物語」を求めている人が、「な」派を見ても見当ちがいだろうし、見ても「わからない」「つまらない」と早急な感想で終わってしまうだろう。物語に興味のない人は「で」や「な」を中心に見ればいいわけで、わざわざ「を」を見て、作品をくさすこともなくなる。

 これからの日本の演劇を考えると、海外への進出や展開を考えていきたい。もちろん異文化交流は簡単じゃねえよ、って思う。ただもう、海外の演劇祭に参加してきましたでは、もうなんの自慢にもならない。しかし青年団やチェルフィッチュ、快快や山の手事情社などの海外での活動を見るとその可能性は徐々にだが増えつつあることも感じる。

 海外の多くの人に作品を届けたい、国境を越えたいと考える時、なによりも不利になることに「ことば」があるのは自明だろう。「を」で世界に通用するのには、テキストの翻訳や文化の違いをどうするかなど、クリアすべき大問題がいくつもある。

 たとえば日本といえば歌舞伎という理解・イメージが向こうにあり、愛好家がかえって国内よりもおおいように感じるような転倒が起こるのも異文化交流の一つの姿である。かつてはオリエンタリズムであったし、現在ではアニメやゲームであろうか、イメージを代表するものも時と共に変わっていく。既に理解され、イメージされやすい文脈に乗っかるのも、ひとつの方法である。というのも演劇は限られた上演時間の中で、その物語が生み出された、ある蓋然性や、だからこそここが面白いという文化的歴史的文脈を伝えねばならない。

 これはなかなかに難しいことだが、日本人が生み出す物語の豊穣を、欧文脈が生み出す豊かな別の物語文脈へ届けることには、重要性がある。

 困難をともなうからと言って、諦めるわけにはいかない。「を」でなく、「な」なら通用する、とかいう具合にはいかない。例えばシェイクスピアの新しい日本的な解釈を示すというのも、一つのやり方である。上記の海外活動をし、評価を受けているカンパニーは、それぞれ甚大な努力でことばを伝え、物語やメッセージを伝えることに成功しているはずである。

 しかし演劇の本質はことばによる物語やストーリーの伝達だけが主眼目ではない。「ことば」以外にも役者の身体性、舞台という場所に無限のもしくは広大な空間を拓くことも演劇の重要な要素であり、こういう取り組みを海外で見せるというのも可能なやりかたになる。

 そんな思いの中、来年初頭にドイツ・フランス公演を控える第七劇場が上演した「雨月物語」に、海外へ発信するための新たな可能性と希望とを私は感じた。

第七劇場「雨月物語」公演から
第七劇場「雨月物語」 公演から
【写真は「雨月物語」公演から。撮影=鳴海康平 提供=第七劇場 禁無断転載】

 8月に広島と岡山で上演された「雨月物語」。原作は、上田秋成。江戸後期にさしかかるころの「読本」で、本邦最高の怪奇小説とも言われる。また、溝口健二の映画は海外でも評価を受けたし、石川淳や円地文子による小説化や水木しげるのマンガ化、宝塚による舞台化、テレビドラマ化と現在でもさまざまな作品で受容される古典の名作である。が、現代に通用する内容を持つ傑作にもかかわらず中国の口語体小説(=白話小説)からの翻案を元とし、そこに秋成独自の世界観を盛り込んだ文章は読みやすいものではなく、残念ながら現在原文で楽しめる人は少ない。

 その作品を、もともと「で」派の雄である演出家鳴海康平は安直に現代化したり、翻案したりはしなかった。

 ことばは原文の古文のまま、「白峯」「菊花の約」「浅茅が宿」「夢応の鯉魚」「仏法僧」「吉備津の釜」「蛇性の婬」「青頭巾」「貧富論」という9編を、ひとつの終わりが次の話へと連鎖していくという元々「雨月」が持つ重層的な物語構造を参考に巧みに取捨し構成していった。また、秋成の別の文章「ぬば玉の巻」や都賀庭鐘「古今奇談繁野話」、郡虎彦「鉄輪」からの引用を差し込んで、近世的世界観や物語論をも取り込んでいった。

 構成された台本のテキストは難解で、衒学的ともいえる。しかしそこに展開されるのは単一でリニアな物語でないにもかかわらず、私の理解の限り、上田「雨月」に忠実な近世の仏教観や人間観に基づく世界が提示されていると感じた。

 しかし、そこまで複雑なテキストを構築しておきながら、矛盾するようではあるが、鳴海はそのテキストを観客に伝達することにあまり興味がないようにみえた。断片的テキストのどこかに観客に印象にのこることばがあり、そのことばが刺さり、そこから一人ひとりにイメージが広がっていけばよしと考えているように見受けられる。

 広島ではスタジオの後の扉を開放し、中庭に立つ細々とした樹を中景に据え、奥からの広場への通路を花道にみたて奥行きある空間を創りだし、そこを舞台と定める。その奥行きによって生み出された空間に位相をつくりだし、そこで陰と陽を代表するような男が「うつしみ」と「本性」と二重にされた「女性」の間を行き来していく。その光景は、現実と「性」とに引き裂かれていく「雨月」の本質を描き出していく。

 岡山では大正期に銀行建築の第一人者だった長野宇平治により建てられた日本銀行岡山支店をリノベーションしたルネスホールの中で高い天井を利用して空間を広げ、演劇を満たしていった。

 テキストは後景に下がり、演出家は「からだ」と「空間」によって生じるダイナミズムやグルーブ感、ライブ感こそを前景に押し出し、それを作品として集約していこうとした。

第七劇場「雨月物語」公演から
第七劇場「雨月物語」公演から
【写真は「雨月物語」公演から。撮影=鳴海康平 提供=第七劇場 禁無断転載】

 それに応えるのは実力ある役者陣である。もともと第七劇場の女優たちは魅力がある。つよく華やかな香りがたち、しっかりとした厚みのある演技をする。それが大層心地よいのだが、今回の優れた点をひとつだけ挙げると、きちんとした立ち姿から、飛び出すように走り出す、その時、そのゼロから運動体へ、鮮やかにスイッチが入る、その連続した運動に見られるなめらかな柔軟さがすばらしかったことがある。

 また男二人の発散する「気」の対比がおもしろかった。「たち」の違いというのだろうか、陽の小菅紘史と陰の前島謙一(一徳会 / K・A・G)とが、それぞれ違うトーンで奏でる荒々しさと野卑さのバランスの妙。それが陰と陽の男性性の対比を鮮やかに象徴していた。つきあげる荒ぶる「たましい」の震えは、人間の理性など薄い皮相で、一皮むけばこれほどのグロテスクが隠されていることを露呈する。それはある意味の「雨月」の芯を端的に表している。

 また、こういうシーンもある。男女が下手手前に置かれた椅子に並んで座っている。そこから、男が立ち上がり歩き出し、上手奥に座る女の元へと一度曲がってから向かい(方違い?)、隣に腰を下ろす。けれどそこに落ち着くこともできず、また同じルートで手前の女の元へと戻ってくる。が、すぐにここでも立ち上がり、また奥の女の所へと歩きだす。こういったことばのない動きによるシーンで、男の浮気心といったものがクリアにあぶり出される。

 また、別のシーン。手前と奥で二重写しのように陰と陽の男がそれぞれの女に手をさしのべる。空間を広く使うことにより、異なる位相がそこに現出される。空間は幾重もの色合いを生じ、空間の変容が起こる。

 見ていると、「雨月」に現れる「もののけ」が単なる怪異ではないことがはっきりとわかってくる。

 貞淑だった妻が嫉妬を残して死に、不実な夫を生き霊となり取り殺すという筋(「浅茅が宿」)をもししらなくとも、死により、それまで強く人を拘束していた社会や秩序から解放されると、抑圧されていた人間の本質(それを秋成は「さが」とよぶ)が現れていくということを、役者たちの運動から読み取ることができるのだ。死によって解き放たれ後に残る人の「性」こそが「もののけ」に変じるのだと感じとることができる。

 普遍的なものさえ創れば世界に通用すると考えるのはいささか安直だろう。独自性と普遍性は不即不離で、かつ背反関係にあることも多い。だから、異文化交流といっても、そんなに簡単に向こうへ行けないし、そもそも異文化がぴたっと隣あわせに、合わせ鏡のようになっているとは到底思えない。それぞれの文化は独自に存在し、それぞれの歴史や方法論をもっている。

 異文化が隙なく隣あっているわけではない。ぶつかり合い、しのぎあいつつぎりぎりに並存している。だから越境は易しくない。

 けれど現在われわれに通底する歴史や文化との乖離、世界に対する「異和」といったもの。ディスコミュニケーションを前提として、尚どう他と会話するのか。絶望をデフォルトとして、なお希望はかたりうるのか。という意識からの創作は比較的汎世界的なものになりうると感じる。

 古の日本の世界観には内と外とをムラとヤマとに分けたが、その間にはノラという空間がある。そこは田や畑として生産の場でありながら、同時に最初によそ者と出会う、逢魔する場である。そのような境界域、ムラと外との中間の場を「野良」と呼ぶのだ。共同体が畏れつつ受け入れたり、拒絶反応を起こし力尽くで排除しようしたりする、「聖性」と「けがれ」が同時に入り交じって存在する場所こそ「野良」である。

 だから、異なる世界へと越境するためには一度、野良=境界域へと踏み出し、越境への準備をする必要がある。準備とはマージナルなものやところを描くことにより、「越境」の魅惑と危険を同時に表すことだと思う。

 今回の作品は「雨月」をことばを越えて、ある普遍の姿として描くことに成功したと思える。愛着から、それが強まり過ぎて執着や嫉妬と変質してしまうという心の本質。愛や信頼、友情という善であるはずのものが踏み外しにより、他へ仇なすものへと変容してしまうという本質が描かれていた。

 そしてそれらを異文化へ強い波及力を生じさせる創作になるために、このような「野良仕事」が有力な方法になりうるだろうと考える。

  異なる文化がそれぞれ「ムラ」であることを考えると、「日本/日本語」という枠を飛び出し、ことばだけにたよらない境界域(=「野良」)で作品を作ったということは、第七劇場が越境の可能性を手に入れたことになるだろうと私には思えた。
(初出:マガジン・ワンダーランド第208号、2010年9月23日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
 カトリヒデトシ(香取英敏)
 1960年、神奈川県川崎市生まれ。大学卒業後、公立高校に勤務し、家業を継ぎ独立。現在は、企画制作(株)エムマッティーナを設立し、代表取締役。「演劇サイトPULL」編集メンバー。個人HP「カトリヒデトシ.com」を主宰。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/katori-hidetoshi/

【上演記録】
第七劇場「雨月物語」 DeLPAプロジェクト2010 in 広島・岡山
8月12日-13日 広島市東区民文化センター スタジオ2
8月19日 岡山市ルネスホール(国登録有形文化財)

原作:上田秋成
構成・演出:鳴海康平
出演:佐直由佳子 / 木母千尋 / 山田裕子 / 小菅紘史 / 菊原真結
前島謙一(一徳会 / K・A・G) / 額田麻椰
照明:島田雄峰 (Lighting Staff Ten-Holes)
音響:和田匡史

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