◎舞台の中心で「婦人」は怒る
鴨下易子
ある20代の演出家が韓国の劇団を紹介して「僕を含めて、日本で芝居にかかわっている人は楽しいからやっているけれど、韓国では伝えたいことがあって芝居をしている。」と書いていた。(それは書き手の周囲の人たちだけだと思いたいけれど)もしそうなら小劇場の担い手の多くは仲間内で楽しく芝居をしているだけで、大学のサークルと変わらない。そんな彼らと、今も社会との関係で芝居をつくり続けている上の世代の演劇人とは、芝居に対する意識が本当に離れてしまっているのだろう。実際、若い芝居関係の知人からは「おもしろいから見に来てください」というのは少なくて、「頑張っているから来て」と誘われることの方が多い。頑張っているのを喜ぶのは身内だけでしょう。私は身内ではなく観客、客のことを考えない公演には行く気にならない。
今回の芝居の演出家は「自分はお祭り男なので、学園祭をずーっと続けたいと思って演劇系の大学に行った」と軽く言う杉原邦生。彼の作品は『勧進帳』と『青春60デモ』の2本を見ている。後者はダンスが中心の芝居で、上演後に観客も舞台でヒップホップを踊って盛り上がった。その経験があったので、芝居の途中で「実はここからは観客参加型の芝居です」と言われても、特別驚かなかった。でも…。
劇場のドアを入ると、左右の壁に沿って3段の観客席が会場の奥まで続いている。向かい合った座席の間の、広い廊下のような部分が舞台だ。何の装置もないそこに、1組の男女が出てきて芝居は始まる。彼らの会話からある島に暮らす老夫婦だとわかる。彼らは客を待っている。見ているうちに『椅子』は、何年か前に飽きてしまって1幕しか読んでいない戯曲だったことに気づいた。目で見ると単調な台詞が、人間の声になるとこんなに惹きつけるものかと驚き、私には戯曲を読むためのイマジネーションが不足しているとつくづく思う。
1幕が終わると音楽が流れ、フードで顔の見えない男がヒップホップを踊りながら登場。最初は、彼が3人目の登場人物(山崎皓司)だと思って見ていたが、杉原邦生のプロフィールにダンサーとあったことを思い出す。やっぱり彼だった。顔を出した演出家は、観客参加型の芝居だと宣言した。「客の役をするのは難しいことでなく、ただ誘導されて舞台に出て案内されるままに椅子に座るだけです」と説明している間に、『イヨネスコ』を見に来たはずの観客のひとりはこっそりと帰ってしまった。『婦人』『将軍』『新聞記者たち』『子供連れのグループ』と、約10名の来客役が観客の中から指名される。なぜか私が一番始めに『婦人』役を仰せつかる。今日が初日(2月17日)だから、なんとトップバッターだ。幸か不幸か、2幕以降の展開はまったくわからない。
誘導されて入ったのは、観客席から見えるのと同じ通路のような舞台だった。奥まで案内されてすすめられた老夫婦の間の椅子に座ると、視界が180度転換して、さっきまでとはまったく違うガランとした空間が広がっていた。そこにたった3人しかいない。とても心淋しい気分になっていた。2人はそのことを気にさせまいと歓待してくれる。話を聞いているうちに、だだっ広かった空間が縮小してとても親密な場所になり、登場人物のひとりとして見られていることはすっかり忘れていた。
セリフもなく話の展開もわからない私は、2人のセリフを手掛かりに『婦人』として存在し始める。小太りで少し気取って少しまぬけ、好奇心は強いけれど(セリフがないので)自分から働きかけられない婦人。何が起こるかわからない所に好奇心だけで来てしまった『婦人』は、まさに私自身だった。そして客席にいたら、そこまでリアルに感じられないかもしれない空間の変化。俳優の表現とイメージで、本当に広がったり縮んだりしている。なんて贅沢! 私が少しぐらいトチったって、たいていのことは受けとめてくれるプロと一緒の舞台。「山海塾」の岩下徹と同じ舞台に立った、と言っても嘘ではないなんて、ははは。
楽しく笑っているうちに時間はあっというまに過ぎ、新しい来訪者たちが登場する。老夫婦は椅子を次々と出してきて、彼らを迎え入れる。あらかじめ指名されていた観客が椅子に座り終えると、演出家が他の観客にも参加するように促す。さらに慌ただしく椅子を用意する老夫婦。舞台上の客が増えてくる。気がつくと、2人の俳優は必死になって走り回っていた。客席も舞台の上も、視線がバラバラになっていき、役を演じるのに必要な視線が極端に減っている。なにしろ、約7割の客が舞台上にいるのだから。観客よりも増えてしまった来客役は、もう見られる存在ではない。役としてはホールの前方を見るべきでも、彼らの左右で演じ続けている老夫婦のセリフに引っ張られてしまう。舞台の上にいるのに何者でもなく、ただ混乱の中にいる。そうなると客席からは何を見ればいいのだろう。そして観客の視線によってしか生きられない舞台上の人物は?
イメージが弱いかまたはプロでない俳優向けに、がむしゃらにならなければならない状況をつくり、その出演者の必死さで観客の共感をよぶ芝居がある。例えば舞台の上を大量の砂や不安定なスポンジのようなもので足場を悪くして、バランスを取らなければ動けない状況で演技をさせる。確かにエネルギーを全開にされると、スポーツと同じで見ている方も影響されるけど、この手の芝居はあまり好きではない。芸がないから。でも岩下徹と細見佳代は違う!! 同じ舞台にいて、俳優のつくったイメージ世界で遊ばせてもらった私は、「彼らにこの状況は必要ない!」と叫びたかった。客役の人数が少なくても、彼らは声やからだで大人数の混乱をつくりだせる。あとは演出家が、視線がバラけない範囲で交通整理をしさえすれば、観客も客役もそれぞれが満足できる芝居になったはず。観客多数参加の芝居にプロは必要ない。オーディションとワークショップで素人を使ったらいいのに、失礼でしょうプロの俳優に対して、と舞台の真ん中で怒っていた。
周囲の視線がまとまってきたのを感じて目を上げると、ホール前方に弁士が現れていた。主人公の老夫が見つけた世界の真理を代弁する語り手だ。たくさんの人々もそれを聞くために、はるばるやってきたのだ。彼はスターのように鷹揚にうなずき、サインをしながら人々の間を歩き回っている。老夫の一生をかけた仕事の成果を聞きに、国王まで臨席している。あと少しで世界は変わる。その瞬間に向かって気分を高揚させた老夫婦は、幸福と感激の絶頂の中で死んでいく。ギリシャの昔から一番幸せなのは、「愛し合った夫婦が無事に一生を終え、同時に死ぬ」こと。その意味で、彼らの死は幸福の象徴なのだ。そしてついに弁士の発表の時がきた。にこやかに口を開こうとした彼は、急に顔をゆがめ小さな唸り声を出している。それから手で何かを語るように動かし始めた。だが口が利けない。結局、世界は変わらないまま終わる。
ここで終わればイヨネスコの『椅子』だったのだろう。ところが弁士は持っていたパソコンを開いて“Ionesco chair”の文字を見せた。何か釈然としない終わり方だなぁ、と思っていると、突然表情が変わって口を開き、「これから真理を言う-『生きててよかった』。」そして「この歌を聞いてくれ!」と音楽をながす。あまりのことに一瞬「何、これ?」と、敵意をいだく。でもすぐにそれも演技だ、と気がついて「イヨネスコを使って自分(杉原邦生)の言いたいこと言うわけ? これってソングじゃない。イヨネスコがアンチ・ブレヒトなの、わかっててやるかなぁ?」「演出家の芝居とはいえ、最後の付け足しは3人の俳優に対する裏切り行為だ!」と怒っているうちに芝居は終わった。
あきれていたので何も書く気がしなかったのに、頭の中では何日もこの『椅子』のことが繰り返し浮かぶ。観客参加型の芝居でなければ体験できなかった、演劇の錬金術。観客の視線によってまとまったり、壊れてしまう舞台。それまでの芝居をすべてぶち壊すような、暴力的な付け足し。伝えたいことが伝わらなかった物語を使って、杉原邦生の伝えたかったことは何だったのだろう?
唐突に『バベルの塔』のイメージが浮かぶ。それは言語の起源の物語だけれど、大事なことは共有できるはずなのに表現や話し方の違いのせいで理解されない、というコミュニケーションの難しさにも繋がってくる。杉原邦生は演劇への愛を、一生懸命に学祭のノリで伝えようとしているけれど、その方法はもう通用しなくなっているのではないか? ソングまがいで挑発したのは、現状を露わにしたかったからなのだろう。でもそれは観客に対して? それとも自分自身に対して?
ここまでざっと書いたところで大地震が起こり、「生きててよかった!」が現実になった。そして情報が錯そうして、まさに大事なことが伝わらない状況にいる。こうなると杉原邦生が「見ているだけではなく参加しろ!」と言っていたのは、何かが起こった時にキチンと反応できなくなっている人々に対するいらだちだったのではないか、と思えてくる。芸術に関わる者は、時代の危機に警鐘を鳴らす炭鉱のカナリヤなのだろう。たとえ方法が稚拙だろうと。
(初出:マガジン・ワンダーランド第234号、2011年3月30日発行。無料購読は登録ページから)
【筆者略歴】
鴨下易子(かもした・やすこ)
フランスの舞台人の耳と声を治した故トマティス博士に師事し、フェルデンクライス・メソッドをベースにした『声とからだの調律士』となる。アトリエ・ドミノ主宰。http://www.atelierdomino.net/
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/kamoshita-yasuko/
【上演記録】
KUNIO08「椅子」(冬のサミット2010 参加作品)
【東京公演】こまばアゴラ劇場(2011年2月17日-21日)
作=ウージェーヌ・イヨネスコ
演出・美術:杉原邦生
出演者
岩下徹 細見佳代 山崎皓司(快快)
チケット料金 一般:前売り ¥2,700 当日 ¥3,000 学生・ユース(25歳以下):前売り ¥2,200 当日 ¥2,500
企画制作・主催:KUNIO
提携:(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
【名古屋公演】うりんこ劇場(2011年2月24日-27日)