sons wo:「めいしゃ」(クロスレビュー挑戦編 第1回)

「かわいいめいしゃ展」チラシ 気鋭の劇団やユニットに「周知と評価の場」を提供するクロスレビュー挑戦編第1回。リスク覚悟で名乗り出たのはsons wo:(さんず・うぉー)でした。ぽ・ぎょらんの展示会場で開かれた公演「めいしゃ」を取り上げます。ページをご覧になればわかりますが、評価は大きく分かれました。分かれて当然の公演です。公演のどこに着目するか、なにを可能性と見るかの違いなのでしょうか。それも想定の範囲内かもしれません。★印による5段階評価+400字コメント。掲載は到着順です。(編集部)

 

森裕治(会社員)
 ★★★
か・た・こ・と。か・た・こ・と。ぎ・く・し・ゃ・く。ぎ・く・し・ゃ・く。め・い・し・ゃ・の・ふ・う・ふ・の・ご・っ・こ・あ・そ・び・は、き・し・だ・く・に・お・か・み・ふ・う・せ・ん・ふ・う・ふ・の・ご・っ・こ・あ・そ・び・よ・り・せ・つ・な・く・て、か・ん・ら・ん・し・ゃ・か・ら・お・っ・こ・ち・た・お・っ・と・に・の・こ・さ・れ・た・つ・ま・か・ら・の・て・が・み・は・な・ん・と・も・は・か・な・い。し・か・し、わ・か・っ・た・よ・う・で・わ・か・ら・な・い、こ・の・ふ・し・ぎ・な・か・ん・か・く・を・う・ま・く・こ・と・ば・に・で・き・な・い・ぼ・く・も、ほ・ん・と・う・は・も・う・も・く・な・の・か・も・し・れ・な・い。か・た・こ・と。か・た・こ・と。ぎ・く・し・ゃ・く。ぎ・く・し・ゃ・く。
(観劇:2月19日午後2時)

 

水牛健太郎(ワンダーランド)
 ★
 若さの特権というものがある。例えば、自分が全く新しい何かを作り出せる、なんて信じることができるのはまさに若さの特権だ。まれに実際にそんな才能の持ち主が出現するからたちが悪い。「自分だって本気を出せば…」。そして思いっきり自分の思い通りにやったはずの結果が、他人の目から見るとどこかで見たようなものになってしまうのはなぜか。つまり、たいていの人間の心にはどこかで引っかけてきたありきたりなイメージが堆積していて、本当に独自なものなんて滅多に、あるいは全然、ないということなのだ。だから、思いっきりやればやるほど、独自じゃないものが飛び出してくる。
 だからむしろ、自分がいいなと思うものをとことん真似してみる。発声でも演技でも、普通でありきたりだと思うやり方をあえて使ってみる。そして見つけたささやかなオリジナリティを球根みたいに大事に育ててみたら。できるはずだ。こんな企画に応募する根性があれば。
(観劇:2月19日午後2時)
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ma/mizuushi-kentaro/

 

都留由子(ワンダーランド)
 ★★
 30年ほど前の地方都市では、東京ではアングラというのが流行っていると分かっていても、その実物を見た人なんかいなくて、でも、学園祭になるとそれっぽい(と思われる)芝居が上演された。たいてい、裸の女の人形や、ペニス形のオブジェや、四十八手のイラストなんかを飾った会場で行われ、役者は妙な抑揚で一本調子に台詞を叫び、襤褸の衣装で目をむいて痙攣的に動き、身体的ハンディに対する呼称を連呼し、ストーリーは訳が分からなかった。時代の先鋭からは遠いありきたりの学生にはどこがいいのかさっぱり。でもそう言うのも悔しくて面白かったと見栄を張った。
 sons woの舞台の懐かしくも激しい既視感。なぜこうなるのだろう。ちょっと前の流行は古くさいが、もっと前のだと新鮮に思えるようなものだろうか。とするとこの作品は、あの「古典的アングラ」を知らない今の若い人たちには「新しい」のか。失礼ながら若いっていいなあといっそ微笑ましく★はおまけで2つ。
(2月19日マチネ)
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ta/tsuru-yuko/

 

プルサーマル・フジコ(編集者、雑文家)
 ★★★★
 当初、難解な言葉がずらずら並ぶ企画書を読んだ時は頭でっかちな人がつくってんのかもなーと危惧した(だから興味をそそられた)けど、公演はまさかまさかの面白さ。テクスト、劇空間、俳優の身体、の三者が別個に存在しているからこそ、例えば「観覧車」「奇術ショー」と発話すればそれがそこに存在しうるとゆう見立ての力を存分に使い、狭い劇空間ながらいろんな場所を、狂った目医者とその壊れた妻が文字通り盲目的に旅していくラブコメ的ロードムービー(ただし発話法は鈴木忠志風味)。最初は意味不明の近代文学的(?)なテクストも、時折ひゅっと浮かんで頭に侵入してくる瞬間が気持ち良い。「わたし出目金が好きなの、アイスコーヒーが飲みたいわ」と喫茶店に入った瞬間に「たのもー! 酒と飯を持ってこい!」と言ってみて出てきたおしぼりに「これで涙でも拭けっていうのか!」と叫ぶような様々なナンセンスな掛け合いにはユーモアとペーソスが漂い、こうした図太いテクストを書ける人物をわたしは他にひとりしか知らない(あえて今は名前を伏せる)。ただしモノローグ部分のイメージ喚起力がもう少しあればなお突き抜けるものがあったとは思うし、80~100分くらいのフルスケールの作品でもっと奥深くまで潜るように書いたものも観てみたい。あと今回の展示(舞台美術)が「カオスラウンジ」っぽいあたりもいい意味でちょっと気になる。既視感のあるものをバラ撒きつつ、そこからオリジナリティを練り上げていこうとするのは若い世代のひとつの(避けがたい?)特徴かもしれない。
 ひとつ難をあげるならユニット名などが雑多すぎること。たしかに正体不明感は漂うけど、今後より広範な観客にアクセスしていくつもりなら屋号や情報をもう少し絞ったほうがいいかも。次もぜひまた観たいです。
(2月19日マチネ)
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ha/pluthermal-fujiko/

 

大泉尚子(ワンダーランド)
 (星なし)
 コンクリート打ちっ放しの半地下のスペース。床には、赤やピンクの風船やハート型の箱、発泡スチロールのかけらが散乱。壁にはセーラー服。リカちゃん人形やふくらます式の女体人形(!?)が転がってたり、吊るされてたり。貼られている手描きのマンガチックな絵は、ウサギさんの交尾、いろんなカッコの。ってことは、真ん中にどーんと直立する赤い円筒形のものは、ら・ら・ら…なんですネ、先の形状からして。よく見たら、ミニチュアもあるある。ただしこれらは、この劇のオリジナルの装置ではなくて、展示との「コラボ」とのこと。とはいえ、客はひとつのものとして見ちゃいます。で、登場人物は目の見えない妻と眼医者の夫、さぞかしポップにしてセクシャル系な話かと思いきや、意外に抒情的。それもそのはず、作者が過去に見た、岸田國士「紙風船」の記憶からひっぱり出してきたものってことが、当日パンフレットに書かれてる。でも「…それはつまり盲目のひとが手をおいたところしか認知できないのと同じように…」って、ホントにそうッスか? 「…そこに耳を澄ますというのはどういう体験なのか? というのはそれぞれの方々に任せるしかないのだけれど…」ってハナっから言わないで、作者にとって何なのかを、もっともっと愚直に手触りごと提示してほしいナ。それを差し出されたときに、星をつけさせてもらおうと思います。
(2月19日19時観劇)
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/a/oizumi-naoko/

 

鈴木励滋(舞台表現批評)
 ★★★
 岸田國士や江戸川乱歩を若い人が意欲的に演出するとこんな風になるんぢゃないか知らんと思ったのは、なんだか古びた言葉の遣り取りを珍奇な身体と奇天烈な話法で積み上げていたからなんだけれど、子どもがロボットを真似して出す無機的な声色を強くしてラ行だけちょっぴり椎名林檎を加えたような女の語り口も全編を通してつづくと次第に単調さに食傷気味で、かといって壊れた操り人形みたいなぎこちない身体に一息に見せてしまうほどの有無を言わせぬ強度があった訳でもなかった。また、あえて盲目を扱ったとて、サラマーゴの『白の闇』や大海赫の『ビビを見た!』のように見える/見えないの転倒の先で見えていると思っているわたしたちが果たして見えているのかという揺さぶりをもたらすこともなかった。手術前の盲目だった女の見ていた世界が説得力をもってわたしたちを飲み込めれば、冒頭語られた「あらすじ」が女の短命を知らせていたけれど、男の儚い願いのような「未来の風景」が、それがほんとうに在ったのかどうかという疑問を差し込む余地もなく立ち現れたはずだ。それにはあらゆるものが少しずつたりないのだけれども、小手先の技術を蓄えてもらいたいとは全く思っていなくて、このまま不器用に愚直に切実に問いつづけながら進んでいくしかないだろう。
(2月20日ソワレ)
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/sa/suzuki-reiji/

 

杵渕里果(保険業)
 (★なし)
 アート作品とのコラボ上演。ピンクのキルトで巻かれた2メートル大のペニスのオブジェを中心に、七十センチ程度の小型風船ダッチワイフ四体、稚拙な筆致のウサギが交合するイラスト等ゝが散乱するキュートで色ボケな小スペースは、都の取締りがあと百倍キツければ戦闘的なアートにみえた、のかもしれない。上演はというと…、そういえば昔、バンドを結成した友人のライブでCDを買った。が、一度も聞いてない。別の友だちが詩集を作り、これも買ったがぱっと開いて閉じたきりだ。率直な感想を聞かれても私はごまかす。だって、言うほうも言われたほうも気まずくなるだけだもの。ヒトマエにだしちゃったものに「ヒトマエに出すには早すぎない?」とか、売っちゃったものを買っちゃったうえで「ヒトサマに売る気?、殺されるよ」なんていったって、ね~。彼らも、この上演も、ヒトマエに出す前の自己批評が足りないと思う。自分でわかんなきゃだめだよ。
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/kinefuchi-rika/

 

北嶋孝(ワンダーランド)
 ★★★★
 登場人物は夫婦二人きり。人物画の切り抜きなどヘタウマ的な展示に囲まれた狭いスペースで、ぎこちない動作から楷書のような口調でセリフが発せられる。つまりロボット/自動人形のような、非生命的動作を繰り返しつつ、盲目の妻と眼科医の夫とのプライベートな会話が延々と続いていく。俳優にロボット的動作を強いる舞台はいくつも例があるけれど、ほとんどがSF的世界の写し絵だった。しかしsons wo:は現代口語演劇によくみられる日常の情景を淡々と、壊れかけた精神と不完全な動作で提示する。いま、ここで、このスタイルこそ必然ではないかと。この感性と着想は鋭い。
 この公演と同じ19日、平田オリザらのロボット演劇、アンドロイド演劇が横浜で披露された。ロボットもアンドロイドも生身の俳優と同じくセリフを発し「演技」する。いわば精密機械を人間らしく振る舞わせ、演技・演劇をフィクションの極致に貼り付ける作業だった。sons wo: は平田らとは逆のベクトルからアプローチする。俳優のロボット/自動人形化からいまのリアルを探り当てる作業…。習熟度に差はあるけれど、どちらも演劇のきわどい境界を探る試みだろう。次はどういう展開になるのか、しばらくはワクワク待ちだ。
(2月19日ソワレ)
・ワンダーランド寄稿一覧:http://www.wonderlands.jp/archives/category/ka/kitajima-takashi/

 

【上演記録】
sons wo:「めいしゃ」(sons wo:+ぽ・ぎょらん『かわいいめいしゃ展』 合同公演)
駒込ラ・グロット(La Grotte)(2011年2月19日-20日)

作・演出 カゲヤマ気象台
出演 椎谷万里江(拘束ピエロ)、カゲヤマ気象台
上演時間約60分

「sons wo:「めいしゃ」(クロスレビュー挑戦編 第1回)」への7件のフィードバック

  1. ピンバック: 高木登
  2. 女という生き物は「胎児」「処女」「娼婦」「母親」を常に体内に秘めている。

    それがいつ何時、突如として現れるかわからないから、男はほとほと疲れる。どこかでいつもビクつきながら、女という生物の変化に脅され続けている。けれども、世の中、男と女しかいないから(例外もあるけれど)、逃れようのない悲劇は山ほどもある。
    僕は本作品に、その悲劇を突き付けられた。

    この種の現実を、大衆的ストーリー、エンターテインメント性に満ちた演出によって語れば、途端悲劇はニセモノに様変わりし、伝えるべき現実は虚構になる。
    本作品をアングラ的と呼ぶ人もいるかもしれないが、僕はそうは思わない。
    「テーマに即した作劇、演出」であり、もっとも娯楽性にあふれた形だと思う。
    すなわち作者は、(昨今の)観客を意識し過ぎた作劇演出自体に欺瞞を感じ、面白みを見出さず、自分が持っている事実を伝える上で出来る限り真摯であろうとしている。言ってみれば、演劇をつくる自分にかなり、照れているんじゃないのかな、とも思う。

    様々なジャンルの娯楽がある。
    大衆的であればあるほど、ターゲット層は広がり、漠然としたものになる。
    それゆえ、「誰にでも解ってもらえる形」「誰もが娯しめる形」を模索し、創造しなければならなくなる。

    けれど一方で、娯楽や芸術は「体験」でもある。

    作者が提示する世界、事実、物語と接触する「体験」。
    この「体験」が完全に失踪してしまった作品からは何も得られない。

    少なくとも僕は、sons wo:「めいしゃ」を「体験」した。

  3. ピンバック: sons wo:
  4. ピンバック: カゲヤマ気象台
  5. ピンバック: sons wo:
  6. ピンバック: カゲヤマ気象台

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