初日レビュー2010 第2回 鳥公園「乳水」

鳥公園「乳水」公演チラシ
鳥公園「乳水」公演チラシ

 初日レビュー2010の第2回は、鳥公園「乳水」(9月23日-26日、日暮里d-倉庫)を取り上げます。主宰の西尾佳織さんは会場で配布されたパンフレットで、2年半在籍した劇団「乞局」を6月に離れたことを明らかにしています。今回はいわば一本立ちした最初の公演でした。9人の評者による五つ星評価と400字レビューをお読みください。掲載は到着順です。(編集部)

 

水牛健太郎(ワンダーランド)
★★
 絶妙なキャスティング、アイディア豊富な演出、印象的な舞台美術や洗練された映像の使い方など、様々な意味で水準の高い舞台だった。俳優の演技に心打たれる瞬間もあった。にもかかわらず、本来重く深刻な家族のドラマがあまり心に響かず、総じて表面的な印象にとどまった。問題は専ら脚本にあると見た。歪んだ家庭を作りあげた夫婦の人物像が充分掘り下げられず、心理的な説得力が感じられない。筋道立てた説明は不要だが、夫婦それぞれが陥っている精神的な落とし穴の感触を具体的に観客に伝える部分がないと、リアリティが出ず、ドラマにダイナミズムも生まれない。カフカの「変身」を引用して夫の心理を説明したり、子どもが欲しいのに夫とセックスレスになっている妻の焦燥感を描いたりと一応の説明は試みられているが、どうにも不十分。だいいち、そんなことで作・演出の西尾佳織自身、納得できているのだろうか?
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/mizuushi-kentaro/

 

芦沢みどり(戯曲翻訳者)
★★★
 タイトルの「乳水」は作者の造語だそうだ。乳と水。それぞれありふれた言葉だが、並べると化学反応を起こしてイメージは限りなく増殖する。だがそのどれも意味として定着しない。カリフォルニアで実際にあった事件をモチーフにしたというこの作品。そう言われなければ最近日本で起きた事件かと思ってしまうほど、ありそうな話だ。歪んだ成りたちの偽装家族を扱ってはいるが、社会派劇ではない。グロテスクな皮膜を通して、動物/ヒト、日常/非日常、愛情/虐待、食欲/性欲といった人間存在の根源にかかわる問題の、境界の揺らぎに触れようとしている。しかしタイトル同様に、それが何かの意味に回収されることを作者は執拗に、徹底的に拒んでいる。知的たくらみに満ちていて、乱反射するイメージは面白いが、やや詰め込み過ぎの感がなくもない。期待の新人かな。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/ashizawa-midori/

 

佐々木敦(批評家)
★★★
 前公演「おばあちゃん家のニワオハカ」が素晴らしかったので、とても期待して観た。だが率直に言って今回は問題ありと思う。まず開演前の西尾さんの作品説明はないほうがよかった。どうしても「現実」という参照項を頭のどこかに置きながら観てしまうからだ。『タトゥー』や『火の顔』のようなドイツ現代演劇を思わせる「家族の悲劇」なのだが、夫=父親が鬼畜である話と妻が母親になりたかった話のどちらに重心が置かれているのか最後まではっきりしない。いや、後者が核であることはわかるのだが、破綻した母性という隠れた(?)主題が逆に作品の結構をおかしくしているような気がした。それからこれは個人的な感覚かもしれないが、この種の物語をやるなら直截的な台詞をもすこし避けるべきではないか。もっとややこしくしないと却って不要に下世話な感じになってしまう。西尾佳織の才気は疑うべくもないので、あんまり厳しいことは言いたくないのだけど。

 

都留由子(ワンダーランド)
★★★★
 誘拐した少女を夫婦で18年も監禁し、夫と少女の間には子どもまで生まれていたというアメリカの事件から想を得て作られた作品。雨の初日は満員だった。
 必死に求めているものが手に入らないのは絶望だが、手に入ったらそれはまた地獄かもしれない。そして、地獄の中にいることは悪夢だけれど、その悪夢は心をとろかす蜜で、そこから脱出することこそ何より恐ろしく足のすくむことかもしれない。夫と妻、監禁された少女とその子どもたちが、求めて得られないものを絶望的に求める。甘い香りを放ちつつ腐っていく地獄に留まる道。求めて得られないものを残して、敢然と脱出する道。その道が新しい地獄につながっていない保証はない。魅力的な舞台だった。
 荒れ果てた「大草原の小さな家」みたいな装置がすばらしく印象的。役者も揃ってよかったが、姉を演じた森の、歌がうまいのとパン種のピッチング(見れば分かります)がすごく正確なのにはびっくりした。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ta/tsuru-yuko/

 

大泉尚子(ワンダーランド)
★★★☆(3.5)
 夫婦に誘拐された女の子が、夫の子供を産んで〈家族〉を増やす。子供を産めなかった母、外に出られない父、父を受け入れつつも母に愛されたい娘…。彼らは、それぞれに欠けているピースを探し求めるかのように、お互いを激しく必要とする。歪な関係なんていう言葉はスコっと置き去りにし、空腹を満たすため、手当たり次第に食物をほおばる行為にも似て。笹野鈴々音、森すみれ、猪股和麿の演じる娘と息子が、「7歳までは神のうち」と喩えられるように、生よりも生以前(=死)に引き寄せられているアナーキーな存在としての〈子ども〉を感じさせる。今のところ、主宰・西尾佳織の手持ちの有効なアイテムは、言葉にできないもの・整合性のつかないものを、原形質のまんま、手触りも変質させないような丁寧さで差し出す勇気。これからも、成熟や完成を焦ることなく、もっともっと地団太踏んでる姿を見せてほしいというエールを込めて、気持ちより星半分減らしておく。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/oizumi-naoko/

 

徳永京子(演劇ジャーナリスト)
★★★☆(3.5)
 きらめきは、ふたつある。ひとつは、妻のためにと赤ん坊を誘拐してきて、やがて娘と関係を持ち、子供を産ませる夫の造形。性的支配で家庭に君臨する夫は、ノンフィクションの描かれ方でもフィクションのイメージでも、ほとんどが家長権を振りかざす精神的マッチョだ。でも本作での夫は、自宅のタオルの場所もわからずオロオロし、チョコチップメロンパンが大好きな引きこもりという、完全なるへなちょこ。覇気もないが邪気もない甘えたうすら笑いは、妻が潔癖症的に家庭内を統治する理由を理解させるし、アメリカで実際に起きた事件を今の日本に置き換えたこの作品の意味を納得させる。もうひとつのきらめきは、娘を演じる笹野鈴々音。両親の娘になれず、母という立場を忌み、姉にもなりきれない女性を演じた笹野は、ラストで女としか言いようのない顔となる。前半の説明過多、映像の中途半端さ、役者の力のバラつきなどが気になるが、それ以上の満足を感じた。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ta/tokunaga-kyoko/

 

鈴木励滋(舞台表現批評)
★★★★
 妻が子産みの機会を得られないことから絶滅危惧種の話に飛ぶのも、夫の『変身』妄想も、とても巧い。とても巧いが、それゆえに綺麗に流れゆく危うさを感じた。お祭り騒ぎや祝福リポーターたちが深刻なシーンに唐突にはさみこまれる様も、深刻になりすぎないよう調整せんがためのテクニックに映った。同様に、印象的な舞台美術で低層と高層を廃屋と新居のような異なる世界(戯曲の指定によると一階が「正常」二階が「異常」なエリア)としていたのもそうで、なんだか深長な意図が潜んでいるように見せられてしまうが、ではラストに夫婦と塊があの場所にいていいのかという疑問が湧いてくる。あれでは、よく似た設定のサム・シェパードの『埋められた子供』のラストが強引に見せ付ける、不条理の先の希望には届かないのではないか。
 だが、単なる巧さのみと断じさせない何ものかが底流に頑なに在る。それは、存在することにまつわる根源的な罪の意識を、もう存在してしまっているわたしたちが、それでも生きて超えていくのだという祈りにも似た意志に違いない。この劇団から決して目を離してはならないという直感の所以でもある。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/sa/suzuki-reiji/

 

小澤英実(東京学芸大学専任講師)
★★
 全体に詰めが甘い印象。物語性の強い演劇には、それを支えるだけの徹底したディテールが前提になる。今作はそこの薄さと信頼性の弱さが物語としての強度を損なっていた。時間軸の操作や、来訪者の存在、陰鬱さとユーモアの転換など劇設計は綿密だが、ドイツの伝統である家庭劇のような物語(たとえば『タトゥー』(デーアー・ローアー作、岡田利規演出)における赤ん坊とパンの隠喩)を含めた様々なレベルで既視感がつきまとう。かりにその引用のモザイクが意図的なのであればそこも徹底して演出して欲しかった。クラムボンの音楽や村上華子の美術も単体では素晴らしくとも、この芝居とのコラボレーションで効果的なものなのか。ちぐはぐな印象はそこで行われる演劇が美術のもつ<リアル>な強度に負けていたせいかもしれない(実際の火事で焼け焦げた家具を使用したとのこと)。そうした乖離感を母性という主題が束ねているが、そこへのフォーカスも甘く像がぼやける。稲毛礼子・笹野鈴々音の演技に惹かれたが、姉と弟のやり取り部分は退屈だった。自分の表現、自分の演劇(論)、自分の伝えたい物語をとことんまで考え抜いた鳥公園の作品をいつか観てみたい。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/ozawa-hidemi/

 

北嶋孝(ワンダーランド)
★★★★
 お役所から来たらしい女性が、ご近所から通報のあった家族に探りを入れ、そのまま舞台の周縁に座って一部始終を観察、ときに介入する-。いわば外部の存在を取り込んだ家族の舞台を、客席から眺める設定になっているのだが、さらに登場する妻や夫、娘や姉弟の「話」によって全体が構成される。なにがホントかは定かでなく、ホントの存在すら疑わしい。いまの「家族」を取り上げる難しさを承知した上での仕掛けだろう。
 だから舞台はありふれた場面を厭わず、語り手によって矛盾する話を組み込む。しかも感情移入の奥行きを避け、切実になる一歩手前で抑える。重くも軽くも感じさせず、フツーなら深刻な事態だが、あまりに身近すぎて笑えてしまう場面をときに用意する。夫が「肉」を食らう場面などはその典型だろう。知的装飾の記号ゲームではなく、「肉」と「食」にフォーカスしていまの家族と向き合ったら、低いけれど確かな体温と質感を感じさせる風景が見えてくる-。そんなクールな手応えを感じた。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/kitajima-takashi/

 

【上演記録】
鳥公園 第4回公演「乳水」
日暮里 d-倉庫(2010年9月23日-26日)

脚本・演出 西尾佳織
出演:
 森すみれ(鳥公園)
 稲毛礼子
 猪股和麿(ぬいぐるみハンター)
 魚乃文
 笹野鈴々音
 松永大輔

スタッフ:
舞台美術 大泉七奈子
照明 桜かおり
音響 佐藤尚子
舞台監督 石川佳澄
衣装 土屋絢子
記録映像/美術協力 村上華子
制作 安井和恵(クロムモリブデン)
web 森淳・すみれ
チラシ画 寺木南
チラシ構成 森すみれ
劇中映像 森すみれ

企画・制作 鳥公園

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