遊園地再生事業団「トータル・リビング 1986-2011」

4.忘却に抗い穴を穿て
  山崎健太

 忘却からは逃れられない。だから私たちは記述する。古代、楔形文字は粘土板に尖筆で刻まれた。現在の痕跡を刻むこと。現在に穴を穿つこと。そこに過去への、あるいは未来への回路が開く。ロラン・バルトは写真を「かつてそこにあった」ことを示すものだと言い、その特性の一つをプンクトゥムと名付けた。プンクトゥムとはつまり穴だ。過去はその穴を通して甦る。

 『トータル・リビング 1986-2011』はそのタイトルが示す通り、現在=2011年と過去=1986年の二つの時間を扱う。1986年。当時3歳だった私にとってその過去はあまりに遠く、当然のことながら何の記憶もない。それは忘却と言うよりは欠落なのだろう。私の記憶には存在しない過去。チェルノブイリの原発事故は教科書の中の出来事であり、岡田有希子というアイドルの名に至ってはかすかに聞き覚えがあるという程度だった。宮沢章夫は、原発事故とアイドルの自殺という二つの出来事に視点を置くことで1986年と2011年を接続してみせた。それは過去と現在をつなぐ営み、時間の編集である。編集とは、使う部分を選び、つなげ、その他の部分を捨てる行為だ。編集には欠落が孕まれている。ではなぜ、過去と現在をそのような形で接続する必要があるのだろうか。編集などしなくても、時の流れの中、過去と現在はつながっている。その流れを断ち切り、過去と現在を編集によってつながなければならないのはなぜか。

 それは人間が忘れる生き物だからだ。

 第二章「一九八六年の夏の屋上」では、ある夏の夜のパーティーが描かれる。それはチェルノブイリの原発事故と岡田有希子の自殺から約三ヶ月後のことだが、どちらの出来事も、その影響を感じさせることはない。事故が起きた当初は「イタリア産のパスタはもう食べない」と騒いでいたという平賀も、「そんなに騒ぐこともないだろ。そのうちみんな忘れるよ。」と言い、パーティーの参加者たちは享楽的な雰囲気に身を任せている。チェルノブイリの事故は大きかったかもしれないが遠い異国の出来事であり、岡田有希子の自殺は身近ではあったかもしれないがファンの人間以外には大きな影響を与える出来事ではなかった。人間は忘れる。

 だから過去と現在をつなぐ回路が必要となる。その意味で、撮影することをshootと呼ぶのは全く以て正しい。映画学校の生徒1は「だから撃つんですよ。狙うんです。」と言う。撮影はshoot=撃ち抜き、穴を穿つ行為だ。現在と過去をつなぐ回路を未来に残す行為。『トータル・リビング』においてはその回路が様々な形で表れる。例えば1986年で行われるビンゴゲームの景品。象本体から切り離された象牙、靴のない靴ひも、掟の板の入っていない契約の箱など、何かが欠けているものばかりが景品として提供される。それらはそこに欠落しているものを思い起こさせる回路となる。同じように、芝居のほぼラストで舞台上に並べられる様々な日用品は、2011年3月11日前後の記憶を呼び起こす依代となっている。その様子もまたビンゴに似ている。ビンゴカードの数字と同じように整然と並べられた日用品。日付と時間を表す「数字」が読み上げられ、それに対応すると思しき過去の断片的なセリフが語られる。読み上げられた数字に従ってビンゴカードに穴が開けられるように、日用品が私たちの記憶に働きかけ、過去への回路が開いていく。

 穴のモチーフは他にも登場する。欠落の女は忘却の灯台守に対し、1枚のシャツを示す。そのシャツは片袖がなく、そこに穴も空いていないので着ることが出来ない。だからその欠落を埋めてくれと言うのだ。しかし忘却の灯台守にその欠落を埋めることは出来ない。なぜならそれは既に埋められてしまっているからだ。袖がかつてそこにあった証拠となるはずの穴はなく、布が肩口を覆っている。まるで最初からそこには何もなかったかのように。片袖の存在は忘却されている。ゆえに忘却の灯台守に出来ることはない。では欠落の女はどうすればよかったのだろうか。失くした袖を取り戻せないのならば、それでもそのシャツを着るのならば、肩口に穴を開けるしかなかったのだ。欠落が取り戻せないのならば、その穴を受け入れるしかない。忘却の灯台守もまた、欠落の女と同じように、自らの持つ穴を埋めてしまった者の一人だ。灯台が立っていた海は「埋め立てられ」、灯台はなくなってしまった。導きの灯台は消え、人々は答えを求めさまよう。

 私たちはいつも答えを探すがそれは見つからない。「ヤフオクにログイン出来ないんですけど、パスワードは何を入力すればいいんでしょうか?」「ヤフーへお問い合わせください。」問いに対応するはずの答えは先延ばしにされる。問いが必ずしも答えに結びつくわけではないように、灯台もまた、私たちを目的地に導くわけではない。それはただ私たちのいる場所を示す。自らが今いる場所を知ることで初めて、目的地へと向かう一歩が踏み出せるのだ。私たちのいる「いまここ」。それを確認するために私たちは灯台を見上げ、過去へとつなぐ穴を覗きこむ。過去は現在の標となる。だから、覗きこんだ穴の先に見えるのは過去ではなく、今だ。もちろん、過去を覗きこむことでその穴の中に落ち込み、過去に囚われてしまう危険はある。1986年が演じられた第二章のラスト、ザジという少女を演じる女優は「『役』に取り憑かれ」てしまう。2011年に生きるはずの女優が取り憑かれた1986年の亡霊。彼女は二人の生徒によって「一九八六年の屋上」から落とされ、生徒たちは「これでいい。これであの女優、二〇一一年に戻るはずだ。」という。俳優は役を通じて、自らの身体を舞台上に現前させる。役を演じることは新たな自分への回路であり、自らのあり様を照らし出す営みなのだ。だから少女はザジという役を経て自らに戻らねばならない。

「トータル・リビング」公演の写真
【写真は、「トータル・リビング 1986-2011」公演から。提供=フェスティバル/トーキョー 禁無断転載】

 だが、このように「いまここ」でない何かを見るまなざしは容易に無関心へと転落する。第一章では、舞台の手前から舞台を撮影した映像が舞台奥のスクリーンに映し出される。スクリーンの中にスクリーンが映し出されることで映像は何重にも入れ子化され、目の前の舞台がどこまでも遠いものとして映し出される。撮影することはその対象を現実の時空間から切り離すことだ。そこは「いまここ」ではない。だから私たちはチェルノブイリの事故を他人事としてしか受け取れなかった。そして現在、震災後・原発事故後の状況もまた、そうなる危険性を孕んでいる。遠い出来事、時間や距離で私たちと隔てられた出来事を、他人事ではなく我がこととして引き受けるためには想像力が必要なのだ。そしてその想像力を起動するための装置として「穴」はある。

 作品を観ることも同じだ。私たちは舞台の向こう側に自らの姿を見る。舞台を挟んだこちら側と向こう側。そのどちらにも私たちがいる。『トータル・リビング』の舞台はそれを構造として示す。下手前と上手奥に設けられた「扉」。この「扉」の配置が示すのは、舞台が歪ながらも点対称な図形を描いているということだ。点対称、つまり反転可能な図形であること。位置の逆転は実際に劇中で起きている。欠落の女と忘却の女は下手前の扉と上手奥の扉、つまりは点対称の位置で同じ演技をし、第一章で演じられた映画学校の生徒の場面もまた、第三章では点対称の位置で演じられる。舞台の「こちら側」=客席はいつでも「向こう側」となる可能性を秘めている。

 だから、そこで問われているのは、「向こう側」にいる自分を想像する力であり、そのための回路である。『トータル・リビング』は2011年を見るための回路として、1986年という時代を提示してみせた。2011年に始まり、1986年を通して2011年を再発見するからこそ、この作品は、二回の休憩を挿んだ三章立てで構成されていたのだ。1986年という回路は当時の記憶を持たない私には有効ではなかったが、それは問題ではない。舞台作品として2011年を描くことで、『トータル・リビング』という作品そのものが、現実の2011年に対する一つの回路として機能しているのだ。また、大きな枠組みとして作品全体が回路の役割を果たすと同時に、作品内には無数の回路が散りばめられ、それを残すための営みが描かれている。1986年という回路が私には有効でなかったように、人によって開ける回路は違うだろう。だから私たちは記述しなければならない。なるべく多くの回路が残るように。その無数の記述が、いつか未来において灯台の光となることを願いながら。
(了)

「遊園地再生事業団「トータル・リビング 1986-2011」」への3件のフィードバック

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  2. ピンバック: YAMAZAKI Kenta
  3. ピンバック: パンセ・ポンセ

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