イキウメ「新しい祝日」

9.道化は正しいのか、気づきが大切なのか、気づかない方が幸せな世界を愛せよ(箕浦光)

 舞台上に段ボールで会社のオフィスが作られている。机の上の黒い電話機がのっている。それを見たとき何かが違うと不安な気持ちとなった。段ボールのオフィスと黒い電話機が現実を非常にシンボリックに表しているように思えた。セット自体が芝居を現していて、それ以上のことがどこまで出てくるかなという心配であった。そして出てこなかった。

 物語は休日出勤で仕事をこなしている汎一。そこへ分身と思われる道化が登場する。汎一は自分の分身とは信じない。道化はなにか気づかせようと汎一をつれ回し、かき乱す。汎一は今の生活に満足している訳ではないが、しかし生活をこなすことで安心感を持っている。効率化や競争が本来の姿ではないと感じていても、その見えない枠組みの中から逃げ出すことはできないことが解っている。その中で自分たちが過ごす最適な方法を作り上げ、皆と共有して形式化して、自らその中に積極的に入ってくことで、居場所と安心を確保できることをなぜか知っている。
 しかし道化は無理矢理に汎一をつれ回し、今の状態がおかしいことに気づかせようとする。何回も念を押すように様々な設定を登場させ、それも品を変え反復させながら汎一に迫っていく。例えばシナリオが決まっているゴッコ遊び、目的がないクラブ活動。多分同じことを言うためしつこいくらい繰り返す。道化と汎一以外の役者は個性をわざと消した演技をする。本当のことを言うと抹殺されるという設定。しかし道化自身も迷いがあり、気づかせることを抑制する。出口がないのを知っているから。

 多分言いたいことはこうであろうと推測する。枠の中での生活は楽で、余計なことは気づかない方が良い。枠に順応するのが楽。気づくことは犯罪である。枠の中で居心地を見つけるためには、多少の感情の犠牲は仕方がない。今は気づくことで損する時代である。それから行けばこの芝居も犯罪である。展望のない世界、脱出できない世界は、みんな感じている。それを口に出すだけでますます出口がなくなる。
 しかし本当に道化は何が言いたかったのかわからない。そのため道化は目障りに写り、知らないことを気づかせる残酷さを感じる。気づかせるだけでは無意味なことは芝居に対する欲求不満を植え付ける。新しい祝日は本当の祝日ではないが、行き着くところは形式化することで満足を得る。皆わかった上で、行動様式を同じにすることに万歳。枠の中で足を引っ張るのはあり。正直ものは馬鹿を見る。やはり気づかないのが一番の幸せと納得する。

 まあ正直なところ劇評を書くのはしんどかった。居心地の悪い芝居であった。役者は上手かった。しつこく手を変えての繰り返し、個性を出すことが商売なのに、演技的に個性を抑制して退屈させない力量が感じられた。そして構成はしっかりしていて、作っている人にはやりがいがある芝居と思われる。だが内容は一昔前の焼き直しにしかみえない。どこかで見たことのあるものをヒップホップ風にしようと試みている。過去の文法の栄華をしっている老人の喜ぶ内容だと思う。内容はわかりやすいが、楽しいこととは別となる。芝居自身が形式化の芝居で、自己正当化の反対の反対は見事としか言いようがない。ケチはつけにくいが、やっぱり面白くなかった。やはり「気づかない方が幸せな世界を愛せよ」と思う。
(2014年12月7日13:00の回観劇)

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