はえぎわ「ハエのように舞い 牛は笑う」

8 ハエのように考え、そこで終わる(宮武葉子)

 むかし仕事で世話になった先輩は、家庭持ちとなった後に不倫騒動を起こし、それが原因で左遷された…のだそうだ(ご参考までに、評者がいた当時は独身だった)。とはいうものの、ことの顛末を在職者に尋ねても、はかばかしい返事が返ってこない。件の先輩は騒ぎの少し前に部署移動になっており、現場を見た人は誰もいないというのだった。異動前から黒い噂は多々あったようだが、なにが発覚したでもなく、決定的な事件を欠いたまま、話はうやむやに立ち消えている。

 隣の部署のメンバーが一斉に辞めたこともあった。パワハラ事件があって大揉めしたということなのだが、近くにいたにもかかわらず、「何かが起きていた」ということ自体を知らかった。我ながらびっくりである。それでも、渦中の一人が出社していないことには気づいた。で、時季はずれの夏休みをとっているのだと思っていた。いつも忙しそうだから、今頃休んでるんだな、連続休暇取れてよかったな、ぐらいに思っていたら、いつの間にやら内線一覧から名前が消えていた。狐につままれたような心持ちだった。さすがに妙だと思い、同じ部署の人間に探りを入れてみたが、あっさりはぐらかされて終わってしまった。当時の関係者は、今はもういない。

 いやそんな本気で知りたい訳じゃないんだけどさ、自分だけ全然知らないってのも何かシャクにさわるし、と言ったところでもう遅いのである。
 オチは付かないし、盛り上がりもしない。

 さて。
 はえぎわ十五周年記念公演「ハエのように舞い 牛は笑う」は、いやはや何と言っていいやら、大変難しい芝居だった。水の中の玉こんにゃくのように、つかみ所が分からない。

 牛乳を飲めない、何一つマトモに出来ない姉ゆたか(川上友里)。
 可愛くて人当たりもよく、そのせいか妊娠中の妹りんか(橘花梨)。
 離婚は自己都合だと主張する2人の母さきいか(井内ミワク)。
 詳細は不明ながら、りんかと東京で暮らしているらしい2人の父親(ノゾエ征爾)。
 ゾンビのかぶり物が外れなくなったバイト君・ゾンビB(町田水城)。
 記憶を消しつつある兄アキボク(河井克夫)と、テンション高く兄を案じる弟ハルボク(富川一人)。
 互いに理解し合っていない、ボーリング場の経営者・皿田知世(笠木泉)とその右腕である右腕(ウワンと読む)(竹口龍茶)。
 ボーリングの球が指から外れなくなってしまった声の小さい大男・ボン(山口航太)と、その友人・鯉登(滝寛式)。
 自販機をこよなく愛する人嫌いの補充員(上村聡)と、悪事を推奨する女(踊り子あり)。
 仲が良さそうに見えない観光客カップル(鳥島明、鈴真紀史)。
 モロタという謎の生き物(水田2役)。
 …書き出してみると結構大勢だな…と、このような奇妙な人々が関わっているようで関わらずに暮らす、火山の島サクラガシマの話である。

 奇妙な人々が登場する芝居なら珍しくない。むしろよくあると言っていい。本作に困惑させられたのは、描かれる状況が変だからではなく、「何も起こらなかった」からだ。
 一見関係のなさそうな人々の関係なさそうなエピソードが細々と描写されたら、それらは実はつながっていて、最後には大きなストーリーに収斂する、というのがフィクションのお約束である(と、思う。やや自信なさげ)。ある時を境にことの次第が見えてくる。だから、見たことをなるべく忘れないようにしながら、落ち着いて待っていればいいんである。見る側はそう思いながら座っている(多分)。
 あるいは、そこまではっきりしたストーリーがなくても、エピソード全体に共通する何か、雰囲気や価値観といったものを描きたかったんだね、という場合もある。とある老人の日常を緩く切り取った中国映画「胡同の理髪師」を見れば、オリンピックと経済成長によって消滅しかけている北京の下町を、古めかしく不便ながら「よきもの」としてとらえている、ということが分かるのである。

 話が少々それてしまった。
 先に挙げた15人(モロタは人間ではないらしいのでひとまず除く)は、確かに少しずつ関わっている。例えばゆたかは、りんか、さきいか、男(父親)の身内であり、皿田と右腕とは仕事で関わり、ハルボクとは気安い友人で、補充員のことを密かに想っている。だが、彼女とこれら7人の関係性は、2時間の間ずっと同じである。他のキャラクターについても、開幕から終演まで、置かれた状況はほとんど変わらない。

 可愛くてそつのないりんかはゆたかのコンプレックスを刺激する存在であり続け、さきいかは感謝しなくても労らなくても世話をしてくれる。会いたいと切望していた父親は、ゆたかに会いに来たとは言ってくれない。ハルボクはことあるごとに「何もできない」とゆたかをバカにするが、彼の代打で入ったゾンビのバイトをしくじることで、彼女はハルボクの正しさを自ら証明してしまう。

 もちろん、カメラを落とした男が本格的に女に捨てられ(多分)、りんかが母親となることを受け入れ、皿田が右腕を失った、程度の変化はある。だが、おおむね事態は動いておらず、問題も解決してはいない。皿田ボウルの立て直し案は定まらず、さきいかの離婚の原因は「自己責任」の一言で片づけられ、悪事を推奨する女の正体も明らかにはされない。「こういうことだったのか」という思いを、観客は抱かせてもらえないのである。黒板を使った説明も、一見重要そうでありながら、実は大した伏線になっていない。

 確かに、さきいかの元夫が島を訪れる、ゆたかがゾンビのバイトに初挑戦する、りんかがアキボクに出会うなど、何かが起こりそうな気配は生じる。しかしながら、それらは先々に繋がらず、気づけば立ち消えてしまっている。やっとのことで自販機の補充員に声を掛けることが出来たゆたかも、牛乳を飲めるようにはならない。ゾンビBの顔にくっついてしまった面も、ボンの指に嵌まったボーリングの球も外れない。揮発したアキボクの記憶は戻らない。そのままの状態で、皆で歌を歌って終わってしまう。
 「さっきのは一体何だったんだ?」の連続なのである。

 さらに困惑させられるのは、芝居を構成する細かいパーツの平凡さだ。
 「牛乳が苦手」というのは比較的ポピュラーなお悩みであるし、「信頼しきれずに相手を失う」「強いストレス下にいる優等生がいきなり全てを振り捨てる」というのも、設定としてはまぁありがちである。エプロンをつけて、いつも家にいて、何を言われても縁の下の力持ちでいてくれるお母さん、というのもユメユメしいというか都合がよすぎるというか。いや確かにいるかもしれないけど、でも、そんな今どき正々堂々描く母親像か? といいたくなるような設定といえる。

 かと思えば、下痢をして漏らした状態で踊るなどという、かなり困難な行為が描かれる。乳児ならともかく、それなりの年齢に達した人にとって、それはあまりにハードルが高すぎるのでは。特に女性は、着衣での排泄行為から離れて久しいし…ってそんな真面目に書くこともないのだが。そろそろトイレネタから離れた方がいいのではと思いつつ、球が抜けないと男性でも用は足せないよなぁ、小はともかく大は、とも考えた。奇を衒っているのかどうか分からないが、ファンタジーだからというにしても、ちょっと現実から離れすぎている。
 リアリティがあるのかないのか、飛ばしているのか地に足ついてるのか。何というか、全体的にアンバランスな印象を受けたのだった。

 一方で、こうも思う。
 現実の出来事も、考えてみればグダグダしている、ことがある。当事者にはなかなか全貌が見えないし、説明解説はつかないし、次々と劇的な変化が起きたりもしない。一直線に話が進むことはなく、真相は不明のまま、うやむやに終わってしまうことも多い。とすれば、ひょろひょろと展開し、あまり意味をなさないこの芝居は、見ようによっては「リアル」なのではないか。
 まっすぐ目標に向かうでもなく、慎重に獲物を狙うでもなく、時にふわふわと、時にせわしなく、何をしたいのかよく分からない動き方をするハエと、この芝居の進み具合は似ているように思われた。
 個々の場面はともかくとして、作品全体を評者は楽しんで見たのだが、それはこの芝居の中身ではなく、あり方それ自体がリアルだと感じたからかもしれない。

 出演者は皆それぞれの役に合っていて、座付作者が書くとこういう嵌まり方をするのがいいな、と思う。特に、母さきいかを演じた井内ミワクの独特の間、ゆたか役の川上友里のいかにもダメそうなところが、強く印象に残った。

 セットは面白い。舞台奥に白く薄い壁があり、障子みたいだと思っていたら、ところどころドアや窓のように開いた。時に影絵を映すスクリーンにもなっている。舞台の上手下手には演奏スペースがあり、何と生演奏が入る。音が生というのは、それだけで心浮き立つものがあった。

 また、舞台と客席の間に空間があって、ものが投げ込まれたり人が飛び降りたりする。投げられるものがボーリングの球であったり缶ジュースであったりと固く重たいものなので、その都度ドキドキしながら見ていた。ちょっと手元が狂い、客席に飛んで大惨事になったりはしないのだろうか。そこはきっちり計算されているのか、あるいはあれは小道具で、実は重たくも固くもないのだろうか。アフタートークによると、舞台と客席の間の「投げ入れスペース」は深さ2mほどあったそうだ。飛び降りるの、恐いだろうなぁ。
 そういえば、右腕を演じた竹口龍茶は、皿田の元を去る場面で、「蜘蛛の糸」のカンダタよろしく綱を登って上へとはけていった。あれも、結構大変なことだったのではないかと思う。役者ってすごいなぁ、と、ぼんやりながめつつ思ったりした。

 上手くまとめられないまま、この文章も何となく終わりそうである。
 見てる側の頭がへろへろしてるんだから当然か。
(2014年8月28日19:00の回観劇)

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