ロンドン演劇日和-シアターゴアー、芝居の都を行く(全7回)

 第3回 評判作品を厳選して上演 ダブリン演劇祭の楽しみ
 今井克佳(東洋学園大教授)

 世界的株安、円高の嵐。ニューヨークが下げると東京が下がる。そしてロンドンも…。ドル安、ユーロ安、ポンド安。ポンド円の市場レートは、これを書いている時点で150円ちょうどくらいまで下がっている。7月には210円以上していたのに…。第1回で書いた芝居のチケット代の比較も、レートが変われば印象も変わってしまう。

 ちょうど、バービカン・シアターの2009年前半シーズンのチケットが売り出された。コンプリシテの「春琴」や蜷川演出の歌舞伎「十二夜」も含まれているが、チケット代はいずれも10ポンドから40ポンド。もちろん歌舞伎の扱いはこの国では日本とは違うわけだが、最高額でも40ポンドということはポンド円を160円とすると6400円、200円と考えても8000円だ。歌舞伎座に比べたらいかにも安い。物価はなんでも日本の2倍、と考えると納得のいくロンドンが、レートの関係で今はなんでも1.5倍に下がった。それでも1.5倍なのだから、やはり芝居の木戸銭は日本に比べたら割安といっていいのかもしれない。しかし、演劇は高いという批判がときどきメディアに現れるのだが… 第2回で報告した無料チケットの話を考えても文化・芸術を国としてどうとらえるかの話につながっていくのだろう。

 さて、10月の初めに、隣の国アイルランドのダブリンで開催されたダブリン演劇祭(Dublin Theatre Festival)に行って来た。前回から引き延ばしている一般的な上演時間などの話題はちょっと先延ばしにさせていただいて、今回はこの演劇祭について、報告をさせてほしい。

 イギリスではなんといっても8月のエジンバラ演劇祭が世界最大規模とのことで有名である。筆者も4日間と短かったが足を運んだ。国際的な招待作品を上演するインターナショナルフェスティバルと、有象無象の芝居が世界中から集まるフリンジフェスティバルが混じり合って街は活況を呈し、独特の雰囲気を醸し出す。演劇好きなら一度は体験してほしいフェスティバルだが、正直あまりにイベントが多すぎて、いったいどれを観たらよいのか迷ってしまいかねない。また、招待作品も含めて初演作が多く、ショーケースとはなるが、前評判がわからないという不安要素もある。

 それに対して、このダブリン演劇祭は、規模としてはそれほど大きくなく、既存の劇場群を使用して三週間の期間で行われ、今年の上演数は、全部で27。街の様子も普段とそれほど変わらず、エジンバラのように午前中からのべつまくなしにどこかで芝居を打っているというわけではない。平日は夜のみ、土日はマチネも行うといった程度だ。しかし1957年から開催されており歴史はそれほど浅くはない。

 参加作品は、新作よりもむしろここ1、2年で評判をとったものが集められているといってよい。4月にロンドンに来て、だんだんこちらの演劇事情がわかり、ああ、昨年いたらこれ観たかったなあ、などと思うもの、見逃していた、と思うものが結構入っていた。そういう意味ではある程度評価が定まった作品を厳選して上演しているので、どれを観てもはずれがない。

 劇場も楽しみの一つだ。W.B.イェーツが設立したAbbey Theatre をはじめとして、Gate Theatre、 Gaiety Theatre、 Olympia Theatre など、歴史ある劇場が会場となっておりそこを訪ねる楽しさもある。劇場内の装飾は目を見張るすばらしさで、歴史を感じさせるが、椅子の古さには閉口する。これはロンドンの古い劇場にも共通するが、身体の大きな人が多いこちらで、よく我慢しているものだ。古い劇場の他には、Project Arts Centerという新しい文化センター(小さなところだが、青い外観が美しい)や、児童文化センター、TheArkでも芝居を観ることができた。今回は週末をはさんだ5日間で7本の芝居を観たが、すべてが印象に残る佳作だった。が、そのなかで特によかったものをまず二つ簡単に紹介したい。

 一つ目は、ロンドンのLyric Hammersmith Theatre がアイスランドのVesturport Theatre と共同製作した、Metamorphosis。カフカの「変身」である。今年前半までLyricのプロデューサーとして辣腕を振るったDavid Farr が自ら演出した作品で、昨年のロンドンでは非常な評判をとった。ユニークな舞台セットと主人公グレゴリーが人間の姿のままアクロバティックな「虫」の演技を行うが、決してこけおどしではない。抒情にあふれた作品で音楽スタッフとして関わったロック歌手Nick Cave の曲が心にしみた。渡英してから観たもののなかでも数本の指に入るすばらしい芝居。この作品が観られたことが今回の一番の収穫だった。

 もう一つは、アイルランド西岸の都市、ゴールウェイを拠点とするDruidTheatre が上演した、マーティン・マクドナーのThe Cripple of Inishmaan である。1996年に初演されたこの作品はいわゆるマクドナーの「アラン諸島三部作」の一つで、劇作家シングの住んでいたことでも知られるイニッシュマン島を舞台としている。まさに最強タッグといえるだろう。1934年のイニッシュマン島を舞台とした「ブラックコメディー」は、マクドナーの作品としては刺激の強い方ではないが、笑いと深刻さ、歴史的視点を持ち合わせた作品内容、安定した役者の演技、そして希望と絶望の入り交じる、皮肉でさりげなくも心を深くえぐるような結末は実に印象的だった。

 また今回は、The Arkという子ども向けの文化センターで、二つの子ども向け芝居も観た。一つはイタリアのカンパニー、Compagnia Rodisio が英語で上演したThe Wolf and The Goat。きむらゆういちの童話「あらしのよるに」の舞台化だ。日本でも様々な舞台化があったようだが、オオカミもヤギも、人間の姿のまま、結末は語らず、観客に想像させるというもの。もう一つはデンマークのカンパニーCarte Blanche のThe Attic under The Sky。これは夢の中の世界のようにイメージの連鎖だけで構成されたストーリーのない作品。いずれも小学生以上の年齢をターゲットにしているが、子どもの想像力を信頼した、子どもに媚びない芸術性の高い作品だった。

 その他、スケジュールの関係でダブリンでは観られなかったが、イラク戦争に従軍したスコットランドの精鋭部隊に取材したNational Theatre ofScotland のBlack Watch、家族の死の実話をもとにした女性の一人芝居、TheYear of Magical Thinking、南アフリカの音楽で演出されたMagic Flute(モーツアルトの「魔笛」)など、いずれも捨てがたい秀作が上演されていた(前者2作はロンドンで観ることができた)。一週間くらい滞在すればこれらの秀作もダブリンで観ることができただろう。日本ではあまり知られていないが、小規模でもすばらしい作品の集まる、おすすめの演劇祭である。

 ただ、心配なのは来年度以降もこの質と量が保たれるかどうか。ダブリン演劇祭はその名に、Ulster Bank という銀行の名が冠されている。このスポンサーが今回の金融危機でどのような影響を受けているのか。もちろん、この演劇祭だけでなく、ロンドンにせよ、多くの劇場やカンパニーが民間企業のスポンサーを持っている。日本のバブル崩壊以上ともいわれる昨今の経済危機、景気後退の影響は必ずじわじわとヨーロッパの演劇界にも襲ってくるに違いない。当たり前のことだが世界経済は演劇と無縁ではないのだ。
(初出:マガジン・ワンダーランド第112号、2008年11月5日発行 )

【関連情報】
・Dublin Theatre Festivalウェブサイト
 http://www.dublintheatrefestival.com/


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