遊園地再生事業団「トータル・リビング 1986-2011」

1.「忘却」を忘れられない者たちは、この作品で「忘却」を忘却できるだろうか?
  髙橋 英之

 「あの日」、成田空港の北ウイングにいた。携帯がつながらず、twitterとメールで、必要な人たちの無事を確認し、自分の無事を伝えたあと、ターミナルの椅子に横になって一夜を過ごした。まわりの外国人たちは、津波が車を押し流すテレビの映像に唖然としながらも、もっぱら自分の便がいつ飛べるのかという一点だけに関心が集中していた。そして、自分もまた同じであった。ビジネスというゲームを続けるためにという程度の理由で。

 遊園地再生事業団の『トータル・リビング』は、衝撃的な「あの日」がどうしようもなく生み出してしまった「欠落」への対峙をテーマとした舞台。「欠落」を埋め合わせようと思い悩みさすらう<欠落の女>は、<忘却の灯台守>を訪ね続ける。最初に示唆される「あの日」は、1986年のアイドルの自殺。しかし、アイドルの自殺程度のことは、実のところ「忘却」することで、簡単にその「欠落」を埋めてしまうことができた。そこへ、同じ年の1986年には、もっと重大な「あの日」として、チェルノブイリでの原発事故があったではないかと声が上がる。しかし、人々はアイドルの自殺の事件と同様に、そのような事故についてもすっかりと「忘却」のかなたに押しやってしまうことに成功していた。2011年の「あの日」から、「欠落」をかかえ続ける<欠落の女>が、再び頼ろうとしている「忘却」という技法は、1986年では確かに有効であったことを確認して、舞台はやや唐突に休憩に入る。決して長くはないこの三幕劇だが、「忘却」の技法の源流とみなされる1986年に戻るために、あえてひと呼吸入れる演出として。

「トータル・リビング」公演チラシ
【写真は、「トータル・リビング 1986-2011」公演から。提供=フェスティバル/トーキョー 禁無断転載】

 1986年について、特に覚えていることはない。岡田有紀子というアイドルも、チェルノブイリという地名も、言われてやっと思い出す程度のものに過ぎない。当時は、浅田彰の『逃走論』に象徴されるような、逃げること/逃げ続けることが称揚される時代だった。ものごとに執着しないことには、むしろポジティブなイメージがあった。関西に住んでいた人間にとっては、今回の作品で言及されている六本木のレッドシューズのような場所には縁がなかったのだけれど、京都・木屋町のチャイナエクスプレスで踊り、大阪・難波のアメリカ村ではしゃいだあとに終電を逃して、わけのわからない高揚感の中、『1986年のマリリン』などを口ずさみながら、タクシーで名神を走らせて帰った記憶がかすかによみがえる。そういう時代だったのだ、1986年とは。「欠落」は「忘却」によって、速やかに埋められ、「欠落」を感じるまえに、次々と前に進み、数字がそろえば「ビンゴ!」と叫んでしまうゲームの真っただ中にいた。

 休憩が終わって、第二幕。1986年のパーティーがどんどん進行する舞台の中心は、ビンゴゲーム。逃げようとしても、うまく逃げおおせたつもりでも、追いかけてくるゲーム。容赦なく始まり、奇妙な緊張感が支配する。数字が運命を決める。数字が人々を支配し、読み上げられる数字によって誰もが一喜一憂する。舞台では、そのわけのわからない高揚が再現されていた。そして、2011年的なビデオカメラの映像が、それを追いかける。それは、本当にあったことを、まるでデジャヴとしてとらえ直すかのように。

 1986年といえば、当時まだ電電公社と呼ばれたNTTが民営化され上場する株価が決められた年でもあった。売出し価格119万7千円と決まったその株には、当時1000万件以上の応募が殺到した。NTT株は翌年上場され、300万円以上に値上がり、株を買った人はわずか数カ月のうちに、数百万円もの利益を手にした。まさに、「ビンゴ!」と叫んだ人が、当時はかならず周りに何人かいたのだ。聞こえて来るセリフは、例えば…「いま株買わない奴は馬鹿だよ」、「リーチ!」、「マンションはローンを組んで何戸でも買った方が得するんだ」そして、「ビンゴ!」。

 舞台では、そんなゲームについて次のような説明をしてみせる。「…こうして、世界は四種類の人間によって構成されている」、と。

「1 早々とリーチを決め、あっさりビンゴを宣言する者」
「2 リーチは早かったがいつまでたってもビンゴが成立しない者」
「3 どんなにゲームが進行してもリーチさえ成立しない者」
「4 いつまでたってもルールがのみこめない者」

 あきらかに、1986年当時は、自分自身はこの第4番目のカテゴリーに埋もれていた。しかし、そんな人間も、ゲームには参加させられてしまったのだ。選択の余地はなかった。その「ルールがのみこめない」理由は、ゲームのルールそのものというよりも、なぜそのゲームに参加しなければならないのかということだったかもしれない。舞台の上の登場人物の中にも、その疑問の影がさす。

 舞台のビンゴゲームの賞品は、象牙、瓶から外された蓋の集合、オメガの秒針、ロレックスの裏蓋、Apple IIのキーボード、そしてテレビのリモコン。人々は、次々とその賞品の無意味さを忘れ、ゲームに参加することそのものにとりつかれてしまう。そういう生き方がもてはやされた時代だった。一方、<欠落の女>は、そのリモコンを手にして語る。

 「いったいこれがなんになるでしょうか。わたしはこのリモコンでなにを操作すればいいのでしょう。」

 1986年には、発することもためらわれた疑問の声。そうこうするうちに、<沼野>と呼ばれる男が、ビンゴゲームの最後の賞品を当てる。賞品は「契約の箱」。旧約聖書ヨシュア記で聖なるものとして描かれ、その中身ではなくその存在そのものによって、人々を導いたこの聖櫃が、舞台に降臨し、<沼野>は「僕はもう、このビンゴゲームのからくりわかりましたよ」と宣言する。つまり、1986年のビンゴゲームは、ゲームに参加させ続けることで、「欠落」を与え続け、それを「忘却」させ続けることで、また次のゲームに参加させる。永遠に終わりのないものを生み出す、空っぽの箱。当時そのことを理解していた者は少なかったかもしれない。それほどに、1986年には「欠落」を欠落とも感じさせない、「忘却」の力があふれていた。

 浅田彰をいまさら責めるつもりもないのだけれど、1986年当時の『逃走論』の影響力はすさまじかった。逃げること、それが、完全に正しい、しかもカッコいい生き方であると刷り込まれてしまった。まるで、それがビンゴゲームの真のルールブックであるかのように。そしてその呪縛は、2011年に至ってもしっかりと自分の心を支配していた。

 わざとらしく設定された2回目の休憩が、時間の遷移を醸し出した後の最終幕。舞台の上では、<ドキュメンタリー作家>が南の島に逃げ込んでいる。そのシーンは、かつて劇作家平田オリザが描いたバブル期の日本のムードを切り取った作品『南へ』にそっくりだったが、2011年の「あの日」のあとのシーンとしては、説明しがたい違和感を漂わせている。なにか違うのではないかと。

 人のことは言えない。実際、あの日、成田空港にいた自分も、出張という絶好の口実を利用して、同じように日本を離れたのだ。行く先々で、出会う人々の「日本は大丈夫か?」との問いに「大丈夫」とできるだけ短く答え、いままで見たこともない分量の現地の新聞の一面の日本の記事と英語のテレビのトップニュースをやり過ごし、3週間後に帰国した頃には、少し駅が暗くはなっていたが、いつもの地下鉄が動いていて、自分は「あの日」を忘れてしまいそうになっていた。1986年以降にしっかりと体に染み込んだ「忘却」の能力は、地震も津波も、さらに長く続くであろう原発事故の影響をも、とりあえず忘れておくことにするくらいの力を持っていたのだ。

 「あの日」以降、ごく普通の生活を送っているハズの自分が、ときとして襲われる奇妙な感覚をこの『トータル・リビング』は照らし出した。「欠落」を「忘却」してしまうことで埋めてしまおうとする感覚。その感覚そのものが無理やり引きずり出されて、疑問符をつきつけられてしまった。

「トータル・リビング」公演チラシ
【写真は、「トータル・リビング 1986-2011」公演から。提供=フェスティバル/トーキョー 禁無断転載】

 舞台ではどうだっただろうか?
 <沼野>は、ビンゴゲームの賞品が、空っぽなものにすぎないことを悟った。
 <欠落の女>は、<忘却の灯台守>に再び出会い、「忘却」を御破算にし、「何もかも思い出す。全てを思い出す」という言葉に導かれていく。そして、舞台には、その空っぽであった「契約の箱」から、取るに足らない生活用品、たとえば時計やぬいぐるみなど共に、言葉が並べられていく。

 「ユアン・マクレガーの?」
 「サーバーの移転の話なんですけど、ゴールデンウィークで問題ないですよね」
 「何年前にどちらで、おいくらぐらいで購入されたものですか?」

 短い言葉の群れ中に、少し違う響きのものがある。

 「動いてないんですか」
 「妹さんと、旦那さんは?」
 「西日本に親戚か知り合いいる?」

 無論、それは、同じように短い言葉に過ぎない。しかし、どうしょうもなく「あの日」の痕跡をとどめている。その考古学的な発掘のような断片の集積が、むしろ「あの日」のリアルさを立ち上げる。

 この舞台は、「忘却」を是とすることに何の疑いも持たなくなってしまった人間への問いかけであろう。「あの日」に対して、いまだに「忘却」という手法で逃げることしか思いつかない人間への注意喚起ともいえる。そうしたものへの応答を、自分はまだ見いだせていない。そして、残念ながら、この作品の作者である宮沢章夫もまだ見つけられていないのだと思う。多くの参照を散りばめ、凝った演出にしみせたこの舞台も、結局のところ問いを発するだけだ。答えを見いだせぬ作者のもどかしさが、そのまま作品の中に立ち現われている。いわば「欠落」を共有するだけの物語。いま、そうした着地点の見えない物語に接する徒労をあえて演劇作品に仕立てて、観る者に対して強烈な問いを発しようとしたのであれば、この作品の意図は成功していたと言わざるを得ない。しかも、その成功の度合いが、この作品をどれくらい忘却せずにいられるかによって測定できてしまうというオマケ付である。
(観劇日:2011年10月19日)


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  2. ピンバック: YAMAZAKI Kenta
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