ピエール・リガル「プ・レ・ス」第3回

◎閉塞空間をリアルな身体で生きる ユーモアを意識的に導入して
堤広志

Shizuoka春の芸術祭2009プログラム表紙●異色の振付家ピエール・リガル

ビエール・リガル(Pierre Rigal)は、ここ数年で一躍世界的に注目されるようになったアーティストである。1973年南フランス・トゥールーズ近郊に生まれ、陸上競技の400m走ならびに400mハードルのアスリートとして活躍した後、バルセロナ大学で数理経済学を、トゥールーズのオーディオ・ビジュアル・スクールで映画製作を学んだという異色の経歴を持つ。

コンテンポラリー・ダンスには学生時代から興味を持ち、ヴィム・ヴァンデケイビュスやベルナルド・モンテなどのワークショップに参加。卒業後はビデオクリップやドキュメンタリーフィルムを製作するかたわら、ジル・ジョパンやオーレリアン・ボリーのもとでダンサーとして活動している。2003年には「カンパニー・デルニエール・ミニュート」(Companie Derniere Minute)を自ら立ち上げ、ソロ作品『エレクション』を発表。その他の作品に、82年のワールドカップ準決勝フランス・西ドイツ戦を題材にした『遊びの終わり』(06年)、パリ郊外のヒップホップダンサーたちとコラボレートした『アスファルト』(09年)などがあるという。

こうした異才が舞台芸術の世界に入って頭角を現してくるということ自体、フランスのコンテンポラリー・ダンスの状況を象徴的に物語っているように思う。リガル自身、子供の頃からオーセンティックなダンス教育を受けてきたわけではなく、またプロのダンサーとして既存のメソッドやボキャブラリーを修得してきたのではない(ただし、元アスリートの身体能力を舞台に活かし転用しているということは言えるかもしれない)。また、彼が教えを乞うたり関わったりしてきたアーティストたちも、80年代ヌーヴェル・ダンス以降に独自な表現を繰り広げてきた者たちばかりである。つまり、決して「ダンス」の王道を歩んでいるのではなく、意識的にマージナルかつオルタナティブな活動を繰り返してきているという点で極めて「コンテンポラリー」なアーティストだと言えるのではないだろうか。

特に注意すべきなのは、まだ日本には紹介されていないオーレリアン・ボリー(※9)である。リガルは近年、同じくトゥールーズを拠点とするボリーと仕事をする機会が多い模様で、いくつかのヒット作を飛ばしている。私は未見だが、ポリーの主宰する「カンパニー111」は現在フランス国内でも最注目のヌーボー・シルクらしく、「ニュー・サーカス」と称してニューヨークへもツアーし好評を博したという。リガルのプロフィールに「モロッコの軽業師や京劇の俳優とも共演」と書かれているのも、おそらくボリーの作品におけるキャリアだろうと思われる。

リガルは、単に門外漢がビギナーズ・ラックのようにしてダンス界でブレイクしたのではなく、かなり確信的に自己の身体と表現に取り組んできているようだ。演劇とダンスを高度なテクノロジーで結合させていくアプローチはヴィム・ヴァンデケイビュスやムラーデン・マテリック(ボリーの師)から、ダンスとテクノロジーの間の可能性を追求しながら社会的なテーマを思考するコンセプチュアルな創作の在り方はジル・ジョパンから、そしてアクロバチックな身体イメージを取り入れていく姿勢はオーレリアン・ボリーからそれぞれに吸収し、自作に柔軟に反映させているように思う。

今回初来日となったソロ・パフォーマンス『プ・レ・ス』も、そんなリガルの特質が感じられる個性的でユニークな作品であった。これは2008年ロンドンで初演後、ランコントル・アンテンナショナル・ドゥ・セーヌ・サン・ドニ(旧バニョレ国際振付賞)やシドニー・オペラ・ハウスなどでも上演して絶賛され、リガルの出世作となった。原題は『Press』だが、邦題ではカタカナの間にナカグロを入れて「プ・レ・ス」としている。なぜ、そう表記したのか主催者側から詳しい説明はないものの、実際の舞台を観ればその理由も理解できるように思う。

●『プ・レ・ス』-閉塞空間から想起される負の記憶

舞台上には、舞台面よりも何尺か高い位置に小さな室内セットが組まれ、暗闇に浮かんでいる。打ち放しのコンクリートを模した灰色の壁と天井だけの、窓も扉もない密室である。間口は2間ぐらい、奥行きは1間ぐらい、天井の高さは2mほどだろうか。会場となった静岡芸術劇場は馬蹄型の中劇場で、間口やタッパはあるものの客席数は少なめで、一般の公共ホールと比較してもさほど大きくはない。舞台と客席もかなり近いはずなのだが、それを差し引いてもこのセットは極端に矮小化された印象である(照明・舞台装置:フレデリック・ストール)。

開演すると、折り畳みのパイプ椅子が1脚置かれ、その横に黒いスーツ姿の男(リガル)が立っている。下手前方の天井からは全長1mぐらいの金属製の黒いアームが突き出し、自動的に伸縮したり首を振ったりする。先端には小型の白色ライトが付いていて時折室内を照らす。また、その少し上には赤いLEDランプが目のように終始光っていて、まるで室内を監視するロボットのように擬人化して見える。

男はやや斜に構えてこちらを向き、片足に重心を置いて無表情に佇んでいる。無音でしばし時が過ぎる。やがて腕を中心とした微かで機敏な動きを繰り出すが、それは天井から突き出たアームに似た直線的かつ無機質な動作で、どこかロボットや人形を連想させる。そして、肩を回して天井に手を着くとビヨーンという電子音がシンクロして生じる。あるいは上体を反り返らせ、バネのように姿勢を戻すとジュワーンと鳴る。どうやら身体が壁や天井に接触した瞬間に生じるノイズをマイクで拾い、エフェクトをかけて増幅させているらしい。クールでシリアスなビジュアルの反面、身体の動きや音響は子供向けアニメを連想させるようなコミカルなニュアンスがあり、どこまで本気なのか、あるいはギャグなのか、即断できない奇妙な緊張感が醸し出される。

この奇妙な空気感とテンションを維持したまま、シーンは展開されていく。すると突然、天井全体のレベルが下がり、ちょうど身長の高さで止まる。だが、男はうろたえることもなく、無表情にそれを受け止めている。天井に接触している頭を擦りながら移動すると、そのノイズが増幅される。そして右腕を後頭部に回し、顔先に出た手先で顎をつかみ身をねじる。まるで天井の高さに合わせて、自分の首をアタッチメント式に取り外そうとするかのようだが、もちろん外れるわけはない。しかし、この動作によってリガルの肩の関節が非常に柔軟であることがわかる。

室内が薄暗くなると、姿勢を低くして虚空に手を伸ばし、暗闘(だんまり)のような仕種となる。天井の壁際近くに天窓のようなスリットが生じ、蛍光灯の光が差し込んで間接照明で壁面を照らす。スチールギターの乾いた音が流れ、虚ろな響きを奏でていく(音楽:ニール・ボルデュール)。男は倒立をして上手の壁に足をもたげ、そのまま壁を伝って中央から下手へ移動する。ストリートダンスのような腕力に任せたパワームーブではなく、腕や肩を支点として無理のない体勢で体重を支え、バランスを取りながら必要最低限の力でゆっくりと重心を移動していく。フリークライミングにような慎重さとバランス感覚をもって逆立ち移動していく、“フリースタンディング”とでもいうべきスリリングな身体の使い方である。

下手までくると、今度は正面を向いて片手立ちとなる。そして、足裏を天井に着け、上手の方に向けて大きくブリッジを展開する。やはりここでも肩の関節や背骨の柔軟さが確認できる。同時にそのしなやかな身のこなしから、身体のメンテナンスが入念に行き届いていることもわかる。アクロバチックな逆立ちはさらに続き、上手から中央へ移動して床に頭を着け、足裏を天井に突っ張って、離した両手を体側に添わせてポーズする。頭頂の一点で全体重を支える逆立ちに、客席のあちこちから驚嘆の吐息が漏れる。舞台関係者にとってはまるで野口体操を彷佛とさせる体技であり、やはりリガルが何か特別な身体の修練を積んでいることを実感させる。

天井はさらに下がり、肩のラインに達する。男はやはり部屋に適応するように背中を向け俯いて首を折り、肩口を天井に着ける。すると首なし人間のように見える。椅子に掛けていたジャケットを着込むと、ボイスオーバーで「I’m a stranger.」「I have a kichen.」「-in my head.」などの英語が流れる。それらはボコーダーを通したようなエフェクトがかけられ、明瞭には聞き取れないものの、孤独な男の意識の声のような感触がある。そして、この閉塞空間がそのままこの男のインナースペース(内的宇宙)であるようにも思えてくる(※10)。

首なし男は椅子を手繰り寄せて座り、腕を組むとテレビ音声のSEが遠くに聞こえてくる。すると男はただ居眠りをして顔を伏せていただけのように見え方も変化する。頭を起こして椅子の上に全身を乗せ、狭い座板の上で爪先を手で持って反転して逆さになり、足先を天井へ着けたり、横臥して壁を歩いたり、あるいは背もたれと座板の間に頭を突っ込んで額を床に着け、椅子ごとを斜めに傾むいて伸身で空中歩行をするようにしたりと、椅子を使った巧みな動きのバリエーションを展開する。

轟音とともにまた天井が下がると、男は椅子をつっかえ棒にする。四つん這いとなり、アームライトの方へ行って、正座する。ライトが客席の方へ向くと、轟音とともに舞台は暗転。明転すると、椅子はなくなっている。男は顔を天井に吸い寄せられるように押しつけると、天井はいったん上昇し中腰の高さで止まる。男は頭頂を天井に着け、足を組んでポーズしたり、その姿勢のまま回転して向きを変えたりする。しかし、天井はまた下がって先程の椅子の高さとなる。男は肩立ちから足を頭越しに伸ばしてヨガの「鋤のポーズ」(※11)を展開し、上手壁際まで来ると横臥して壁に直立するようにポーズする。そして、屈んで反対側へジャンプし、床を滑って下手壁際までくるとターンをし、今度は下手壁に直立する。同様に上手側へジャンプし、さらにまた下手へジャンプと、上下の壁の間を行き来する高速ターンの連続技を展開する。

一回暗転後、明転すると天井は上体を起こすこともできないぐらいの低さになっている。男はアームに飛びかかり天井から引き抜くと、轟音とともに空間は広がって冒頭のシーンの高さに戻る。男はアームの先の赤いランプを取って口の中へ入れる。薄暗がりの中、頬を通して口中のランプが光っているのがわかる。アームから先端のライト部分も外し、床に置く。そしてアームを持って平伏した背中に乗せたり、弓なりに伸び縮みする動きを相似形に並んで真似してみたりする。あるいは立ってアームの一端を床に着け、椅子のような形にして座るようなポーズをとったり、手で操ってペットのようにもてあそんだりする。やがて、アームを放り出して佇立すると、また冒頭と同じロボットか人形のような動きを始める。だが、終いにはまた天井が下がり、押しつぶされて暗転となる。明転すると、男はいなくなっている…。

この作品で描かれているのは、狭小化された閉塞空間に閉じ込められながらも、機械的にでも適応して生きていこうとする人間の不条理な姿である。さらに徐々に降下する天井の圧迫に耐えながらも、なんとか生きる方途を探ろうとする極限的状況は、管理社会に生じる人間性の疎外や人権の剥奪といった普遍的な問題をも訴えかけている。

この舞台を観ていて想起した2つの作品がある。一つは世界的なビデオ・アーティスト、ビル・ヴィオラによる『ROOM FOR ST.JHON OF THE CROSS』(1983)である(※12)。この作品は、かつてスペインでイスラム教徒に捕らえられたキリスト教僧侶の話に基づいたビデオ・インスタレーションで、その僧侶は立つことも座ることもできない牢獄に9ヶ月間も幽閉されたという。物理的に身体の自由が利かない閉塞空間に監禁され、精神的にも負荷をかけられ、生命の危機と直接向かい合わざるを得ないような状況は、『プ・レ・ス』の舞台設定にも通じるように思われた。

もう一つは、ベルリンのユダヤ博物館(※13)にある「ホロコーストの塔」である。現代建築家ダニエル・リベスキンドの設計によるこの博物館は、外壁がチタンと亜鉛の板で覆われていて、ナイフで鋭く引っかいた亀裂のような意匠が施されていることで有名だが、内部にも歴史の負の記憶を象徴するような様々な空間設計がなされている。その中でも特に印象深いのが「ホロコーストの塔」である。

ホロコーストの犠牲者の遺留品が並ぶ展示室を通り過ぎた先に、高さ24メートルの煙突状の塔への入り口がある。私が2003年に訪れた時には混んでいたからであろうか、10数人ずつを一つのグループとして2~3分ぐらいの時間に区切って塔の中へ通し、入れ替えるようにしていた。内部に展示品は一切なく、打ち放しのコンクリートの壁に囲まれたがらんどうの空間が寒々と広がっているばかりである。天井は高く、壁面のはるか上方に横長の細く小さい窓が開いており、そこから入るわずかな外光が室内をほの暗く照らしている。そして、ガイドが「扉が閉まったらしばらく喋らないでいてください」と説明し、皆しばし無言で佇むことになる。

オーディエンスはこの虚ろな塔の底で、窓越しに見える小さな空をただ呆然と見上げるしかない。ほかに見るべきものなど何もないからだ。そして、ホロコーストの犠牲者が当時感じたであろう死への恐怖や絶望、悲哀の感情を想像し、あるいは擬似体感することになる。歴史の負の記憶を再生させながら、同時に平和への祈念を誘う見事な装置となっているのである。

『プ・レ・ス』では、セットの天井の縁にスリットが入り、蛍光灯が壁面を照らした。それは単に空間性を強調するだけではなく、天井の圧迫感や壁面の厳然とる存在感を意識させ、十分な心理的効果をもたらしていた。リベスキントが「ホロコーストの塔」で高い天井と小窓によって逃げる術のない空間の残酷な虚無感や悲壮感を演出したように、『プ・レ・ス』では低い天井とスリットによって押しつぶされるかもしれない重圧感や抑欝感を強調している。天井の高低こそ違え、どちらの空間も見る者を圧倒する同じような効果をはたしている。

そして、『プ・レ・ス』と「ホロコーストの塔」にはさらにもう一つの共通点があるように思う。それは社会性のあるシリアスなテーマ性とは違ったもう一つの局面である。実は私が「ホロコーストの塔」を体験した時、ある印象深いことが起こった。たまたま近くにいた生粋のドイツ人と思われる若い白人女性が思わず吹き出してしまったのである。おそらく何もない空間で、何事も起こらない時間を、皆でただ押し黙ったままじっとしていなければならないということの不条理が、単純に可笑しく感じられたのだろう。私は振り向いて特に非難するでもなく視線を送ると、彼女はすぐに口をつぐんだのだが、しかしこの時私は微かに戸惑いを覚え、心中に複雑な思いを抱いた。ドイツ人が加害者となった負の歴史を刻印する極めて政治的な意味合いを持つ場所で、当のドイツ人が無神経にも笑っている。この事態をどう受け止めればよいのだろうかと。

おそらくこの女性は戦争をまったく知らない若い世代であり、特別強い歴史認識も問題意識も持ち合わせていなかったのだろう。だから、知識や理性に縛られず、その場の状況をただ可笑しく感じることのできる自由な感性が働いたとも言える。リガルも、どうやらそれと同様の感性の持ち主のような気がするのである。

●フランスのエスプリとコンテンポラリー・ダンスのグローバリズム

「この作品の中の主人公が直面する物理的な圧力は、人間が生活の中で直面する共同体の圧力、個人生活での圧力、心理的な圧力などあらゆる圧力を象徴することができます。危険の予兆が高まり、死の予感に襲われたとき、死に対するさまざまな反応があらわれます。鼻で笑ってみたり、知らないふりをしてみたり、やっぱり恐くなったり…。」(公演リーフレット掲載のリガルへのインタビューより)

そもそも『プ・レ・ス』は、初演をしたロンドンのゲイト・シアター(※14)から委嘱された作品である。リガルはこの劇場を訪れた際、そのあまりの空間の小ささに驚き、当初創作は不可能だと思ったという。しかし、逆にその小さい空間を利用してやろうと考えて、何ができるかを模索していった。そうして空間の変化に対する身体の応答、適応の動きを研究していき、舞台装置のイメージから人間への圧力というテーマが浮上したようだ。ただし、実際の表現はシリアスにはせず、バカバカしさやユーモアを意識的に導入したという。

おそらくそこにリガルの特質があるように思われる。彼が学んだヴィム・ヴァンデケイビュスやベルナルド・モンテであったならば、テーマに真正面から取り組んでもっと社会性の強いシビアなタッチの作品となるのではないだろうか。SPACのブログには、静岡滞在中にリガルがカンパニーの仲間たちと粋な「置き土産」を残していったことが記されている(※15)。それを見ただけでも、リガルがその場の状況や条件に際してアクチュアルに対応し、臨機応変な遊び心を発揮するエスプリの持ち主であることが確認できる。そして、こうしたエスプリはフィリップ・ドゥクフレやジェローム・ベルにも通じる、とてもフランス人らしいセンスなのではないかと思えるのだ。

観客によっては、カフカの『変身』の主人公グレゴール・ザムザを連想したり、テクノロジーによって人間が支配される近未来SF映画のようなストーリーを思い描いた者もあったようである。リアルな身体とアクチュアルな空間性はコンテンポラリー・ダンスとして評価でき、フィクショナルなストーリーやフィジカル・シアター的な演出は代理表象として感情移入し共感することもできる。アーティスティックでありながら、エンターテインメントとしても楽しむことができるアンビバレントな作品づくりに、今後も期待したくなる才能である。

それから最後に言及しておきたいのは、これはこれまでにもいろいろなところで書いてきたことなのだが、今コンテンポラリー・ダンスの世界では様々な身体技法を積極的に取り入れ、創作にも活かしていくアーティストが目立ってきている。ベルギーのアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル(ローザス)はヒップホップやヨーガを取り入れ作品化している。ドイツのウィリアム・フォーサイスは日本の武道家・日野晃を招いてワークショップを実施している。カナダのマリー・シュイナールのカンパニーではピラティスが効果を上げている。リガルのしなやかな身体もヨガによって培われたものだという。『プ・レ・ス』で見せたアクロバチックな動きや重心移動にその成果がうかがわれる。コンテンポラリー・ダンスのグローバリゼーションは、様々な身体技法の有効性が相互にシェアされる時代の到来を意味しており、それゆえに未知のアーティストや表現がこれからも登場する可能性を秘めているように思われる。(了)

♯♯註
※9)
オーレリアン・ポリー(Aurélien Bory)は、1972年フランス北東部コルマルの生まれ。物理学、音響設計、映画を学んだ後、トゥールーズのシアター・タトゥ(Theatre Tattoo)でムラーデン・マテリック(Mladen Materic)に師事して演技とジャグリングを習得。LIDO(トゥールーズ・サーカス・アーツ・センター)の教師となり、2000年初めての作品『IJK』を発表。自ら「カンパニー111」を結成し、芸術監督を務めている。カンパニー公式サイト(http://www.cie111.com/)やウィキペディア仏語版(http://fr.wikipedia.org/wiki/Aurélien_Bory)を参照されたい。また、カンパニー111作品の日本語レビューに、「Plus ou moins l’infini」(http://www.office-ai.co.jp/_edi/_edi-history/edi-200704-01.html)、「ザ・セブン・ボード・オブ・スキル」(http://www.chacott-jp.com/magazine/world-report/from-newyork/from-newyork-0812b.html)などがある。
※10)
公演リーフレットに掲載されているインタビューでリガルは、この作品が「私たちの世界、私たちの地球、私たちの脳のメタファーにもなっている」と語っている。また、2009年6月13日のポスト・パフォーマンス・トークでは、「自分の脳みその中」がこの作品のコンセプトであると明かしていた。
※11)
ヨガの「鋤のポーズ」は原名をハラ・アーサナといい、牛に牽かせて畑を耕す木製のスキ(ハラ)と形状が似たポーズ(アーサナ)であることから付けられた名称。「肩立ちのポーズ」(サルヴァーンガ・アーサナ)からのバリエーション。鋤が土を掘り起こして隙間をつくり、保水性や通気性を良くして作物の生育に適した土壌にするように、このアーサナも天地を反転させることにより、立位で下垂していた内臓が移動して血液やリンパの流れが変わり、諸器官の機能を活性化させる効果があると言われている。また、意識面では身体の内外も反転してシェルターに入ったような安心感や胎内回帰のような没入感も感得されるという。「アーサナ・コメンタリー」ハラ・アーサナのページ(http://www.lila-yoga.org/newpage3-5.htm)に詳しい図解あり。
※12)
東京・青山のスパイラルが主催した企画展「人間の条件展 ? 私たちは、どこへ向かうのか。 Of the Human Condition :Hope and Despair at the End of the Century」(1994年2月1日-20日@スパイラル)に出品された。この展覧会にはクリスチャン・ボルタンスキー、ギルバート&ジョージ、マシュー・バーニー、ナン・ゴールディン、岡崎乾二郎、宮島達男、柳幸典、ダムタイプ、荒木経惟、森村泰昌、椿昇、テクノクラート(飴屋法水)など、国内外33組の名だたる現代アーティストが出展し、ギャラリーやホールはもとより、ビルの入り口からエレベーター、非常階段まで全館を使い展示した。そもそもは1993年9月から1994年3月までの7ヶ月間に渡ってスパイラルで開催されたロング・イベント「ART LIFE 21-人間になろう」の一環で、この展覧会でも民族対立や環境問題、エイズなどの同時代的なテーマが様々に取り上げられ、「より人間らしく生きる」ことをオーディエンスに問うた意欲的な企画だった。
※13)
ベルリン・ユダヤ博物館については公式のホームページ(http://www.juedisches-museum-berlin.de/site/DE/homepage.php)も参照できるが、ウィキペディアの日本語ページの方が簡潔に概要を知ることができる。
※14)
ゲイト・シアター(The Gate Theatre)は、1979年ロンドンのノッティングヒルにあるプリンス・アルバート・パブの上に、ロウ・スタインによって設立された。平均的なキャパシティ(客席数)は70席と小さいが、ロンドンで最も柔軟で使い勝手の良いスペースの1つだという。30年間にわたり、野心的なプログラムによってディレクター、デザイナー、劇作家、パフォーマーらを挑発して奮起させ、特に新進アーティストにはあえて冒険をさせながらもスプリングボードとなるような優れた実績を築く機会を提供している。この劇場を活動の場としたアーティストには、リズ・ブラザーストン(美術デザイナー)、キャシー・バーク(女優)、ドミニク・クック(演出家)、サー・ピーター・ホール(演出家・映画監督)、パターソン・ジョセフ(俳優)、サラ・ケイン(劇作家)、アレックス・キングストン(女優)、ジュード・ロウ(俳優)、ナンシー・メックラー(演出家)、ケイティ・ミッチェル(演出家)、ソフィー・オコネド(女優)、レイチェル・ワイズ(女優)など、新鋭から重鎮までバラエティに富んでいる。また、革新的な国際制作を主とする劇場としてはロンドン唯一とされ、英国演劇界には知られていない戯曲や劇作家によるオリジナル作品の上演や、その才能が発見されるに値するアーティストの発掘など、ユニークな取り組みをしている。以上、劇場公式サイト(http://www.gatetheatre.co.uk/)を参照。ちなみに今秋、燐光群が公演予定の『BUG(バグ)』(トレイシー・レッツ作)もこの劇場で初演後、オフ・ブロードウェイで異例のロングランとなった作品で、やはり閉塞感を伴いながら笑いの要素もあるクオリティの高い室内劇となっている模様。
※15)
静岡県舞台芸術センター(SPAC)ブログの2009年6月22日の記事には、リガルがカンパニーの仲間たちと粋な「置き土産」を残していったことが明かされている。
(初出:マガジン・ワンダーランド第153号[まぐまぐ!, melma!]、2009年8月19日発行。購読は登録ページから)

▽ピエール・リガル「プ・レ・ス」
第1回 「寛容のオルギア」があぶり出したのは コンテンポラリー・ダンスは今(第150号
第2回 「ダンス」や「アート」の概念を揺さぶる(第152号
第3回 (本号)

【筆者略歴】
堤広志(つつみ・ひろし)
1966年川崎市生まれ。文化学院文学科演劇コース卒。編集者/演劇・舞踊ジャーナリスト。美術誌「art vision」、「演劇ぶっく」「せりふの時代」編集を経て、現在パフォーミングアーツマガジン「Bacchus」編集発行人。編書は「空飛ぶ雲の上団五郎一座『アチャラカ再誕生』」(論創社)、「現代ドイツのパフォーミングアーツ」(三元社)。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ta/tsutsumi-hiroshi/

【上演記録】
▽「プ・レ・ス」(Shizuoka春の芸術祭2009)
静岡芸術劇場(2009年6月13日-14日)
振付・出演:ピエール・リガル(カンパニー・デルニエール・ミニュート)
音楽:ニール・ボルデュール
上演時間:60分

製作:カンパニー・デルニエール・ミニュート、ゲイト・シアター(ロンドン)
共同製作:ランコントル・アンテルナシヨナル・ドゥ・セーヌ=サン=ドゥニ、テアトル・ガロンヌ(トゥールーズ)
助成:DRACミディ=ピレネー、トゥールーズ市、オート=ガロンヌ県議会、キュルチュールフランス=トゥールーズ市助成協定
協賛:キュルチュールフランス、フランス大使館、エールフランス航空、
協力:東京日仏学院

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