劇団唐ゼミ☆「下谷万年町物語」

 さて、『下谷万年町物語』の夢の中は想像界の色に染めあげられ、そこには象徴的な父およびその代理がいないのであった。したがって、そこでは父の名における去勢が行われない。このことを精神分析的に見れば、主体化が起こりえないということである。

 しかし、唐十郎の劇には、去勢による精神分析的な主体化の他に、もうひとつ別の形の主体化が描かれている。そのオルタナティヴな主体化のプロセスは、1972年の『二都物語』において生じ、以後反復され続けることになるのだが、これを本稿は倫理的な主体化と名づける。

 倫理的な主体化とはいかなるものか? 70年代の『二都物語』や『ベンガルの虎』(1973年)、『唐版 風の又三郎』(1974年)などからその構造を抽出して簡単に述べよう(詳しくは前掲「父の名をかたることなく」http://42286268.at.webry.info/ を参照)。それは、絶対的な他者としてのヒロインに対する、ヒーローのユダヤ教的な献身である。

 不可解ではありながらも魅惑的な他者としてのヒロインが、恋人の死という欠如を抱えており、その欠如を埋めるために、いまだ何者でもないヒーローに助力を要請する。ヒーローは、ヒロインからの呼びかけに応答しなければならない。ヒーローはヒロインの従者となり、しかも、亡き恋人の身代わりという劣位に立たされるわけだが、この圧倒的に非対称な関係の中にこそ、ヒーローは自らの存在理由を見出だすことができる。

 以上のような関係が、『下谷万年町物語』のお瓢と洋一にも反復されていることは明らかだろう。洋一はお瓢に自分を役として与え(「あげます、僕を!」)、死んだ田口の身代わりとして、演出家という裏方に徹する。彼のかような行動には、客観的な必然性や合理性はない。こういった彼の行動の正当性を保証しうる上位審級は存在しない。お瓢に対する洋一の献身は、神や道徳やその他の何ものか(精神分析的な父あるいはその代理)から命じられた行動ではないし、それらのものによって評価されるべきことでもない。洋一は自分の身をお瓢に捧げることを、自分ひとりの責任において選択したのである。こういった行動のあり方を、我々はふつう倫理的と呼ぶ。洋一は初対面のお瓢に対して、まるで応答する責任があるかのように応答するし、いったん自分の身を差し出した以上、その行動に責任を持たねばならなくなる。かくして彼は、自らの責任において行動する主体となったのだ。

 しかし、ヒーローがヒロインに献身するというだけであれば、1970年代の戯曲のほとんどにその構造は見られる。『下谷万年町物語』という作品の固有性を批評するには、洋一がお瓢を前にして倫理的主体化を果たしたことを見るだけでは不足だ。実は、『下谷万年町物語』においては、70年代の作品では考えられなかったことなのだが、ヒロインのお瓢にも倫理的主体化が起こるのである。そして文ちゃんにもまた。そのことを確認しよう。

 洋一を演じる権利を剥奪されて、それでもまだ洋一との繋がりを諦められないお瓢は、どうすればもう一度洋一を演じることができるかを思案し、洋一に固有な何かを手に入れることで自分を洋一に類似させればよい、と考えるようになる。これは荒唐無稽な発想ではあるが、追い詰められたお瓢が捻出した切実な回答でもある。

 彼女はまず、注射器に入っている洋一の血を自分のももに注入して、自分を「洋ちゃんくさ」くする。さらに、「洋ちゃんと同じ傷」の残る文ちゃんの手を見ると、お瓢は「その手を貰おう」と言い出す。そうして大きなドテラを使って、文ちゃんと二人羽織の体勢を取るのである。つまり、お瓢が羽織ったドテラの袖から、隠れた文ちゃんが洋一と同じ「六本指」の手を出すことで、2人ひと組で「六本指」の男を演じようというのだ。そうやって洋一の血の匂いと「六本指」の手を身につければ、洋一を演じる資格としての類似性を獲得できると、お瓢は自分に言い聞かせたのであった。

 これは、洋一が自らの人格を演劇の役へと変換してお瓢に差し出した手続きを逆に辿り直して、自分の身体を洋一という役のために捧げる行為であり、ゆえにお瓢にとっての倫理的な主体化であるといえる。去っていったヒーローを呼び戻すためにここまで足掻き手を尽くすヒロインは、1970年代の唐十郎作品には見られなかった。劇団唐ゼミ☆による上演でお瓢を演じた椎野裕美子は、唐作品におけるヒロインの絶対的な他者性の体現にかけて稀有な俳優でありつづけてきたが、主体性の脆さを生きることが求められるこの場面をも、見事な集中力で演じきった。特に2010年7月の『蛇姫様』の公演以降、彼女は表現の幅をさらに広げてきており、個々のシーンのニュアンスに従って、強と弱、聖と俗の間の大きな振幅を自在に行き来しつつ演技している。

 さて、「その手を貰おう」というお瓢の呼びかけに、文ちゃんは「やりましょう。一応やるだけのことはあります」と応答する。洋一という役およびお瓢に対して自分の手を提供する文ちゃんもまた、献身による主体化を行おうとしているのだ。

 『下谷万年町物語』ではこのように、ヒーローひとりだけでなく、精神分析的な主体化(父の名における去勢による主体化)を拒んだ複数の人物が倫理的な主体化を行おうとするのであって、このことによって70年代の作品群との間に一線を画しているといえよう。

*ここでの倫理的主体化という概念は、エマニュエル・レヴィナスの思想から発想されたものである。レヴィナスと唐十郎との関わりについて、ここでは詳述できないため、ぜひとも前掲の「父の名をかたることなく」( http://42286268.at.webry.info/ )を参照していただきたい。本稿は、「父の名をかたることなく」のいわばダイジェスト版である。

 「二人三脚」で洋一を演じるために互いの身体をドテラで繋いだお瓢と文ちゃんは、洋一も含めたサフラン座の3人の未来へと思いを馳せる。しかし、そんなサフラン座の希望も、洋一が白井に殺されることで霧散してしまう。洋一の死を受け容れられず取り乱したお瓢も警官に連れ去られ、ひとり取り残された文ちゃんは、瓢箪池の水の中に倒れる。すると、池の中から大人の文ちゃん(加藤亮佑)が現れて、劇中劇としてのタイムスリップの夢の終わりを告げる。

 普通ならば、ここで過去の記憶としての夢が現在に回収され、劇自体も終了するところである。実際、もしこれで上演が終わっていたとしても、観客は充分に観ごたえのある作品だったと満足したことだろう。だがここで、もう一度どんでん返しが起こる。少年の文ちゃんが再び姿を現し、「いいえ、僕はそっちに帰りません」と宣言して、大人の文ちゃんを池へと突き落とすのである。

 我々は、この逆転をどう解釈すればよいのか? 夢を支えていたはずの現実が、夢によって打破されてしまうということなのか? 現在の時間から一時的なタイムスリップとして昭和23年へと赴き、そこから再び現在へと帰還したはずだったのに、戻ってきた途端に現在の時間自体がなくなってしまったというのか? かような文脈の中で考える限り、『下谷万年町物語』という劇のラストは不可解なものでしかなく、作品全体のメッセージも、まさに単なる夢物語としてしか受け取れまい。なぜならば、劇を観ている観客にとって、夢の中だけに生きることも昭和23年へと回帰することも、絶対に不可能だからだ。『下谷万年町物語』という作品が成し遂げようとしていることは、もっと違った何かなのだと考えたほうが、現在の観客にとっては有意義だろう。

 劇中劇としての昭和23年の物語の中に、象徴界が顕在化していなかったことを、ここで想起しよう。劇中劇である夢の中の世界は、全体が想像界の色に染めあげられていた。だとすれば、そこに介入して夢の世界の終わりを告げた大人の文ちゃんという人物は、象徴界を代表する者だということになる。劇中劇の内部に象徴界を見出だせなかったのも、劇中劇を縁取る枠の部分(それこそが大人の文ちゃんの役割だ)が象徴界だったからなのだ。

 つまり、大人の文ちゃんは、アナーキックで多形倒錯的な夢の世界を秩序の枠によって囲い込み統制しようとする者であり、少年の文ちゃんを父の名において去勢する存在なのである。こう考えると、少年の文ちゃんが大人の文ちゃんを池へ突き落とすラストの意味も、おのずと明らかになる。

 1970年代半ばまでの唐十郎は、その作品の中に権力的な悪役たちを登場させ続けた。それらの悪役は象徴界を代表する人物であり、すなわち、象徴的な父の代理である。父の名において去勢を執行しようとする悪役たちに対して、唐の作品の主人公たちは戦いを挑む。この戦いはいわば父殺しの戦いなのだが、父殺しとは革命論の主題である。60年代末に絶頂的に燃えあがり、70年代に入っても消えきることのなかった革命的政治運動の炎と、当時社会現象ともなった唐十郎の演劇活動とは、同時代的な関連が非常に強い。自身の政治的思想の如何とは別の水準で、唐は独特の嗅覚によって時代の空気を嗅ぎ取り、革命という父殺しを主題とする演劇を制作していたのだ。

 だが、1970年代も半ばになると、革命運動の火勢は相当に衰え、父殺しの希求される時代は終焉を迎える。そんな中、1977年の『蛇姫様』で唐十郎は、例によって象徴的な敵役を登場させつつ、その敵を殺せない、というプロットを展開させる。『蛇姫様』の主題は父殺しではなく、父殺しの不可能性なのである(前掲「劇の厳密なる作動」http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/kiyosue-kohei/ 参照)。この主題上の反転は、時代の反映でもあり、唐なりの過去の総括でもあった。

 そして1981年の『下谷万年町物語』。この劇に父の名をかたる、象徴的な父の代理が登場しているとすれば、それは大人の文ちゃんである。ところが、この大人の文ちゃんはまた、劇の全体を背負うレポーターの役割を、少年の文ちゃんと分有する人物でもある。つまり、彼は敵役ではなく、首をはねられるべき悪しき父とはいえない。むしろある意味では主人公だ。それでも、彼は少年の文ちゃんの手で追放される。

 これはどういうことなのか。1981年の唐十郎は、主人公以外の誰かに象徴界を代表させ、その人物を悪しき父に仕立てあげたうえで、それと戦う身振りを示す、というドラマトゥルギーを捨てたのだ。そして、もしも自分が知らず知らずのうちに権力的なものを内面化してしまい、象徴的な父(の代理)の如くにふるまうような存在となってしまったとしたら、そんな自分に気づいたときには、いつでも自分自身を池に突き落とそう、という決意を語っているのである。首のすげ替えでしかない旧来の革命論から、各々の個人の内面に畳み込まれた権力的なものを剔抉せんとする主体論へと、唐の思考がシフトしたのだともいえる。

 各々の個人の内面に畳み込まれた権力的なもの。本稿で論じた別の用語で換言するならそれは、去勢による主体化の証として与えられたファルスである。少年の文ちゃんはこれを斥けた。すなわち、父の名における去勢を拒んだ。そして精神分析的な主体化ではないもうひとつの主体化を求めて、「どこです、僕を待っている人」と叫ぶ。はたして、彼の目の前にお瓢と洋一が現れ、お瓢は文ちゃんに「行こう。文ちゃん!」と呼びかける。この呼びかけに応答することで、文ちゃんが倫理的な主体化を遂げるであろうことが示されて、『下谷万年町物語』という劇は終わるのである。

 劇団唐ゼミ☆による上演では、女優の水野香苗が少年の文ちゃんを演じた。明瞭できびきびとした発声と切れのある身のこなしで舞台に小気味のよいリズムを与えながら、他の登場人物の誰よりも広く観客の感情移入を引き受け続けた水野の演技は、劇全体の構築に大きく寄与している。彼女の清らかで爽快な演技があったからこそ、劇団唐ゼミ☆の『下谷万年町物語』は、正しく文ちゃんのドラマとなった。この劇における水野の功績は、どれだけ評価されても足りないだろう。

 人間は自分自身の歴史を創るが、しかし、自発的に、自分で選んだ状況の下で歴史を創るのではなく、すぐ目の前にある、与えられた、過去から受け渡された状況の下でそうする。そして、生きている者たちは、自分自身と事態を根本的に変革し、いままでになかったものを創造する仕事に携わっているように見えるちょうどそのとき、まさにそのような革命的危機の時期に、不安そうに過去の亡霊を呼び出して自分たちの役に立てようとし、その名前、鬨の声、衣装を借用して、これらの由緒ある衣装に身を包み、借り物の言葉で、新しい世界史の場面を演じようとするのである。(カール・マルクス、植村邦彦訳『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』平凡社、2008年)

 1960年代後半から1970年代前半、学生運動に象徴されるように、革命的な熱が社会を覆う時代があった。それは欺瞞的秩序の打倒を目指す政治の季節であると同時に、演劇における旧体制の転覆を図る「アングラ演劇」なるものの季節であった。演劇革命としての「アングラ演劇」は、革命的政治運動と一種の連帯関係を結びつつ、あの「熱い時代」に空前絶後の隆盛を極めた。そして、演劇作家としての唐十郎は、何よりもその時代の代表者である。……

 かようなまことしやかな言説が、これまでどれだけ積み重ねられてきたことだろうか。

 1980年に生まれ、問題の時代に対して遅れてしまっている本稿の筆者は、このような言説を、「すぐ目の前にある、与えられた、過去から受け渡された状況」として、とりあえず受け容れてみせることしかできはしない。上記のような言説に対して返せるのは、羨望と一抹の反発との入り混じる、従順を装った沈黙のみである。

 劇団唐ゼミ☆の主要メンバーたちもまた1980年前後の生まれであって、同様な遅れの感覚を、とりあえずは持たされていたことだろう。ここで彼/彼女らの負わされている遅れは、数十年という時間の量に換算することができるものだ。自分たちが唐よりも40年遅く生まれたというだけのことであって、これはいわば相対的な遅れにすぎない。

 ところが、劇団唐ゼミ☆にとって唐十郎の戯曲とは、いわゆる「熱い時代」の証言としてのみ重要性を持つようなものではない。彼/彼女らにとっての唐の戯曲は、いまここで自分たちの身体を捧げるべき、絶対的なものなのだ。ゆえに、唐の戯曲に絶対的な価値を認め、その戯曲に対して応答するためには、彼/彼女らは自分たちの相対的な遅れを、絶対的なものへと変換しなければならない。

 劇団唐ゼミ☆が、唐十郎のテキストの内容をこそ、愚鈍なまでの執拗さで読み解いてゆくのはそのためだ。彼/彼女らは唐十郎と自分たちとの関係を、時間的な先行と後発ではなく、いまここにあるテキストとそれを解釈する者との関係として、その都度捉え直す。そこには確かに遅れはあるのだが、その遅れとは、テキストを読む者がテキストに対してつねにすでに負っている絶対的な負債の謂いでしかなく、過ぎた時代に対する時間的で相対的な遅れなどには、原理的に無関係である。

 劇団唐ゼミ☆は、自分たちの知らぬ偉大な時代への安易な憧憬や同一化を禁欲しつつ、過去の戯曲に普遍的なテキストとしての意味と価値を贈与する。こういった姿勢をとることこそが、唐十郎の作品をオーソドックスなレパートリーとするということであり、古典として受けとめるということなのだ。彼/彼女らは、テント公演という形式や演出技法、あるいは演技術などを唐から受け継いではいるが、それを単なる模倣と断ずることは、批評として不毛であるばかりでなく誤りだ。人間は誰でも、「すぐ目の前にある、与えられた、過去から受け渡された」もののありあわせで「自分自身の歴史」を作るしかないので
ある。

 『下谷万年町物語』のお瓢は、現在という時間を生きるため、空の注射器に洋一の血を入れた。それと同じように劇団唐ゼミ☆は、テキストとしてのみ残った過去の唐十郎作品に、自分たちの身体を差し出すことで内容を充填してゆく。その行為は、唐に対する相対的な遅れを絶対的な遅れへと「横領」することでもある。相対的な遅れに囚われたままの者たちからは、この「横領」が謗られることもあるかも知れないが、そういった言説は父の名における去勢でしかあるまい。本稿の筆者は、劇団唐ゼミ☆の上演に彼/彼女らの倫理が認められる限り、その上演を支持し続けるだろう。現在においてしか唐十郎を読むことも観ることもかなわぬ人間にとって、信じることができるのはそのような倫理だけなのだから。
(初出:マガジン・ワンダーランド第220号、2010年12月15日発行。購読は登録ページから)

【筆者略歴】
清末浩平(きよすえ・こうへい)
 1980年、大分県に生まれる。東京大学文学部言語文化学科日本語日本文学専修課程卒業。同大学院国文学修士課程修了。2001年より劇団サーカス劇場で代表をつとめ、脚本・演出を担当。2009年より劇団ピーチャム・カンパニーに参加、脚本を担当。劇団webサイト上のブログ「letters」( http://letterskk.blog111.fc2.com/ )。個人の論文掲載用ブログ「documents」( http://42286268.at.webry.info/ )。「documents」には本稿の別バージョン「父の名をかたることなく」が掲載されているので、ご一読いただきたい。

【上演記録】
劇団唐ゼミ☆第18回公演『下谷万年町物語
浅草花やしき裏特設テント劇場(2010年11月3日、6-7日、12-14日)

作・監修=唐十郎
演出=中野敦之
出演=椎野裕美子、禿恵、安達俊信、土岐泰章、水野香苗、重村大介、熊野晋也、佐藤悠介、高次琴乃、川上真奈美、イリヤ入山、さくら夢羽奴(herringbone)、鷲見武、宮田道代(さいたまゴールド・シアター)、大木明、難波由夏、井口恵子、加藤亮佑

舞台監督=安達俊信
照明=齋藤亮介
音響=高次琴乃
編曲=サトウユウスケ
衣装・小道具=佐藤千尋、砂田和美
チラシデザイン=K.徳鎮
チラシ画=植村まき子
制作=劇団唐ゼミ☆
入場料 前売り2,800円/当日3,200円

テキスト:
唐十郎『下谷万年町物語』PARCO出版、1981年。


「劇団唐ゼミ☆「下谷万年町物語」」への3件のフィードバック

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