★カトリヒデトシさんのお薦め
・ろりえ「恋2」(王子小劇場、3月3日-7日、一心寺シアター倶楽、3月13日-14日)
・qui-co.キコ「はなよめのまち」(王子小劇場、3月25日-29日)
・三匹の犬「現実はきびしく私たちは若いけれど要求は唐突で思い切るという手もあるかもしれない」(pit北/区域、3月25日-29日)
★鈴木励滋さんのお薦め
・「エーブルアート・オンステージ コラボ・シアター・フェスティバル2010」Bプロ「≒-にあいこーるのじじょう」(アサヒ・アートスクエア、3月18日・19日)
・「東野祥子solo dance VACUM ZONE」(シアタートラム、3月5日~7日)
・時間堂「月並みなはなし」(座・高円寺、3月11日~14日)
★徳永京子さんのお薦め
・「老人ホームREMIX#1 野村誠のポストワークショップ」(BankArt Studio NYK、3月14日)
・「FABIEN PRIOVILLE」(彩の国さいたま芸術劇場3月18日)
・726「太宰治 走れメロス」(下北沢OFF・OFFシアター、3月18日~23日)
徳永京子 3月はとても迷ってしまいます。
鈴木励滋 そうですね。全然決められないんです、候補が多すぎて。
徳永 柴幸男さんのままごと「スイングバイ」も入れようかと悩んだんですけど、岸田國士戯曲賞受賞後第1作だから、皆さん見に行きそうでしょ。サンプル「ハコブネ」も絶対行くでしょう。中野成樹+フランケンズ「スピードの中身」も…。「踊りに行くぜ!」はシリーズだから、言わなくても大丈夫かなと。
鈴木 東京芸術見本市2010は誰か入れないんですか?
カトリヒデトシ・徳永 TPAM!(絶句…)
徳永 それも考えたんですが、注目度がかなり高いということで割愛しました。
鈴木 柴幸男・杉原邦生(ダンス・ワークショップ「青春60デモ」)・篠田千明(快快「Y時のはなし」)のキレなかった14才リターンズに出た3人は、敢えて言わないけど見るし、みんなも見るだろうと。それから僕は、伊藤キムさんは人間として好きなんですよね。彼は、オヤジとか高校生と一緒に創作し、自分がもらってきたものを伝えていこうという想いがある方ですが、今度の公演(輝く未来「ブチ込ミ、ヤミ鍋、舌ツヅミ」)は入れられなくて辛い…。
カトリ では私から。まず、ろりえ「恋2」。ここは早稲田出身のカンパニーで伸び盛り、そろそろ学生臭が消えてきたあたり。去年のNHK「渋谷JK」にも出ました。梅舟惟永という女優がすごく好きです。体が細くショートヘアで眉がくっきり、声は太くて、キリッとしてて意志が強そう。かわいげのあるツンデレなのかと思うが意外に芯がもろいとこもあるじゃんといったような、バランスの悪さがいいなあと思って、かなり期待してる。そこに尾倉ケント(アイサツ)、坂口辰平(ハイバイ)、深谷由梨香(柿食う客)などクセのある役者がからむから、面白そう。ただ作品の質はまだまだ粗いですね。下手ですよー、踊りなんか特に(笑)。
徳永 もう何年くらいやってるんですか? チラシもいいですね。
カトリ 3年、6公演目くらいかな。チラシは、よく見ると下品な絵なんだけど、ぱっと見はきれい。わざわざ変形にしてるから目立つんです。雑だけど、やみくもなエネルギーが乱反射している。どこに向かっているかまだわかっていない状態でいろんなものが出てくるところがいいなと思ってます。
次は、立ち上げ劇団qui-co.キコ「はなよめのまち」。作・演出は小栗剛。顔合わせを見に行ったら、吉田小夏(青☆組)がすごくいい。女優としては5年ぶりだそうです。もらった台本をその場で読むだけなんだけど、セリフのつかみ方、いきなりテンションの張り方がすごくてびっくりした。
徳永 シーンが立ち上がってくるんですか?
カトリ そうですね。その時の相手が千葉淳(東京タンバリン)で。彼その日、はじめは顔色が悪くて、いつもの二枚目じゃないと心配だったんだけど、やり始めると、ものすごい二の線がぐーんと出てきた。お、やるなーと思って。ほかにも、なかなか楽しみな役者が多い。三枝貴志(バジリコ・F・バジオ)は変な雰囲気出すけどいい味もってる。酒井和哉は神里雄大と一緒にやってて「ヘアカットさん」にも出てました。これまた怪優です。
徳永 旗揚げから王子小劇場の審査に通ったってことですね。
カトリ そうですね。小栗は、チェリーブロッサムハイスクールの時から、すごくいい本を書いていた。最初の顔合わせで、その世界設定・キャラクター設定について説明した紙が8枚くらい配られて。こんな設定でやったら「砂の惑星」か「スターウォーズ」になっちゃうんじゃないか、全6作って感じのとあきれましたね(笑)。
徳永 SF的なディテールの話なんですか?
カトリ いや土俗的なものにこだわってて、民俗学的な話ですね。日本のどこか地図にないところで、権力者に花嫁を差し出すために、女の子を大事に育てている村があるという設定。チェリーブロッサムでもそうでしたが、基本的に人間のドロドロした嫌な部分、ダークサイドを突き抜けて向こう側に何かが現れてくるというのが小栗の世界。すごく好きですね。
最後は、三匹の犬「現実はきびしく私たちは若いけれど要求は唐突で思い切るという手もあるかもしれない」。鈴江俊郎作・演出、金子岳憲(ハイバイ)出演というのにひかれて。ただ、会場のpit北/区域は、あまり真面目な固い芝居をやられると、ちょっときついなあとも思うんだけど。
鈴木 鈴江さんはドタバタな持ち味もありますよね
カトリ コメディタッチならいいんだけど。金子のキレ芸は最高。口から唾とばしながらイッちゃった時の目はとにかくいい! もともとニナガワカンパニーダッシュにいたことが信じられない(笑)。ということで、この3本です。
徳永 私の1本目は「老人ホームREMIX#1 野村誠のポストワークショップ」。チラシによると、野村さんは音楽の専門家で、老人ホームの人たちとワークショップを重ねてこられたそうです。「ぼくが10年間続けている『お年寄りとの共同作曲』。特別養護老人ホーム『さくら苑』で、駄洒落、インプロ、唱歌、トランスが交差し、古典ともコンテンポラリーとも形容しがたい独自の芸能のような場が形成されています」という言葉に一発でヤラレタ!という感じ。私は、老人介護の経験もないし、介護施設の現状も知らない。甘いかもしれないんですが、さいたまゴールド・シアターが好きで、お年寄りが体を使って表現すること、演劇という表現にのっかるっていうのかな、それがすごく面白いなと思います。
鈴木 Direction担当の吉野さつきさんは、僕が推すエイブルアートにもかかわっておられます。越谷の公共ホールの職員時代に仕掛けた、山の手事情社を招いたワークショップが、60代の女性たちが山の手事情社に所属するきっかけとなりました。野村さんも、障害がある人たちだけでなく、高齢の女性たちもそうですが、舞台表現におけるさまざまなマイノリティに表現の機会を創出してきた。当たり前のように10年間続けてこられたのは、すごいことですよね。
徳永 世の中では、お年寄りはニコニコ穏やかにとか、体の自由が利かなくなってくると生命体としてだんだん静かになる、感動領域も可動領域も小さくなっていくとか思いがちですが、そうじゃないんじゃないかと。歳をとってるからこそ吹っ切れて、若いときにはなかった凶暴さやユーモアを出せたりするんじゃあないでしょうか。
カトリ ゴールド・シアターの第3回公演、ケラリーノ・サンドロヴィッチ作「アンドゥ家の一夜」では、80代のおじいちゃんが70代のおばあちゃんを押し倒して…というのには涙が出ちゃった(笑)。みんな枯れてかわいくちっちゃくなっていくわけじゃない、最後まで「生」にこだわるっていう人間の妄執が感動的でした。
徳永 そうなんですよね。けっこうフルエナジーなところがあるんじゃないでしょうか。だからこれは、ほんわかしたものではなくてもウエルカムです。
2本目は「FABIEN PRIOVILLE」。2008年「紙ひこうき」を演出・振り付けされたファビアン・プリオヴィユさんが、日本で公募のワークショップをやります。そのリサーチワーク公開ということで、本公演ではないんですけど、成果を発表するという形ですね。「紙ひこうき」は、超感動の1本だったので、これもぜひ見たいんです。
最後の1本は726で、大塩哲史さん(北京蝶々)脚本の「太宰治 走れメロス」。
カトリ 726は去年、漱石の「こころ」を吉田小夏が脚色した作品が評判良かった。日本の近代文学をていねいに舞台にかけていこうとしているようで、今回が2本目。
徳永 キャッチコピーが「メロスは、まだですか?」とあって、チラシには男性2人が立っている。ってことは、明らかにゴドー待ちを意識しているのでは、と。また「走れメロス」は太宰がシラーの詩「人質」に着想を得て書いた作品で、さらにシラーはギリシアの伝承に因んで「人質」を執筆したとあります。で、大塩さんはルーツに立ち返って書くということなので、私たちがイメージするメロスとは相当違ってくるんでしょうけど、どんどん物語のルーツをさかのぼっていくわけで、その先に何が見えるのかを確かめたいです。
鈴木 僕の1本目は「エーブルアート・オンステージ コラボ・シアター・フェスティバル2010」の中から、Bプロ「≒-にあいこーるのじじょう」。これは、以前ワンダーランドにダンス評を書いた作品です。循環プロジェクトといって、新大阪、東京、世田谷美術館、桜美林大学、松山、兵庫などで公演を3年間に渡って公演を積み重ねてきて、これがひとまず最後の公演です。いろんな障害がある人が出てくるんですけど、障害者ががんばっていいものを見せているというのではなくて、障害、アートといった既存の枠を揺さぶっていくというのが、エイブル(=可能性の)アートたるゆえんだと思います。出演者の福住宣弘さんは、車椅子でものすごいスピードで走り回るなど、びっくりさせるような動きも技術的にできる人なんですが、彼の表現で僕がもっともシビれたのは、世田谷美術館で見た時に、車椅子から降りてゴロンと寝るシーン。彼は体に湾曲があるのでピッタリ横にはなれないんですけど、周りの人々が動き回る中、彼がただ横になるという一瞬があったんですね。過剰に一生懸命やるというパフォーマンスが多い中で、無力さ、存在そのものをさらす瞬間が作品の中にあったというのが、表現として何かを超えたという感じがしたんです。そういうふうに、いろいろに作り直しをしているので、前見た人も違う印象の作品になっているんじゃないかと思います。
次に、これとは真逆といえば真逆、異様な身体といえば通じているのですが、「東野祥子東野祥子solo dance VACUM ZONE」。トラムの初演時は、けがをされて、日程の途中で公演中止になりました。彼女も30歳代後半で、年齢的には存分に踊れる身体からそろそろ…という時期。でも黒田育世さんも、そういうところを超えて深みが増したので、この人もきっとそうなるはずです。とはいえやはり、存分に踊れる彼女をまだ見ておいてほしいとも思うんです。理屈抜きに踊りだけで揺さぶれる踊り手はそうはいませんから。
最後は、黒澤世莉脚本・演出の時間堂「月並みなはなし」。黒澤さんは演出家にしては演劇をすごく見る人なので、今受けるものはどういう形かなんてことはよくわかっているのに、そうではないことをやっているのが潔い。彼がやってるスタニフラフスキーシステムって、詳しくはよくわからないのですが、俳優がちゃんと舞台で生きてるってことが興味深い。役というのを、戯曲の中のものというよりも、ちゃんと人間としてとらえています。そこでは、憑依するとか成りきるというのではなく、どういうふうにその人物が立ち居振る舞うだろうということが考えられている。「三人姉妹」を見た時もそう思ったんです。岡田利規さんなどは、俳優が流れのイメージをもっていればブレない、そこでちゃんといられる、ということを言いますよね。全然方法は違うんだけど、二人の考えていることは似ているのかなあと思うんです。俳優をロボット的に、駒的に動かすんじゃなくてね。だから時間堂は異常によく稽古をやっています。
徳永 私も稽古を見せていただいて驚いたんですが、演出家が役者に「言いたいことを言ってくれ」と促すレベルではなく、役者が作品に対して、本当に積極的に意見を言うんですよ。それぞれが戯曲や稽古・演出に対して、自分の言葉をもっている。今、演劇教育を使ってのコミュニケーションなんてよく言われてますけど、こういう関係性がないと意味がないでしょう。時間堂は、ニュートラルな空気作りというか、集中して冷静になるということをちゃんとやっていて、すごく頼もしい。作・演出家が集団のトップにいるピラミッド型の劇団が減り、みんなが横並びの友達劇団が増えたとはいえ、役者が言葉を持っていたり、作・演出家が客観性を持っていたり、というのは、あまりない風景なんですよね。それが、集団として、システムとして成立している数少ない例が、
時間堂という感じがします。
鈴木 トップダウンということで言えば、岡田さんは、自身がそういうふうに誤解されているっていう意識がすごく強いんだと思うんだけど、彼は自分の頭の中にあるものを再現しようとしてるのではないと言う。そこにも黒澤さんと通じるものがあると思うんです。黒澤さんも、みんなオレの正解に近づいてくれという演出ではない。彼は正解があると信じてないのかもしれない。彼の中に美意識とか方向性はあるんだけども、それを守らない人を排除するという頑ななものではなくて、よりいいものが出てくれば、それを受け入れる。こういうやり方は、足場がものすごく不安定なはずで、彼は本当に宙ぶらりんな場所にいるのかもしれない。そういう表現者って意外と少ないので、もっとエバってもいいと思う(笑)。
カトリ ビデオで2005年版の「月並みな話」を見たんだけど、そこに出た役者たちが自分の声や演技を手に入れて、その後の活動でその声や演技を伸長していってることがよくわかった。役者は一度、黒澤世莉を経るのが、大事じゃないかって気がするんですよね。
徳永 黒澤さんが究極に目指しているところを想像すると、誰でも演劇を作れるという状況で、もしかしたらそれは、彼が自分の職業をなくすことにもなっちゃうんだけども、演劇ってそれぐらい自由なんだよってことを、繰り返しやってる感じがします。
鈴木 ただ、表に出てくる芝居の形が斬新かどうかというところだけが評価されるという風潮は残念なんですよ。時間堂は、その意味で充分に評価されていないような気がします。そういう流れ一辺倒なのは、批評が機能していないってことなのかもしれませんが。
徳永 パッと見ると、ちょっとスノッブな感じがしたりもするじゃないですか。演劇をお洒落な感じにしてるみたいな。私もはじめそういう印象が非常に強かったですね。それから、作品を推薦するときに、稽古場の雰囲気をどれだけ根拠にしていいかは難しい。でもここのていねいさは、確実に見る人に伝わっていく感じがしますね。(2月14日 東京都目黒区鷹番住区センターにて)
(初出:マガジン・ワンダーランド第180号、2010年3月3日発行[まぐまぐ!, melma!]。購読は登録ページから)
【出席者略歴】(五十音順)
カトリヒデトシ(香取英敏)
1960年、神奈川県川崎市生まれ。大学卒業後、公立高校勤務の後、家業を継ぐため独立。現在は、企画制作(株)エムマッティーナを設立し、代表取締役。ウェブログ「地下鉄道に乗って-エムマッティーナ雑録」を主宰。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/katori-hidetoshi/
鈴木励滋(すずき・れいじ)
1973年3月群馬県高崎市生まれ。栗原彬に政治社会学を師事。地域作業所カプカプの所長を務めつつ、テルテルポーズやダンスシードなどで、演劇やダンスの批評を書いている。『生きるための試行 エイブル・アートの実験』(フィルムアート社)に寄稿。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/sa/suzuki-reiji/
徳永京子(とくなが・きょうこ)
1962年、東京都生まれ。演劇ジャーナリスト。小劇場から大劇場まで幅広く
足を運び、朝日新聞劇評のほか、『シアターガイド』『FIGARO』『花椿』など
の雑誌、公演パンフレットを中心に原稿を執筆。東京芸術劇場運営委員および
企画選考委員。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ta/tokunaga-kyoko/